47:皇都アシル-2
屋敷に戻ると、リンの帰りを待っていたらしいナイゼルに声を掛けられた。
夕食までにもう少し時間があるので、それまで明日から過ごす皇都の話をしておくというナイゼルに、予備知識を詰め込む予定がすり替わらざるを得なくなった。
しかし、教えてくれるというのだから、素直に耳を傾けて、理解した上で疑問点をぶつければいいか、と考えを切り替えた。
「明日の昼前には、こちらを出発する予定だが。リン、明日の朝も遺跡へ向かうつもりでおるのだろう? 戻るのが、あまり遅くならんようにしなさい」
「分かってるよ、ナイゼル祖父ちゃん。でも、どうして分かったの?」
「楽しそうなことをしておるようだ、と方々から聞こえてくる子供等の声が教えてくれるのだよ。リンのお陰で、忘れて久しかった様々な事を思い出したが、それが切欠であったのかのぅ。いろいろなことを、忘れていた事を思い出すのと一緒に追体験しておるよ」
「そうなんだぁ。それで、皇都アシルだっけ。どういうところなの?」
皇国の中で、いくつかの大きな都市は大抵が、石壁で街の外殻を囲むように作られているのだが、皇都もその例に洩れず、外殻は石壁で囲まれている。
ただ、皇都の場合は、皇族の居住区に至る途中にももう一枚の壁が存在している。
その壁は、一般区画と特別区画とを隔てるというより、どう説明するのが正しく理解できるだろうか。
とにかく、はっきりしているのは、その壁が隔てている内側と外側で、何が違うのかを伝えるのが一番分かり易いだろう。
「その壁の内側は、皇族とこの国の中枢機関に勤めている人達、軍関係者っていう感じの偉い人がいるっていうこと?」
「少し違うぞ。皇族の一声で、何時如何なる時でも、何処へでも行かなくてはならない者が囲い込まれているんじゃ。ハーラ伯爵家も、壁の内側に属している一族だが、壁の外側にも別邸があるのぅ」
「それって、どっちにいてもいいの?」
「当主は、問答無用で壁の内側、言うなれば内陣にいる事を求められている。しかし、それ以外の家族に至っては、軍部関係者でも内陣にいなくてはならない訳ではないな」
つまり、当主が人質のような形で内陣に残っていればいい、ということなのだろう。
しかしながら、現在のハーラ伯爵家は、当主のダレンが内陣にいて、妹は第二皇妃であるから内陣にいることになっているし、その息子達も同様である。
実のところ、第二皇妃のナターシャは、城から早々に逃げ出しているのだ。
夫と息子二人との仲も悪くはないが、城で大人しくしている事自体に慣れることが出来なかった、というのが本当のところであった。
当人に至っては、愛鳥に乗って出掛ける事もままならないのは、我慢がならない事の一つでもある、と開き直って城を出る許可を取り付けたらしい。
その代わりという訳でもないが、長男は城で過ごしているし、次男に至っては皇族の一端ではありながらも継承権を放棄して、とっとと軍属に足を突っ込んでしまった。
挙げ句に、実力で周囲から認められて将軍位を手にしてしまった辺り、母親の血を色濃く受け継いでいると言われているくらいだ。
「それって……ダレンさんとナターシャさんとアズールさん、のことだよね。僕達っていうか、僕のことをここまで連れて来てくれたのは、そのアズールさんだったっけ」
「そう言えば、ダレン殿とナターシャ殿とは、話をしたのだったな。アズールとは、言葉を交わすくらいはあったか、いや、なかったな」
「僕をカーラル砂漠から拾って来てくれたことは、ナイゼル祖父ちゃんから教えて貰ったけど、本人と対面していないし、会話もしていないよ」
アズールの母であるナターシャは、最初に嫁いだ先が、当時の第三皇子の相続した侯爵家だった。
それなのに、第二皇子が病で療養中となり、第一皇子と第三皇子の二人が、皇国の北と南の国境で紛争の責任者として出向き、運良く第三皇子は勝利を手にして帰還したけれども、第一皇子の向かった北との国境では、トルーディアとの争いに負け、流れ矢に当たって負傷した第一皇子が帰還の途中で命を落とすことに為ってしまった。
