■10.雑用係に期限はない
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国が強く大きく安定した頃、国王は塔の魔術師を殺すことに決めました。
もう塔の魔術師がいなくとも、国が揺らぐことはないでしょう。そうなると、絶大な力を持つ塔の魔術師の存在は、むしろ不安要素だったのです。
塔の魔術師は国王の命令をよく聞きましたが、それは別に忠誠心のためではないことを、国王は知っていました。
塔の魔術師は国王からの手厚い待遇を気に入ってはいましたが、別に地位というものには関心がないことも、国王は知っていました。宮廷魔術師の筆頭の座を提案した時にも、「会議とか面倒くさそう」の一言で断わられたくらいです。
では、なぜ塔の魔術師は、国王の言う事を聞くのか。
塔の魔術師は、単に褒められることが好きなのです。単に貴重な魔具を集めることが好きなのです。たくさん褒めてくれる上に、たくさん欲しいものをくれるのが、国王だったというだけなのです。国王は、そのことをよく分かっていました。
今や塔の魔術師は、欲しいものはあらかた揃えてしまいました。国王よりも褒め上手な人間が現れた場合、そちらの言う事を聞くという事態も十分にあり得ます。
国王以上に塔の魔術師を上手く扱える人間が現れたなら、彼は簡単に国王の敵に回るでしょう。
裏切った、という感覚さえなく。
国王の命で殺戮を行った時と同じ、何の罪悪感もない気軽さで。
頼りにされたから頼られてやったのだ、という、純粋なくらいの傲慢さで。
国王はお触れを出しました。
塔の魔術師は冷酷無比の邪悪な存在として、討伐の対象になりました。
あらゆる悲劇や残酷の原因が、塔の魔術師の横暴によるものとされました。
けれど塔の魔術師はとても強かったので、国王の命を受けた魔術師たちが束になって攻め込んでも、誰も敵いませんでした。挑んだ者は例外なく無残な死体になりました。
塔の魔術師を殺すことはできないことを、魔術師たちは悟りました。
魔術師たちは相談をして、塔の魔術師を殺すことを諦め、強力な封印によって閉じ込めることにしました。
塔の中での自由を許す代わりに、塔の外へ出ることを禁じる。
塔の外から干渉を受けない代わりに、塔の外への干渉を禁じる。
それはとても強力な制約で、いかに塔の魔術師といえども、解除できないものでした。
こうして、塔の魔術師は、永遠に塔の中に閉じ込められることになりました。
***
塔の中で過ごしていても、季節の移ろいは何となく分かる。
冬が近づいているのだろう、だいたい一定の室温が保たれている塔だけれど、ひんやりとした空気を感じるようになってきた。
襟巻でも作ろうかなと考えて、自室に毛糸玉を並べて弄んでいると、ノックも無しに扉が開かれた。もちろん先生である。
「髪を切らせろ」
裁ち鋏を手にした先生に迫られた私は、悲壮な覚悟を決めて頷いた。
「せめて、丸刈りはやめてくださいね……」
「誰がそこまで切ると言った。一筋でいい」
てっきり暇を持て余した先生に遊び半分で珍妙な髪型にされるとばかり思っていたので、予想よりも穏当な内容に安堵した。
「てっきり暇を持て余した先生に遊び半分で珍妙な髪型にされるとばかり……」
「お前は俺を人でなしか何かだと思っているのか」
心の声が漏れていたらしい。
「お前のための魔具を作ってやろうと思ったのに。もういい。作らない」
先生の機嫌は普段から鈍角に傾いているため、鋭角に傾くのも早い。あっという間に拗ねてしまった。
「わ、わあー、嬉しいなあ、先生が作った魔具、欲しいなあ!」
10分くらいかけて先生の機嫌をどうにかこうにか鈍角に立て直してから、詳細を訊ねる。
「魔具って、どういったものですか? 私は魔術が使えませんが……」
「だからだ。お前は魔術が使えないから、塔の上り下りが非常にのろい」
先生は塔の階層を移動する際、二階層分くらいなら階段を使うが、それ以上になると魔術でふわりと飛んで済ませてしまう。
対して私は、地道に階段を使う他ない。そのため複数階の移動にはかなり時間がかかるし、すっかり息が上がってしまう。見かねた先生が私を小脇に抱えて飛ぶこともしばしばだ。
「しかも階段から落ちる間抜けでもある」
「すみません……」
一度だけ塔の階段から落ちかけたことがあって(よりによって高層階で)、その時は先生が一緒にいたので、空中で抱き留めてもらって命が助かった。
