裏山の鬼
ある小さな農村にミサキという名の孤児がいた。両親はミサキが幼い頃に流行り病で亡くなり、二人暮らしをしていた祖母も寿命で二年前に他界した。子供であるミサキに大した労働力は期待できない。村人は、相互に田畑の作業を助け合う習慣があったが、ミサキは十分な労働力を提供できなかったため、自ずと他者からの協力も得られなくなり、生活ができなくなってしまった。
それを見かねた村長は、自分の家でミサキを下働きとして働かせることにした。とはいっても、やはり子供にできることが限られていることに変わりはない。提供される食事に見合うだけの対価を払うことができず、ミサキは村長一家からも疎まれていった。
「ミサキ!いつまで寝てるんだい!さっさと洗濯しておいで!」
「ミサキ!そんな仕事にいつまで時間かけてるんだい!日が暮れる前に、風呂の水を汲んで沸かしておくんだよ!」
「ミサキ!この着物の破れた部分を縫っておきな!飯だけ食べて寝ようなんてそうはいかないからね!」
一日に何度も怒号が誰かから飛んでくる
また、村長にはミサキと同じ年のサカエという名前の娘が一人いた。当然サカエもミサキを疎んでおり、それはミサキが村の子供たちからもいじめを受ける原因となった。
「誰が近寄っていいって言ったんだよ。お前は仲間に入れないからな」
「お前は遊んでる場合じゃないだろ。お前がさぼってるってチクるぞ」
村人の対応は、決して褒められたものではなかった。しかし、ミサキは何とか生きている。ミサキはそのことに感謝していた。
ミサキの仕事の一つに、村の北側にある山に入って、山菜などを取ってくるというものがあった。この北山は、山菜やキノコ、果物といった収穫物のほか、野ウサギや川魚なども捕獲でき、様々な食料を得ることができた。他の村人も北山に入ることはあるが、農作業に追われることが多く、そちらを優先させなければならないため、それほど頻繁に入ることはない。このため、比較的多くの物を子供であるミサキが採って持ち帰ることができたのである。因みに北山から柴を持ち帰ることもミサキに課せられていたため、ほぼ毎日のように北山に足を運んでいた。
北山の裏側には、さらに山がある。村人たちはこれを裏山と呼んでいた。村の言い伝えによると、裏山には人の魂を喰う鬼が住んでいるといわれており、裏山には立ち入るなと伝えられていた。実のところは鬼を見た者は誰もおらず、一度は好奇心から子供の頃に裏山に立ち入った経験がある村人も多かった。しかし、特に何か特別な薬草などが採れるわけでもなく、村からも離れているため、敢えて裏山に入ろうとする者もいなかったのも事実であった。
ミサキは、この裏山に頻繁に足を運んでいた。理由は簡単だ。他の村人が立ち入らない分、人の手が入っておらず、効率良く収穫することができたからである。また、ミサキが裏山に入って心配する者もいないということも理由となっていた。
裏山の山道はとても単純である。北山の峠を越えてまっすぐ行くと、道の傍に大きな岩が一つある。この辺りが北山と裏山の境界である。さらにまっすぐ行くと、道が左右に二つに分かれる。これらの道は山の向こう側でつながっているため、どちらに進んでも、また同じ場に戻ってくることができる。途中には分かれ道も何もない。山道を進んでいる限り、決して迷うことがない山なのであった。
様々なものが簡単に取れて、迷うこともない。ミサキが裏山に立ち入らない理由がなかったのである。
春の陽気を感じられるようになったある日、サカエが我が儘を言いだした。栗が食べたいというのである。知ってのとおり、栗は秋に実を落とす。冬を越す間に山の動物に食べ尽くされ、春先まで残っていることなど殆どない。サカエは、それをどうしても食べたいと言い出したのである。
サカエの母親も、こんな時期に栗など見つかるはずがないと思っていた。しかし、可愛い娘の我が儘だ。ミサキに栗が見つかるまで帰ってくるなと命じたのである。ミサキは、最初はそんなことは無理だと主張したが、世話になっている身で普段から肩身が狭い立場にいたこともあり、結局北山に向かうこととなった。
ミサキは、初めに北山を歩き回ってみたが、栗は見つからなかった。栗のイガは割と簡単に見つけられるのだが、肝心の実が入っていないのである。既にリスなどによって食べられてしまっているのであろう。ミサキは仕方がないので、裏山の方にも足を延ばした。分かれ道を右に曲がり、道なりにどんどん歩いていくと栗は見つからないまま、元の場所へと戻ってきてしまった。次は木々の中にも立ち入らないといけないと考えながら、二周目を歩き始めた。
左手側に獣道がないかと注意しながら歩いていくと、道の右側の何かが視界に入ったような気がした。道の右側を向いてみると、そこには一体の地蔵があった。ミサキの背丈の半分ほどしかない小さな地蔵である。ミサキは何度もこの道を通っているが、こんな物を見たことがない。何故地蔵があるのか。ミサキはその理由を考えた。
