(2) 旅客用空間転移技術の実用化に向けたナノテク論的人類進化に関する考察
今回…少し長くて、小難しい内容です。関係するシリーズ全般を通した…いわゆる伏線的なものです。
長い説明が嫌いな方は、読まなくても3話以降にそれほど影響はありませんので、読まずに次回をお待ち下さい。
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安藤遠吾は、卓上に用意されたコップの中の冷水を一気に飲み干して、そのコップを卓上に戻す動作と同時に身を乗り出して聴衆を見回した。
聴衆一人一人の頭上には、ホログラム表示されたツイート・タグが浮かびあがり、彼らがシムネット上でつぶやいた感想や意見がリアルタイムに表示されている。
「…さて、以上に申し上げたとおり、私自身が『不老因子』を第1世代から受け継いだ者であるわけですが、つまりは私の遺伝子を受け継ぐもの…具体的には私の娘や息子たちですな…彼らも、同様に『不老因子』を体内で生成し保有しております」
聴衆に驚くような反応は既にない。
ここまでの話で、十分に驚き尽くしたか、若しくは、安藤の話を十分に理解した結果それを当然の帰結として受け入れたのか…或いは、最初から安藤の言うことなど全く信じていないか…。ホログラム表示されたツイート・タグも、チラホラと更新されるだけ。
まぁ、この学会へわざわざ顔を出すような連中なのだから、安藤の話を荒唐無稽な作り話だなどとは思ってはいまい。
そもそも、『不老因子』については、既に前回の学会において講演済みであり、生命倫理の観点から物議は醸したものの、遺伝子解析や実際の細胞レベルにおける医学的な追試の結果が公開され、少なくとも安藤の言うことが全くの嘘ではないと証明されている。だから、今日、ここに集った聴衆は、ナノテクノロジーによる遺伝子改良に関して好悪の違いはあるにせよ、いずれも高い関心を抱く者ばかりのはずだ。
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学会で講演する立場…だからといって、安藤は別に学者というわけではない。
安藤の肩書きは、特殊目的法人「再生及び創世のための環境管理会社(EMCRAC)」の最高経営責任者…すなわちSEOだ。
しかし、2206年時点のどの法律を隈無く探しても、「特殊目的法人」などという形態は規定されおらず、その出資母体も明らかにされておらず、政府から若干の補助金が交付されている以外には収入源も不明な…謎めいた組織だ。少なくとも、日本の会社法に基づく会社では無いため、安藤がその本来の肩書きを人前で披露することは極めて希であり、今日のこの講演においても、彼はその肩書きを一度も名乗ってはいない。
安藤の家族ですら彼のこの肩書きを知らないのだから、彼がこの肩書きを公の面前で語る気がないのは当然のことだろう。
ということで、安藤がこの学会において名乗っている肩書きは「栗木相対認知論的思念構造研究所主任研究員」というものだった。もちろん嘘の肩書きだが。
しかし、この肩書きの効果は絶大だ。
失踪中の栗木栄太郎の部下という意味なのだから。
この肩書きを名乗るからこそ、安藤の語る内容が俄には信じられないような話であっても、聴衆は黙って耳を傾けるのである。栗木が関与しているのであれば、本当なのかもしれない…いや、きっと本当なのだろう…と。
栗木栄太郎が今まで実現してきた技術と、その技術が実際の社会にもたらした影響とその実績が、現在の科学技術では不可能に思えるようなことであっても、実現可能なのかもしれないと聴衆に信じさせる力となっているのだ。
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もちろん、栗木がKaaSシリーズを逆用して、技術の信憑性が高いかのように既存のビックデータを改竄していることも大きな効果を上げている。
データの改竄…などと聞くとバレた時に大騒ぎになると思うかもしれないが、2206年現在において、ビッグデータからのナレッジの検索や抽出は、ほとんどのシステムで栗木印のKaaSシリーズをエンジンとして用いているから、バレるようなシッポを出すハズもなく、そもそも不審に思われる可能性すら限りなくゼロに抑えられている。
結果として、人々は多くの情報ソースに「不老因子」に関する研究や追試をしているとの記述を見つけ、それが失踪中である栗木の現在の研究テーマに関係していることを知る。一時期は「心」や「精神」の構造などという掴み所の無いテーマにのめり込み、答えの出ない無限の輪の中に囚われた栗木は、「彼の時代は終わった」とまで評されるに至ったのであるが、ここへきて俄にまた栗木への関心が急上昇してきた。
何故なら、ビッグデータへと巧妙に忍び込ませた「噂」の中に、人類の可能性を大きく飛躍させる驚くべき研究成果が、既に実証実験の段階にまで達しているという情報があったからである。
それがどんな研究成果であるのか、正確に知るものは一人もいない。
中には誤った情報をさらに曲解し、相当に奇抜な研究成果であるというデマの報道を流した三流メディアまであるぐらいだ。例えば…死者を甦らすことができる…とか。
だが、それをデマだと非難する者もいない。栗木ならやりかねない…そういう期待とも恐れともつかない感情が、市民の間に確実に根付いていたからである。
ある意味で、それは栗木の神格化…と言ってよいのかもしれない。
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この時代の主要な社会基盤であるシムネット。その基礎技術のほとんど全てが栗木の研究の成果であり、シムタブの応用技術の発展のみならず、医療用のナノタブ技術へのフィードバックにより、病気や事故による致死率の減少、人類の飛躍的な長寿命化も最早目前と信じられている。
そして、この学会の壇上にいる安藤。
彼は、その飛躍的な長寿命化の生きたサンプルとして、今、聴衆の前にその姿をさらしているのだった。
と。ここで、一部の聴衆の頭上に輝くツイート・タグが、疑問を表すイエローへと遷移したのが安藤の目に入った。
「おや。何か……ん…あぁ。なるほど。私の年齢ですか。うふふふ。幾つに見えますかね?…と、勿体ぶっても仕方ないですね。皆さんが疑問に思われたのは、私の絶体的な年齢の高低ではなく、Dr.栗木との相対的な年齢差だということは理解しています」
イエローのツイート・タグに記載されたつぶやきの内容に目を凝らして疑問の内容を掴みとった安藤は、できるだけ落ち着いた様子を心がけて余裕の笑みを維持する。
多少、疑問を持たれたぐらいで慌てたり、不快な表情をしてはいけない。
そのような余裕の無さを見せると、一部の者の疑問は、全体の疑念へと拡大してしまうものなのだ。
何も悪いコトをしていなくても、警官を見て全速力で逃走を図れば、警官から必死で追いかけられて逮捕されるだろう。逆に、極悪人でも平然と前を過ぎれば咎められない。
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もちろん安藤は極悪人などではなかったが、完全無欠の善人というわけでもなかったから、一つ一つのパフォーマンスに細心の注意を図るに越したことはない。
「別に見栄を張っても仕方ありませんので、正直にお教えしましょう。私は当年とって43歳。2163年生まれです。ご存知のとおり、Dr.栗木は2179年生まれですから…あぁ…現在は27歳…ということになりますか。言うまでもなく私の方が、Dr.栗木よりも年寄りだ…ということになります」
安藤の答えに、グリーンだったツイート・タグの幾つかが、パラパラとイエローへと変わっていく。先ほどまで疑問に気づかなかった聴衆が、最初に疑問を持った者たちの意図に気づいて同調したようだ。
