第7話「告……白?」
県大会から一夜明け、目覚めると暗い部屋のなかで金賞の喜びに浸っていた。
亡くなった母に捧げるつもりで演奏した『フラワー・クラウン』。
母には届いたのだろうか。
届いていてほしい。
琴音と遥斗が来ることは前々から聞いていた。
2人はさぞ当たり前に「どこにいるかわかった?」と訊いてきたが、観客席は暗すぎて見えるわけない。
おまけに集中しているのに観客を探している余裕など微塵もない。
琴音に
「バレーの試合中、人探してる余裕ないだろ」
と尋ねたら、
「いや、そもそも正面見ると大体2人ともいるから探す必要がない」
と言われた。
今日は少し探さないとわからない場所で見てようかな。
県で1番になったからと言って、インタビューのようなこともなければ、ある楽団から直接電話がかかってきてスカウトされるような夢は見られなかった。
忙しく今日も今日とて、今度は応援に「県大会」に行かなければならない。
琴音のバレーボールの試合。
遥斗と家の前で待ち合わせて、電車に乗って大きな体育館へと向かった。
駅へ向かう途中、遥斗には
「いつも応援来てくれてありがとうな。僕たちはなぜか遥斗の応援だけは行ったこと無いんだけど」
と冗談交じりに言った。
「それは……ごめんな。1人だけ何にも出来なくて」
遥斗は悲しげに返した。
個人的には可もなく不可もない人間の方が生活は安定すると思う。総合的に見ても幸福度は高いのではないか。
自慢ではないが学年一位を取り続けている身としては、たかが定期テストでも強いプレッシャーに煽られ、知人のなかには親や周りからの圧力に勉強する気も失せてしまうほどだと聞いた。
他人と違うことは時に良い効果をもたらすこともあれば、日本人が好む同調圧力によって自分の殻に閉じこもってしまうほど悪い効果をもたらすこともある。
他人と違うことは『個性』であって何も否定する材料にはならない。
夫のいない母はプロの音楽家。
この周辺の住宅街に見たこともない職業でもあり、攻撃の対象になった。
母が音楽で大事にした『個性』に苦しめられた時期があった。
それでも琴音や遥斗の両親がいてくれたから母は僕に音楽を与えてくれた。
電車の中に1人のギターを背負ったギャルのような女子高生を見て思った。
自分に好きなように生きて何が悪いんだろう。
個性は他人に迷惑を掛けているのか?
肩に重みを感じた。
遥斗の頭が僕の肩に寄りかかっていた。
長い長い電車旅もようやく半分くらいまで来て、揺れる車内でお茶が口から零れそうになった。
「ねぇ海、もし俺が君のことを好きだと言ったらどうする?」
一瞬思考が停止した。
何を訊いているんだ? どうした? と心の中で思うと同時に ・・・・・
えっ、もしかして遥斗ってそういう人だったの? という微かな疑問が浮かんだ。
真剣な瞳で見つめられ、これは冗談ではないのかもしれないと思わされる。
衝撃のあまり、僕は思わず口を滑らせた。
「遥斗は琴音と付き合ってるだろ」
やや冷たい言い方になったのがあとから自分でもわかった。
心の中には何かがモヤモヤっとわだかまっているように感じる。
この感情は何なんだ?