『裏山には、人の魂を喰う鬼が住んでいる』
村の言い伝えが頭の中で鳴り響く。ミサキは急に怖くなって、来た道を駆け出した。
しかし、一向に北山へ帰る道は見えてこない。そのうち、右に曲がることができる場所に行き着いた。
おかしい。来た道を戻ってきたのだから、北山へ帰る道は左側に見えるはずである。しかし、何故か右に曲がる道がある。明らかにおかしい。しかし、来た道を戻ろうとしても戻れなかったのだから、進むしかないとミサキは考えた。日も傾きかけている。
道を曲がり、しばらく進むと家があった。その家主が誰であるかは想像に難くない。引き返すのが得策だろうと考えたのだが、後ろから声がした。
「客人か。珍しいな」
ミサキが振り返ると、一人の男が立っていた。背が高く、きれいな肌をした青年であった。粗末な着物を着ており、背中には籠を背負っている。籠からは野菜の葉が顔を覗かせていた。自分の村の人と、格好にそれほど違いがあるわけではない。しかし、一つだけ違ったのは、蟀谷の少し上辺りから後方に向かって、鋭く尖った角が生えていたことである。
鬼だ。間違いない。出会ってはいけない者に会ってしまった。足が震え、逃げ出すこともできない。ミサキは、直感的に死を想像した。幼い頃の両親との思い出、祖母との日々の生活――ミサキは走馬燈という言葉を知らなかったが、一瞬頭の中を駆け巡ったものはまさにそれだった。
「安心しろ。取って喰うようなことはしない」
恐怖のあまり声が出ず、涙目になっていたミサキを見て、鬼はそう言った。鬼はじろじろと見つめ、ミサキの背格好を確認している。痩せた頬、細い手足を見て目を細める。
「お前、山の麓の子だろう?」
「うん」
「家族はいるのか?」
「みんな死んじゃった」
「はあ……そうか。ひとまず飯でも食っていくか?」
鬼はミサキを自分の家に招いた。
鬼は、自らをコウキと名乗った。
ミサキは、コウキに出された料理を一心不乱に食べ続けていた。色とりどりの野菜、新鮮な川魚、大盛の飯、中にはミサキが見たこともない食材も使われている。ミサキの村の食事といえば、具が一品だけ入った薄い粥を食べることが普通である。ミサキは、こんな豪華な食事をしたことがなかった。品数、材料、量、どれをとっても初めて経験する食事となった。そして何よりも、それらは頬が落ちてしまうと思える位、たいそう美味かった。自然と笑顔が綻ぶ。ミサキは、暫く感じたことがなく、忘れかけていた感情、幸福感を噛締めていた。
「しかし、お前はよく食うな」
「らって、ほいひいはら」
「ああ、泣かなくていいから。あと、口に物を入れながら話すのは止めろ」
美味しそうに飯を頬張るミサキを、コウキは微笑みながら見守っていた。
「御馳走様でした」
ミサキは、満面の笑顔で手を合わせ軽く一礼する。文字どおりの御馳走であった。これらを用意してくれたコウキ、また食材を育んだ自然に感謝の念が湧いてくる。その言葉と動作は、満たされたミサキの心から、自然と発せられたものであった。
「御粗末……ではないか。あの村の事情からすれば嫌味にしかならんからな」
コウキは何かブツブツと話していたが、ミサキにはその意味がよくわからなかった。
「それで、お前は何をしていたんだ?」
ミサキが満腹になったことを確認した上で、改めてコウキは問う。
「そうだった!私、栗を探しに来たの」
「栗?」
コウキは眉をひそめた。
「こんな時期にあるはずがないだろう」
「そうだよね。でも、見つけるまで帰ってくるなって、村長さん達に言われてるの」
「そうか。それは大変だな。まあ、少しばかりなら俺が調達してやろう」
「本当に!でも、どうやって」
「一応、あてがあるからな。ただし、明日になってからだな。帰れないというなら、ここに泊っていけばいい」
「ありがとう。ところで、コウキはここで一人で暮らしてるの?」
「そうだ。田畑も自分で耕しているぞ。さっきの料理も大半は自前の野菜ばかりだからな」
「そうなの?村では田んぼの仕事だけでもやっとなのに」
村では主に米や雑穀を生産しているほか、少量の野菜も作っている。大人達が朝から晩まで働いても、それほどの収穫は期待できない。コウキは、一人でどのように暮らしているのか、ミサキは不思議に思った。
「俺は鬼だからな。人間とは力も能力もわけが違うんだ。例えば、こういうことだ」
コウキがそう言うと、一瞬にしてミサキの視界から消えた。ミサキがキョロキョロとコウキの行方を捜すと、ポンとコウキの手がミサキの頭の上に乗せられた。振り返るとコウキはミサキの背後に立っていた。ミサキには、コウキが移動した影すら見えなかった。
「やっぱり普通の人間とは違うんだね。その角を隠せば、見分けなんてつかないのに」
「千人分以上の力が出せるからな。あと、鬼ど……妖術も使えるし」
「すごい!」
ミサキは目をキラキラと輝かせた。