だが、まだ大丈夫。疑念を表すオレンジや、批判や揶揄を示すレッドやパープルなどのツイート・タグは見られない。
安藤は、余裕の笑みを崩すことなく、解説を続ける。
「皆さん。Dr.栗木はシムタブ及びシムネットに関しては間違いなく世界最高水準の技術者であり研究者ですし、14歳という若さにして工学医療技師の国家資格を取得されてみえますので、間違いなく天才ではありますが…さすがに遺伝子工学や遺伝子治療の第一人者というワケではありません。…私の話を聞いて誤解されてしまった皆さんが多くみえるようですが、私の親、すなわち『不老因子』を持つに至った第1世代に対して遺伝子治療を行ったのは、当然、Dr.栗木ではありません」
当然と言えば当然の話だ。安藤が生まれた年には、栗木栄太郎は生まれてすらいない。
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「我が国には、Dr.栗木以外にも、大勢の優秀な科学者、技術者がおります。Dr.栗木のお父上は現在も第一線で活躍する医師であられますし、惜しくも若くして無くなられた母君も、シムタブと脳神経との相互作用についての基礎的理論とその応用に大きな貢献をされた優秀な技術者であれらました」
それを聴いて、イエローへと変化していたツイート・タグのうち、何割かがグリーンへとその色を変える。
納得したということだろうが、安藤は念には念を入れて説明を続ける。
「また、誤解される方が見えると困りますので、念の為申し上げますが、私の親世代に対してナノタブによる遺伝子改良を行ったのは、Dr.栗木のご両親ではありません。全く、別の研究グループですので、お間違いのないようにお願いします…あー。そのグループについては、守秘義務が課せられていますので…お話することができません。そこは、一つご了承ください」
その研究グループについて興味を持つ者は多いかもしれないが、それは今日の講演の本題とは直接の関係はない。…間接的には勿論あるが…講演には時間制限もあるので、これ以上、話を横道に逸らしているわけにはいかない。
そこで、安藤は話を今日の講演のテーマへと戻すべく口を開く。
「では、何故、Dr.栗木の助手兼代理人として講演を行っている私が、彼の手による技ではない『不老因子』について、前回から長々と講釈をたれているのか?…と皆さんは疑問をお持ちになるでしょう」
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聴衆は、取りあえず安藤の話を聴こうという姿勢へ戻り、ホログラム表示されたツイート・タグの動きも落ち着いてきた。
「…前回も、お話したとおり…『不老因子』などという期待を持たせる名称でありながら、この因子は実際にはまだそれほど、人の寿命を引き延ばすことに成功していません。その理由は、外的要因と内的要因の共に大きく存在しておりまして、外的要因につきましては、前回お話した環境ホルモンがもたらす予想以上に深刻な人体への影響です」
前回の講演を聴いた者が大半を占めているようで、会場では実際に頷く仕草をする者が多く、同時に、ツイート・タグが同意や追随を示すブルーに燦めいてグリーンのタグの間をさざ波のように流れて行く。
「内的要因については、前回、その話を切り出したところで時間切れとなってしまったのですが、覚えておいでの方はみえるでしょうか?…あぁ…ありがとうございます。ご記憶されている方も少なからずみえるようですね。そのとおりです。それは人間の精神、すなわち『心』の『死』と『衰弱』だと申し上げました」
この話題に至れば、誰もが栗木栄太郎の仕事との関連に思い至る。
ツイート・タグの色も、ほぼ全面ブルーに塗り尽くされ、まるで客席全体が深い海の底へと沈んだかのような眺めとなった。
「Dr.栗木が、失踪する直前に発表した各種の論文や考察のテーマは、まさにこの領域に関するものだったのは、皆さんご存知のとおりです」
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ついには、ツイート・タグの中に期待を表すゴールドに輝くものが現れた。
タグに表示されたつぶやきを読むと、古いSFに出てくるような体を持たない思念体へと人類が進化することをイメージした者や、肉体は保有しているが超能力と呼ばれる類の精神の力で不老不死と化した超越種族となることを想像して興奮している者もいるようだった。
安藤は、心の中だけで苦笑を留め、敢えてそのつぶやきには反応をしないでおく。
「さて、話が本題に戻ったところで、一つ、皆さんに思い出していただきたい過去のニュースがあります。皆さんは、十数年前に旅客用トランスポート・ゲートの公開実験が行われたのを覚えておいででしょうか?…そうです。あの無残な失敗に終わった悲しいニュースです」
トランスポート・ゲート…とは、「空間転移門」とも呼ばれる装置で、平たく言えばSFの小説の中などに良く登場した瞬間移動用の装置のようなものである。
だが、トランスポート・ゲートは、その名前からイメージされる原理とは、実は全く異なった原理で動く装置であり、どちらかと言えばいわゆるFaxの原理に近い。
Faxは、ご存じのとおり20世紀頃に登場し、遠く離れた二点間で、文字や図、写真などを転送し合うことができる便利な器機だ。
このFaxは、21世紀の中頃には読みとり装置に3Dスキャナー、出力装置に3Dプリンターを装備し、立体模型の転送が可能となり、その後、3Dスキャナー及び3Dプリンターの技術が進歩するに従い、模型ではなく、組成や構造までもを忠実に再現した複製の出力が可能となる。
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22世紀後中頃には、この器機をMDFaxと呼んでいたが、出力された複製物と送信元の本物との違いがほとんど見分けられないレベルにまで達した段階で、トランスポート・ゲート…空間転移門と呼ばれるようになった。
複製であったはずなのに、「空間転移」などと呼ばれるようになったのは、この段階に至って以降、読みとられた送信元の物体は消滅し、物体が送信先にのみ存在するように機能が変更されたからである。
つまり、COPY禁止となり、MOVEだけが可能となったのだ。
ちょっと考えると、COPY動作の方が人類にとって有益であるように思われるかもしれないが、現実の社会というものはそれほど単純ではなかった。
例えば、現金や貴金属類などに対してCOPYを可能としてしまったらどうなるかを考えてみると良い。
COPYを何度も繰り返せば、資産を無尽蔵に増加させることが出来る。それを試みた者にとってはまさに打ち出の小槌。大富豪へと成り上がる夢の切符を手に入れた…かのような幸せを感じることができるだろう。
しかし、だが何の裏付けも信用もない大量の資産や通貨が社会に大量に流通すれば、それらの価値はそれに反比例して低くなっていくのは歴史的にも証明されている事実だ。
21世紀の初頭にジンバブエ共和国において起こったハイパーインフレーションは、2206年の現在でも、非常に有名な教訓として語り継がれている。
事業費の不足に対し、ジンバブエ政府は「金が無ければ、いくらでも発行すれば良いだろう」などという経済学など全く考慮しない安易な通貨増発を繰り返し、その結果として通貨の価値はほとんどゼロ…紙くず同然となり、最終的には消滅してしまった。
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このような経済学上の問題だけでなく、完全な複製機には他にも様々な問題がある。
例えば、所有権の問題。複製された者は誰の者なのか。送信元の現物の所有者か?それとも受信機の所有者なのか?
