■11.膝枕も悪くない
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『■■、私も連れて行ってください』
『駄目だよ、ジル。君は留守番。いい子で待っているんだよ』
『子ども扱いしないでください。もうすぐ8歳です』
『そうだね、もう立派なお姉さんだね。君が一人でお風呂に入ると言い出した時には感動したよ。溺れないか心配で覗いたら術弾を撃ち込まれてさらに感動したよ。補助具なしであの精度、さすが僕の弟子』
『そうです。もう一人でお風呂に入れるんです。基本の魔術だって使えるんです。このあいだは一人で黒角犬を倒しました。絶対に■■の役に立ちます』
『そうだね、ジルは天才だからね。自慢の弟子だよ。超強い邪竜の名前を付けたのは間違いじゃなかったね。きっと将来は最強無敵の魔術師だ』
『そうです。■■はジルジルジルジル言って、全然ジルガルドって呼ばないけど、私は無駄に強そうな名を■■にもらったんです。この名に恥じない働きをします。だから、連れて行ってください』
『それは駄目。今回の相手は殺戮の限りを尽くした、怖い魔術師だからね。しかも超強いんだ』
『邪竜のジルガルドくらい?』
『ジルガルドよりも。冗談みたいな規模の魔術をほいほい使うわ、期間限定のお菓子を永久保存したいという理由で時間固定の禁術に手を出すわ、面白かった本をもう一度新鮮な気持ちで楽しみたいという理由で忘却の魔術を確立させるわ、なんていうか、むちゃくちゃな奴なんだよ。あいつなら、邪竜でも何でも一人で簡単に倒すんだろうね』
『……なんで、そんな奴と、■■が戦わなくちゃいけないんですか』
『いやあ、■■はこれでも宮廷魔術師だから。上司もとい王様の命令は絶対のしがない公務員なんだよ。きちんとお給料分働いて、ジルに美味しいお菓子を買ってきてあげなくちゃ』
『お菓子なんかいらないです。毎日■■の作った微妙な味のスープでいいです。だから行かないで』
『ジルは優しいね。大丈夫だよ。いい子の弟子がお留守番してくれると安心して出掛けられるし、可愛い弟子が待っててくれると思うとすごく頑張れるから。ちなみに今回のスープは自信作だから安心してほしい。作り置きはたくさん用意したから、遠慮せずにおかわりするんだよ』
『■■……』
『アベル……“塔の魔術師”をやっつけたら、お土産をたくさん持って帰って来るよ。いい子で待っててね、ジル』
『■■。待って、■■、■■……』
***
「先生……」
「なんだ」
目覚めると、すぐ目の前に先生の顔があった。
ぎょっとしたら、ムッとした顔を返された。
「せ、先生?」
「だからなんだ、ジル」
「な……なぜ私は、先生に膝枕をされているのでしょう……?」
私は長椅子で編み物をしていたはずだけれど、いつの間にか絨毯の上で、先生の膝を枕に寝転んでいた。王様の自宅にでもありそうなふかふかの絨毯なので、寝心地は大変にいい。枕だけが問題である。
「俺は腹に猫を乗せて昼寝をするのが好きだ」
「はあ」
「だが塔に猫はいない」
「まあ」
「お前が長椅子でうたた寝をしていたから、代わりになるかと思ってお前の頭を腹に乗せて昼寝をしてみた」
「それで」
「猫と違って固いし重いしとても寝れたものじゃなかった」
「そして」
「せっかく運んだのに長椅子に戻すのも面倒だなと考えていたら、お前が呻き出したから、膝を貸してやって観察することにしたのだ。面白いくらいにうなされていて面白いからずっと見ていた」
「うなされている人間で楽しまないでくださいよ……」
よほど私のうなされ具合が面白かったのか、先生はどことなく上機嫌だった。ひどい男である。先生の腹枕および膝枕が固くて寝心地が悪いせいで悪夢を見たのだと主張したら、制裁に頬を抓まれた。
「しかしどういう夢を見ていたんだ?」
「うーん……忘れちゃいました。でも、なんか必死に先生を呼んでいた気がするので、たぶん先生に虐められる夢だったのだと思います」
「失礼な奴だな。俺がいつお前を虐めた」
「割と頻繁に。今もまさにほっぺをつままれてまひゅ」
先生は笑った。優しい表情だ。近頃の先生は、こういう笑みを見せるようになった。ただし見られる回数は少ない(なぜなら先生の笑みの大半は嘲笑である)ので、膝枕をされながら先生を見上げ、この貴重な機会をとくと味わう。
