6:有子(アリシア)-03
父や兄が、自分の為に何か段取りをしてくれているのは、何となく感じ取れたアリシアだったけれど、実際には自分がこの後に誰とどのような経路でエストに住むナイゼルの元へ向かうことになるのか分からないままだった。
その事に不安は残るけれど、この場に居続けることよりも幾分か気も楽だということも分かっている。
怪我人を見るに見かねて、アリシアは自分に出来る最大限の努力を癒やしの魔方陣を稼働させるということで実行に移しただけであるのに、どうして誰も彼もから疑いの眼差しを向けられなくてはならないのか。
いっそあのまま、のらりくらりと見捨てておけば良かったというのか。
「私は、誰かに迷惑を掛ける為だけに、この砦までやって来たみたい。姉様のように、この場からでも一人で移動が出来る訳でもないし……ここにいても、もう普通に言葉を交わすことも怪しい感じになって来たし」
あぁ、ままならない。
人というのは、どうしてこんなにも無い物ねだりが過ぎるのか。
どうして、自分ではない誰かのことを察する能力に未熟なままであるのだろうか。
アリシアは、自分も同じなのだろうけれど、せめて自分も同じように誰かを不必要なまでに疑う事がないようにしたい、と反面教師のように学んだ気分だった。
何となく、あちらこちらから向けられる視線は、アリシアを何か得体の知れない生きモノを見ているように感じられる。
「あぁー、何でこうなるのかしら。気持ちのいいモノではないし、精神的苦痛を感じるし……こんなことなら、あの魔方陣を発動させなければ良かったかも……なぁんて思ってしまうわ」
砦から、一羽の鷹が飛び立って行った。
その鷹が向かう先は、西の辺境エストにあるナイゼルと言う名の賢人が住まう土地だった。
ナイゼルという名の男は、ハーラ伯爵が子供の頃に初めて会ってから今まで、ずっと同じ土地で暮らしていたし、不思議な事に齢を重ねているように見えない容姿が今も変わらずのままで、彼の年がいくつであるのかは謎であった。
「返事を待って、その後にアリシアを送り出せるといいのだが、そうもいくまいな」
「そうでしょうね。父上、あの妹なら大丈夫ですよ。今までだって、いつも彼女はそうやって日々をやり過ごしてきたのですから」
息子に諭されながら、ハーラ伯爵は娘を託す傭兵の選別を始めていた。
男と女、それぞれから一人ずつ選んで、傭兵に娘の警護依頼をしてから、事情を話して娘とその二人の顔合わせをさせた。
「ここの雰囲気からすると、少しでも早く立ち去るのがいいでしょうね。私達の傭兵は、アリシア様の力に対して思うところはありませんが、一般兵などはまた違うでしょうからね」
傭兵の女がそう言うと、伯爵も同席した息子も首を縦に振って納得していた。
アリシアは、それならば明日の朝から出発しても自分は大丈夫だと伝えた。
話はトントン拍子で進み、明日の朝食の後に、馬へ乗って出発することが決まった。
ここへ来る時は、他の人と同じように馬車に乗ってきたが、アリシア自身は一人でも馬に騎乗出来るので、それならば心配は要らないということで、三人が三頭の馬にそれぞれ騎乗してエストへ向かうことになった。
争いの後ということもあり、何処に何が潜んでいるかも知れないのは、誰もが十分承知していた。
ただ、承知していてもどうしようもないことはある、ということを体験させられるのは避けたい現実でもあるが、こういうことに関しては事故のようなモノで、如何ともし難い事象であると無理でも納得するしかない。
「では、気を付けてな。すまないが、お二人には娘をよろしくお願い致します」
「「はい」」
「父様、バレル兄様、行って来ます」
「アリシアも気を付けてな」
父と兄の二人に見送られて、アリシアと護衛の傭兵二人は砦を後にした。
道中、特に何がある訳でもなく進んでいるようで、実はそうでもなかったのかも知れない。
アリシアの気が付かないところで、二人の傭兵が時折一人だけ姿を消している事がある。きっと何かがあって、それに対処してくれているのだろう。
「あの、私にも何か出来ることはありませんか?」
「護衛対象が、そんなことを気にしなくていいよ。それよりも、大丈夫か? もう少し進んだら、休憩をするつもりだけれど」
「はい。まだ大丈夫です、駄目な時は早めに言いますから。父や兄からも、そのように教えられてきましたので」