例えば、著作権の問題。どちらがオリジナルであるか見分けがつかなくなれば、悪意ある者は、複製物を持ってオリジナルだと主張することになる。
例えば、セキュリティ上の問題。企業や官公庁の事務所へ忍び込んで外部へと複製を送信した場合、それは盗んだことになるのか。そもそも、原本が何事もなく残っていれば無断で送信されたことすらも気づきようがない。
そして、受信側の資源の問題。
質量保存則だとか、熱量やエネルギーの保存則だとか…我々が住む世界の物理法則には、様々な保存則が厳然として存在するが、この地球上に存在する資源としての元素等の総量についても、保存則は存在する。
簡単に言えば、何かを造れば、その出来上がった製品の分だけ、その材料となった資源は減少する…ということだ。
先ほどの例に戻って、例えば大富豪を目指して自分の手元にある2台の3DFaxで、金塊を送受信してみたとする。
送信側では3Dスキャナーによって組成や構造を読み取るだけなので金塊が無くなることは無い。このことについては特に疑問を差し挟む余地はないだろう。
しかし、受信側の3Dプリンターへ出てくる金塊。これについては、どうだろう?
3Dプリンターが複製を生成するためには、金の元素が素材として必要だ。
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20世紀のFaxが受信用紙に文字や画像を印刷するためにインクリボンやトナーを必要としたように、3DFaxやMDFaxにもインクに相当する素材を供給してやらなければ、何も複製することは出来ないのだ。
つまり、受信先で金塊が複製されたということは、それと等量の金の元素が消費されるということになり、では誰がどのようにその素材としての金を負担するかといえば、この場合、送信者が等量の金をインフラ業者に支払い、インフラ業者はその代わりとして受信側にその金と等量の元素を提供し、受信者から手数料相当を受け取ることでキャリアーとしての儲けを得るという仕組みが最も合理的である…という結論になったのだ。
以上の様々な問題を総合的に勘案し、全ての問題を比較的無理なく回避できるアイデアが、さきに述べたとおりCOPYを禁止し、MOVEのみを可とする「空間転移門」方式…すなわちトランスポート・ゲートだったのである。
「あれは…本当に気の毒な事故でした。命ある者に対してトランスポート・ゲートを用いれば、あのような結果になることなど…予め想像できたであろうに…と、私は残念でなりませんでした…」
安藤が掠れるような声で悲しみの意を表すと、会場は悲しみを表すグレーのツイート・タグや弔意を示す黒いツイート・タグに染められた。ツイート・タグの放つ光で明るかった会場内が、そのために少し薄暗くなったほどだ。
安藤の言うように、事故を予見することは、十分に可能だったと考えられている。
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しかし、トランスポート・ゲートは、当初、華々しい成功を収め、夢の技術と賞賛されていた。COPYが禁止され、MOVEだけが可能であるといっても十分に利用価値の高い装置であることに違いは無かったからである。
トランスポート…という呼称が示すように、この技術は物流において革命的な効果をもたらしたのだ。
古い時代の物流。
排気ガスを撒き散らしていた陸運業者は、燃料電池車やEVなどの普及により環境への悪影響こそ少なくできたが、それでも燃料エネルギーと運送時間の浪費というコストを解消することはできなかった。
運行安全サポート・システムの普及により、運送中の交通事故などのリスクはかなり抑制されたとはいえ、人間が運転手を務める以上、事故が起こる確立をゼロにすることはできず、ひとたび事故が起きれば、それにより失われるものは非常に大きかった。
ところが、トランスポート・ゲートを用いれば、物資の移動には無線通信の通信料金程度のコストしか必要とせず、スキャンと再生にかかる僅かな時間で物資の輸送が完了するのである。当然、公害の心配は皆無だ。
ネット通販を例にとれば、どれだけ遠くの店舗からでも、発注後、数分から数時間で商品が届くのである。
TVやPC、ランドリーやエアコンなど、様々な生活家電が、欲しいと思った直後には手元に配送されてくるのである。
これは、経済界のみならず社会全体にとって、革命的な出来事だった。
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もちろん、トランスポート・ゲートにも弱点はあった。
それは食品の配送に用いた場合に、ほとんどの人が気づいていた弱点である。
何故か…とても不味いのだ。
肉も、魚も、野菜も、果物も…まるで温度管理を失敗した冷凍食品のように。
機械や家具など、食品以外のほとんどの物に関しては、ほとんど送信前と見分けがつかないほどのクオリティーの高さで受信され、まるで対象物が本当に移動したかのように見えるトランスポート・ゲート。
しかし、実際には送信元で対象物をスキャンすると同時に、量子通信技術により送信されてきた組成及び構造情報を元に、オリジナルソックリに再現するという仕組みである。
この仕組みから、細胞により構成された物体…つまり主に動植物については、その再現する過程に細胞が破壊されて送信前の物体と同じようには成らなかったのだ。
