◆ あきのの抜天
ささはるたちはホテルを後にして駅前の喧騒を離れた。村正とあきのの要望する『ひと目につかない広い場所』、海辺の公園へ向かうためだ。ここは野球場ほどもある公園だが、薄暗くなったこの時間では人影もほとんど見当たらない。もともと自治体がイベント用に確保している場所で、催し物がない時期はさほど手入れもされず、芝生と雑草が無秩序に生えていた。
公園の入り口のあたりからはおぼろげにしかこちらを識別できない程の所まで来ると、あきのは足を止めた。
「この辺でよか、ちょっと離れてくれん?」
ささはると百錬にそう促すと、あきのが目の前にいる村正の背中に左手をあてる。
「センセ、良か?」
「あぁ」
その途端、村正の体がぼうっと光った。人型の光はそのままあきのの手に集まりすっと光を失う。あきのの手に収まった物、それは一振りの刀、御神剣『村正』だった。今まで何度も繰り返されたであろう、この一連の動作はスムーズで、不自然さを感じない。ここにきてささはるはようやく二人の位置関係を理解する。村正が前、あきのはその右後ろ。この二人にとっては普段の位置関係すら、常にこの戦闘態勢を意識した位置だったのだ。おそらくあきのたちにとってこの程度の動きは基本中の基本。彼女がささはると百錬の統一感のない位置関係を疑問視した事にも頷けた。
「ほんじゃあ、よう見とかんね……」
御神剣『村正』を腰の左側にあてがい、あきのが重心をぐっと落とす。足を開いて腰をおとした姿は、ガニマタ開きのおよそ女性らしくない姿だが、作法にかなった姿勢なのだろう下品さを感じない。居合い抜きのような構えだ、右手は村正の柄にあてられ、脱力している。呼吸を整えるように眼をつぶるあきの。遠くに聞こえる街の喧騒、近くで聞こえるのは小さな波の音だけだ。
ささはるがつい波の音に聞き入ってしまった時、あきのの小さく力強い声が響く。
「破っ!」
声とほぼ同時にパチンという刀を納める音が聞こえた。
あまりにもすばやい抜刀でよく見えない。
(掛け声と同時に刀のつばを鳴らしただけなのでは?)とささはるは疑った。
この変な掛け声に何の意味があるのかわからないまま百錬に眼を向けるが、彼女はあきのの前方を見据えたままだ。その時サーッとささやかな海風が波の音と共に吹き抜けた。
腰を落としたあきのの短めのスカートがわずかにはためくと、それまで不揃いだった足元の芝生が大きく舞った。風が軽く芝生を凪いだ後、ささはるの目の前に無数の芝が散る。
そしてあきのの前方は半円を描いたような形で芝生が短く刈り取られていた。扇型に刈られた芝生は半径およそ十メートル、あきのの腕と村正の長さを併せてもせいぜい三メートル程度しかないはずなのに、一瞬にしてこの広範囲の雑草を刈っていた。刈られた芝生の中にある石造りのベンチ、かけよってベンチを確認するが傷一つない。しかし刃が届くはずのない下駄の後ろ側まで芝生はムラなく刈られていた。
「どうね? これでもウチの言う事が大げさやと思うと?」
構えを解いたあきのがささはるに声をかける。ささはるはただ驚くばかりだった。
「あきの! すごいな! こんな事が出来る人間がいるなんて信じられない!」
ささはるは正直に感想を述べた。
「やーっと信じてもらえたね、あのままやったら嘘つき扱いされる所やったたい、これは抜天っていう技たい、本気だしたらもっと遠くまで切れるとよ」
デンデラ龍との決戦に向け、ずいぶん研究と対策を練ったのだろう。漠然と決戦を待つささはるより、よほど決戦の本質を突いている技だ。
道具を使う者にとって、それがある程度熟練していくと、道具が手の延長のように感じられる事がある。人によってその道具は様々(さまざま)で、ハサミであったり、箸であったりする。箸を普段使いする人種なら煮豆を箸でつまむだけで煮え具合まで感知する、まるで箸の先まで神経が通っているかのような感覚。そしてあきのにとっての剣もそれにあたる。
実際あきのは剣を振るう時、それが手の延長だと錯覚する事が多々あった。村正を使うことであきのの腕は伸びた。しかしまだ足りない。もっと長く。もっと遠くへ……
その射程より先にあるものに剣を届かせようとした場合、その差を何かで補わなければならない。その願いが極限に達した時、あきのの射程は伸びた。
優れた猟犬は、主人の準備が整うまで獲物を視線で動けなくする、これは猟犬が無意識のうちに『気』を網状にして獲物を絡め取っているからだ。
あきのもまた無意識の内に『気』を伸ばす事が出来るようになっていた。あきのの『気』は最も望んだ『刃』の形だった。
あきのの射程が三メートル、四メートルと延びる頃、あきのの意識にも変化が生じる。常にその射程の内外にある物、全てに意識が向くようになっていた。
あそこにある鉛筆には届かない……こっちのチョークには届きそうだ……授業中でも構わず『気』を伸ばす。次第に意識していた射程は無意識に変わっていき、射程内での物の動きまで頭の中に入ってくるようになった。
研ぎ澄まされた無意識のレーダー、一撃必殺の『気』の刃、この二つの能力を合わせたものがあきのの抜天だ。
この能力が開花してから、あきのは集団の中心にいる事を好むようになった。出来るだけ周りの状況を把握しておきたい、というちょっとした行動が彼女にとって好転する。
いつも中心に居続けるという物理的なこの行動が、集団心理にも影響を与え始めたのだ。ひと月も経たないうちにクラスでも中心的な存在に成り、その立場があきのの性格や判断にも影響を与える。
剣道だけに打ち込んできた少女時代の貴重な時間が、あきのにとって大きく意味を持ったのだ。尚、あきのに好意を寄せる異性も少なくはなかったが、彼女が無意識に放つレーダーのような『気』が彼らの行動を躊躇させていた。
彼女の願望の一つ、『女性らしく見られたい』という部分は、彼女自身がつぶしていた事を知らない。




