■9.先生が何をしたいのか分からない
先生は部屋を散らかす天才である。
昨日、すっかり整頓したはずの居間が、今日の午後には床に本が散らばる惨状となっていた。先生が本部屋から大量に持ち込んだらしい。
片付ける端から散らかる、これは塔における自然の摂理みたいなものであると悟った最近では、もはや怒る気もしない。せっせと本を拾って一か所にまとめていると、定位置である長椅子で読書中の先生が顔を上げた。
「ジル」
「はい、先生」
呼ばれるままに近くに寄ると、先生は本を置いて、じっと私を見た。常日頃から不機嫌な顔をしている先生に黙って見つめられると、ほぼ睨まれているような状態になる。
「何でしょうか」
「……」
屋上で昼食をして以降、先生は用事もないのに、こうして私を呼ぶことが増えた。だが、呼んでおきながら、用を問うと「何もない」と言われてしまう。謎である。おやつを求められているのだろうか。いやそれなら普通に「作れ」と言うはずだ。謎である。
これまでのように「何もない」と言われるのを待っていたら、今回は床を指して「座れ」と命じられた。一体なんだろうと思いつつ、言われた通り、先生の前で正座をする。
先生は長椅子に座ったまま手を伸ばして、ぐしゃりと私の髪を掴んだ。
跪く女の子の髪を鷲掴む男、という大変最悪な絵面の出来上りなのだけれど、力は込められていないので痛くはない。痛くはないが、鷲掴みはやめていただきたい。
「せ、先生。何ですか。何なんですか」
「うん」
先生は曖昧な返事をして、ぐしゃぐしゃと桃色の髪を大いに掻き回し、唐突に手を離した。
「何なんですかもう」
「お前が無駄に可愛……か……過剰に目立つ髪色をしているから、ちょっと触りたくなっただけだ」
「ちょっとどころでなく心ゆくまで触り抜かれたのですが」
私が過剰に目立つ髪色なのは今に始まったことでもないのに、一体なんだというのか。
乱れに乱れた髪を手櫛で整えながら、抗議を込めて先生を睨みつけたら、「お前が睨んだところで可愛……か、片腹が痛くなるだけだ」と嫌味を返された。そして、やっと整え終えた髪を、再びぐしゃぐしゃにされた。
「何なんですかもう!」
「……。……? つい……?」
「つい……!?」
今日も彼の横暴は絶好調である。
三度目があっては堪らないので、先生から少し距離を取ってから髪を整えた。先生の片腹が痛くなる程度の効果しかないことは分かっているが、それでも精一杯睨みつける。先生は「哀れなくらいに怖くないな……」と感嘆したように呟いた。失礼な感嘆である。
「もう……。……。先生は平気でこの髪に触りますね」
ちょっと気になったので、自分で自分の髪を弄りながら、問い掛けてみる。
奇異な髪色で生まれた子どもは、魔獣との混血だとか、災いを呼ぶだとか、遠巻きにされるような迷信に事欠かない。実際には、身籠った女性が強い魔力に接すると生まれる子どもの髪色に影響がある、という理由が解明されているのだけれど、迷信というのは根強いのだ。
自分の体験についての記憶はないが、そういった一般的な見解は知っている。だから覚えていないだけで、私も塔の外では、色々と面倒な目に遭ったのかもしれない。
「普通は忌避すると思うんですけれど。先生は嫌じゃないんですか?」
嫌だと言われたら言われたでそこそこ傷つくけれど、この際なので確認してみたら、「はっ」と尊大に笑われた。
「あんな馬鹿みたいな迷信を信じるわけないだろう馬鹿め。持って生まれた髪色と災いに関係などあるものか」
「……」
「俺の黒い髪など珍しくもない。だが俺は今まで、破壊魔だの歩く厄災だの天才魔術師もとい天災魔術師だの単に性格が悪いだの自宅が日照権侵害だの、散々災い扱いを受けてきた。持ってる色がありふれたものだろうが、そうじゃなかろうが、そんなものは関係ないということだ」
「……」
「俺からすればお前のその髪など単に可愛、かっ、かなり遠くからでも識別しやすいという利点がある分、むしろ好ましいくらいだ」
「……そうですか」
だいぶ実用的な理由だったけれど(そして今日の先生は言葉を噛みまくる)、好ましいと思ってくれていることは、素直に嬉しかった。