何故なら、生物は、部品を組み合わせて造られるような物ではなく、細胞が分裂を繰り返して数を増やし、成長と呼ばれるプロセスを経て成体へと至るものだからである。
この時点で、命あるものの転送は非常に困難であると考えるべきだったのだ。
しかし、不幸にも、その問題を鮮やかに解決して見せた技術者が現れた。
その技術者は、栗木では無い(栗木が生誕する以前の話である)が、非常に優秀な頭脳を持っており、21世紀に生まれたSTAP細胞生成技術と、22世紀に確立した細胞の高速培養技術を融合させ、しかも驚くことにコンパクトな装置としてトランスポート・ゲートに組み込んで見せたのである。もちろん、スキャナー側には細胞の遺伝子情報他、各種ステータスを読み取る機能を組み込んだ上で。
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この改良により、細胞により構成される生物も、ほぼオリジナルと同じレベルに再生できるようになった。
高級な肉はそれに相応しい味を保ったまま転送され、瑞々しい野菜はシャキシャキとした食感を保ったまま食卓へと届けられるようになった。
この成功が、ある意味、後に起こる最悪な事故への弾みとなってしまったのは、実に皮肉なことである。
これにより、細胞で構成されたものは、その生死に関わらずトランスポート・ゲートにより転送可能であると信じられてしまったのだ。
勿論、生きた動物の転送実験が行われた際には、慎重派の意見も多く存在した。
しかし、慎重ではあっても、具体的にどのような支障があるのかを正しく予言できたワケではなく、結局は、先ほどの成功例の後押しもあって、積極派の推進力を止めることはできなかった。
野菜は新鮮さを保ったまま転送出来ているではないか。何の問題があるのか?…という積極派の技術者の声は、一般大衆にも指示されたのだ。
斯くして、まず、小動物の転送実験が行われることになる。
それは、何ら問題もなく成功の裏に終わった………ように見えた。
マウスも、ラットも、キャットもドッグも。
転送後の動物たちは、転送前と同様に愛らしく動き回っていたからである。
しかし、良く考えるべきだったのである。この時に。
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もともと、トランスポート・ゲートは、複製を生み出す装置だったハズだ。
いくら見分けがつかなくとも、この転送は真の転送とは違う。
実際にある物体がAからBへと移動しているのではなく、Aにあった物体が消滅し、その代わりにBにそれとそっくりな物体が形成されているだけなのだ。
その基本的な仕組みを、忘れないで考えれば、この小動物の転送実験が如何に残酷な物であったことか………あまりにも恐ろしい行為過ぎて、ここにハッキリとその意味を記述するのが躊躇われるほどである。
残酷な物語を読むのが苦手な方は、この段落は読まずに飛ばして欲しい。
この行に目を送った方は、その事実と向き合う覚悟があるものと解釈して、ハッキリと記述するが、つまり、小動物転送実験とは、A地点における小動物を原子レベルへ分解するという血も涙もない残酷な処刑行為であり、B地点における小動物の生成は、神ならぬ身の人間が、塵から新たな命を生み出すに等しい行為だったということに他ならない。
生命に対するこの冒涜とも言える実験は、本来であれば倫理上の問題を理由に禁止されていたハズなのであるが、不幸にも様々な成功や、流通にもたらした革命と成功による熱気のようなものが、人間の目を曇らせてしまったのである。
実は、小動物転送実験の後、この残酷な事実に気づいた者は少なからず存在したのであるが、既に実験は複数回繰り返されてしまっており、その全てが成功と判断されてしまった時点においては、それに水を差すような発言が許される雰囲気ではなかった。
そして、さらなる不幸への恐ろしい機運は加速する。
ある者の発言が、この残酷な事実を、都合良く解釈し残酷さを隠蔽してしまったのだ。
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新陳代謝…という言葉がある。
例えば人間の体を構成する細胞は、血液や皮膚などの早い部位で数ヶ月、骨などの比較的遅い部位でも3年程度で、古い細胞が死に全てが新しい細胞へと入れ替わる。
これを極端な言い方をすれば、5年前の自分と今の自分では、体組成上は全く別の存在であるということになる。
つまり、時間的な経過により体組成が全て別物に入れ替わることと、トランスポート・ゲートによる「移動」により体組成が全て別物に入れ替わることには、問題になるような違いは無い…と考えたのである。
ある意味で、非常に哲学的な問いかけをその発言者はしたのだ。何を持って同じ人間、同じマウスと言うのか?…と。
時間的経過により、体組成が全て別物へと入れ替わっていても、5年前の自分と今の自分は同じ自分であり、「5年前の自分が死に、今の自分が新たに生み出された」などと言う者はいない。
それなら何故、トランスポート・ゲートでの「移動」の時に、体組成が別物へと「入れ替わった」ことを殊更問題とする必要があるのか?
その2つの事象の何が違うというのか?
