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◆ デンデラ龍

 その夜、ささはるは再び彦一の夢を見る。場所は小高い山の中腹、辺りはすでに薄暗い。

 町が燃えていた。とても広い範囲で燃えさかる炎が薄暗さを感じさせず、夕方とは思えぬ光量でこの港町を照らしていた。ささはるはこの景色に見覚えがある。ささはるの時代、ここは観光スポットとして有名なグラバー園になっている。この時代、まだその建造物は出来ていないが、子供の頃から写真やテレビで何十回、何百回、と見ているこの構図は間違えようがない。

 平皿のような盆地、その中心のほとんどを占める丸い湾、周りを囲む山との間にある、わずかな隙間にひしめき合う様々な建物。たとえ何百年たっても山の形、構図は変わってはいない。ここは百錬の言うように、三百年前の長崎市なのだ。ささはるは現在、自分が立っている場所を南山手みなみやまて中腹だと判断する。

 眼下を照らす炎はおそらく出島の辺りだ。それにしてもここまで大きな炎は現代人のささはるですら、今まで見かけたことがない。ほとんど木造のこの時代の建物はいったん火がつくとここまで激しく燃えたぎるのだろうか? すさまじいその熱量はまさに紅蓮ぐれんの炎だ。


 一体、何がおこったのだろう? 彦一の周りにはたくさんの人たちがいる。無秩序に散らばったこの群集はどの程度の数がいるのか見当もつかない。千人程度はいるのだろうか?

 この火事で家を失った難民のようだ、表情に力が無く、嗚咽をもらし泣いている者もいた。彦一も声を出さずに泣きながら、眼下の火事を見つめていた。


 そしてその視線は、あかく燃え上がる炎の中心に注がれている。その視線の先を見ていると、何かが動いた。炎の中で細長くうごめいている異形の怪物、デンデラ龍だ。群集は火事から逃れているのではなく、デンデラ龍から逃れ、この山に非難していた。


 無人になった居住区を利用し、サムライたちがデンデラ龍を火責めにかけている。デンデラ龍退治のためとはいえ、今まで生活していた場所を、焼かれる怒り。退治しなければいずれ、自分たちもデンデラ龍に殺されてしまう悲しみも入り混じり、処理できない感情が、この群集たちの表情を作り上げていた。

 あの業火は、家屋に着火しただけなく、油や火薬もふんだんに使っているのだろう。まるで、その区域だけが、燃え盛る釜戸かまどの中を切り取ってきたみたいだ。あの空間の中で生存できる生物などありえない。


 地獄のような業火の中で這いずり回るデンデラ龍の姿に、群衆の中から安堵の声が漏れ始める。

「やった!」、「いけっ」、その声は次第に希望も混じった奇妙な歓声へと変わっていく。群集たちは怒っているのか、泣いているのか、喜んでいるのか自分たちもよく解かっていないのではないだろうか?

 この場にいる誰もがデンデラ龍を退治できると確信した。後はデンデラ龍をこの業火の中から逃がさないように、周囲に陣取っているサムライたちが町ごと封鎖すれば、それでこの件は解決できる。群集もそれがわかっていた。視線は炎を囲むように陣を構えるサムライたちに移っていく。

 

 この場所から現場までは一キロ程の距離があり、目視できるのは陣とデンデラ龍、そして大きく燃え盛る炎だけだ。個々のサムライを識別する事は出来ないが、高い所からこの一糸乱れぬ陣列を確認するだけで力強さを感じる。正確な人数は解らないが、一万人に近いくらいいるように見えた。

 サムライの陣は海に面した部分を除き、炎の上がった区域をぐるりとCの字のように厚く囲んだ形になっている。燃え盛る炎を海上まで吹きつける東雲しののめの風も都合が良い。

 しばらくの間、デンデラ龍とサムライたちの対峙は続いた、まるで緊張を先に解いた方がやられるかのようだ。業火の中、盛んにうごめいていたデンデラ龍の動きは次第に緩慢になり、やがて止まる。

 

 夜が白んできた。結局デンデラ龍はこの業火の中から出てくる事はなく、残ったのは消し炭になった町の跡だった。動く物は何もない。ところどころに焚き火程度のちいさな火が残っていたが、朝日が差し込むとともに徐々に鎮火していく。山の中腹から焦土と化した町を見た群衆たちに悲壮感が漂う。


 突然、静寂を破るように虚しく響くパンという銃声。

 サムライたちは鉄砲を目標もなく町の中に打ち込み始めた。

 小刻みに規則正しく続く銃声。


 時折、燃えきった家屋が強度を失いガラガラと崩壊していく。

 中々途切れない音に違和感が生じる、音はますます大きくなり、何かが激しく動いた。

 銃声を上回る音量が周囲を一気に支配する。

 ガラガラガラ……

 崩れ落ちる黒い瓦礫の中から真っ黒になったデンデラ龍の首が持ち上がった。

「え!」、「うおっ!」、「あっ」、群集の中から驚きの声が洩れる。眼下に陣取っているサムライたちも明らかに動揺していた、陣形が小刻みに動いている。


 ここにいる誰もが信じられなかった。

 体中にのしかかったおびただしい量の瓦礫をこともなげにはらいながら、デンデラ龍が海に飛び込む、たくさんの灰が舞い、煙幕のように視界をさえぎる。

 

