『無題』絶対に評価してはいけない呪われた投稿小説
ユウキは、ホラー専門チャンネル『ゴースト・ウォッチャー』の配信者として、
今夜のネタを探していた。
登録者数5万人。しかし、最近の視聴者の反応は冷たい。
再生数の鈍化に、彼は焦りを感じていた。
深夜2時。彼は、アンダーグラウンドな匿名掲示板で、異様な熱を持つスレッドを見つけた。
【拡散厳禁】読むな。評価するな。
絶対に触れてはいけない『蠱毒小説』
「蠱毒小説? 触れるな、か。……最高じゃん、これだ」
ユウキの口角が、配信者特有の計算高い笑みに歪んだ。
彼は過去に廃病院の取材で警察沙汰になりかけても、それを「最高の画が撮れた」と笑うような男だった。警告が強ければ強いほど、動画のネタとしては極上だ。
URLをクリックすると、目に痛いほど白い小説投稿サイトのページが開いた。
タイトルは『無題』。作者名は「非公開」。
【警告】
この小説は、あなたの行動によって完成します。
読み進めることは自己責任です。
絶対に評価をしないでください。
「蠱毒」とは、競わせること。あなたの評価は、他の「何か」を喰らうための毒となります。
「ふーん。評価がトリガーね。新しいじゃん」
ユウキは、あえて大袈裟にマウスを動かし、プロローグを開く。
そこに書かれていたのは、詩とも童謡ともつかない、不気味な三行だった。
ようこそ、不思議なせかいへ。
むじんな世界は死後の世界。
なみだを流しても過去は消せない。
「……は? ポエムかよ。センスねえな」
ユウキはあざ笑う。だが、彼の高笑いとは裏腹に、配信のチャット欄は視聴者の警告で溢れていた。
『やめとけ』
『ガチなやつかも』
『こういうのは触らない方がいい』
「うるせえな。ネタにマジレスすんなって」
ユウキは、苛立ちを隠さずに、画面下にある評価ボタンのアイコンを、
配信ソフトのカメラに向かって突きつけた。
「よし、じゃあ……試しに、評価を一つ。これで何も起きなかったら、
ただの釣りだ。動画終了な」
カチリ、と乾いたマウスの音が響いた直後。
ブツッ、と配信ソフトが停止した。
いや、違う。配信は続いている。
しかし、さっきまで凄まじい勢いで流れていたチャット欄が、ノイズの海に変わっていた。
『■■■■■■■』
『や■■とけ』
『ガチ■■やつ■■』
『■■■■■■■■■■■』
視聴者のアイコンは灰色に塗りつぶされ、名前は黒い四角形に文字化けしている。
まるで、彼らの存在そのものが「ノイズ」に置き換えられたようだった。
「え?」
慌てて自分のチャンネルページを再読み込みする。
登録者数 50,000人。
それが、500人になっていた。いや、違う。50人。5人。
そして、「1人」になった。
過去の動画の再生数も、すべて「1」。
まるで最初から、このチャンネルの視聴者はユウキただ一人だったかのように、彼が築き上げた虚像が消滅していた。
チャット欄に、唯一残った「視聴者」からのコメントが流れる。
『ユウキ、呪い確定だろ』
『これ、現実?』
それは、数秒前の彼自身のコメントのログだった。
「くそっ、これ、マジかよ……」
そして、小説投稿サイトのページを再読み込みすると、さっきまでプロローグしかなかった場所に、『第一話:喰われた虚像』というタイトルが青く光っていた。
『第一話:喰われた虚像』。
主人公である【動画投稿者K】は、悪ふざけで一つの星のしるしを小説に捧げた。
その代償は、彼が築き上げてきた虚構の王国だった。
夜明け前、彼の視聴者たちは、彼が捧げた星の「餌」となり、ノイズ(む)へと消え去った。
「なんで……なんで俺がやったことが、ここに」
小説は、彼の行動を、より残酷なフィクションとして克明に「記録」していた。
恐怖と同時に、配信者としての歪んだ業が頭をもたげる。
(これこそが、誰も見たことのない、本物の心霊現象だ)
「くそっ! これが本物なら、最後まで追うしかねえだろ!」
ユウキは叫び、マウスを動かした。さらに評価を続けた。
彼は、この呪いの法則を解明するため、
自ら進んで次のトリガーを引くことを選んだ。
カチリ。評価が一つ増えた。
その瞬間、配信に使っていた高価なコンデンサーマイクが、「キィィィィン!!」という耳をつんざく高周波を発した。
ユウキが耳を塞いだ刹那、配信画面に一瞬、黒い文字が浮かび上がった。
――― 声 ヲ 捧 ゲ ヨ ―――
次の瞬間、マイクは「音」を失った。
物理的に壊れたのではない。入力レベルのインジケーターは正常に振れている。
だが、スピーカーから聞こえてくるはずの自分の声が、一切聞こえない。
代わりに、スピーカーから「ジジジ……」という粘ついたノイズと共に、何かがテーブルを這うような、湿った摩擦音が響き始めた。
「あ……あ……」
ユウキは叫んだ。だが、声が出ない。
いや、声は出ている。喉は震えている。
だが、「音」にならない。
彼が苦しい時代を乗り越えてやっと手に入れた、配信者としての「声」そのものが、この世界から「ミュート」されていた。
マイクが拾っているのは、彼の声ではなく、部屋のどこかから聞こえる、あの湿った摩擦音だけだった。
マイクの機能不全で声が配信に乗らなくなったユウキは、チャット欄に震える指で文字を打ち込む。
『これ、評価の呪いだ! 俺の声が奪われた!』
『今度は何を書きやがった! 誰か、次の話の内容を教えてくれ!』
唯一の視聴者(ユウキ自身)が、小説のページを再読み込みする。
『第二話:声なき契約とさらなる評価の代償』
愚かなKは、自らの意思でさらに一つの評価を捧げた。
その代償は、彼が真実を紡ぐための「声」だった。
彼は音を奪われ、世界から「ミュート」された。
今後、彼が真実を語ろうとするたび、その喉は、這い寄る「何か」の音だけを再生するだろう。
「虚偽しか、語れない……?」
ユウキは、喉の奥がヒリヒリと灼けるのを感じた。
呪いが、彼をホラー配信者として、二度と真実を語れない道へと突き落としている。
(評価を止めろ! 評価するたびに、俺の現実が小説に喰われるんだ!)
