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幸災の天秤

作者: ごり

 本を拾った。

 広辞苑よりも分厚いくらいのハードカバー、何も書かれていない無地の濁緑の表紙。

 道端に落ちていたそれは、特に目立っていたわけではない。しかし僕は何故か、普段なら眼にも留めないようなそれがどうしても気になってしまい、 ただ閉じて落ちているだけのそれを拾った。

 家に帰り、自室に(こも)ると、ベッドに腰を落ち着かせ、手に持っていた本の表紙を開く。

 (つづ)られている内容からして、どうやら生涯を通しての自伝的小説のようだ。

 最初の数行だけ目を通すと、一度表紙を閉じてから反転させ、読まずにページの最初から連続で(めく)ってみる。すると、

「ん?」

 おかしなことに気付いた。ページ数が三分の一ほど進んだあたりから、全ページが、一番最後のページを除いて全て真っ白なのだ。つまり文字が一切ない。最後のページにある『寒い夏だった。』という一文を除いては。

 どういうことだろうかと疑問に思いつつ、もう一度文字がある最後のページまで戻り、そのページに目を通してみるが、やはりそこで完結しているわけではない。途中が抜けた未完の小説である。

 どういうことなのか。未完の小説を、何故本にする必要があるのか。途中は読者に書かせようとでも言うのか。

 だがいくら考えても仮説以上の答えが出ない。困ったものだ。

 ただ考えているのも面白くないため、僕はその本を手に取る。いくら未完とはいえ、手に入れてしまった小説だ。どことなく内容が気になる。

 僕は本を読み始めた。読んで読んで読んで、暇だったせいもあってか、結局その日のうちに未完の最後まで読み終えてしまった。

 手持ち無沙汰になった僕は、夜も遅くなってきているため、とりあえず寝ることにした。


 次の日、学校の帰り道。直線のアスファルトを靴の裏で感じながら、再びあの本が気がかりになっていた。

 昨日の夜は気付かなかったが、学校にいる時、なんだか僕のこれまでと酷似していやしなかっただろうか、という思考が頭をよぎった。

 足早に家までたどり着くと、自室に吸い込まれるように中へと駆け込む。床に落ちている本を拾い上げ、昨日読んだところをもう一度読み返してみる。

「やっぱりだ」

 小学校のときの家族で旅行に行ったこと。運動会の徒競走で一着に着いたこと。階段から落ちて骨折したこと。好きだったあの()と付き合い、そして別れたこと。

 全てが僕が今までに経験したことと重なっている。こんなことが起こりうるのだろうか。顔も知らない赤の他人が書いた小説だぞ。偶然で同じになるような確率ではない。

 僕はどんどんページを読み進めていく。一度一通り読んだ内容を、より詳しく確かめるようにして。

 そして最後のページに差し掛かったとき、僕は異変に気付いた。

「内容が……書き足されている」

 書かれていたのはまさに昨日のことだった。本を拾い、読んで疑念する。それだけの内容だが、今の僕にとってはとてもじゃないが“それだけ”などとは言っていられない。

 本当に、これは一体なんなのか。そして何故こんなものが道なんかに落ちていたのか。何故、僕はこれを拾ってしまったのか。

 いくら考えても、今度は仮説すら立てられず、苛立ちと恐怖を同時に感じながら、その日は終わりを告げた。


 次の日も、そのまた次の日も、やはり内容は書き足され、ページ数は増えていった。

 そして僕はふと思い当たった。ここに僕のことが書いてあるのならば、ここに何かを書けば、それが僕の回りで実際に起こるのではないだろうか、と。

 僕はペンを持ち、まずは時間を追いつかせるため今日のことを書き綴った。ほとんど日記みたいになってしまったが、一つ前のページと読み比べてみてもほぼ変わりない文体だということに気付く。

 さて問題は明日のことだ。悩んだあげく、思いついたのは嫌いな教科の先生が病気で休むというものだった。

 

 次の日、果たしてそれは本当のこととなった。嫌いな教科の先生が急に高熱を出して学校を休んだというのだ。

「はははははは!」

 僕は歓喜した。なんて素晴らしいものを手に入れてしまったのだろうか、と。昨日までの不安と恐怖はすでにどこかに行ってしまっていた。


 それからというものの、僕は家に帰れば本を開き、次の日に望むことをひたすら綴った。

 だが邪魔なことに、勝手に内容が書き足されていく機能も健在だった。しかもそれは、僕が書いた内容のあとのことが書かれるため、それがあると僕の望みが叶う割合が減ってしまう。

 その機能を止める方法を知らないため、消しゴムで消そうとしたが、どういうわけか全く消えない。仕方なく、ページを破ることでその機能を妨害し、そして僕は思いつくかぎりの望みを叶えていった。