「今日はもう寝ろ。明日は早いからな」
「うん」
コウキは、ミサキに温かい風呂と温かい寝床を用意してくれた。風呂は、いつもみんなが入ったあとのぬるま湯だったし、いつもは茣蓙の上で体を横にし、上着をかけて寝ていた。殿上人ともなれば、寝具なるものがあるという話はミサキも聞いたことがあったが、布団というものを見たのは初めてだった。その日は、風呂で体を温め、そのまま温かい布団に潜り込んだ。これまでに経験したことがないほど、ぐっすりと眠ることができた。食事に引き続き、夢心地もまた至福のひとときだったのである。
次の日、ごそりと家の入口の扉が開かれた音で、ミサキは目が覚めた。あまりにも寝心地が良かったせいか、いつもより遅い時間まで寝込んでしまったようである。丁度、コウキが家の外から戻ってきたところだった。
「おう、起きたのか。よく眠れたようだな」
コウキは、にかっと笑ってみせた。そして、布の小袋をミサキに差し出した。
「これは?」
「お前が探していたものだ。方法は秘密だがな」
ミサキが、袋の中を確認すると、そこには栗が10個ばかり入っていた。何故、この鬼はこう易々と不可能と思えることを可能にできるのか。ミサキは不思議に思ったが、秘密だと先に言われては聞くこともできない。
「ありがとう。朝早くから探してくれたんだね」
今、ミサキができることと言えば感謝することだけだ。方法は分からないが、自分のために骨を折ってくれたことは間違いないだろう。
朝食で、またもやもりもりと鱈腹食べ続けたミサキは、満足して村に帰ることになった。
「栗は最初に5個だけ出すのがいいだろう。俺はそれで十分だと思う。また無理を言われたら、残りでなんとかなるだろう」
「わかった。いろいろとありがとう。それで、どうやって帰ればいいのかしら」
「ついて来い」
二人は家を出ると、家の裏へと回った。昨日は家の裏側を見なかったが、そこには広大な田畑が広がっていた。昨日聞いた話では、コウキが一人で耕作しているはずだ。以前、ミサキの一家4人が耕作していた土地の何倍もある。これだけの広い土地で食料を生産していれば、食べ物に困るということもないのだろう。ミサキにはそれがとても羨ましく感じられた。
田畑を横に農道を進んでいくと、山林の入口が見えた。
「ここをまっすぐに行けば、間もなく村に帰れるだろう。この場所も俺に会ったことも秘密だぞ。栗は、偶然見つけたと説明するんだ」
「わかったわ。本当に色々とありがとう。また、遊びに来てもいい?」
「それは駄目だ」
コウキは無表情のまま、そう答えた。
「何故よ?」
ミサキは、表情を曇らせた。
「ここは、本来普通の人間が来る場所ではないからだ。今回は偶然迷い込んだだけだったが、今度ここに来ようとすれば、お前を喰うことになるぞ。だから、二度とこの場所を探さないことだ」
「……わかった」
ミサキは、コウキに対して父親のような親しみを感じていたが、やはり人間と鬼とでは住む世界が違うということなのであろう。世話になっておきながら、文句が言える立場でもない。たった一晩しか一緒にいなかったというのに、もう二度と会えないかと思うと、別れるのが非常に辛かった。ミサキは、何度も何度も振り返り、コウキの姿を確認した。コウキはずっとミサキを見守り続けていた。
ミサキが道を先に進んでいくと、道の左右に何体もの地蔵が並んでいる地点に到着した。道の先までずっと地蔵が並んでいる。ミサキがさらに先に進んでいくと、段々と地蔵の背が高くなっていった。よくよく見てみると地蔵ではない石像なのかもしれない。いつの間にか森林がなくなり、何処を歩いているのかわからない感覚に襲われた。それでも、先に足を進めると、その先には鳥居があった。その先には見慣れた風景がある。そこは、村にある小さな社の前の風景だった。ミサキは、鳥居をくぐった後、後ろを振り返る。そこにある鳥居も、その先にある小さな社も、ミサキがいつも見ているものであり、今まで通ってきたはずの道はどこにもなかった。
ミサキは、その足で村長宅に向かうと、栗を差し出した。村長らは一晩子供が山から帰らなかったというのに、誰も心配していなかった。サカエには遅いと文句を言われたくらいだ。また、いつもの生活が戻ってきたような気がした。ミサキは、先ほどの体験を夢だったと思うことにした。
ミサキは、その後も裏山に山菜などを採りに出かけたが、あの場所に迷い込むことも、地蔵を見ることもなく、当然、コウキと出会うこともなかった。しかし、時折何者かがミサキの家の入口付近に、米や野菜を置いていったため、前ほど食べる物に困ることはなくなった。そのおかげか、ミサキはすくすくと成長し、山をいくつも越えた村まで噂が広がるほどの美女となった。
月日は流れ、ミサキがコウキと出会った日から、数年が経過していた。
今回は、食べて寝ただけの彼女でしたが、次回はもっと別のこともします。