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▼ 第二章 ◆ ささはる

 長崎市は江戸時代、鎖国と呼ばれる制度のため二百年以上もの間、海外との独占貿易港を務める。鎖国のおかげで街はおおいに賑わい、小さな港町は商業の盛んな都市へと発展していった。そして海外から持ち込まれる大小さまざまな交易品は、この国の上流階級の人間たちに珍重され、楽しまれた。


 これが我々が認識する長崎発展の背景だ、しかしこれだけではあまりにも視野の狭い捉え方でもある。受け口となる日本側だけではなく、中華大陸の事を考慮してようやくこの事実の本当の意味が見えてくるのだ。


 この頃中華大陸の元主あるじ、明は滅亡の危機に瀕していた。国が滅びる時、それは新しい力による略奪が当時の常でもある。土地や財産だけではなく命まで奪われては仕方がない、中華の民は国から逃げる事に必死になった。しかし日本はすでに鎖国が始まり長崎以外へは寄港を許さない。その結果、栄華を誇った中華文明が長崎という港町に『高濃度』で押し寄せた。


 それは人間や交易品には限らない、病気であったり、思想、宗教等、様々な災いも含まれる。その中で最も凶悪なのがデンデラ龍と呼ばれる怪物だ。明という大国を散々に食い荒らしたこの怪物が逃げゆく人々を追って、長崎にその姿をあらわしたのだ。

(デンデラ龍とは『大きな』を意味する『でいでら』が付随した龍、大きな龍を意味する方言)



 日も落ちかけた夕暮れ時、見覚えが無いビルの屋上、落下防止のフェンスを超えた所、佐々良春(ささよしはる、通称ささはる)はそこに立っていた。下には地面まで何の障害物も無い。四十階建て位のビルだろう、眼下にはライトをつけた自動車、ネオンや信号が、米粒ほどに小さな光を放ちながらひしめいている。彼はなぜここにいるのか思い出せない。ちょっと下を見ただけで足がすくむ、その瞬間、グラリとビルが揺れた、地震だ!かなり大きい。

 途端に彼は足場を失い、空中に放り出される、全身に走る浮遊感、身体はくるりとひっくり返り、上下の感覚を失う。一瞬にして心臓の動悸が激しくなり、何もない空間で何かをつかもうともがく!

「はっ!」

 がばっと跳ね起きる……身体にかかっていた、薄手の羽布団を蹴飛ばしながら……

「はぁはぁ…はぁはぁ…」

 カーテンの隙間から差し込む柔らかい朝日、夢、ささはるは今日もまた『死ぬ夢』を見ていた。彼の心臓は治まる事無くドクドクと鼓動を続けている。寝巻き代わりに着ていたシャツが汗でぐっしょりだ。少しづつ落ち着きを取り戻したささはるは、さっき見た夢の事を思い出す。

 高い所から脈絡も無く落ちる。醒めてしまえばどうと言う事のない、よくある夢だが、見ている間は本人にとって現実だった。

 この寝覚めの悪い『死ぬ夢』をどういった訳かささはるは良く見る。心臓にかなり悪いのは分かっているが、本人の好き嫌いに関わらず、最近特に増えている。

 突然、怪物に襲われたり、隕石のような石つぶてに身体を弾き飛ばされたり、何の関連性もない、陳腐な死の夢を、しょっちゅう見せられている。


「はーーーーっ……」

 ようやく収まった動悸と共に、朝から大きなため息をついてしまう。

(一体何なんだろう?友人たちもこういった夢を見る事はあるらしいが、これだけ頻繁に『死ぬ夢』だけを見る、という話は聞いた事がない。もしかしたら僕は何回か死んだ事があるんじゃないのだろうか?……バカバカしい……)ささはるは自分の安直な考えにうんざりしながらベッドから起き上がって時計を見る。時刻は午前七時二十五分。

「やばい、もうこんな時間だ!」

 大急ぎでシャワーを浴びて寝汗を洗い流す。ばたばたと学生服に着替え、鞄に教科書を放るように詰め込む。膨れ上がった学生鞄がなんともかっこ悪くて気になったが、そうも言ってられない。

「よしはるー、朝ごはんはどうするの?」

「おはよう母さん!もう間に合わない、いらない!」

「あらあら……」

 台所から声をかける母親にお座なりな返事を返し、玄関からダッシュ。大股で駆けて定時の電車に滑り込む。ギリギリではあるが、どうにか遅刻はまぬがれたようだ。

 通い始めて間もない高校で、早々に遅刻という失態はなんともばつが悪い。出来ればこれからの三年間、遅刻や欠席には無縁の高校生活を送りたい、と思っていた矢先にあの悪夢。寝坊を夢のせいにする訳ではないが、朝から気分は最悪だった。


 電車の窓から見える川沿いの桜並木、歩道に散ったサクラを眺めながらささはるは、以前聞いた言葉を思い出していた。

『サクラ散る、残るサクラも、散るサクラ』

 確かに残ったサクラもそう遠くないうちに散ってしまうであろう。人の命も同じようなものだが、せめて綺麗に散りたい。近頃見ている『死ぬ夢』のせいでささはるは妙に『死』を意識し、そんな事を考えていた。しかし、それを表立って口に出したりするタイプではなく、クラスの中では寡黙かもくな存在だった。寡黙かもくさに加え、大柄なその体躯、しまりの無い眠そうな顔は周りの人々に『ウドの大木』といった印象を与えている。