争いによって砦や前線へ送り出されている時は無理だけれど、平時の生家で過ごしている期間には、父や兄がアリシアにも最低限の訓練だ、といろいろなことを教えてくれている。
遠乗りをすることもあり、お陰で今のように一人でも馬に乗れるし、ペース配分を気にするということも出来る様になった。
「あらら、深窓のお姫様かと思っていたのに、どうやら違うみたいだね。なら、安心だ」
「ありがとうございます。お二人は、今までにもこの国で傭兵として戦ったことがあるのでしょうか?」
「ある。でも、この国だけではなくて、時には今回の敵であったナレイティア共和国の兵士として戦ったこともある」
「そうですよね。傭兵稼業とは、そういうモノなのだと聞いた事があります。いろいろな土地で、自分の才覚だけで生きていくのだから、それは凄いことだと思いました。私には、まず無理な職業です」
「そんなことないわよ。アリシア様の行使する力があれば、一人でも生きていけるでしょう」
確かに、アリシアのような力を持った者が、施療院などで癒やしの力を行使して生活の糧にしている事実は知っている。
しかしながら、それもほんの一握りの存在だけであることも知っていた。
「生きることも難しいけれど、生かされていくことも大変なのですね。私はまだ、この先も家族と共に生きていけるのでしょうか」
「難しい事は、考えるだけ無駄だと思うわよ。人は人でしか有り得ないのだし、人が神になることはないのだから」
「それもそうですね」
緑が途切れる少し手前に、とても大きな木が一本だけ生き残っていた。
「ここで休憩にしよう。この先は、しばらくカーラル砂漠の中を突っ切る形になるからな」
「了解。アリシア様も大丈夫?」
「大丈夫です。でも、砂漠の中を突っ切るのですか?」
砂漠を迂回してエストに向かうのもいいが、そうするとかなりの距離でロスが発生するため、なるべく最短距離になるように砂漠を突っ切ることが多いのだ、と二人の傭兵から説明を受けた。
アリシアは、この先にエストがあるのか、と感慨深く今いる木陰から目の前に広がる砂原を眺めていた。
この先を進むに当たって気を付けることがある、と二人から聞かされたのは、集結したばかりの争いの後遺症についてだった。
今回の争いは、比較的アレイティア皇国に近い側で戦いが行われたため、砂漠の中で兵士が取り残されていたり、金目の物を拾いにやってくる盗賊の類が放浪していたり、そのような者達と遭遇する可能性が高かった。
それ故に、用心に越したことはないけれど、何か有った時の対処の仕方は統一しておく必要が有った。
はぐれた時には、どこに向かって進むのかを決めておかなくては、その後に合流することが出来なくなってしまう。
「では、どうすればいいのでしょうか」
「それなのだけれど、アリシア様は知っているかしら。この砂漠にある遺跡の場所を」
カーラル砂漠の中には、いくつかの遺跡が点在している事は知っているけれど、どの遺跡のことを言っているのかが分からなかったので、そのままを伝えたら笑われた。
「まぁ、そうよね。行くこともないのだから、どんな遺跡なのかも知らないだろうし」
「遺跡というのは皆、同じ物ではないということでしょうか」
二人が示した遺跡の場所は、今いる場所からエストに向かう途中に存在する、少し砂漠の中心寄りの場所だった。
何か異変があって、バラバラになってしまった時は、ここで合流しましょうと言われたが、そこまでどうやって辿り着けばいいのだろうか。
「大丈夫よ。あそこだけ、砂漠の中にあるオアシスみたいに緑があるから分かるわよ。あの場所ではね、争いが出来ないの」
「つまり、誰がいても大丈夫だということですか?」
「少し違うかな。あの遺跡は、どういう仕組みなのか分からないけれど、人を選ぶんだよ。盗賊の目には、あの遺跡の場所が映らないし、遺跡の中心には石造りの回廊があってね。その中には、誰も入る事が出来ないのも不思議なんだけれど、アリシア様は多分、あの遺跡に辿り着けると思うからね」
「はぁ、何だかよく分かりませんが。とりあえず、お二人と一緒に行動できなくなったときには、砂漠の中にある緑を頼りにして遺跡を目指せ、ということですね」
「そういうこと。物分かりがよくて助かるよ、本当に」
「じゃあ、そろそろ再出発しましょう。しばらくは、砂ばかり眺めることになるわよ」
「はい。よろしくお願いします」