そして、第二皇子が皇太子になって、第三皇子が侯爵家から呼び戻されることになったのが始まりだった。
第二皇子は、第一皇子の残した妃と再婚し、そのまま子供に恵まれることもなく、病が回復しても、皇帝の激務に身体が悲鳴を上げることになった。
官僚達とも相談し、宰相としての職に退き、自分の後を弟に任せようということになったのだ。
「あ、それで侯爵家の嫁だったナターシャさんが、第二皇妃になったんだね。でも、第二皇妃って言うからには、もう一人いるってことだよね」
「うむ。皇帝になってから、公爵家の娘を娶って正妃に据えたのだよ。それ故に、先に嫁いでいたが、ナターシャ殿が第二皇妃の立場となり、お二人の間に出来た第一皇子と第二皇子が、正妃との間に出来た第三皇子と第一皇女よりも年上なのだよ」
「いろいろあったんだなぁ」
元からそういう立場の相手に嫁いだつもりはなかったので、ナターシャは元からの性格などもあり、後宮で大人しく過ごす事に飽き飽きしていた。
それで、子供がある程度まで成長すると、自分はこの場所の主でもないし、嫁ぎ先であった侯爵家に戻って生活させてほしい、と願い出たのだ。
皇帝である夫も、ナターシャのそういう性格を承知していたし、そこを好いていたこともあり、侯爵夫人として家を任せることにして、後宮から辞することを認めた。
長男は、第一皇子として城に、父である皇帝の元に残ったが、第二皇子だったアズールは、早々に継承権を放棄して、母と共に侯爵家に引き下がり、一般の貴族と同じように学を修め、兵士としての将来を望んで今に至る。
将軍職を手にして、侯爵家の跡取りではありながらも、家を継ぐまでは一代限りの騎士爵の位を自らの実力でもぎ取っている状態にあった。
一方、ナターシャとアリシアの兄は二人いて、一人はアリシアが異世界へ飛ばされる事になった紛争時に、運悪く命を落としていた。
残る兄が、ハーラ伯爵家の当主として治まっているダレン。
しかし、彼は、いまもまだ妻を迎えていなかった。
「アズールさんのお兄さんが、皇太子なの?」
「今は、そうだな。しかし、宰相職に退くつもりで、正妃の産んだ第三皇子に皇帝の位を任せようと考えているようでな。その時点で、皇太子がナターシャ殿の預かっている侯爵家の当主になり、アズールはハーラ伯爵へ養子として入り、そのまま当主になるということで、この先の話が決まっているらしいのぅ。当人達の希望通りに事が進めば、ということが大前提だが……それに、二人の下にもう二人、ナターシャ殿と皇帝の仲が冷えておらんことを示すようにの」
「弟か妹がいるの?」
「第四皇子と第二皇女ということになるかのぅ。その二人も、侯爵家でナターシャ殿と暮らしておるよ」
「四人兄弟(妹)で、腹違いの弟妹もいるのかぁ。何だか、子沢山だねぇ」
「後継者争いの心配も、当人達がしっかりと目を光らせているし、避ける方向に手を講じながら周囲を懐柔しているから、皇太子とアズールが皇位につくことはないのじゃ」
「賢い選択だと思うよ、ナターシャさんと皇帝もそれを認めているってことなんだろうしね。大丈夫だよ、多分ね」
現在、皇太子にも妃はいるのだが、先々のことを委細承知の上で嫁いできた女性でありつつ、子供もいるけれど、ナターシャのいる侯爵家に入り浸っているらしい。
母が母なら、皇太子もその嫁もご同様と言えばいいのか。
皇帝と正妃にも、この先の流れを承諾させての行動であるから、誰もが黙認しているような状態でもあるのだった。
「うーん、何だか凄いことを聞いた気がするなぁ。でも、僕達兄弟がハーラ伯爵家で合流した後って、どうなるのかなぁ」
「ダレン殿は、ハーラ伯爵家で過ごして良いと申しおったが。別に、リンがこの先もこの館で過ごしたいのであれば、兄と姉と一緒に過ごせばよい」
「あー、それなんだけど……実は今……」
リンは、最近そして今日の刻印のことも、ナイゼルに一通りを話した。
その上で、タカツカサ兄姉弟は、旧カルディナ自治領区で生活したいのだ、とリンは兄と姉にも、その話をして進めたいのだ、と口にした。