▼ 第一章 ◆ プロローグ
「でんでらりゅうがーでてくるばってん!」
リビングで、ぼうっとしている兄ささはるに向かい四歳の妹みなが、突然唄を歌い始める。今年十六歳になる佐々良春<通称ささはる>は、歳の離れた妹の唄に耳を傾けた。最近、幼稚園で習ったばかりのお気に入りの唄らしい。ささはるがだまって聞いていると、みなは同じ節をもう一度繰り返す。
「でんでらりゅうがーでてくるばってん!」
狭くて小さくて幼い眉間に、精一杯の可愛い皺を寄せた彼女は、(その先を一緒に歌おうよ)と兄ささはるに無言の抗議を行っているのだった。ささはるは目の前のみなをたまらなく愛おしく想うと、優しく膝に抱え一緒に歌う。
「でんでられんけん、でーでこんけん、こんこられんけん、こられられんけん、こーんこん!」
声が重なった事がうれしいのか、きゃっきゃとはしゃぐみな。
年の離れた兄妹というのがどうにも照れくさい反面、その感情はかなりむき出しになる。
ささはるにとって妹のみなはすでに親のような視点で、大切に守るべき存在でもあった。
「他にはどんな唄が歌える?」
少しでもこの幼い妹と拙い会話を続けたくて、ささはるは簡単な質問を投げた。
「さいごまでうたえるのはこの唄だけー」
その時ささはるにふっと、ささやかな疑問が浮かんだ。この唄の短い節は、小さな子供が最初に覚えるにはうってつけなのだろう。ささはるにも覚えがあった。長崎で育った人間は最初にこの唄を覚える……が、それがどういう意味の唄なのか誰も疑問に思わず、ただ歌っている。他の唄に関しては、大きくなるにつれ次第に内容を理解していったが、この唄に関してはそういう事もない。おそらくこの唄を知るほとんどの人間が、内容を知らないままに歳を重ねているんではないだろうか?地域の童謡というのもいい加減なものだ、とささはるは思った。
でんでらりゅうがでてくるばってん、でんでられんけん、ででこんけん、こんこられんけん、こられられんけん、こんこん。
これは長崎県に伝わる不思議な唄の謎を探る物語。
そしてこの物語は古代中華のとある事件が起因となっていた。
中国史において絶大な人気を誇る三国時代。
三国志の一角をなす英雄、孫権、そして後の世で神となる関羽。
全ては孫権が敵対する関羽を捕縛し処刑した事から始まる。
孫権はいろいろな偶然と必然の結果、関羽を捕縛することに成功した。
呉の国にとっていちじるしく国益を損ねさせる敵国、蜀の将軍関羽。
今まで散々に苦汁を舐めた孫権は、その原因の一つでもある関羽に容赦はなかった。
敵国の将軍を引き換えとするならば交渉材料としては破格の価値がある。
しかし孫権は感情が先に立ち関羽を処刑するという安易な愉悦を選んだ。
将軍関羽を絶命に至らせた瞬間、孫権は満たされる。
今まで自分を苦しめた存在が自分の判断によっていともたやすく死んでしまうという事実が愉快でならなかった。
その結果、呉の王、孫権に厄災が降りかかる。
原因は関羽を処刑した事から始まった変死事件だ。
このところ、関羽の処刑に関わった人物が次々と死んでいく。
孫権と同じように関羽と敵対していた魏の王、曹操までもが変死にいたったとなれば、これは関羽の呪いと言うより他に無かった。
そして関羽の呪いの最終目標は、処刑を決行した孫権である。
若い頃、道志の呪いで兄を亡くした孫権は呪いと言うものを決して軽くは見ていない。
むしろ過敏に反応していた。
しかし入念に行われるお祓いもあまり意味をなさず、なんの効果もあげられなかった。
そこで孫権は神剣をもって関羽の霊を鎮めようと試みる。
大勢の配下に命じ、九振りの御神剣を作らせた。
御神剣を関羽の墓前に供えると、それまで続いた変死騒動は治まり、孫権はその後三十年以上たいした厄災にも見舞われる事なく天寿を全うする。
その後、呉の国が滅ぶまで九振りの御神剣は祭られ続けるが、亡国時の混乱により、所在不明となってしまう。
この九振りの御神剣の話は、伝説として現在でも中国に伝えられている。
その時造られた九振りの御神剣に、百錬という大振りな美しい剣があったとも記録には残っている。
刀身は青銅ではなく当時精製の難しかった鋼で出来ており、その洗練された美しさは見る者の眼を引きつけ離さなかったそうだ。