■14.エピローグ:塔の中の楽園
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そして塔の魔術師は、
愛しい少女と楽園で二人きり、
いつまでも幸せに暮らしました。
***
頭が痛い。
目を開けると、先生がこちらを覗き込んでいた。
私は塔の一階で椅子に座っていた(正しくは縛りつけられていた)はずだけれど、今は先生の部屋のベッドに寝かされているらしい。
「……先生?」
「起きたか」
先生は私の背に手を差し入れて、身を起こす手伝いをしてくれた。気分が良くなると言って、冷えた果実水の入った杯も渡された。妙に甲斐甲斐しい先生である。拾い食いでもしたのだろうか。
「……あの、何があったんでしょうか?」
おずおずと訊ねると、先生は「どこまで思い出せる?」と訊き返してきた。
「うーん……。椅子に縛りつけられて、あっ先生が特殊な趣味に目覚めてしまった、と危惧したところまでは覚えているのですが」
果実水をちびちび飲みながら答えると、先生は腕を組んで、いつになく神妙な顔になった。
「お前には言っていなかったが……」
「は、はい」
「この塔は年に一度、高速回転するのだ」
「えっ何ですかその迷惑な仕様は……」
「お前はまだ慣れていないだろうから椅子に固定しておいたが、案の定お前は目を回し、盛大に泣き喚き鼻水を垂らしゲロを吐いて気絶したのだ」
「うわあ……」
己の醜態に顔を覆った。確かに目の辺りがひりひりするから、泣き喚いたのは間違いない。そして心に深い傷が刻まれた。鼻水だけでも結構な打撃なのに、ゲロを吐く姿まで見られてしまったのか……。
「掃除が大変だった。お前がゲロ吐くから」
「う……すみません、ご迷惑をおかけして」
「ゲロ吐いて白目剥いたお前を運ぶのも大変だった」
「すみません……」
「お前がゲロを」
「人の傷口を抉り続けるのやめてくれませんかね」
睨みながらの抗議を先生は尊大な表情で受け流し、それから、私の頭を撫でた。
先生に、こんな風に優しい手付きで撫でられるのは初めてである。
なので、ゲロを深堀りされた怨みは一旦流すことにして、しばらく撫でられる感触に集中した。やがて先生が私を撫で終えてしまったので、再び睨みつける。
「あのですね、塔が高速回転するとか、そういう大事なことは事前に言っていただけますか。心構えというものがですね。前もって覚悟していれば、多少は耐えられたかもしれないのに」
「半端に耐えて嫌な記憶が残るより、いっそ全部飛ぶくらい辛い目に遭う方がマシだろうが」
「何も覚えてなさ過ぎて思い出すのが怖いんですが」
「不要な記憶だ、思い出す必要はない。むしろ何も覚えていなくて幸運だったと思っておけ。お前がどうしても無様の極みと評すべき己の醜態を思い出したいと言うのなら、魔術で記憶を戻してやるが」
「ぐっ……いえ、忘れたままで結構です。……先生も私の醜態は忘れていただけるとありがたいです」
「泣き喚くお前の姿はなかなかに見ものだったと日記に書いておこう」
「忘れる気が皆無なんですね」
ベッドから出ようとすると、先生はやや不安そうな眼差しで「もう気分は悪くないのか?」と訊いた。先生と話しているうちに頭痛は治まっていたし、むしろ妙にすっきりした気分だったので、「大丈夫です」と頷くと、何の前触れもなく、ぎゅっと抱き締められた。
当然、これまで先生に抱き締められたことはないので(荷物のように脇に抱えて運ばれたことは幾度もあるけど)、驚いて身動きが取れなかった。
自分の鼓動が速くなるのを感じながら、先生は何か言うのだろうかと待ってみたが、何も言わないのでこちらも何も言えない。
甲斐甲斐しく介抱してきたり、優しく頭を撫でてきたり、唐突に抱き締めてきたり、本日の先生はどうかしているらしい。塔の高速回転とやらで先生も酔っているのか。
と思ったが、先生が溜め息のような声で「よかった」と呟いたので、どうやらかなり私を心配していたのだと分かった。
気絶して心配をかけて申し訳ないと思ったけれど、正直、じわじわと込み上げて来くる嬉しさが勝ってしまって、「たまには倒れるのもいいな」と思い直してしまった。
「ジル」
「は、はい」
抱き締められたまま名前を呼ばれ、少し緊張しながら返事をした。
「お前には言っていなかったが」
「今度は何が高速回転するんですか……」
「愛してる」
「……」
なんでそう、そんなに大事なことを、こんなに唐突に言うのか。自分の頬が真っ赤になったことが、鏡を見なくても分かる。
そんな顔を見られなくてよかったと思いながら、先生の背にそっと腕を回して、「それは光栄です」と答えた。
「塔の魔術師、塔の中の楽園」終
ジルと先生の物語、これにて完結です。
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
作者マイページの活動報告(2024/7/19)にて、本作の補足というか蛇足でしかない登場人物紹介を載せています。「蛇足、好きだぜ……」という方は、ぜひ覗いてみてくださいね。