 書いた。

 気になっていた娘と恋人同士になれた。

 書いて書いて書いた。

 テストで1位は取ったし、100点だって取った。

 書いて書いて書いて書いてそして書いた。

 身長は伸びたし、足も速くなった。

 好きなものは手に入れ、やりたいことは片っ端からやっていった。何でも望みが叶っていった。毎日が幸せだった。


 (さいわ)いを感じている時間は、通常よりも早く過ぎていくのだと誰かが言っていた。それを僕に当てはめてみると、まったくその通りで、気付けば半年ほどが経っていた。今の季節は夏である。

 終業式を終え、帰りながら会話を楽しんでいた彼女と明日デートする約束をしてから道を(たが)え、家に入り自室に篭ると、慣れた手つきで本を手にする。

 表紙を開き、昨日自分が書いたところまでページを捲る。そこまで辿り着くと、あの分厚かった本が残りたったの3ページしかないことに気が付いた。

 もう3ページ分しか望みが書けない、ということに溜息を一つ。だが、惜しいと思う気持ちはあるものの、そこに悔いはない。もう一生分と言っていいくらいの幸いは手に入れた。あとは普通に暮らしていければ、僕は世界一幸せな人間になれる自信だってある。それにもしかしたらまたこの本を拾うかもしれない。

 ならいっそのこと、と僕はペンを握る。残り3ページをフルに使って、明日は思いつく限り最高の幸せを楽しんでやる、と。

 僕は書いた。最高の展開。最高のシチュエーション。最高の展望。そして最高の結果を。

 だが思ったよりも字数は稼げず、結局2ページ埋めたところで明日の予定を書き終えてしまった。

 いくら考えてもそれ以上のことは思いつかず、自動記載でページが埋められてしまうのがもったいないなと感じる。だがそこに書いた予定は、僕にとっては紛れもない最高の幸せだったため、まぁいいか、と本を閉じ、(はや)る気持ちを抑え、布団を被り(まぶた)を閉じた。


 壊れ、破れ、折れ、倒れる。突然の蹴り上げられるような振動に目を覚まし、揺れる視界であたりを見渡すと部屋中の物という物がそんな状況になっていた。僕自身の体もベッドと共に激しく揺らされ、飛ばされないようにしがみつくのがやっとなくらいだ。

 少し経つとその揺れは(おさ)まった。しばし(ほう)けていたが、布団を挟んで自分の体の上に乗っているものを見つけたとき、背筋を氷で撫でられるような感覚を覚えた。

「な……なんで」

 本だ。

「なんでここにこれが……」

 本が乗っている。

「そんな……」

 しかも開いている。

「嘘……」

 最後の文、『寒い夏だった』が書いてある最後のページが開いた状態で。

「嘘だ……」

 だがその最後のページにある文字は今はそれだけではない。

「嘘だ……!」

 そのページの一行目。そこには『大地震が起きた』の7文字。

「くそっ!」

 僕はそのページを破ろうとする。だがそれは破れるどころか(しわ)すらつかない。

「嘘だぁぁぁ!!!」

 僕は本を置いて走りだす。

 二行目には『階段から落ちる』の7文字。

 確かに僕は階段を踏み外して下まで落ちた。その衝撃で腕が変な方向に曲がった。

 三行目には『廊下には母親、居間には父親が倒れていた』の18文字。

 トイレに行っていたのだろう。母親はトイレの扉を足元に、廊下に倒れ頭から血を流している。それを飛び越え、玄関に向かう途中居間を見ると、食卓に突っ伏した父親の頭の上に蛍光灯が破砕した状態で乗っている。食卓は白と赤で彩られていた。

 それすらも横目に僕は玄関から飛び出す。今は親のことも自分の腕のことも考えていられなかった。

 ひたすら走る。ただひたすら走る。家から離れるように。本から逃げるように。

 僕が見た『寒い夏だった』より前の最後の行は『家を出て走りだす』だった。それ以降はまだ空白。今あの本を手放せばその後は関係なくなるかもしれない。だから僕は走る。

「だけどどうして……!」

 あれは幸いの搾取(さくしゅ)を可能とする本じゃなかったのか? 自らの幸福を満たすための本じゃなかったのか?

 足が(もつ)れそうになる。それでも体を前へと運ぶ。

「なのにどうして……!」

 なぜ今の僕には災いが起こっている!? どうして最後のページには災難が(つづ)られている!? なんでそれを無きものにできない!! なぜ、どうして、なんで!?