 デンデラ龍の、長い巨体がざぶざぶと海に入っていく。身体全体が海に入りきるまでにしばらくの時間がかかる。海中で体についた灰を落としているのだろうか、水面が激しく揺れ、荒々しい波が起きている。浜辺付近の蒼く澄んだ海が広範囲で白く濁る。


 突然、水面の一部が盛り上がり、ざざんという音と高波が広がった。そこからデンデラ龍がまっすぐ上に向かい伸びていく。伸びる、伸びる、一体どこまで続くのだろう。まっすぐ伸びきった身体はすでに山よりも高くなって天を突く程にもなっている。

 彦一たち群集の視線はデンデラ龍を見下ろす形から天を見上げるような形に変わっていた。デンデラ龍の尻尾がようやく海面から離れる。その光景は天と地を繋ぐ一条の鎖のように見えた。デンデラ龍が空を飛ぶ事も出来る等、到底信じられない。ここにいる人間が始めて見るデンデラ龍の全身の姿だ。

 まっすぐに伸びた身体は今まで蛇だと思っていたが、手足もありトカゲのようにも見える。こんなにも巨大な禍々(まがまが)しい怪物が町の中をいずり回っていたのだ。

 

 デンデラ龍は上空から狙いを定め、町の周りをCの字に陣取るサムライたちの背後に襲い掛かった。長い身体を巧みに使い、Cの外側にもう一つCを作るように陣を囲む。外列にいた指揮官はそのままデンデラ龍の正面になった。こうなってしまってはサムライたちに陣形の維持は出来ない。

 一糸乱れぬかのように見えた陣は目標との立場が入れ替わり、崩壊してしまった。


 焼け野原となり、障害物の無くなった中心部へ追い立てられるサムライの集団。獲物を狩るように、それを丁寧に殺害していくデンデラ龍、見るにも無残な光景だった。この作戦を見守っていた群集たちも最後の心が折れたようで、へたりと腰を落とすばかりだった。


 それから丸一日が経過する、彦一たち無力な難民は疲労の限界が近かった。もう二日は何も食べていない、水だけは山から湧き出る泉があったのでなんとかなったが、眠る場所もなく、ただデンデラ龍を見つめるだけのこの状況は刻々と難民の体力と精神を削っていく。


 火刑が失敗し、焦土の中に押し込まれたサムライたちは、デンデラ龍の玩具としてのみ生存を許されていた。真っ黒に焼けた焦土から少し離れた場所に、首を持ち上げた姿勢でたたずむデンデラ龍。無造作に放られている長い体はそれなりに焦土を囲い、気持ち程度の結界を張っている。

 このぞんざいな結界がやっかいな罠だった。焼けた町の中には食料はおろか、わずかの水もない。飢えと渇きに堪える事が出来ず、脱出しようと試みる者は結界から出た瞬間にデンデラ龍によって、丹念に、丁寧に、殺された。

 わざと一ヶ所、逃げやすい位置を空けて、気の無いそぶりを見せるが、そのじつ、そこは最もデンデラ龍の神経が張り巡らされた場所だった。デンデラ龍は焦土にいる限りは手を出さない。サムライたちはデンデラ龍によって強制的に決められたルールの中で、遊び相手になる事を強いられていた。子供が最後に残った飴玉を噛み砕く事無く、名残惜しく、しゃぶり続けるような風にも見える。もはや、あのサムライたちが助かる事はないだろう。


 そしてその日、偶然にもオランダの交易船がこの地に到着する。予定では一週間ほど先の到着だったのだが、風の関係で大幅に早い到着となった。通常、早く到着する事があっても、船から下船、荷下ろしは許可されず、期日までそのまま待つことしか出来ない。ただ、水、食料を補給する事は許可されている。オランダ船に乗り込むクルーたちは新鮮な食料を欲していたので、早めの到着は喜ばしいことだった。

 当時、肉食の文化が無い日本でも出島の中では唯一、家畜を飼い、とちくした新鮮な肉を手に入れる事が出来た。日本人にとっては、動物の肉を食する行為が野蛮に映り、この頃は西洋人を南蛮人と呼んでいた。


 誘導船の出迎えがなかったり、気になる事もあったが、オランダ船は湾内に入った後、一目散に出島の船着場に向かう。これまで何度も訪れた場所なので、勝手は良く知っていた。そして、すいすいと向かう先に見慣れぬ光景を眼にする。


