■4.先生は素直じゃない
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とても強い魔術師がいました。
彼は荒野にぽつんと建つ塔に住んでいたので、塔の魔術師と呼ばれていました。
塔の魔術師は、国王の命令通りに暴れました。
西に疫病が流行れば村ごとを焼き滅ぼし、東に魔獣が出れば山脈ごと叩き潰し、貴族が個々で雇う魔術師たちを適当に殲滅しました。
疫病を村人ごと焼けば後の支援に割く労力と費用が掛からず、魔獣を山脈ごと叩き潰せばついでに国境付近の小国を地図から消せて、貴族に子飼いされると厄介な魔術師を片端から排除できれば憂いが減る。
指示通りに仕事をこなす塔の魔術師に、国王は大いに満足しました。
人並みの道徳心や善悪の判断に疎いらしい塔の魔術師は、国王が与える殺戮の命令を、疑念も躊躇もなく遂行してくれます。国王はその度に、口を極めて塔の魔術師を褒め称え、彼が望む通りの報酬を与えました。
塔の魔術師は今日もご機嫌な様子で、王宮を出てきました。仕事をこなした塔の魔術師は、今日も国王にたくさん褒められました。
自分が偉大な魔術師であることなど称えられなくても知っていましたが、それでも称賛は嬉しいものです。
ずっと欲しかった「卵が無限に尽きない籠」という貴重な魔具も、ちゃんと報酬にもらえました。これで卵料理を食べたくなる度に、街まで買い物に行かなくて済みます。
塔の魔術師は国王からの命令をたくさんこなして、報酬の品をたくさん塔に持ち帰り、とても満足な日々を過ごしていました。
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「おはようございます、先生。朝です。起きてください」
「……。ジル。うるさい。眩しい。カーテンを開けるな」
「もうすぐ朝食の用意ができますよ。起きてください」
「……。内容は……?」
「パンと林檎と茹で卵、あと昨日の残りのスープです」
「あの微妙な味のスープか……」
「お湯はここに置いておきます。早く来てくださいね」
先生はベッドの中で丸まったままだが、三回ほど会話が成立したので、そろそろ起きてくれるだろう。食事部屋に戻り、卓上に食器を並べ、蓋を開けるとパンが出てくる箱から本日のパンを取り出し、鍋のスープを掻き混ぜて皿によそう。
そうしているうちに、寝癖で髪をあちこち跳ねさせた先生が、のろのろとした歩みでやって来た。ブラシがふわふわと宙を舞いながら追いかけて来て、食卓に着いた先生の髪を梳かし始める光景も、もはや見慣れたものである。先生は身支度でも何でも魔術で済ませるのだ。
私は胸の前で手を組んで「いただきます」と口にしてから、先生は不機嫌そうな顔で黙ったまま匙を取り、朝食を始めた。
「見てください先生。私、当たりのパンを引きましたよ。なんとバター付きです」
「自惚れるな。俺はジャム付きを当てたことがある」
塔での暮らしが始まって、一週間が経った。
塔に来る前の自分がどういう生活をしていたかは分からないけれど、私は早くもこの生活に馴染んでいた。自身に関する記憶がないからこそ、却って抵抗なく受け入れられたのかもしれない。
ただいま私が着ている服は、初日に着替えとして支給された、先生が着ているものと同じ黒いローブだ。着た時はぶかぶかだったが、見かねた先生が指の一振りで丁度いい大きさに縮めてくれた。
ちなみに塔に来て最初の数日、私は下着無しで過ごした。洗い替えにと同じローブを何枚も(それしか服がないのだろうか)渡してくれた先生だが、下着のことは失念していたようである。
一応、好きに使えと言われた物置部屋を探したものの、さすがに女性用の下着は無かった(あったらあったで微妙な気持ちになるので無くてよかったとも思う)ので、今は適当な布で自作した下穿きを身に付けている。
なお、私が塔に来た時に着ていた衣類については、洗濯籠に入れておいたら「ぼろいし汚いしもう外には出られないのだから旅装など不要だろう」と言われて燃やされた。身に着けたものが私物の全てだったのに、それらを(貴重な下着を含め)灰にされた瞬間はさすがに絶句したものである。普通もうちょっと確認を取ってから燃やすと思う。まあ、記憶がないので、お気に入りの服だったかどうかも分からないのだけれど。
そんなこんなでお揃いのローブを着て、同じ食卓につき、雑用係に従事したこの一週間。
人を知るには短い期間だが、それでも先生について分かったことが色々ある。
「あの箱、開ける度に違うパンが出てくるのはどういう基準なのでしょう?」
「馬鹿で愚鈍で魔術の才が欠片もないお前に説明をしても無駄だ」
一つ、口が悪い。
「おい、なんだこれは」
「見ての通り、茹で卵です。お嫌いでしたか?」
「半熟以外の茹で卵など茹で卵ではない。こんな固茹では食わん」
二つ、我儘である。
「昨日の微妙な味のスープが更に微妙になった気がする。何を入れた?」
