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僕を裏切った幼馴染とゲス顧問、二人まとめて地獄に堕とします  作者: ledled


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第一話 偽りの平穏と、ディスプレイ越しの絶望

キッチンに立つ僕、夜凪蓮やなぎ れんの背中に、甘えた声が寄りかかってくる。ふわりと香るシャンプーの匂いは、僕が彼女のために選んだものだ。


「蓮ー、今日の晩ご飯なにー?」


「ん。朱音あかねが好きだって言ってた、鶏肉のトマト煮込み」


「やった! さすが蓮!」


僕の腰に回された腕に、ぎゅっと力がこもる。振り返らずとも、日向朱音ひなた あかねが満面の笑みを浮かべているのが手に取るように分かった。彼女は物心ついた頃から隣に住む幼馴染で、高校一年の春、僕からの告白を受け入れてくれてからは、恋人という関係になった。


海外赴任中の両親が残していったこの広い一軒家で、僕は一人暮らしをしている。そして朱音は、自分の家が隣にあるにもかかわらず、学校が終わると当たり前のように僕の家にやってきては、こうして時間を過ごすのが日常になっていた。一緒に夕食を食べ、並んで勉強し、時には同じソファでうたた寝をする。その半同棲のような日々は、僕にとって何にも代えがたい幸福そのものだった。


「味見する?」


「する!」


小さなスプーンにソースを掬い、ふーふーと息を吹きかけてから朱音の口元へ運ぶ。ぱくりと口に含んだ彼女は、花が咲くように笑った。


「んー、おいしい! お店みたい!」


「大げさだな」


「本当だって! 蓮は料理もできるし、勉強もできるし、私の自慢の彼氏だよ」


屈託なくそう言ってくれる朱音を、心の底から愛おしいと思った。天真爛漫で、太陽みたいに明るい彼女の隣が、僕の居場所。この先もずっと、二人で同じ大学に行って、一緒に大人になっていくのだと、何の疑いもなく信じていた。この温かい日常が、永遠に続くのだと。


その完璧なはずだった日常に、最初の亀裂が入ったのは、いつからだっただろうか。


最初は本当に、些細なことだった。美術部に所属している朱音の帰りが、少しずつ遅くなるようになったのだ。


「ごめん蓮! 今日、顧問の伊集院先生に作品見てもらってたら、つい長話しちゃって」


スマホの画面に表示されたメッセージに、僕は「気にするな。夕飯、温めておくよ」と返信する。伊集院征四郎いじゅういん せいしろう。物腰が柔らかく、生徒一人ひとりの才能を褒めて伸ばす指導で、特に女子生徒からの人気が高い美術教師だ。朱音も彼のことを心から尊敬しているようで、その名を口にするときはいつも目を輝かせていた。


「伊集院先生って、すごいんだよ。私の絵の、自分でも気づいてなかった良いところを的確に指摘してくれるの。特別に放課後、指導してくれることもあるんだ」


そう嬉しそうに語る朱音を見て、僕も嬉しく思った。彼女が打ち込めるものを見つけ、尊敬できる大人に出会えたのなら、それは素晴らしいことだ。だから、部活を理由に帰りが遅くなっても、寂しさは感じても、不安に思うことはなかった。その時は。


変化は、より明確な形となって現れ始めた。


「ごめん蓮、今週末の映画、来週にしてもいいかな? 美術部のコンクールが近くて、土日も特別に制作時間を作ってくれることになって……」


「……そっか。分かった。頑張れよ」


僕との約束よりも、部活が優先されることが増えた。仕方がないことだと頭では理解している。彼女の夢を応援したい気持ちに嘘はない。それでも、胸の奥に黒い染みがぽつりと落ちたような、そんな感覚がした。


決定的に違和感を覚えたのは、彼女のスマホの扱い方だった。以前は無造作にテーブルに放り出していたスマホを、最近は必ず画面を伏せて置くようになった。僕と一緒にいる時でも、LINEの通知が光るたびに、びくりと肩を揺らしては慌てて内容を確認する。そして、僕に見えない角度で素早く何かを打ち込んでは、何事もなかったかのようにスマホをポケットにしまうのだ。


