7:有子(アリシア)-04
少し曇っている空は、日差しを和らげてくれるけれど、気温そのものまでは関与していないという感じだった。
砂の上に、ユラユラと立ち上る揺らぎは、この大地から失われていく水気らしい。
少し離れた場所に、所々で見え隠れしているのが、いつの戦いの名残か分からないのだけれど、その時に使用された何かの残骸らしき物が歪な影を拵えているのが窺える。
その向こうに、旗のような物が見える気がしたのは気のせいだろうか。
「あれ、も、気のせいでしょうか?」
暑さと渇きで、少し言葉が少なくなっている中、アリシアは二人に尋ねた。
結果的に、尋ねたことは正解だったのだが、恐れていた事態が近寄っていたことになる。
「盗賊だ……逃げるぞ、二人とも」
「「はいっ!!」」
逃げる三人を追う盗賊は、あともう少しで追い着く所まで近づいていたが、突然の不幸に見舞われる。
「砂虫だぁーっ!」
盗賊の集団が左後方から襲われ、それを見た誰もが一斉に形振り構わず逃げ出し始めた。
砂漠に生息している生き物で、普段は滅多に姿を見せることもないが、一度でも姿を現せば見た者は助からない可能性の方が高いと言われている危険な虫だ。
外殻が硬く、その中から沢山の足が生えている。
雑食のようで、何でも食べてしまうため、この虫と出会って無事でいられる事は稀とも言われていた。
そのことは、この砂漠を通る事のある者ならば誰もが知っていることだったけれど、アリシアは知らなかった。
知らなかったけれど、同行している傭兵達は熟知していた。
「アリシア様、今のうちになるべく距離を稼ぎますよ。しっかりと手綱を握って下さいね」
「わ、分かりました」
盗賊が襲われている間に、そちらを囮にして自分達はこの場から逃げ出そうという算段だったが、運の悪いことに砂虫はその一匹だけではなかったらしい。
襲われている仲間を囮にして、自分達と同じように逃げていた盗賊達が、別の場所でも砂虫に襲われていた。
ひょっとして、この辺りに巣でもあったのだろうか。
砂虫の産卵期は、確か今くらいの季節ではなかっただろうか。
不意にそんなことに気が付いたアリシアは、そのままを傭兵二人に伝えると、それなら納得できることもあるなという返事か届き、このまま真っ直ぐに遺跡へ向かえと指示された。
二人は、アリシアと砂虫の噛ませ役になるつもりのようだった。
そんなことはして欲しくないから、少しだけ無理を承知で、この砂の大地にお願いして力を借りようと決意し、アリシアは遺跡に向かいながら掌を宙に向け、そこへ魔方陣を描き始めた。
描ききった魔方陣を、アリシアは砂虫との間に投げつけて砂の上に盾を造り出した。
「なっ?! 『盾の魔方陣』じゃないの、これっ! ちょっと、アリシア様……貴女、大丈夫なの?」
「少しの間しか維持出来ないと思いますので、今のうちに距離を離しましょう」
「「分かった(わ)」」
三人は、しばし無言で馬に無理をさせるのを承知で先へと進ませた。
目の前に緑が、砂の海に浮かぶ島のように現れた。
「あれよ! 早くあそこへ逃げ込んでっ!!」
馬の足が、石畳を踏んで力強く撥ねる。
アリシアの後に続くように、傭兵の女が足を踏み入れ、続くように男が足を踏み入れようとしていた瞬間だった。
馬が耐えきれなかった事に重ねて、砂虫が横から湧き出るように襲い掛かって来たのだ。
「「あぁー!!」」
目の前で、男が砂虫の糧にされていくのを見ていることしか出来なかった二人。
馬が、その恐怖心から背に乗せているアリシア達を振り落として逃げ出し、遺跡の石畳の上に取り越される形になった。
どうしよう、このままここで餓死するのかしら、とぼんやりそんな考えが頭を過ぎった。
「アリシア様は、大丈夫ですか? あの馬は、おそらく無事に砦まで戻る事が出来ると思いますから、問題は私達ですね」
「あっ、はい。私は、全く問題ありません。大丈夫ですが、馬は砂虫に襲われる心配ってないのですか?」
お互いに距離を取ってしまうようで、人のような攻撃性を見せない馬には、砂虫も無視を決め込む姿勢を見せる傾向が強いのだ、と教えられて安心すればいいのか、アリシアは微妙な気分だった。
しかし、彼女のいうように、問題は自分達二人の方だ。
持ち歩いていた携帯食料の残りは、一応ながら身に付けて持っていた分のみとなってしまったし、水も確保する必要が有る。
それに、この遺跡にいても、誰かが助けに来てくれる望みは薄い。
「馬だけが砦に戻れば、何かが起きた事は分かってくれるかも知れないけれど、ここにいることは知らせる術がないのよね」
「そうですよね。鷹でもいれば、付け文を届けて貰うことも出来たのでしょうが……それも無理ですから」
二人は、このまま石畳の上に腰を下ろしている訳にもいかないだろう、と日陰を求めて移動をすることにした。
石の回廊へと続く道は、その入り口から中へ人が入り込むことを望んでいないようで、影を求めて近づいても柔らかい壁にぶつかるような感覚と共に、その場から前へ進むことを拒絶してくる。
仕方がない、と双方向を確認して木陰を探す。
遺跡の埋もれている上の斜面に生えていた木の陰を見つけ、とりあえずそこへ移動した二人は、この後の行動について思案する。
「馬が、誰かをこの場まで連れて来てくれる可能性も否定出来ないけれど。それよりも、エストのナイゼル賢人が察して、この場所へ足を向けてくれる方が可能性としては高いかしらね」
「そうでしょうか。どちらにしても、この遺跡からだと、出発した砦よりもエストまでの方が距離は短いですよね」
「時に、アリシア様。あれほどの力を行使するのは、少しばかり無茶が過ぎませんか?」
傭兵は盾の魔方陣の存在を知っていて、それを行使するには非常に強い防護の力を必要とすることも知っていた。
過去の戦いで、数人掛かりでこの陣を起動させていた場にいて、彼等の護衛を勤めた経験があったからだ。