158:悪意の種
王子達一向はゆるやかなペースで馬車を走らせていた。
ヴァイスとキアラはいかにも冒険者ですという格好で馬に乗っていて、たまに商隊が安全性を考慮して「一緒に行きませんか?」と話しかけてきたりもしていた。御者をしている近衛は、「そちらが宜しければ」と笑顔で了承する。
護衛を雇っているから安心と相手は思っているようだけど、こちらから「一緒にいた方が危険ですよ」とは言わなかった。
王都までは10日とリュージから聞いていたヴァイスは、どれだけ過酷なルートと速度で走ったのか不思議に思っていた。
天気にも恵まれ、馬車で進む一行は順調に王都への距離を縮めていた。
異変が起きたのは、次の町まで後少しという場所だった。
馬に乗った女性が何者かに追われているようで、こちらに向かって来ている。
「ヴァイス、道をあけるんだ。そして、今回は見なかった事にしろ」
「え?助けないんですか?」
「ああ、どうみても馬の乗り方が熟練すぎる」
「武器は構えなくて良いのですか?」
街道で馬車も端に寄せ、ヴァイスとキアラは馬から降りて片手剣を抜刀した。
万が一その女性が本当に助けを求めていた場合に対する配慮だった。
近衛はもう、この女性を敵認定している。
ダボっとした服ではあったがシルエットから女性と分かり、フードを目深にしていて顔は見せないようにしていた。
その上で巧みな馬術、もう隠す気もないらしい。何も反応しないこちらを見て、10mくらいの距離を置いて下馬した。
後から追いかけて来た山賊風の男達10名弱も、その後ろに次々と到着した。
フードを下ろした女性が片手を水平に横に出すと、山賊風の男達が武器を一斉に抜く。
すると、2名の近衛が剣を抜き1名は女の方に、1名は馬車の後ろに回った。
王子が出てくると、「ほう、懐かしいな。ソアラ、元気だったか?」と女性に向かって声を掛けた。
ソアラは恭しく腰を曲げて、微笑みながら挨拶を始めた。
「王子、ご婚約おめでとうございます。是非、私にもセレーネさまに挨拶させて頂きたいのですが」
「ああ、悪いな。彼女は気分がすぐれないようだ。またの機会に頼む。そういえば、王都を出たと聞いたが何処に行ってた?」
「ふふふ、もう既にご存知ではないのですか?」
「まあな」
「あの時私を選んでくれたなら、今頃もっとこの国は栄えたでしょうに」
女性がまた水平に手を上げて振り下ろした。
すると、山賊風の男達はヴァイスとキアラと近衛に向かって、それぞれの得物を構え一定の距離でけん制を始めた。
「そんなに俺と一対一の話をしたかったのか?」
「ええ、是非ともあの頃の、あどけない王子の決断の真意を聞きたいのです」
「子供の戯言に真意も何もないさ」
「きっと、あの女に騙されたのでしょう。実力もない癖に高圧的な態度で接する姿に怯えて・・・お可愛そうに」
「ああ、奴はあれで情に弱いんだ。知らなかっただろう。今ならもっと違う理由で決断したかもしれないな」
馬車の後ろに陣取った近衛は、伏兵を探すのにわざと隙を見せる素振りをする。
「その程度を相手に、ノルマ3じゃ少ないんじゃねーか?」
「お前はもっと真面目に護衛してろ」
「ふぁーい」
山賊風の男達はボロボロの剣・短剣・斧などを持っているが、どこか訓練された動きを見せている。
王子からの指示もないので、近衛の一人は時間稼ぎに終始している。
こういう大事な話の時に割り込んだりすると、機嫌がすこぶる悪くなるのだ。
出来れば数名、王子のうさばらし要員として残しておかないといけない。
「随分程度が低い護衛をつけているのですね」
「お前に言われたくないな。どこから雇ったんだ?」
「それはもうご存知でしょう。それより先ほどの答えを聞きたいですね」
「答え?ああ、どちらを選ぶかか。そんなの決まっている、あの時の決断に間違いはなかった」
ローランドが『選択の儀』で選ばれなかった方のソアラは、その後一月もしないうちに王都を出た。
最初ローランドは父親に懇願をしたのだ。ところが出て行く日にちを教えてくれただけで、父親は何も対処してくれなかった。
こうなったら独自に動くしかない。その時自分が使える者を総動員して、彼女の噂を集めその働きを評価しようと情報を集める事にしたのだ。
小さな噂はいくつも集まった。
最初は侍女の仲間とあまり付き合いたがらず、ある特定の貴族との付き合いがあることが分かった。
協会へは度々行き熱心な信者だったが、そういう者が持っている首飾りや御守などを持っている姿は見られなかった。