いや。何も違わない。
トランスポート・ゲートによる「移動」でも、遺伝子は全く同じであるし、肉の付き方、血液や体液の成分、肉体の老化の程度…など、全てが「移動」の前と忠実に同じに保たれているのだ。
これは、もはや完全なる「移動」と何も違わないのではないか?…と。
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この問いに、積極派は諸手を挙げて賛同し、消極派は罪悪感を払拭するための逃げ道として追随したのである。
いつの間にか、トランスポート・ゲートは、本来の意味で「移動」用の装置であると解釈されるようになっていた。
COPYが禁止され、MOVEのみが許可される…という仕様は、実際の理由とは別の解釈で当然の帰結であると論じられるようになった。
すなわち、トランスポート・ゲートは移動用装置なのであるから、出発地点に物体が残れるワケが無い…と言うのである。
では、金塊のコピーの例はどう考えるのか?…というツッコミを入れたくなるが、この頃になると人々は真面目な顔で、「金塊は確かにAからBへと移動した。Aに残ったように見えるのが、実は新たに生成された複製物であり、非生物である場合にのみそれが許される」…と主張したのである。…かなり無理矢理に思えるが、これにより人々は自らの心の裏に貼っていた小動物殺しのレッテルを、引きちぎってダストボックスへ捨てることができたのである。
こうして、あの無残な失敗に終わった悲しいニュース「旅客用トランスポート・ゲート運用実験」に向けた、最後の心理障壁が突き破られてしまった。
実は、この時点では、まだ引き返すチャンスはあったのだが…。
転送後のマウスやラット、キャットやドッグなどの様子を、愛情を持った飼い主が注意深く観察していれば…それはやはり転送前とは大きく違う振る舞いをしていることに気づけたハズだったのに。人々は、夢の技術への期待と、後ろめたさからの逃避のために、その重要な違いを見逃してしまった。
・・・
旅客用トランスポート・ゲート運用実験。
それは、文字に示されるとおり、トランスポート・ゲートを物流用としてではなく、人間の旅行手段として運用するための実験だった。
さすがに人間自身の転送に関しては、慎重に実験が繰り返され、安全の確認が図られるよう心がけられてはいた。
運命のその日を迎えるまでに、小動物だけでなく、豚や牛のような家畜の転送実験も行われ、肉用の豚や牛に関しては全く問題なく実験は成功していた。
競走馬の運送などは、転送後に調子を大きく崩してしまうという問題があったが、それはトランスポート・ゲートという慣れない物々しい装置をくぐることに対して、馬たちが極度のストレスを感じてのことであろうと解釈された。
愛玩用の動物に関しては、ほとんどが転送前よりも大人しくなり、生まれたばかりの頃と同じような素直さを見せたことから、逆にトランスポート・ゲートでの運搬が歓迎されたりもした。
競走馬や愛玩動物のこの変化は、後に恐ろしい原因によるものであると明らかになるのだが、この時はまだ誰もそれを予見できなかった。
そして、運命のその日はやってくる。
夢のような新たな移動手段による旅行…その魅力に最初の旅行者を決める抽選には、信じられないほど多数の応募があった。
厳正なる抽選により幸運を手にしたのは、幸せそうな4人家族だった。真面目そうな父親。優しそうな母親。やんちゃな盛りの長男。おしゃまになってきた長女。皆、当選したことを飛び跳ねながら喜び、そして、実験の開始を、胸をときめかせて待っていた。
・・・
親子の空間転移は、一瞬で完了した。無残な失敗として。
4人は、体の何処にも傷や欠損を負うことなく、無事アウト・ポートから姿を現した。
小動物や家畜の転送時と同様に、何の問題もなく転送されたように見えた。
4人は、トランスポート・ゲートのアウト・ポートから、ちゃんとそれぞれの足でゆっくり歩み出て来た。
それなのに、この実験が失敗と言われるのは、これによりトランスポート・ゲートが人間の移動手段として使えないということが明らかになったからだ。
悲惨な事故とは、つまり、この4人家族が、無事では済まなかったということだ。
可哀想に、彼らはリビング・デッドとかゾンビと呼ばれるような状態になっていた。
外部からの働きかけに反応は返すし、何やら言葉のような唸りも発する。
しかし、彼らがトランスポート・ゲートをくぐる前のような、生き生きとした表情や言動を見せることは永遠になかった。
実験に参加した技師や研究者、医療関係者たちは必死に原因を検査し、治療しようと試みた。脳をスキャンしても、脳そのものには何の問題もなく正常に機能していた。生命維持に必要な脳からの指令も正常に出ており、脳も含めて肉体には全く何の問題も見られなかった。肉体に関して言えば、転移実験は間違いなく成功していたのである。
何度も繰り返された検査の後、仮説として報告されたのは次のような原因だった。
「…彼らは、『心』を失ってしまった。肉体は全く健康に生きつづけているのに…」
・・・
安藤の絞り出すような声が、当時提唱された仮説と同じ内容を語る。
会場内は、ほとんど闇に包まれている。全てノツイート・タグの色は黒。
「トランスポート・ゲートの技術は、間違いなく素晴らしいものです。『心』を持たない物の転送であれば、現在でも非常に有用であり、実際に現在の経済活動のインフラとしては既に欠かせない技術になっています」
安藤の声が懺悔のように、会場に反響する。
「この失敗の理由は、ご存知のとおり我々人類が、未だに『心』の構造や発生理論を明らかにできていない…ということに他なりません。…もう、お分かりですね。私が、何故、この悲しいニュースを皆さんに思い出していただいたのか。ええ。そうです。この可哀想な親子は、現在、Dr.栗木の研究所で、彼のスタッフたちの世話を受けながら暮らしています。そして、Dr.栗木が皆さんの前に姿を現さないのは、この親子を救うために必要な研究を、ある場所に籠もって継続しているからなのです」
あの世界を「場所」と表現してよいかどうかは…甚だ疑問だが。
「さて、親子を救うため、Dr.栗木はある別の症例に着目しました。事故で前頭葉を欠損した者は理性や感情を失い、A氏型の若年性痴呆症などにより脳の側頭葉内の海馬を欠損した者は記憶を失うというのは既知の事実ですが、古典的な精神発生学では、この事実を持ってして『心』や『精神』が脳の機能により生み出されると結論づけていました。しかし、Dr.栗木はそうは考えていません」
・・・
ナノタブによる治療でも、脳の欠損を回復することは容易ではない。
そのような病状の家族を持つ聴衆もいるのだろう。会場内に期待の色が散見される。
「脳を損傷した人間は、では『心』を持たないのか?もしも、『心』を持たないとすれば、それはヒューマノイドと何が違うのか?…人間の尊厳云々とかそういうことだけでなく、栗木は、脳を損傷した方々にもちゃんと『心』が残ると考えています。
それは、先ほど思い出していただいた旅客用トランスポート・ゲート運用実験の犠牲者となった親子の症例からも導き出される答えです。
