これは魔術的な行為である
メリバタグにも怯まず果敢に読んでくださった皆様、ブクマやポイントを付けてくださった皆様、感想(いつも二十二度見くらいしてます!)を書いてくださった皆様、ありがとうございます!
感謝を込めて番外編をお送りいたします。平和かつ幸福で甘い、塔のある一日です。
冬の間は、ほぼ毎日、先生と一緒に眠っている。
さあ寝るぞと寝床に潜り込むと、私の部屋の扉に(知らない間に)取り付けられた猫用の戸を潜り抜けて、黒猫姿の先生がとことことやってくる。そしてまだ冷たい毛布の中に、にゃんともすんとも言わずに潜り込んでくる。世界一可愛い湯たんぽの登場である。
抱き締めたり、お腹に乗せたり、各種方法で猫的柔らかさの面目躍如を楽しんでいるうちに、毛布の中はお互いの体温で温まり、出るのが悲しいくらいの居心地の良さになる。たいていは先生の方が先に眠りに落ちる。先に寝落ちしなかった者の特権として、こっそり頬ずりをしたり、場合によってはお腹に顔をうずめて深呼吸をしたりする。やがて幸せな気持ちで眠りに落ちる。
で、ここまでは天国なのだけれど、問題は朝だ。
先生の変身の魔術は時間の経過で解けるものらしく、私が目覚める頃には元の青年の姿に戻っている。
私の寝床は一人用である。狭い。
下敷きにされていることもある。重い。
毛布を全て巻き取られていることもある。寒い。
こちらは先に起きて朝の支度をしなくてはいけないのに、先生が私をぎゅうぎゅうと胸に抱き込んで離さないので解放を訴えたら、「うるさい黙れ湯たんぽが喋るな」と文句を言われたこともある。ひどい。
そんな冬のある日のこと。
今朝は珍しく、目覚めても寝床が広々としていた。横向きに寝ていた私のお腹には、ぴったりと寄り添うように丸くなっている黒猫が一匹。温かい。
先生が朝になっても猫のままなんて初めてだなあ……と感慨に耽りながら起き上がり、小さい頭をそっと撫でた。先生は熟睡である。カーテンを開けて部屋に朝日を取り込んだ。先生は熟睡である。たぶん先生は永遠に野生に帰れない。
朝日を受けてすぴすぴと眠る先生の姿は、日頃の横柄で偉そうで我儘で横暴な青年姿とは似ても似つかない無垢さ、寝床に舞い降りた妖精と言っても差し支えのない愛らしさだった。
朝からいいものを見た私は上機嫌に支度を始めた。
朝食の準備を終えて、先生を起こしに行く。
やっぱり猫姿のままの先生のそばにしゃがみ込み、「おはようございます。朝です。起きてください」と声を掛ける。三度目くらいで、先生は「うるさい黙れジルのくせに」と開口一番に文句を言って、渋々起きた。
そして猫らしく伸びをして――「にゃっ?」と驚愕の声を上げた。
「にゃ、にゃぜ、戻っていにゃい……?」
先生は両前足をぐーぱーすると、狼狽えた様子で私を見上げた。
「ジル。俺は今、どんにゃ姿だ?」
「そうですね、黒くすべすべの毛並みは闇を切り取ったが如し、三角のお耳は可愛さの象徴、まん丸のおめめは」
「誰がアホみたいにゃ詩を紡げと言った。端的に言え」
「猫です」
私の回答に、先生はしばらく黙り込み、それから「これはまずい」と言った。
「変身魔術を多用し過ぎるとこんにゃ弊害があるのか……。まずい。これはまずいぞ。時間経過で解けるはずの魔術が解けにゃいにゃんて……」
先生はにゃんとも可愛い口調でぶつぶつ言ってから、縋るような目で私を見た。
「ジル。どうしよう。俺は一生猫かもしれにゃい」
「えっ、可愛いからいいんじゃないですか?」
先生が無言で飛び掛かってきたので、私は仰向けにひっくり返った。
床に倒れた私の上に陣取るや、べしべしべしべしと左右交互に両前足を繰り出し、叩きのめしてくる先生。肉球の嵐を受けた私は至福である。だが顔に出すと先生の機嫌がさらに悪くなることは分かっているので、報復を受けて反省した顔を作った。
「先生。ごめんなさい。肉球気持ちい、じゃなかった、とっても痛いですごめんなさい」
先生は殴打の手を留めて、私の胸の上に乗ったまま、じとっとした目で睨んできた。
「ジルは俺のことにゃんてどうでもいいんだ。俺が猫でも困らにゃいんだ。他人事にゃんだ」
「そんなことないですよ」
「嘘つけ。もういい。ジルにゃんか嫌いだ」
「私は先生のこと大好きですよ。世界一」
先生の機嫌は秒で直った。
先生は大人しく私の上から降りると、「今日の朝食はにゃんだ?」と言った。