また、たまにではあるが掃除分担外の掃除をする姿があったと聞く。
それは決まって会議や重要な人物との面談の後に入っているようだった。
ゴミが無くなる、それ自体は良いことだ。
王子が瑣末な仕事に時間を取られることは好ましくない。
ただ、それは本当にゴミだったのか?子供である自分にも気がつくくらいだから、周りの大人で気がついている者もいただろう。
小さな不審も積み重ねれば疑惑に変わる。情に厚いということは、その分恨む気持ちや妬む気持ちも大きいかもしれない。
ローランドは、その時の笑顔に言い知れぬ何かを感じたのかもしれない。
「私を選ばないのですね。やはりあの国へ行って正解でした」
「昔から繋がっていたのは知っている。だが、何故戻ってきた?」
「幸せの絶頂にいるあなたに知ってもらいたかったのですよ。虐げられている私達の存在を、そして報われない者の存在を」
「王国から十分情報を得ただろう。もう追わないと決めて緘口令まで敷いたのに・・・バカな奴だ」
「あなたは気がついていないかもしれませんが、もう既に種は蒔いているのです」
「種?この王国に敬意を払っているような言いようだな」
「協会に広がっている、王家や貴族に対する不信感はもう実感しているでしょう。その他にもあなた達を苦しめる種はもう蒔かれているのです」
「ほう、それで」
「私はあなたに絶望の種を植えに来たのです。苦しめるのは本意ではありませんが、偉大なる父から預かってきたこの闇であなたを送ってあげましょう。寂しがり屋な王子には私が一緒に逝って差し上げます」
ソアラが取り出したのは闇色の結晶だった。
「我は願う 永久に眠りし闇に この身を捧げ この世を闇で埋め尽くさんことを」
ソアラを中心として2mの闇色の球体が生まれた。
「おい、様子がおかしいぞ。さっさと無力化させて、撤退の準備だ」
「ヴァイス、キアラ。急ぐぞ」
「「はい」」
山賊風の男達は不敵に笑いながら、武器をその場に落としていく。
「あはははは、闇が生まれる。俺達を安寧に導いてくれる闇だ」
「もうすぐだ、もうすぐだ、もうすぐだ」
「さあ、偉大なる父に祈りを捧げよう。平等に訪れる死に感謝しよう」
利き腕の手首・足など四肢を狙って無力化をしていくと、動きを鈍くしながらもソアラに近づいていく男達。
大きな声で近衛がこの場所からの撤退を進言すると、王子は仕方なく撤退を受け入れる事にした。
近衛は対人のスペシャリストだが、冒険者ではないので瞬間の対応力に弱い。
ヴァイスとキアラはまだ学生であり、騎士を目指すが守るべき者だった。
せめてマイクロやヘルツがいるなら何とかなるかもしれない。
もうすぐで町につきそうな場所なので、援軍を呼ぶ意味でもそちらに向かったほうが得策だった。
馬車と馬がかなりの速度で走っていく。
王子が最後に見たのは、闇の球体から肉食獣のような腕が飛び出して男の胸元を抉っている姿だった。
男は幸せそうな顔をしていた。そして、触れた部分からサラサラと黒い光が流れていた。
これ以上そちらを見るのを止めると、いつでも戦えるように剣に手をかけていた。
時間にして10分にも満たなかっただろう。
町から来る馬車があり、近衛が大きく合図をすると馬車が止まった。
「何か・・・あぁ、やっと追いついた」
「君はアーノルド領にいたティーナだな。援軍と思って良いのだろうか?」
「ええ、ちょっと待ってください。隊長、追いつきました」
2台の馬車は端に止められ、近衛は今起きた事を手短に話した。
ヴァイスとティーナは降りてすぐに抜刀し盾も構えている。近衛二人も剣を抜き、周囲の警戒をしている。
王子は敵国からの刺客だと言い、化け物になっている可能性が高いと全員に伝えた。
既に何回も見ているメンバーはすぐに理解し、隊長は戦いの準備を始め、ザクスはすぐにポーションが使えるように準備をする。
ティーナは弓を取り出して周囲の音を聞いている。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
闇の球体は次々に集まる男達の体を割いていた。
それは祝福を与える司祭と巡礼者の関係のように、その行為を全て認めその身で包み込む。
闇は次第に膨れ上がり、最後の1名を取り込んだ時には硬質化した繭のようになっていた。
上部に亀裂が走る、パリーンと割れた上部にはこげ茶色の鳥の羽が見えた。
次に前面が割れると、猛禽類の顔が姿を現す。
割れた闇の欠片を啄ばむと、その者は四肢に力を入れ猛スピードで低空飛行に移った。