ふいに、ずっと前にも、こんな風に笑う先生を見た気がした。
――お前を殺すわけがないだろう。
先生の、一度も聞いたことがないような甘い声を、空耳した。
これは、いつの出来事なのだろう。
「先生」
「なんだ、ジル」
「私って、記憶を失くす前にも、先生に会ったことがありますか?」
先生は一瞬、息を止めた。
そして、
「寝言は永眠してから言え」
呆れた顔で一蹴された。やっぱり思い違いだったようだ。
「ですよねー……」
「起きたなら早く退け。重い。足が痺れた。どうしてくれる」
「か、勝手に膝枕しておいて……」
相変わらず流れるように横暴な先生である。もたもたと身を起こすと、先生も立ち上がった。
「俺は制作部屋に戻る」
制作部屋に戻るということは、先生が数日前から絶賛制作中の、私の魔具作りの続きをするのだろう。
先生は私の髪を切ったあと、さっそく魔具作りを始めて、端的に「制作」とかかれた扉の部屋に籠り始めた。制作初日にこっそり中を覗いたら、カーテンが閉め切られ紫色の炎の上に年季の入った大鍋が掛けられ壁に何らかの骨が飾られ床に夥しい数の術式が書き込まれた、いかにも怪しい部屋だった。見なかったことにした。
呪殺の道具でも作っているような光景に色々と不安になったのはさておき、私の飛行魔術(おまけ:不老不死)のために頑張って魔具を作ってくれていると思うと、なんというか、こう、毎日でもプリンを用意したい気持ちである。
「はい。おやつができたら呼びますね」
「ああ。お前が寝てる間に追加の材料も採取できたし、完成は近い」
「……追加の材料?」
私が寝ている間に、という部分にそこはかとない不安を感じて恐る恐る訊ねたら、先生は事もなげに答えた。
「ジルの爪と体液だが」
平然と去ろうとする先生のローブを掴んで引き留めた。
「ひ、人が寝てる間に何したんですか!」
先生は面倒そうに立ち止まり、何か文句があるのかと言いたげな目で私を見た。
「所有予定者の爪を使用することで強度が増す。本当なら一枚剥がせば済むところを、寝てる間に爪を剥がすのはさすがに可哀想だなと思ったから、やめてやったのだ。ちまちま両手両足の爪切りをするのは大変だった。感謝しろ」
先生はローブのポケットから、白くて細かなものの入った小瓶を出した。確かに爪の先である。寝ている間に(覚めていてもそうだが)爪を剥がすのは可哀想、という真っ当な感性が先生にあってよかった。切るのもどうかと思うけれど。
「わ、分かりました、百歩譲って爪に関してはこれ以上追及しません。じゃあ、あの、体液って何なんですか。何をどうやって採取したんですか」
「所有予定者の体液を使用すれば魔力の通りが格段に良くなる。基本は血液を用いるが、まあ他の体液でも代用可能だから今回は唾液にした。寝てる間に動脈を切りつけるのはさすがに可哀想だなと思ったから、やめてやったのだ。瓶の中の蜂蜜を取るときに使う棒を口に突っ込んで採取してみたが割とよく取れたな」
先生はポケットから二つ目の小瓶を出した。確かに瓶の中の蜂蜜を取るときに使う棒(正式名称不明)が、濡れた状態で小瓶に納められている。動脈を切るのを思い留まってくれたことには深く感謝するが、寝ている人間の口に瓶の中の蜂蜜を取るときに使う棒を突っ込むなと言いたい。
「せめて綿棒とか、もっと人体に優しいものを選択してくれませんかね……?」
「でもお前、瓶の中の蜂蜜を取るときに使う棒を口に突っ込まれている間、幸せそうだったぞ。もがもがと寝言で『バターが合う』とか何とか言って、にやけながら涎垂らして」
「棒に蜂蜜味が染みこんでたんですね蜂蜜はバターと合いますからねもうこの話はおしまいです」
話題を強制終了させると、先生は「ジルが聞いてきたのに……」と文句を言いながら居間を去った。
先生が鋭意制作中の魔具。今のところ把握できている材料が、私の髪、爪、唾液である。呪殺の素材かと問いたい。そして制作現場があの怪しい部屋である。
「どんな首飾りを作る気なんだろう……」
大変不安な気持ちに駆られながら、本日のおやつを作りに台所へ向かった。




