戦跡①
サイパンのジャングルの奥深くに、それは70年以上もの長い眠りについていた。深緑の木々に囲まれたその場所に、ぼろぼろに朽ち果てた旧日本軍の航空機、一式陸上攻撃機の残骸が横たわっている。長い年月が過ぎ、赤茶けた錆がその機体を覆っているが、それでもかつての姿をほのかに伝えていた。
不時着の衝撃がどれほど激しかったかは、機体の破損具合が物語っている。両翼は折れ、機首の操縦室も半分吹き飛んでいる。残っているのは、両翼の付け根から垂直尾翼を除く尾部にかけてのわずかな部分のみ。しかし驚くべきことに、一式陸航の特徴でもある双発エンジンは、その姿をほぼそのまま留めていた。プロペラやカウリングは見る影もないが、星型エンジンのシリンダー群が円形に並び、冷却フィンまでもが原型を保っている。頑丈な金属で作られたそのエンジンは、長い年月を経てもなお、その形状をしっかりと残していた。
とはいえ、シリンダーヘッド部分のカムやバルブ機構はすっかり失われ、プラグも折れたままだ。しかし、その内側にまだオイルが残っているのではないかと思わせるほど、エンジン全体が驚くほどの原型を保っていた。その姿は、まるで再び命を吹き込まれる日を待っているかのようだった。
一方で、コクピット部分は激しく破損していた。そこにはかつて、機長、副操縦士、爆撃手、機銃手といった乗員が命を賭して座っていた場所であったはずだ。彼らは操縦し、爆撃の照準を合わせ、敵機に向かって機銃を撃っていた。しかし今、そこにはうつろな外枠の残骸がかろうじて残るだけ。暴風ガラスも計器盤も跡形もなく失われ、かつての栄光を想像する手がかりすら消えてしまっていた。
だが、上部キャビン部分の支柱は不思議なほどしっかりと残っており、計器盤の一部も見受けられた。おそらく、ここにいた乗員は着陸の衝撃を免れたのかもしれない。その光景に、ひっそりと命をつないだ誰かが戦後を生き延びたのではないかと想像してしまう。
機体の塗装はほとんど剥げ落ちていたが、今は失われた両翼に日章旗が鮮やかに描かれていたことを、容易に想像できた。エンジンナセルに堅牢に固定されたこのエンジンが、かつてのように勇ましく回転し始める夢を、この場所を訪れる遺族たちは密かに見るという。年に数度、ボランティアがジャングルを刈り込み、ツタに覆われるのを防いでいるからこそ、今もこの姿が保たれている。激しいスコールが去った後の澄み切った南洋の青空が、緑のヤシの葉を通して差し込んでいた。
この機体がかの連合艦隊司令長官、山本五十六が乗った機体であることを知る人は、今では少なくなってしまった。戦後の世代が50代を迎える今、この場所を訪れ、花束や酒、米を捧げた遺族たちは、静かに記念写真を撮りながらそっと立ち去っていった。
最後に残ったカメラマンと私は、静寂が戻ったこの「英霊の地」にただ佇んでいた。カメラマンが私に「上に登ってみないか」と声をかけたとき、最初はためらいを感じた。それは墓石の上に登るような行為に思えたのだ。しかし、彼の強いすすめで意を決し、残骸の上へと慎重に足を運んだ。
機体の右半分は大きく破損していたが、左半分には意外にも当時の面影が残っている部分があった。傷ついた金属をそっと伝い、右翼のエンジンナセル部分までたどり着くと、上から機体全体が見渡せた。風雨に晒された上部の外板には独特の酸化被膜が形成されており、年月が刻まれているが、その保護膜がかえって保存状態を良好に保っていた。
最初に抱いた感想は「意外に大きい」ということだった。波打ち際に打ち上げられた巨大な鯨の屍にいるかのような錯覚を覚えた。うつろな空間の中に、何か生き物のエネルギーの残滓のようなものを、無意識に感じ取っていた。それはかつての乗員の魂なのか、それとも機体そのものの記憶なのか。
カメラマンが言っていた「何かが宿っている」という言葉が、胸に静かに響いてきた。




