表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

敗者の物語 ~最後のあの夏~

作者: 熊野 猫

寒い朝、俺が思い出すのは、野球人生最後のあの夏だ。一瞬の輝きと敗北が入り混じった物語は、「ゲームセット」で終わった。過去の「たら、れば」を乗り越え、明日に向かう少年の再生物語。

今日も寒い。俺は白い息をはき心の中でつぶやいた。手が冷えてかじかんでいる。俺はポケットに手を突っ込んで学校に向かった。学校につくと、グラウンドで野球部が声を上げて練習していた。「懐かしい」俺はそう思った。半年前までは俺もそこに加わっていた。記憶は古い記憶を呼び出した。俺は懐かしい最後の試合の記憶が呼び起こされた。

 その日の朝はいつも通りに起きられた。よく緊張して眠れないというが、ぐっすりだ。疲れはない。俺の野球部としての人生が終わる日になった。今日で今までの大変だった日々が終わる。今までの苦労が報われるのか、報われないのか誰にもわからない。とりあえず俺は布団から起きて朝ご飯を食べた。朝ご飯をたべながらふと俺のカバンに目が留まった。カバンには俺のグローブとスパイクが入っている。一年半ぐらいしか使っていない代物だが、随分お世話になった。「なんで昼からの試合なのに朝から練習するんだよ」と心の中で突っ込みながらカバンをせおい家を出た。夏の朝の中自転車にまたがり学校に向かう。風を切る感覚が心地よい。太陽はとうに空高く上がっていて、今日も暑くなる予感がした。学校に向かう途中で、ふと今までのことが思い出された。これまで勝ったことがあっただろうか?一度くらい勝ったこともあった気がするが、そのチームとまた試合をしたら負けるだろう。今日の試合も勝てる気がしない。今日負けたら俺の野球人生は終わる。思えば長い日々だった。辛いことも楽しいことも沢山あった。そうこうしているうちに学校に到着した。今日は遅刻していないはずだ。自転車だと家から15分ほどだ。朝練もこれで学校に来られたらと思う。俺の所属していた野球部には朝練がある。開始時刻は朝の7時だ。俺はよく遅刻した。そしてよく怒られた。グラウンドに行くともうチームメイトが来ていた。少し焦ったが、半分ほどしか来ていないから、大丈夫だろう。今から最後の練習が始まる。珍しく部活前にワクワクしている。こんな感情になったのは、いつぶりだろうか?俺の最後の練習が始まった。

 「森山!おい森山!」名前を呼ばれてハッと我に返った。気が付くと教室には大勢の生徒が登校していた。「お前何してんだよ。」そう声をかけてきたのは、俺の数少ない友達の丸井だった。こいつも元は野球部だったが、1年の途中くらいで辞めてしまった。ふと校庭を見るとそこにはもう野球部はいなくなっていて教室は騒がしくなっていた。「キーンコーンカーンコーン」とチャイムが鳴った。俺は自分の席に座って、クラスメートとともに朝学習を始めた。朝学習が終わると俺は少し眠くなった。そこでさっきの続きが思い出されていった。

 その日はやはり暑かった。最高気温は何度だろうか?バッティング練習と内野ノックをして、最後の練習が終わった。辛い日々だったけど、最後になるとなんでも美化されるものだと思った。今はみんなと昼ご飯を食べている。チームメイトと一緒に弁当を食べるのは初めてかもしれない。みんなで談笑しながら食べていたら、楽しい時間はあっという間に過ぎ去ってしまった。

 試合の時間が近づいてくる。緊張はしていないが、少し物足りないような気がする。試合会場までは自転車で向かう。試合の開始時間は遅れていた。「今日の試合は何回コールドだろうか」そんな縁起の悪いことを考えていた。試合会場では俺たちの前の試合がまだ続いていた。この試合に出ている人の中にも、俺のようにもう勝つことをあきらめている人はいるのだろうか?そう考えながら試合を見ていたらいつの間にか試合も終わっていた。俺たちは試合の準備をするためにベンチに荷物を運びこんだ。水筒,グローブ,バットなどだ。そうして準備ができるとスタメンが発表された。俺は1番セカンドいつも通りだ。

 今日もまた試合が始まった。先攻は相手チーム、こちらは守備から始まる。俺は守備位置まで走って向かった。今日は飛んでくるのだろうか。俺はバッテリーに信頼されていない。だからいつもここには飛ばさないようにがんばっているらしい。それならどこにも打たせないようなピッチングをしてほしいものだと、いつも考えていた。ピッチャーが足を上げて一球目を投じた。ボールはまっすぐキャッチャーミットに収まった。審判は手を上げてストライクであることを示した。その回はランナーを出したが失点することなく攻撃にうつった。