落下死を免れて安堵する暇もなく冷たい石の床に正座で長いお説教を食らった、しょっぱい思い出つきである。
「のろいし間抜けだし目を離した隙に落ちやしないかと想像すると非常に腹立たしいので、色々考えた末にジルも飛べるようになればいいのだという結論に至った。だから飛行の術式を込めた魔具を作ってやる」
「私も飛べるようになるんですか?」
「だからそう言っている」
いつも翼があるかのように自在に宙を舞う先生が羨ましかったのだけれど、私もあんなふうに飛べるのだろうか。わくわくと期待に目を輝かせる私に、先生は「感謝しろ」と尊大に頷き、若干の早口でこう続けた。
「ちょっとした副作用で不老不死になるかもしれないが気にするな」
「……。え、不老不死?」
ちょっとどころではない副作用が聞こえたので思わず訊き返したら、先生は目を逸らして「うん、まあ、いや」と曖昧に頷いた。
「正確には不老ではあるが不死ではないな。首を刎ねられたら普通に死ぬし。だが寿命で死ねるとは思わない方がいい」
「な、なにゆえそんなことに……?」
ふわふわ空を飛べるという平和な話が、なぜそんな壮大な話になったのかと理解が追いつかない私に、先生は腕を組んで神妙な顔で説明をする。
「いいか。お前には魔術を行使するための魔力が全くない。だから飛行する際には、俺の魔力を供給することになる。魔具を通してお前の身体に常に魔力が流れ込む状態だ。強い魔力にさらされ続ける影響で、お前の身体は成長が止まり、変化がなくなり、結果的に途方もない寿命を得る。まあ、階段の上り下りが楽になるついでの、おまけみたいなものだ。気にするな」
「おまけの内容が凄まじいのですが」
もはや階段の上り下りの方がおまけである。愕然とする私を、先生は文句でもあるのかと言いたげに睨みつけた。
「雑用係の分際でさっさと死ねるとでも思っていたのか? 思い上がりも甚だしい」
口調は随分と威圧的だけれど、表情はこちらを窺うような、拒絶を拒絶するような、どこか不安そうなものだった。
「お前が嫌だと言っても、もう決定事項だからな。お前はこれからも、嫌でもずっと、俺が死ぬまで、ここで雑用係を続けなくちゃいけないんだ」
だからその表情で、やっぱり階段の上り下りの方がおまけなのだと分かった。
これまで考えたことは無かったけれど、普通に時が過ぎれば、人並みの寿命である私は百年も経たずに死ぬだろう。先生をおいて。
再び塔の中で一人ぼっちになる先生のことを考えると、それはひどく寂しい想像だった。
先生と同じ速度で生きることを、永遠に近い月日を塔から出られずに生き続けることを、躊躇いなく了承できるくらいに。
「嫌だなんて言いませんよ」
「……」
「先生を一人にしたら、洗濯物を溜め込むことが目に見えていますから」
「……。そうだ。俺を一人にしてみろ、洗濯物は山のように溜めるし部屋も盛大に散らかすぞ」
「それは嫌ですね。先生を差し置いて死ぬなんて、できそうにありません」
私が笑うと、先生も笑った。それは心から安堵したような、見たことのないような穏やかな表情で、そのことに気を取られているうちに、先生の手が私の頬に触れた。
その手がそのまま、滑るように髪に挿し込まれる。先生は繊細な手付きで私の髪を梳いて、ふいに顔を寄せた。微かな息遣いが分かるほどに。
「せ、先生?」
いつにない親密な仕草に、思わず動揺した声を上げたら、先生はすっと身を離した。
そして、先程の柔らかい雰囲気が嘘だったかのように、いつもの不機嫌そうな顔で、いつものぞんざいな調子で言った。
「髪を切らせろと言っただろう。魔具の材料にお前の身体の一部が要る」
「……そ、そう言えばそうでしたね」
単に至近距離で材料の吟味をしていただけだったのか。心臓に悪いので、それならそうと前もって宣言して欲しいところである。
「あの、切るなら目立たないとこでお願いしますね」
「分かった。前髪でいいか」
「いい要素が一つもないです」
私の前髪を弄る先生の指を掴み、あまり見た目に影響の出なさそうな辺りに導いた。先生は慎重に髪を掬い取り、鋏を入れる。
しゃき、と軽い音が立ち、桃色の髪が一筋、先生の手に渡った。
「魔具の形状は何がいい?」
「私が決めていいのですか?」
「常に身に着けられる形なら何でもいい」
「えっと……では、首飾り、とか」
「犬が嵌めているようなやつだな。いいだろう」
「違います飼育用の首輪じゃありません装飾品のことです」
私の素早い訂正に、先生は「分かってる」と、また穏やかに笑った。