猫のままでも魔術は使えるらしく、先生は食器類を魔術で動かしていつも通りに朝食を終えた(口が小さいので普段よりも時間は掛かっていたが)。歯磨き等の身繕いも独力で済ませていたので、世にもお利口さんな猫である。
それから先生は、先生に構いたがる私に「変身魔術の解き方を探す。調べ物が終わるまで近づくにゃ。膝に乗せられたら眠くにゃる」と接触禁止を命じ、本部屋に籠ってしまった。
朝から猫々しい先生を堪能する計画が頓挫して悲しい思いでいつもの仕事に励み、なんだかんだと穏やかな昼下がりになった頃、先生に呼ばれた。
「ジル。俺を驚かせろ」
「はあ」
「意図せず固定された変身魔術は、びっくりしたら解けることがあるらしい」
「そんなしゃっくりみたいな」
「だから早く驚かせろ」
「えー……」
しかし、困った。驚かされ待ちの相手を驚かせるほど難しいことはない。
駄目もとで「いないいない……」ばあ、をしようとしたら「馬鹿にしているのか」と肉球で殴打された。
大声を出そうと息を吸い込んだら、「大きにゃ音は耳がキンとするから駄目だ。猫の耳は人よりいいんだぞ」と制された。
「あと痛いのもにゃしだからにゃ。尻尾を引っ張ったら許さにゃいからにゃ」
「禁止事項が多いです、先生……」
とりあえず膝枕は解禁されたので、長椅子に座って先生を膝に乗せて撫でる。顎の下をこしょこしょすると、先生はごろごろと喉を鳴らした。至福である。
「驚かす以外に方法はないんですか?」
「これが呪いにゃら解呪方法も色々あるが、そういうわけでもにゃいからにゃ……」
「そうですか……。あ」
ふと思いついて、先生を抱き上げた。
きょとんとしている先生の口に、ちゅ、と唇をくっつけた。
先生は石像のように硬直、一拍おいて、ポンと人の姿に戻った。
猫姿と違って膝に載せていい規格ではない青年姿の先生は端的に重く、彼と寝椅子の背もたれに挟まれて「ぐえ」と呻き声が出た。それでも先生を元に戻せた喜びで「やりましたよ、先生!」と誇ってみれば、「いきなり何をする驚かせるな馬鹿この馬鹿」と罵りながらほっぺをつねられた。横暴である。
「驚かせろとは言ったがもっと他に方法があるだろうが。なん、なんで、キ」
「だって、先生が言ったんですよ。『これは魔術的な行為である』って」
「……」
「先生が初めて私にこうした時に、『これは健康が増進されるとか幸運になるとかその他諸々の非常に高尚な効果のある魔術的な行為である』って、言ったんじゃないですか」
「……」
先生の教えを活用したのだと分かれば先生は褒めてくれるだろうか、と期待したのだけれど、なぜか先生は目を泳がせた。大海原を渡り切れそうな勢いで目を泳がせた。
「だから変身魔術を解くのにも効くかなと思って……。近頃の先生はしょっちゅう私にこの魔術を掛けてくるので正直に言って効果の実感はなかったのですが、ちゃんと効果があるんですね」
自力では魔術の類は使えない私だけれど、先生がくれた首飾りのおかげで魔力だけは豊富に巡っている身なので、この魔術的行為にも効果が出たのかもしれない。
そう考察している間にも、先生の目は泳ぎまくり、もはや遠泳の域だった。しかし「先生?」と声をかけると、泳ぎすぎた果てに遠い目をしていた先生はハッと我に返って、つんと澄ました顔で私の膝から降り、隣に座った。
「まあ、あれだ。その通りだ。おかげで元の姿に戻れた。まあ正確にはジルのおかげではなく俺の指導が良かったおかげだが」
「そうですね。さすが先生です」
「でもまあ助かったのは事実だから褒めてやる」
先生は両手で私の頬を包むようにして、『魔術的な行為』のお返しをした。唇が離れても、手はそのままだった。私の顔は、きっと赤くなっているだろう。先生にこの魔術を使われるといつもそうだ。
「先生」
「なんだ」
「効果の実感はないと言いましたが、嘘でした。たぶん、この魔術には、なんかこう、幸せな気持ちになる効果があります」
先生は笑った。
「当たり前だ。偉大な魔術師が使う魔術なんだ、効果があるに決まっている」
そして先生はもう一度、魔術を使った。
いつもより、少し長く。
というわけで番外編、「これは魔術的な行為である」でした。
なお、この年の破綻の日、ジルはアベルを傷つけたくて「世界一嫌い」と言いますが、どんな形であれジルの「世界一」であることはアベルにとって幸せでしかないので、ただ喜ばせる結果に終わります。