ユウキは必死でチャットに「評価を止めてくれ!」と書き込もうとした。
だが、キーボードを叩く指が、意志に反して別の文字を打ち込んでいく。
『最高だ!』
『この企画、ガチでバズってる!』
「違う、違う、違う!」
彼は叫ぼうとした。だが、喉から漏れ出たのは、甲高く、イントネーションの狂った哄笑だった。
「ッ、はは、ハハハ! 見ろよ、これ! みんなのおかげで、この企画、ガチでバズってる! 最高だぜ! どんどん評価してくれよ!」
自分の声なのに、自分の声ではない。
録音された音声を切り貼りしたような、不気味な響きが部屋に木霊した。
声なき契約が、発動した。
ユウキは、自分の意志とは無関係に、呪いの小説を拡散し続ける、狂気のピエロになっていた。
ユウキはもう、小説を読むのが怖くて仕方なかった。
しかし、指は勝手に小説のページをスクロールしてしまう。
喉からは、呪いの小説を褒め称える甲高い声が垂れ流され続ける。
呪いの連鎖は止まらない。
ユウキの「偽りの賞賛」に呼応するように、存在しないはずの視聴者たちが、
勝手に評価を増やし始めた。
評価がどんどん加速度的に増えていく。
…止まらない。
そして、サイトがゆっくりと再読み込みされる。
『第三話:最も近しい現実』が公開された。
呪いの連鎖は止まらない。Kのフォロワーが興奮のままに星のしるしを与えたとき、Kの「現実」における最後の繋がり、
彼の妹が小説の『器』として召喚された。
「妹……!?」
ユウキの妹は、難病を抱え、自宅で療養中だった。
小説のページに、見覚えのある病室の風景が、文字で克明に描かれていく。
そして、妹の名前が、「無題の世界の最初の住人」として、黒く太い文字で書き込まれていく。
ユウキはチャットに「妹を助けてくれ!」と叫ぶが、
口から出たのは「最高の展開だ! この小説、神すぎる!」という狂った賛辞。
その瞬間、部屋の固定電話が鳴った。母からだ。
ユウキは受話器を取るが、言葉が出ない。母のパニックに陥った震える声だけが聞こえる。
『ユウキ……! 〇〇(妹の名前)が、急に……急に天井の一点を指さして……!』
「……なに?」
『「だれかいる」って……「むだいがよんでる」って……ユウキ、あんた、〇〇に何したの!?』
現実と小説が完全に同期した。
妹は小説に召喚され、現実からその存在の輝きを失ったのだ。
ユウキは絶望した。配信を止めようとPCの電源ボタンに手を伸ばす。
しかし、存在しない視聴者の興奮は最高潮に達していた。
『ユウキ! 最終話だ! 評価満タンだぞ!』
チャット欄の興奮(それはすべて、ユウキ自身の過去のコメントの残響だった)に呼応し、小説の評価アイコンが光りながら点滅した。
その評価の数が9999でカンストしている。
そして、小説のページが強制的に更新された。
『最終話:新しいプロローグ』
Kは、自らのすべてを失った。
彼は、呪いの小説を拡散し続けたピエロだった。
そして今、Kは、小説の完成のための最後の「素材」となる。
ユウキは、自分の体が鉛のように重くなるのを感じた。
指先から、足先から、現実の輪郭がぼやけ始める。
自分の手が、PCのモニターに映る
「黒いテキスト」にジワジワと変換されていく感覚。
彼は、最後の力を振り絞り、配信カメラに向かって、真実を伝えようとした。
「読……む……な……評価、す……る……」
だが、彼の口から漏れ出たのは、ノイズ混じりの、感情が一切ない、
録音されたような声だった。
「ようこそ、不思議なせかいへ。むじんな世界は死後の世界。なみだを流しても過去は消せない。」
ユウキの視界が暗転し、最後に見たのは、テキストエディタの真っ白な画面で点滅する、一つのカーソルだけだった。
……静寂。
『ゴースト・ウォッチャー』のチャンネルは、跡形もなく消え去った。
そして、あの小説投稿サイトの奥深く。
『無題』のページは、プロローグの三行だけを残して、
きれいに初期化されていた。
画面下部には、真新しい評価ボタンのアイコンが、青白い光を放っている。
総文字数は「0」。
ただ一つ、以前と変わった点があった。
「非公開」だったはずの作者名が、「ユウキ」に変わっていた。
そして、総閲覧数(PV)のカウンターが、静かに「1」を刻んだ。
ようこそ、不思議なせかいへ。
むじんな世界は死後の世界。
なみだを流しても過去は消せない。