 ささはるはそのだらしのない表情ばかりが先に立ち、愚図と誤解されがちだったが、決してそうではない。しっかりとささはるに注目すると、無意味に太った贅肉ではなく、筋肉だと解かる。短く見える首は盛り上がった肩の筋肉のためだ。かなり鍛えこんでいる。高校生になって新調したやや大きめの学生服が身体の輪郭をぼやけさせているのだ。その結果、クラス内では不当に『ウドの大木』といったポジションに置かれていたが、あまり気にするような性格でもなかった。


 彼の家庭は現在、専業主婦の母と四歳になる妹の『みな』と三人で暮らしている。父は単身赴任で中国に駐在しており、年に二~三回会う程度だ。趣味らしい趣味といえば同世代の少年たちとほぼ同じで、ゲームやテレビの歌謡番組に一応の関心を持ってはいる。しかし、今ひとつ楽しめていない。徹夜でゲームをやった、というクラスメートの発言を到底理解できなかった。

 ささはるはこのまま何もせず、ただダラダラ生きていたいと、いつも思っている。しかし、心のどこかにそれを許さない何かがあった。両親や教師が指図する何かではなく、生まれた時から持っている、根拠のない使命感のようなものだ。目立ちたいとか、認められたい、といった一般的な欲求ではなく、ぼんやりとしたやらなければならない何かが常にささはるを動かす。

 そういう変な矛盾を抱えながら、ささはるは生きている。それがどういった事なのかさっぱり見当がつかないが、なんとなく身体を使う事だろうと思っていた。来たるべきその機会が訪れた時、十分対処できるための身体を作っておく事が、今のところの関心事だった。


 その日も普段通り、何人かの友人とテレビの新番組や新しいゲームの話を交わし、昨日とさほど変わらない学校生活を送る。中学の頃に比べると、幾分数学のハードルが上がったような気がしたが、何とかなる範囲だった。


 春の陽気に誘われた事もあり、その日は普段よりずいぶんと遠回りして帰路につく。高校から自宅まで約六キロの道のりをささはるは出来るだけ歩いて帰宅するようにしている。こうでもしないと身体にこもったエネルギーを消費できず、なんとも寝つきが悪いから。それに部活に入るほど打ち込みたい競技がない事も原因のひとつだ。もっぱら自室や庭先での筋力トレーニングが中心になるため、気をつけないと足の鍛錬がおろそかになる。そんな理由もあり、ささはるは歩く事を好んだ。


 その日、遠回りしたついでにささはるは関帝廟かんていびょうまで足を伸ばす。父親が仕事をしているので、小さい頃から一通りの中国の歴史、文化は教えられていた。そしてささはるも多分に洩れず、三国志は幼少の頃から夢中だったし、わずかながらでも、あの時代を感じさせるこの場所は、お気に入りでもあった。

 お堂の中に鎮座する黒光りした関羽はトレードマークの髭もすでに抜け落ち、何百年にも渡って人々に愛され続けてきた事を雄弁に物語っている。

 小さい頃はこの髭のない関羽が当たり前で、髭の生えた関羽がいる事を知った時、同姓同名の別人だと誤解した事もあった。この像が作られた当時、あったはずの髭は本体より先に劣化し朽ちてしまい、ほどこされていたであろう鮮やかな色彩はあせた上に黒ずんでいる。この時間の重さにささはるは常々圧倒されていた。今まで関羽はここに座って何を見てきたのだろう。この関羽像に比べれば今の自分などなんとちっぽけな存在なんだろう。やるべき事を見出すまでは精進。


 小さな決心と参拝をすませ、後ろを振り返ると、さっきまで誰もいなかったはずのすぐ後ろに小柄な女の子がいた。見慣れた制服、同じ学校の制服を着た女の子。ドキッとしたとはいえ、女の子がいたくらいで、声を出す訳にもいかず、喉まででかかった声をのむ。驚いた胸の鼓動を隠すようにその場を立ち去ろうとした矢先。

「あなたは、どうして人のために死ねるの?」

 その女の子はそう言った。泣いている?女の子の眼から涙があふれている。なんにしろ女の子に泣かれるいわれはない。まして、死ぬとはどういったことなんだろう?気味が悪い事もあったが、それより好奇心にかられて声をかけてしまう。

「いったいどうしたんだ?」

 彼女は涙をあふれさせた眼で、ささはるをキッとにらみつけ、関羽像の方を指差し「関羽さま」、とつぶやいた。その指先に気を取られ、関羽像に眼を向けると体中に今まで体験した事のない衝撃が走った。

 

 一体自分に何が起こったのか、解らなかったのはほんの一瞬だ。ささはるの左胸、ちょうど心臓のあたりに、深々と剣がつきたてられていた。ずいぶんと長い剣だろう。切っ先が背中からつきでている感触も伝わってくる。この深手ではもう助からない。

 まさに今、死ぬんだと思いながらも、なぜか倒れるその瞬間まで剣を体に押し込まないように、無意識に体をかばった様な動きをしている。いや?むしろ体ではなく、剣を地面にこすらないような動きをしている様だ。体から一切の力が抜け、まるでコマが止まる瞬間のように弱々しく回転しながら、そのまま崩れるように倒れこんでしまう。死ぬ瞬間、かばったのは、体なのか剣なのか?と考えているうちに、ささはるの意識は途絶えた。


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