それに、先生は「嫌いじゃない」が「好き」の意になる人だから、「好ましい」は「大好き」くらいに受け取るべきではないだろうか。そう思うと、なんだか、こう、じんわりと頬が熱くなってきた。真っ赤になっているかもしれない。
慌てて先生に背を向けて、「お手洗いに行ってきますねこれ以上本を散らかしちゃ駄目ですよ」と言い残し、居間を出た。
廊下のひんやりした石の壁に頬をくっつけて、目を閉じる。
好ましいという先生の言葉を反芻していたら、ふと、あの声のことを思い出した。
最初に思い出した、自分に関する記憶。
この髪を素敵な色だと褒めてくれた声。
私にジルガルドという名前を付けた声。
私が塔に来るまでの人生において、この目立つ桃色を無難な色に染めてしまわなかった理由は、きっとこれだろう。この優しい声の人が、素敵だと言ってくれたから。
声の主のことを考える。顔は思い出せないし、どういう関係だったのかも分からない。思い出そうとするとなぜか、先生の姿に変わってしまう。先生の声は全く優しくないので、絶対に別の人物なのに。考えれば考えるほど頭がぼんやりしてきて、これ以上考えることができない。
思い出す努力を放棄して、ほどほどに冷めてきた頬を壁から離す。居間に戻るのは気恥ずかしい。そうだ、日課である物置部屋の探索がまだだった。
未開拓の物置部屋を目指して歩きながら、桃色の髪の先を摘む。先生が好ましいと思ってくれている髪。
次に先生が髪をぐしゃぐしゃにしてきた時は、もう少し大人しくしていよう。
塔に来て半年以上が経つが、未だにベッドは見つからない。いや、一度だけ天蓋付きの素敵なベッドを発見したのだけれど、先生に「必ず悪夢が見れるという貴重な品だ。半額だから買った」と解説されたので、自室に持ち帰るのは止めた。普通のベッドに出会える日は来るのだろうか。あと先生は半額の品に弱過ぎる。
歩いているうちに、未知の物置部屋を発見した。さっそく入ってみる。ベッドはないか探していると、こんもりとした手紙の山を見つけた。
筆まめな先生を想像できないので興味を惹かれた。勝手に中身を見てはいけないけれど、封筒を見るくらいは許されるだろう。たぶん。ものすごく雑な置き方だし。
差出人はバラバラだが、宛名は全て「アベル・フリューゲル」となっていた。先生が保管している手紙なのだから、先生の名前に違いない。
先生は最初、私に「塔の魔術師」とだけ名乗ったので、彼には名前がないのだと思っていた。けれど、どうやら違っていたらしい。どうして名前を教えてくれなかったのだろう。
アベル・フリューゲル。
アベル。
初めて目にする名前のはずなのに、ひどく胸騒ぎがした。
「……アベル」
口にすると、途端に頭痛がした。言いようのない感情が込み上げる。これがどういう種類の感情なのか自分でも分からなかったけれど、探るのは止めた。踏み込んだら、とても後悔しそうだった。
ひどい焦りを感じて、物置部屋を出た。廊下にへたり込んで目を瞑り、「先生」と呟く。「先生」と口にする時、いつだって確かな安らぎがある。
「先生」
頭痛が治まるのを待つ。
「先生」
いつの間にか、寝てしまっていた。冷たい石の床で寝ていたものだから、目覚めた時にはくしゃみが出た。
「……?」
どうしてこんなところで寝ていたんだろう。
近くには「物置」の扉がある。探索して、それで、たぶん掘り出し物はなくて、それから、寝てしまったらしい。眠たかったなら自室に戻ればいいのに、と我ながら思う。どこでも昼寝をする先生の習性に影響されたのだろうか。
「うう、冷えた……。お風呂入ろう……」
いつでもお湯がなみなみと溢れている塔の湯舟の素晴らしさに思いを馳せながら、浴室に向かった。
6月に始めた連載も、早くも7月に突入しました。
感想をいただくたびに小躍りしています。ブックマークやポイントがじわじわと増えていて元気をもらっています。何気に先生の猫回のいいねが多くて、読者さんは猫派が多いのかなと思っています。
そんなわけで、連載を追ってくださる皆様に、今日一どうでもいい情報を……。
先生(猫ver)の肉球は、黒猫にはレアなピンク色です。ぷりぷりです。