 デンデラ龍だ。

 オランダ船のクルーは驚愕した。今まで見たこともない巨大な怪物が出島の近くで待ち構えている。デンデラ龍にとってはオランダ船などどうでもよく、ただサムライたちとのゲームを楽しんでいるだけだったが、クルーにとってデンデラ龍の姿は自分たちを待っているようにしか見えなかった。


 オランダ船は帆にいっぱいの風を受け、簡単に減速できない。このままだとデンデラ龍の近くを横切る事になる。減速して足を止めると、再び走り出すのに多大な時間を要する。停止した状態で、デンデラ龍に襲われた場合、全く応戦する事が出来ない。

 オランダ船は看板に左右十八門の大砲を装備していた。これは航海中、海賊ら不審船と戦闘するのが目的で、かなりの飛距離が出る代物だ。短時間の間に現状を確認し、合理的な判断が出来た事はこのオランダ船に乗り込むクルーの秀でた点だ。

 オランダ船はデンデラ龍に対し、先制攻撃をしかける事に決定した。速度を落とし、角度を調整し、片側九門の大砲を、デンデラ龍に向ける。ちょうど焼けた焦土をはさんだ様な位置関係になる。


 この至近距離での砲撃は相当な威力がある事は解っている。オランダ船は目の前にいるデンデラ龍がただ怖かっただけだ。この攻撃が町に被害を与えるかどうかなどは二の次で、終わった後に考えれば済む事だ。オランダ船の判断は正しい。この機を逃すとデンデラ龍に砲撃する事が出来ないからだ。


 雷鳴かと聞き違うほどの轟音を伴い、一斉に九門の大砲が火を噴いた。

 町のあちこちに砲弾が着弾する。強固に作られた石垣がごっそりえぐれる。焦土と化した町の消し炭が吹き飛ぶ。一瞬のうちにその区域の形がいびつに変わっていく。灰が舞い、狭い空間の中を逃げ惑うサムライたち、それは正に地獄絵図だった。途端にデンデラ龍が激しく動き始めた。この砲撃を行ったのがオランダ船だと理解すると、まっすぐにオランダ船に向かってとびかかる。


 この時代の帆船に搭載された大砲は固定式ではなく可動式で、車輪が付いている。すぐさま大砲の入れ替えがはじまった。

 手際よく看板を移動する逆側の大砲、片側だけに重い大砲が寄ったため、船がかたむく。オランダ船の第二射、飛んでくるデンデラ龍に対し、躊躇ちゅうちょなく、九門の大砲が火を噴いた。

 しかしデンデラ龍の動きに全く変化はなく、予定通り看板にいるクルー達をなぎ払う。デンデラ龍の攻撃で、大砲、人間が看板から弾けるように吹っ飛んでいく。全弾直撃した砲弾はデンデラ龍の体からポトポトと水面に落ち、その度に小さな水柱が上がっている。あの至近距離からの直撃でも、動きを止めることすら出来なかった。


 その時、焦土の中から、何人かのサムライたちが逃走した。デンデラ龍は尻尾を振り、逃げるサムライを後ろからねる。その間をついて、また別のサムライが逃走を始める。

 オランダ船のいらぬちょっかいのおかげで、結局何人かのサムライを逃がしてしまう事になり、デンデラ龍は怒り狂った。せっかくの楽しいゲームの舞台を台無しにしたオランダ船が許せなかった。デンデラ龍はオランダ船のマストを叩き折って焦土に戻り、再びぞんざいな結界を張る。

 オランダ船は風を受ける事が出来ずに、ゆっくりとその場で停止した。看板にはまだ何門か大砲が残っていたがクルー達はすでに戦意を喪失し、船はその場を漂うだけになっていた。サムライたちとのゲームが終わったら、次はあのオランダ船を遊び相手にするのだろう。デンデラ龍は、新しい玩具を手に入れたようだ。

 

 大砲の直撃も、地獄のような業火も聞かない怪物相手に、刀と鉄砲で戦っていたサムライたちのなんと滑稽こっけいな事だろう。群集たちにとって、もう希望は無かった。まずは食を得るための行動を取らなければ、野垂れ死にしてしまう。デンデラ龍から逃げるには、この地を捨てるしかないが、一体どこに逃げれば良いのだろう。彼ら群集のほとんどが、何代も前からこの地に住み着き、この地以外の場所を未開の土地だと思っていた。京都、江戸、といった言葉は知っているが、誰しもが口にする『天下第一の貿易港』、という自負心が住民たちの眼をくもらせていた。そしてこの地が滅びれば、天下も終わるかのような錯覚もある。

 彼らにとっては、ここ長崎ながさきこそが世界の中心なのだ。この時代の人々の距離感は、現代人に比べると驚くほど短い。歩いて一日で往復できる距離が、ここに住む住民たちの見聞の広さだ。そこから先にひろがる部分は、他人からの又聞きでしかなく、今ひとつ理解が及んでいなかったため、『逃げる』という選択肢が、大きく欠如していた。



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