逆説的な論理ですが、脳に全く損傷が無いにも関わらず、あの親子は『心』を失ったような症状になってしまいました。脳により『心』が生み出されているのであれば、あの親子には、仮にもとの『心』が転送されなかったとしても、新たな『心』が生み出されるハズなのですから。
それに、もし、脳により『心』が生み出されているというのなら、現在は無理でも、将来的に脳の機能を完璧に再現できるハードウェアを開発できれば、それにも『心』は宿るということになります。…まぁ、それならそれでDr.栗木は喜ぶでしょうが…。
今のところは、どれほど精巧に脳をシミュレートしたソフトやハードを用意しても、そこに我々と同じような『心』が生まれてくるといったことは確認されていません。
Dr.栗木が生み出したKaaSは、ほとんど我々人類と見分けがつかないほどに人間らしい対話が可能ですが、しかしKaaSは、そのようにDr.栗木によって造られたシステムであり、脳の機能を真似た装置に『心』が宿ったものではありません」
・・・
やっと本題に入ったのか、安藤の演説は途切れることなく熱を増して行く。
「Dr.栗木は、次のような仮説を立てました。
人間を含む動物は、『肉体』という生命体と、『心』という思念体による複合的な存在なのである…と。
例えば、皆さんが車を運転している時のことを思い浮かべてください。
おそらく、空から見下ろした宇宙人には、自由に走り回る車がこの惑星の主生物であるかのように見えるでしょう。その宇宙人が金属系生命体であったり、金属外殻を持つ生命体であったりする場合は、心理的にも炭素酸素系生物である我々よりも動き回る車や飛び回る航空機の方を主生物だと思うことでしょう。
実際には、車それ自体には意思は無く、車を自由に走り回らせているのは、それを運転する我々人類です。
ハンドルやアクセル、ブレーキなどの車を操縦するインターフェースが故障すれば、車を正常に走らせることはできなくなるかもしれませんが、車が動かないからといって中に載っている我々の意識が損耗したり、消失してしまったわけでもありません。
ところが、車を主生物だと認識している宇宙人から見れば、理由がインターフェースの故障であろうと、エンジンなどの駆動系の故障であろうと、二度と動かなくなった車は死んだものとして映るでしょう。…まぁ、この車の例の場合、眠っている場合と死んでいる場合の違いを区別できませんが…。そこは、説明用の仮の例ということでご容赦を。
逆に、車中の運転者である人間が走行中に死亡したとしても、車が走行し続けていれば、宇宙人の目には主生物たる車が元気に生きて動き回っているように映るでしょう。
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ただし、コントロールすべき運転手が死亡しているので、走行はふらついたり暴走したり…と通常の様子とは異なることでしょうが…。
もう、お分かりですね。
この例における運転手が、人間における『心』であり…この例における車両が、人間における『肉体』である…とDr.栗木は考えているのです。
おっと、何人かの方のツイート・タグが疑問の色に染まりましたね。
あぁ…なるほど。
車の例の場合、外側から見ている宇宙人がそのように錯覚するのは理解できても、運転手である我々は、独立した一生物であることを認識しているではないか?…と。
そうですね。車が故障しても、自分の体が故障したと感じる人間は…稀でしょう。
ですが皆さん。長時間に渡り車を運転していると、人車一体…といいますか、例えば車同士ですれ違う時など、車の車幅を自分の体の幅であるかのように感じることはありませんか?万が一、壁に接触しボディーに傷がついたら、自分の肉体に傷を負ったのと同様に苦痛を感じたり、精神的ショックを負いませんか?
また、右に曲がろうとするとき『右に曲がるためにハンドルを右にどれぐらい回して、どのタイミングで戻そう』などと一々操縦方法を意識したりはしませんね?…ただ右に曲がろうと意識すれば自然とそれに必要な操作を体はするでしょう。
これは、人間が普通に歩いているときに、歩くために体どの部位の筋肉をどのように動かして、バランスをどのようにとって…などと考えないのと同じでしょう。
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多少、無理な仮説であることを承知で例を上げますが、もし、我々人間が、生まれた時から車の中に閉じこめられて育ったとしたら、我々はそれこそ車のボディーを自分の体であると感じて一生を過ごすのではないでしょうか?
そうなった場合の、低速時におけるコミュニケーションを想像してみましょう。
例えば、ドライブスルーでマイクに向かって注文をする時のような感じで、他人とのコミュニケーションを取り、食事も運転席側から入手するのであれば、さしずめ運転席側の窓は我々の『口』に相当するように感じられるかもしれません。
フロントガラスは当然『目』でしょうね。
タイヤは当然『足』ということでしょう。小石を踏んだり、段差を越えるときには、地面の形状が悪いということをちゃんと感じ取ることができます。
うぅん。確かに『手』は何だ?…と言われると困りますね。しかし、魚や四足歩行の動物であるかのように自らを認識するだけなのかもしれません。
え?子孫を残すには?…ですか…。
私はあまり下ネタは好きでないのですが…例えばボディーである車体と車体を横付けにするのが抱擁ですかね。そして、互いの合意がなれば、まぁ、内部の運転者のいずれかがが男性生殖器となって、女性側が開いた車窓からその車内へと侵入し…まぁ…することをするのでしょうね。
おっと…やはり女性の皆さんのツイート・タグが嫌悪を表す茶色へと変わってしまいましたね。失礼しました。ということで、子孫の残し方については、皆さんのご想像にお任せします。まぁ…どうとでも、色々な愛の形はあるでしょうから。
そして、赤ちゃんが誕生したら、どちらかの親の車中で運転技術が身につくまでは育てられて…その後、その子ども用の新しい車が体として与えられる。そんな感じ。
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え?…ヤドカリを例にとった方が、分かりやすいのではないか…ですか。
まぁ、そのご意見はもっともですが…ヤドカリの場合、体を入れる貝殻は単に体を守る外殻としての機能しかありませんからね。私は車を例にとったほうが、Dr.栗木の考えているイメージをより正しくお伝えできると考えるのです。
先ほど私は、人類を観察する宇宙人を『金属外殻を持つ生命体』とも表現しましたが…人車一体となった人類は、ある意味この『金属外殻を持つ生命体』といえるかもしれません。そう考えると海老やカニのイメージが近いかもしれませんが。
余談ですが、このまま環境ホルモンによる悪影響が拡大し、我々人類が滅亡の危機に瀕するようなことがあれば、この『金属外殻を持つ生命体』という話は仮想の話では無くなるかもしれません。