「誰から?」


一度だけ、そう尋ねたことがある。朱音は一瞬、ぎこちない笑顔を浮かべて答えた。


「ううん、部活のグループLINEだよ。明日の準備のことで」


嘘だ、と直感的に思った。グループLINEの連絡であんなに緊張した顔をするだろうか。だが、僕はそれ以上何も言えなかった。幼馴染で、恋人である彼女を疑うなんて、最低なことだと思ったから。この胸に広がる淀んだ感情は、僕の嫉妬深さや器の小ささからくるものだ。そう自分に言い聞かせ、不安の芽を無理やり心の奥底に押し込めた。彼女を信じよう。僕たちの関係は、こんな些細なことで揺らぐほど脆いはずがない。


そう信じていたかった。


運命の日となったのは、秋も深まったある金曜日の夜だった。その日、朱音は「美術部の打ち上げで遅くなるから、夕飯は先に食べてて」と朝のうちに僕に告げていた。ファミレスで、部員みんなで集まるのだという。


僕は一人で簡単な食事を済ませ、自室でPCに向かっていた。大学受験に向けた学習プログラムを自作していたのだが、どうにも集中できない。時計の針はすでに午後十一時を回っている。まだ連絡はない。打ち上げが盛り上がっているのだろう。そう思う一方で、胸騒ぎが止まらなかった。


休憩がてらリビングに下り、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出す。ソファに目をやった時、僕は息を呑んだ。クッションの間に、見慣れたスマホケースが挟まっていた。朱音のスマホだ。彼女は今日、スマホを持たずに打ち上げに行ったのか? いや、そんなはずはない。家を出る直前まで、彼女は誰かとメッセージをやり取りしていた。つまり、どこかで落としたのではなく、僕の家に置き忘れていったのだ。


胸が、どくんと大きく脈打つ。見てはいけない。人のスマホを勝手に見るなんて、信頼を裏切る行為だ。分かっている。分かっているのに、僕の足は吸い寄せられるようにソファへと向かっていた。


震える手で、そのスマホを拾い上げる。ホームボタンを押すと、待ち受け画面が点灯した。一年前、遊園地で撮ったツーショット写真。幸せそうに笑う僕と朱音。その笑顔が、今の僕の心を無慈悲に抉る。


ロックは、かかっていなかった。彼女は僕の前ではパスコードを解除する手間すら惜しむほど、無防備だった。それが、僕たちの信頼の証だと思っていたのに。


そして、その無防備な画面の上部に、ポップアップ通知が表示された。メッセージアプリの通知。送り主の名前は見えない。だが、そこに表示された一文が、僕の全身の血を凍りつかせた。


『先生、今日も楽しかったです♡』


「…………え?」


声が出ない。呼吸ができない。時間が止まったかのような錯覚の中、僕の視線はその一文に釘付けになった。先生。今日も。楽しかったです。ハートマーク。


脳が理解を拒絶する。何かの間違いだ。何かの、たちの悪い冗談だ。そうであってくれ。祈るような気持ちで、僕は吸い込まれるようにその通知をタップした。メッセージアプリが開く。トーク画面の相手の名前は、『I先生』と登録されていた。伊集院。間違いない。


指が勝手に、ログを遡っていく。そこには、僕の知らない朱音と、伊集院との甘い会話が延々と続いていた。


『朱音ちゃんの才能は本物だよ。僕が必ず開花させてあげる』


『先生にそう言ってもらえると、すごく嬉しいです』


最初は、教師と生徒の会話だった。それが、次第に一線を越えていく。


『今日の朱音ちゃんも、すごく綺麗だった。つい見とれてしまったよ』


『もう、先生ったら……』


『レンくんとのデートより、僕との補習の方が楽しいんじゃない?』


『……そんなこと、言わせないでください』


そして、僕の心臓を鷲掴みにして握り潰すような、決定的な一文を見つけてしまった。朱音からのメッセージだった。


『レンには内緒だよ。先生との時間は、私だけの秘密だから』


ああ、そうか。秘密。そうだったのか。帰りが遅かったのも、僕との約束をキャンセルしたのも、スマホを隠すように見ていたのも、すべて。すべて、この男と会うためだったのか。