 相手のピッチャーは、球が速いらしい。俺に打てるのだろうか。俺はネクストバッターズボックスで2,3回素振りをしてからバッターボックスに入る。審判が試合の再開を告げる。俺たちのターンが始まった。一球目ボール,二球目ボール,三球目ファール,四球目空振り,バットにボールが当たっている。練習の成果かな?俺はそう思った。ピッチャーが5球目を投じた。少し高めか?バットを振り出してしまった三振か。そう思ったが、運のいいことにボールはバットに当たり後ろに飛んで行った。ファールだ。俺はほっとした。6球目ボール,7球目ボール俺はフォアボールで出塁した。牽制がどんなものかわからないから少し小さめのリードをとる。バッターは同級生の中田だ。相手のピッチャーは中田に向かってボールを投げた。「キン」甲高いを音を残して、ボールは鋭く転がった。しかし運悪くボールが飛んだ先はショートの目の前だった。ショートは2塁にボールを投げ、ゲッツーをとった。このまま俺たちの攻撃は終わった。

 相手チームが3点を取り俺たちは追う展開になっても塁にランナーが出ても返せず3対0のまま回は7回まで進んだ。残りの攻撃は3回一点ずつ返せば同点、そうすれば勝てる。そう心で言った俺に俺は驚いていた。勝てると思ったのはいつ振りか?「森山早く準備しろ」中田にそう言われて気が付いた。次は俺の打順だ。俺はヘルメットをかぶり、手袋をつけてバットを握った。これが俺のラストかもしれない。そう思いながらバッターボックスに向かった。ピッチャーは途中で変わった。俺がこいつと対戦するのは初めてだ。サインを見てさっとランナーを見る。ノーアウトランナー1塁ランナーを進ませたい場面だ。ピッチャーが足を上げてボールを投げた。バットが空を切った。ピッチャーが2球目を投げた。ボールはバットに当たって,飛んで行った。後ろへと。ピッチャーが三球目を投げた。ボールはバットに当たってはるか遠くまで飛んで行った。ホームランだ。人生で初めてホームランを打った。俺はダイヤモンドを回って、ホームベースを踏んだ。3対2同点になった。俺とチームメイトは歓喜した。しかしその勢いはすぐに途絶え、3対2のまま攻撃が終わってしまった。

 8回表相手の攻撃、最初は相手をアウトに抑えていたが、ピッチャーが疲れを見せ始め、気が付くとランナー満塁になっていた。2アウト満塁絶体絶命のピンチでバッターが打ったボールが俺の右側に飛んできた。俺はボールに向かって飛びこんだ。ボールは見事俺のグローブに収まり、それを見た審判はアウトを宣言した。俺のおかげもありこの回は3対2のままこの回を終わらせることができた。8回9回と両チーム得点圏までランナーを進めることはできるが、あと少しでランナーを帰せないまま試合は終わりに向かった。9回裏ツーアウトランナー1,2塁で俺の打席が回ってきた。一打同点チームメイトは盛り上がっていた。ピッチャーが一球目を投じる。ボール,2球目ボール,三球目ボール,四球目ファール,5球目ファール,フルカウントだ。ピッチャーがボールを投げる。ランナーは自動的に走り出した。「キン」甲高い音を鳴らしてボールは高く舞い上がった。しかしさっきのように勢いはなく、ボールはセンターのグローブに吸い込まれていった。アウトそう審判は大声で告げた。ゲームセットだ。俺の野球人生はそこで終了した。

 懐かしいことを思い出した。その後、俺のいるクラスは体育大会でも敗れ、合唱コンクールでも敗れた。個人的にはいい成績を残していると思うのだが?それもこれも過ぎ去って、どうでもいいことだ。次の一大イベントは受験だろう。これは敗れないようにがんばろうと思う。これ以上、「たら,れば」を重ねたくはない。俺はいつも通りの帰り道を歩いていく。俺は自分に気にすることはないと自分に言い聞かせる。俺は明日に向かってこの道を一歩ずつ確かに進み続ける。

私たちの人生にも、いつか「ゲームセット」の瞬間が訪れるでしょう。でも、その時、後悔ではなく「やりきった」と思えるよう、森山のように一歩ずつ、今日を大切に進んでいきたいものです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