実際、政府の一部の検討委員会では、環境ホルモンの影響から完全に人間の体を守るために、高度な空気清浄機能や体調管理機能を備えた金属製のムーバル・プロテクション・スーツを全国民に着用させよう…というロマンの欠片もないような計画を検討しているといいます。
私も、そしてDr.栗木も…そういうアニメ的な未来像は好みではありませんので、別のアプローチで人類をより環境に強い存在へと変革しようと考えています。
話を元に戻しましょう。長々と車人間の話をしてしまいましたが…私がこの例を出したのは、皆さんに人間が、『肉体』という生命体と、『心』という思念体による複合的な存在である…というDr.栗木の主張を、感覚的に理解して欲しかったからでした。
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通常の人間の『心』は、『脳』というインターフェースを介してその意思を表現することに慣れてしまっています。生まれた時からそのようになっているのですから…これは当然でしょう。
しかし、『心』が、『脳』を含む肉体とは別に独立して存在できる思念体であると考える時、『心』は、それが『脳』と同じインターフェースさえ備えていれば、『脳』以外のハードウェア上でも存在可能であるハズだとDr.栗木は考えています。
つまり、十分に高度な技術さえ手に入れられれば、SFの世界だけのものだと考えられていた電子脳を持つ人類…というものも実現可能であると考えるのです。
例えば、古典的なコンピュータを例に考えて見ましょう。
コンピュータの中枢はCPUです。CPUにはレジスタという高速に情報の入出力と演算ができる記憶領域があります。だから、高度に発達したCPUはそれ自体で演算装置としては完結しているのです。
しかし、より複雑な処理を実行するためには、RAMなどのCPUが直接アクセス可能なメモリ領域を記憶域とする必要があります。そして、ある程度の規模までのシステムなら、RAM上だけで成立可能でしょう。ですが、より高速な処理を追求すると、RAMもまた高速に情報の入出力が可能なものである必要があるため、常に大きな電力を必要とし、電力の供給が途絶えると全ての情報が消えてしまうなど効率性や安定性に欠ける…。
そのために、通常は外部メモリ、古典的にはHDDやSSDなどの速度はRAMに劣りますが、電力効率やコスト的に有利な記憶媒体が利用されるのが一般的であり、そして、それを前提としたプログラミングが行われ、そのようにシステムが組まれます。
このような仕組みとなったことは大きなメリットも産みましたが、しかし、逆に、デメリットも生じました。
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一旦その外部記憶域に異常が発生し、又は故障した暁には、その瞬間にシステムは正常に機能しなくなり、ある意味、海馬を欠損した人間と同様に、必要な情報を呼び出すことも、新たな情報を記憶することもできなくなってしまうのです。
しかし、外部記憶域に異常が発生しようとも、CPUもRAMも無事なのであれば、システム全体がプログラミング不能になったわけではありません。RAMに直接プログラムとデータを書き込み、維持するような形のシステム構成へと切り替えれば、ある程度までのシステムなら動かすことは可能なのです。
もしも、障害が発生した時に、自動的にそのようなシステム構成へと切り替わる仕組みになっていれば、見かけ上は何の不具合もなく稼働するシステムも構築可能です。
RAMの容量がどの程度あるかは…もちろん問題ではありますが。
しかし、Dr.栗木は、本来、人の『心』には『脳』に頼らなくともそれ自体に物事をある程度までは記憶し、考えるだけのキャパシティがあると考えています。
ただ、生まれた時から、その本来持っている記憶域を使うという経験をしていない『心』は、肉体を失った時、その本来持っている記憶域の使い方が分からずに機能不全のような状態に陥ってしまうのです。…そして、その状態が一定時間継続すれば…『心』も思念体としての命を失う…つまり死んでしまうのです。
ですが逆にもしも…『心』に十分な訓練を施してやれば…若しくは、訓練によらずとも何らかのサポートにより本来の記憶域を使えるようにしてやれば、肉体を失った裸の『心』も、ある程度の期間、存在し続けることができるハズです。
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Dr.栗木の論文では、脳組織のうち『海馬体』については従来から言われているとおり記憶や学習に関わる器官…すなわちデータ・ストレージという解釈で間違いありませんが、感情や思考といった『心』という概念と密接な関係にある機能を司ると従来考えられていた前頭前野については、脳がそれを生み出しているのではなく、単に『心』からの感情や思考の入力を受け取るインターフェースに過ぎない…としています。
インターフェースを失ったとしても、先ほど申し上げたとおり『心』がその存在を継続できるように訓練されていれば、失われたインターフェースを回復してやることで、また元のように戻ることができるハズです。
いや。究極的には、『肉体』と『心』は別々に発生し、消滅することが可能だと提唱するDr.栗木からすれば、脳の全てが損なわれたとしても『心』自体はそれを理由に消滅することは無いと考えるほうが自然です。
従来、そのように考える者がいなかったのは、脳というインターフェースが欠損すれば、肉体へ『心』の意思を伝達することが不可能になり、そもそも肉体自身の生命活動を維持することもできなくなるため…外見的には肉体が滅びてしまうからです。
そして、肉体という形でしか互いの存在を認識できない…通常の人間たちは、肉体だけでなく『心』までも消滅したに違いない…とそう思い込んでしまうのです。
科学を信望していながら、人類は、肉体の死による『心』の消滅の証拠を、一切掴んでいないにも関わらず、『心』の存在を観測できないという自らの未熟さに目を背け、『心』の残存を否定してきました。
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そのような考え方の中で一生を終え…肉体を失うこととなる『心』は、本来ならば消滅する理由など無いにも関わらず、自ら『心』までもが死するべきだ…と思い込み…そのような自己否定は、結果的に『心』の死をも決定づけてしまう…というのがDr.栗木が考える人間の真の【死】のメカニズムです。
『心』は…肉体が死したから死ぬのではありません。
『心』自身が、自らの存続を信じることができなくなったり、存続しようという意思を失うから死…つまり消滅するのです。
もう一度、何らかの事故で海馬を欠損した場合の『心』について考えてみましょう。
その段階では、まだ『心』は健在です。ただし、外部記憶装置たる脳が正常に機能しないため、他者と正常なコミュニケーションがとれなくなってしまいます。
では、もし、何らかの形で、外部記憶装置の代替措置をしてやれば?