 何か足に違和感を覚える。それと同時に視界一面にアスファルトが拡がる。気付けば地面に突っ伏していた。

 折れて動かない方の手で反射的に体を支えてしまったため、その箇所から激痛が走った。痛みを(こら)えながら立ち上がろうとする。だが、

「そ……そんな……」

 視線を上げれば本があった。それは再び開いている。

 見てはいけない、と心に念じた。だがそれも虚しく、僕の視界はその文を捉えてしまった。

 書いてあるのは『地に伏せる』の5文字。丁度現状を表している。どうやら本の内容に追いついたようだ。

 だがそんなことより、どうしてこの本はここにあるのだ! 確かに部屋に置いてきたはずの本が、なぜこんなところに!

「うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!??」

 僕は叫んだ。

 僕は走り出す。

 僕は兎に角前に。

 僕は足を前に出す。

 僕は体を前進させて。

 僕は全力で駆けていく。

 僕は視界に踏切を捉える。

 僕は踏切を渡ろうと駆ける。

 僕は渡る途中にて何かに躓く。

 僕は踏切の中央で地に身を置く。

「つっ……!」

 気付けば僕は転んでいた。足元を見ると靴の先端と靴紐が、線路とコンクリートの隙間に挟まっている。そしてそれは引っ張るだけでは抜けそうにない。

 僕はそれらを取るため足元に手を伸ばす。

 だがその手は足に届く前に何かに当たる。

「うっ……」

 本だ。閉じたままの本がそこにはあった。

 見てはいけない。そう思うのだが、なぜか中を確認しなければいけないような気がする。

 僕は本を手に取る。その手は震えている。僕は本を開く。その内容は……、

「『踏切が……閉まる』……!!」

 それと同時に音が響く。踏切が閉まることを知らせる鐘の音だ。

 僕は足を抜こうとする。引っ張って引っ張って引っ張って、そして引っ張って抜こうとする。

 だがそれは何かに掴まれたように抜けない。僕は焦った。電車のライトが見え始めた。

 本を見た。新しい文が浮かぼうとしている。しかもどうやらそれが最後の文のようだ。『踏切が閉まる』と『寒い夏だった』の間には一行分しか空いていない。

 足はいくら抜こうとしても抜けない。足を切って逃げたいくらいだが、切る道具もない。

 ライトの近づくスピードが意外と速い。それもそのはず、近づくにつれはっきりしてきたその外見は、まさしく新幹線以外の何者でもない。

 僕は全身が硬直していた。体が動かなくなった。(あからさま)に近づく恐怖に対して。一定のスピードで迫る災いに対して。

 そして(つい)にその災いが僕にぶつかる寸前、僕は視界に丁度本の最後の文が浮かび上がったのを捉えた。それは……。


 プォォォォォォォォン━━━━。


『身体を幹線が通過した』


 ……ドサッ。


 止めど流るる血は、その身体を冷たく冷ましていく。


『寒い夏だった』

天と地。右と左。そして幸いと災い。僕達の生きる世界には必ず対極した存在があります。そしてそれらは決して交じ合わず、けれど均衡を保とうとする。まるで天秤のようです。片方が重くなれば、もう片方も重くなり、そして均衡が保たれます。

ですがこれには弱点があります。限界があるのです。両側が重過ぎると天秤自体が壊れてしまうという限界の弱点が。

この物語で、主人公は幸いの側を重くし過ぎました。あの本に自ら書き込むことによって。ですがあの本は一体なんだったのでしょうか?簡単に自分の幸災を決定できる本。そう、あの本こそまさに天秤なのです。彼はそれを偶然見つけてしまったがために、片側に(おもり)を乗せすぎてしまうことになりました。最後に一気に災いが来たのは天秤が均衡を保とうとしたためですね。ですが双方のあまりの加重に天秤は耐えられなくなり、そして彼は死という道をたどることとなりました。

読者の皆様。最近幸せなことばかりが起きていたりしませんか?もしそうなら十分注意してください。その幸せに相当する災いがもうすぐそこまでせまっています────。

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― 新着の感想 ―
[一言] ごりー!!小説みたよぉ!最初に『寒い夏だった』っていうのがでてきて、それがなんのことか最後の最後まで分からなかった!すごいと思う!これをもっと長編にしたみたいなやつ、読んでみたいな☆俺はこれ…
[一言] こんにちは。シュガーっぽい苗字で34番ぐらいの私です(何 初めて読みに来ましたが、さすがです☆是非我ら文芸部に・・・(黙れ 文章はすごく読みやすかったし、面白かったし、題材にしたものも重い感…
[一言] まぁ単純に、とてもいい作品だと思いました。よくまとめられていて、多少デスノっぽく思われる部分もあるけど、まったく違う、とても読みごたえのある作品でした。また、語彙もありまた一段と、すごいなぁ…
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