スクロールする指が止まらない。もはや、自分の意思ではなかった。真実を知らなければならないという強迫観念だけが、僕を突き動かしていた。そして、目に飛び込んできた一枚の写真。


それは、見慣れないホテルのエントランスの前で撮られたものだった。伊集院の腕に甘えるように寄り添い、幸せそうな、蕩けるような笑顔を浮かべる朱音。僕にさえ見せたことのない、女の顔をしていた。写真には、伊集院からのコメントが添えられていた。


『今日の朱音ちゃんも最高だったよ。また二人で抜け出そう』


「あ……ぁ……っ」


喉の奥から、絞り出すような音が漏れた。手からスマホが滑り落ち、カーペットの上に鈍い音を立てて転がる。立っていられず、その場にへたり込んだ。


世界が、音を立てて崩れていく。信じていたものが、愛していたものが、僕の足元からガラガラと崩壊していく。朱音の笑顔、優しい言葉、「自慢の彼氏だよ」と言ってくれた声。そのすべてが、偽りだった。僕という存在がありながら、彼女は別の男の腕の中で、あんな顔で笑っていたのか。


涙が溢れてくる。だが、それは悲しみの涙ではなかった。裏切られた怒り。僕たちの時間を汚された屈辱。そして、僕という存在を嘲笑われたかのような絶望。それら全てが入り混じった、熱い何かが頬を伝っていく。


どれくらいの時間、そうしていたのだろう。玄関のドアが開く音がして、はっと我に返った。


「ただいまー。蓮、まだ起きてた?」


酔っているのか、少し舌足らずな朱音の声。まずい。このままでは。


僕は憑かれたように立ち上がると、床に落ちたスマホを拾い上げ、寸分違わず元の場所、ソファのクッションの間に戻した。そして、溢れる涙をTシャツの袖で乱暴に拭うと、キッチンへ戻り、平静を装って蛇口をひねった。


「おかえり。遅かったな」


リビングに入ってきた朱音は、何も気づいていない様子で僕の背中に再び抱きついてきた。その身体から、僕の知らない男の香水の匂いが微かに香った。吐き気がした。


「ごめんごめん。すっごく盛り上がっちゃって。あ、そうだ蓮、聞いてよ。今日の打ち上げでね……」


楽しそうに嘘を重ねる彼女の声を、僕は背中で聞き流していた。もう、彼女の言葉は何一つ僕の心には届かない。僕の頭の中では、ディスプレイに焼き付いたあの光景が、何度も何度も繰り返し再生されていた。


ホテルの前で笑う朱音。彼女を抱きしめる伊集院の汚らわしい手。「レンには内緒だよ」という残酷なメッセージ。


僕の愛した世界は、もうどこにもない。この腕の中にいる彼女は、僕の知っている朱音ではない。


ふと、自分の心が、急速に冷え固まっていくのを感じた。涙はとっくに枯れ果て、代わりに燃え盛っていたのは、地獄の業火のような憎悪。そして、氷のように冷たい、絶対的な殺意にも似た復讐心だった。


許さない。絶対に。


僕のすべてを奪ったあの二人を、完膚なきまでに叩き潰す。社会的に、精神的に、再起不能になるまで追い詰めて、僕が今味わっている絶望の、さらにその底へと引きずり込んでやる。


「蓮? どうしたの、聞いてる?」


「……ああ、聞いてるよ」


僕はゆっくりと振り返り、完璧な笑顔を作って見せた。僕の心の内など微塵も知らずに、無邪気に首を傾げる裏切り者に向かって。


「楽しかったみたいで、良かったな」


その瞬間から、僕の復讐計画は静かに始まった。偽りの平穏を演じながら、二人を破滅させるための準備を、着々と進めていくことを誓って。ディスプレイの光が暴いた絶望は、僕を冷徹な復讐者へと変えたのだった。

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