ここからが、今日の講演の本題。おそらくは皆さんが期待しておられる『噂』…。
人類の可能性を大きく飛躍させるDr.栗木の驚くべき研究成果についてです。
外部記憶装置の代替措置としてDr.栗木が考えたのは、KaaSシリーズの活用です。
これは、Dr.栗木により脳と密接にリンクされたシムネットがあればこそ可能なのですが、ナレッジデータベースのインターフェースであるKaaSシリーズは、『心』による記憶のサポート・システムとしては最適です。
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さらに、あらかじめ海馬に記録された記憶を、シムネット上の『ビッグデータの海』へとバックアップしてやれば…失われた記憶を海馬の機能を代替する新たな記憶領域へと復元することもできるようになるでしょう。
これにより、『心』の【死】を延期することも可能となります。
『心』が存在を諦めたために訪れるのが『心』の【死】だとすると、存在を常に意識しつづけられるようにサポートできるこの仕組みは、間違いなく『心』の寿命を著しく延長できるということに他なりません。
さらに、この研究を進めていけば…もしかすれば…ですが、旅客用トランスポート・ゲートの実験失敗により犠牲となったあの親子も…救われるかもしれない…。可能性としては非常に乏しいのですが…私は、それが可能となるよう願わずにおれません。
皆さん。シムネットとKaaSシリーズによる『心』のサポート技術があれば、A地点からB地点へと転送られた『肉体』に、『心』をも付随できる可能性があります。
そうすれば、旅客用トランスポート・ゲートは、本当に夢の移動手段として実用化できるようになることでしょう。
残念ながら未だに、『心』そのものの発生原理と構造は解明できていません。
しかし、肉体から離れ独立して存在する『心』について、十分な研究を行うことができれば、遠からず夢の技術は実現されるでしょう。
また、現在の人類よりも強い『心』を持つ者を育成できる、何らかのプログラムを用意できれば、その実現をより早めることができるハズです。
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私の両親に施されたような『不老因子』を遺伝子に組み込む治療と、この技術を合わせれば、よりトランスポート・ゲートに対して耐性を持つ肉体も、人類は手に入れることができるでしょう。
『心』と『体』で大きな進化を遂げることができれば、それは人類の革新であると言えるでしょう。
そして、私は、その技術の先に、更なる未来を夢見ています。
さすがに荒唐無稽に聞こえるかもしれませんが…『異世界』の創造です。
トランスポート・ゲートのアウト・ポートは、必ずしもこの世界へと繋がっている必要はないとDr.栗木は言いました。
量子通信ユニットに与えるパラメータを調整することで、別の宇宙、別の世界へと人類を送り込むことができるというのです。
それが無理だとしても、たとえば地中深くに存在するかもしれない前人未踏の空間へ、トンネルを掘らなくとも赴くことができるようになるでしょう。
実は…その一刻も早い実現に向けて、今、私とDr.栗木は、とあるシムタブ型MMORPGを実験場としたある社会実験に参加しています。そこで、『心』に関する実証実験を行い、『心』の発生や構造などについて研究をしているのです。
研究だけではありません。MMORPGという形態をとっていることから、シナリオやクエストの設定において、参加者の『心』の強さのレベルアップにも期待できます。
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皆さんにお願いしたいのは、どうか、人類の発展のために、この社会実験へ理解を示していただきたいということです。
残念ながら、現在のシムネット・オペレータは、頭の硬い解釈で、このようなシムネットの利用法を認めていません。
元々、シムネットが今のようなスペックを発揮するようになったのは栗木の『脳』と『心』に関する研究の成果であるにも関わらず、Dr.栗木は、シムネット・オペレータから追われる身となってしまいました。
今日、皆さんの前にDr.栗木が姿を現すことができず、私が代わってこの講演をさせていただいているのは、彼を拘束しようとする動きが今も絶えないからです。
Dr.栗木の研究が意義高いものであると…私たちは何度も主張しておりますが、シムネット・オペレータは、我々の言葉に全く耳を貸そうとしてくれません。
しかし、皆さんの多くの声が、Dr.栗木の研究への理解を叫んでいただけれれば、シムネット・オペレータもさすがにそれを無視し続けることは出来ないと思います。
この研究が実を結ぶかどうかは、皆さんの協力にかかっているのです。
もし、社会実験の方にも興味があり、ご協力いただけるなら、我々が用意したシムタブ型MMORPG「Death Simulator」へサインインして下さい。そこには素晴らしい仮想世界が構築されています。
ただし、一度ログアウトすると、二度とログイン出来ませんので、ご承知を…」
安藤は、壇上に用意された水を、喋り疲れて乾いた喉へと一気に流し込む。
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驚くべき内容の余韻を残しつつ、明確な講演終了の挨拶もしないままに、安藤は壇上を急いで降りていく。
静まり返っていた聴衆は、徐々にざわつき始め、彼らの頭上に浮かんでいた無数のツイート・タグは、それぞれの受け止め方によって様々なカラーへと色を変える。
同じ一人の感想や感情も、目まぐるしく変化しているのか、そのツイート・タグの群が会場内を彩る様子は、揺らめく虹の様…というより、混沌の色…と言った様相だった。
安藤は、舞台袖からその会場の様子に視線を送る。
一定の成果…予想以上の影響に、彼は満足そうに微笑んでいたのだが…
「ちっ。来やがったな。奴ら。…だが、まだ私も自由を奪われるわけにはいかない」
会場の奥の方で、ツイート・タグの色に乱れが生じ、波紋のように広がっていく。
変化があったのは幾つかある出入り口のそれぞれの付近だ。
シムネット・オペレータの手の者が、聴衆によってリアルタイムにツイートされていた安藤の講演内容を聞き付けて、安藤を拘束しにやって来たのだろう。
全く所在がつかめない栗木栄太郎の居場所を知る数少ない糸口。
栗木栄太郎の傀儡。…シムネット・オペレータからそのように認識されていることを、安藤自身も承知していたから、彼の反応は早い。
予めこのような事態を想定して用意してあった逃走ルートを使って、彼は講演会場から姿を消す。只者とは思えぬほどの見事な逃走。
安藤東亜は、栗木栄太郎の傀儡などでは決して無い。彼と対等の…曲者なのだった。
・・・・
1、2巻では、プロローグに持ってきていたような内容ですが、3巻ではこのような形で挿入させていただきました。
これも、デスシムという作品世界の必要不可欠な要素と考えていますので、よろしくお願いします。