「戸棚にあった『シチミ』という粉です。初めて見る調味料でしたが、赤くて彩りが増し」
「よく知らないものを入れるな愚図」
「でも味が改良され」
「悪化だ馬鹿。馬鹿に椅子を使う権利はない」
「い、椅子がとても座れたものじゃない拷問器具の形に!」
三つ、横暴である。
他にも、不機嫌な顔が通常運転であること、おはようとおやすみの挨拶をしても挨拶を返された試しがないこと、片づけるそばから部屋を散らかすこと、整頓を嫌う一方で清潔は好きなようで毎日湯浴みをすること、清潔な服を好む一方で洗濯は嫌いなようで脱いだ服を放置して溜め込むこと、などなど。
この通り、愛想がなく偉そうであり息をするように馬鹿とか間抜けとかスープの味が微妙といった暴言を吐き魔術で食卓の椅子を拷問仕様に変え転がり落ちた私を見て本日最初の笑み(それも嘲笑)を浮かべるような大変ひどい男、それが先生である。
だが、なんというか、憎めない点も多いのだ。
一つ、得体の知れない不法侵入者である私を受け入れてくれた。
強力な魔術を行使できる彼にとって、魔術も使えず武器も持たない少女など、まるで警戒に値しないというのはあるだろう。
けれど普通なら、自宅(しかも出入り不可能)に突如現れた記憶喪失の人間など、怪し過ぎて然るべき対処を取ると思う。けれど先生は、こうして温かい衣服と十分な食事と安全な寝床と、おまけに塔を自由に歩きまわる権利さえ与えてくれている。
『先生。自分で言うのも何ですけど、もしも私が記憶がないと嘘を吐いているだけの、強盗とか暗殺者とかだったらどうするんですか?』
『剥いで抉って引き千切る』
上記は初日に彼と交わした会話である。万が一、自分の正体が強盗とか暗殺者だったと思い出すようなことがあったとしても、絶対に黙っておこうと無言で誓った。
二つ、なんだかんだ面倒見がいい。
先生は私が塔に来て三日目に、なんと空き部屋にお手洗いを作ってくれた。必要が生じる度にしょんぼりした顔で森部屋に行く私を見かねたらしい。端的に「厠」と刻まれた扉を開けた時には非常に感動して涙ぐんだものだ。
『先生は天才魔術師ですね! いえ、大天才魔術師です!』
『うるさい黙れ当たり前のことを言われても嬉しくないもっと言え』
上記はその際に彼と交わした会話である。ふんぞり返る先生を私は拍手で褒め称えた。
三つ、大変な寂しがり屋である。
塔で迎えた最初の夜、結局私は与えられた自室ではなく、先生の部屋の床で寝ることになった。魔術書の音読を命じられたからである。
先生は、それは読むと必ず眠くなる無駄に難解な本だと告げた上で、読み切るまで寝るなよと命じた上で、もちろん俺は寝ると宣言した上で、私を床で音読させ、自分はぬくぬくしたベッドに潜り込んだ。
控えめに言って純度の高い嫌がらせだが、私がお手洗いで姿を消すことさえ厭ったことを考えると、先生が私と別室で眠りたがらないというのも無理からぬ話だった。
『お前を実在だと認めてもいい』
『まだ認めてなかったんですか』
上記は塔で五日目の朝を迎えた際に彼と交わした会話である。なお、「私が近くにいない状況が許せない問題」は、居場所を把握する魔術を私に掛けることで解決したそうだ。おかげで塔内で迷子になっても先生が迎えにきてくれる(そして説教される)ので便利である。
以上、先生について色々と挙げたが、まとめると「先生は素直じゃない」、これに尽きた。
今だって、散々文句を付けた茹で卵とスープを、なんだかんだ残さずに食べている。
「何をにやけている。気持ち悪い」
「なんでもありません」
「……まさか拷問器具を与えられると喜ぶ趣味が」
「違いますよ失礼ですねドン引きの顔で言わないでください」
全ての皿が空になったところで、食後の紅茶を淹れる。先生は「ぬるい。薄い。紅茶の淹れ方がなっていない」と文句を言ったが、やっぱり残さず飲んでくれるのだ。
そんな先生の様子を見ながら、また顔がにやけしまったことに気が付いて、ふと思う。
普通、記憶喪失の人間は、もっと不安になったり焦ったりするのだろうか。
目覚めた場所が、二度と出られない場所だったなら、なおさら。
けれど私の場合は、なんというか、塔で目覚めてからのこの一週間は、とても穏やかな気持ちだった。
最初の頃は、ずっと抱えていた大きな荷物を降ろしたような、もう悩む必要はないような、どこか空虚な気持ちを感じていたのだけれど、何かと世話の焼ける先生の雑用をこなしているうちに、その虚しさは埋まっていった。
不思議に満たされた気持ちで食器を片付けていると、先生が「今日は屋上を案内してやる」と言った。
というわけで始まりました新連載、ジルと先生をよろしくお願いいたします。
次話からは毎週火曜と金曜に1話ずつ更新予定です。
※返信でネタバレしてしまいそうなので、本作に関しては感想返信を行わないのですが、もしも感想をいただけましたら、ありがたく五度見させていただきます……!