「――っと、海に付き合ってるってこと言ったけ?」
遥斗は不思議そうに首をかしげる。
頭の中をいくら探しても付き合っていることを僕に言った記憶はおそらく見つからないだろう。
だって、直接は聞いていないから。
でもいくらなんでも盗み見たということは言えない。
「たぶん言ったんじゃ無いかな? いつのことか忘れちゃったけど」
適当にごまかした。
いや、嘘をついた。
「そうか。じゃあ、これは言ってなかったってことだね。別れたって」
「……は?」
情報量が多い。
琴音と付き合ってから1ヶ月足らずで別れて、僕におかしな質問をして、遥斗は何を考えているのだろうか。
僕の口は自然と線路を脱線してスピードを上げて動いていた。
「なんで、なんで別れたの? 1ヶ月も経ってないよね? てか、デートなんて行ったこともないだろ」
「待て待て、落ち着け」
電車は徐々にブレーキが掛かり、完全に止まるとドアが勢いよく開いた。
車内から降りる人を待って、ホームにいる人が乗った。
遥斗はホームに掲げられている駅名の看板に目をやって慌てて立ち上がった。
「おい、海! ここで降りるぞ」
「えっ、ここ?」
ドアがギリギリ閉まる前に僕たちはホームに飛び出た。
少し遅ければドアに挟まれていたか、今頃電車から出られずに次の駅まで連れて行かれていたか。
後ろを振り返り動き出した電車を見ていると、ことごとく乗客と目が合った。
ギターを背負ったギャルとも。
個性豊かな人間は他人に迷惑を掛けることも少なからずあるのだ。
個性がなくても、人間なら誰かしら。
せっかく琴音がアタックを決めて決めて決めすぎたのに、全然試合に集中することが出来なかった。
遥斗の謎は謎のまま。聞きたいことは聞きそびれてしまった。
コートから目を離し、僕は隣に目をやる。
さっき言っていたことの本質はいったいどこにあるのだろうか。
そんなこと冗談で訊くはずがない人間だということはもう十何年も一緒にいればわかっていた。
でも遥斗が何を考えているのか、十何年一緒にいてもわかることはなかった。
お昼休憩、僕たちは試合終わりの琴音と体育館のロビーで待ち合わせて、ファミレスに行くことにした。
体育館の近くにあることは事前に調べてわかっていたが、道中一言もしゃべらず3人は歩道いっぱい横に並んで歩いていた。誰からともなく合わせることはなく歩調はぴったり合っていた。
ファミレスに着いても試合の内容を少し話すだけで特に交わす会話はなかった。
僕と遥斗の間には若干溝があるように感じ、琴音はなにかに緊張しているようだ。バレーの大会には慣れているようだけど。
メニューを開いていつものページを眺める。
「やっぱりオムライスかな」
「私も」
「俺も」
ここへ来ると3人とも毎回決まってオムライスを頼む。
無理に合わせているわけではない。なぜか合ってしまうのだ。
角の4人がけに座り、ワイワイ声が響く店内でうちの席だけがまるで切り取られたかのように静かだった。
横に遥斗が座り、目の前に琴音が座る。
いつもと変わらぬこの座席。日常がいま変わってしまいそうな、そんな予感がした。
店を出て、体育館へと来た道を戻っていたとき、後ろを歩く琴音に呼び止められた。
遥斗も後ろが止まった気配を感じ取り、後ろを振り返った。
「遥斗は先に戻ってて。海に話があるから」
そういう琴音の口調はいつもと違っておしとやかで元々の男勝りの性格から少女を感じた。
木の生い茂った公園に引きずりこまれ、人影の少ないとことで僕と琴音は向き合った。
「で、話ってなに?」
「そうね、いつ言おうかと迷っていたんだけど……」
琴音はもったいぶるように一呼吸置いてから、消え入るような声で僕に告ぐ。
「私、昔から海のことが好きだったみたい」
「……昔から? 好き、だった?」
状況が理解できず、ただ琴音の言葉を復唱した。
疑問が次から次へと浮かび上がってくる。
「琴音は遥斗と付き合ってたんじゃないのかよ」
朝、遥斗に掛けた問い。答えはYES、でも別れたと返ってきた。琴音もそう返した。2人して何を考えているのかわかったものじゃない。
「やっぱり見てたのか」
「やっぱり?」
神経質になっているのか、一言一言に突っかかる。やっぱりってことは何か裏があったのか。
「ごめん。嘘なの。あの告白も、付き合う流れも」
「嘘ってどういうことだよ」
「ほんとは付き合ってない」
遥斗が琴音を好きだという事実も、付き合っていた事実も実は嘘。
全ては僕のことが好きだった琴音のために遥斗と考え計画した。
あの告白のシーンは僕に振り向かせるためだと言った。
そして、遥斗は『幼馴染み』だと言い切った。それ以上でもそれ以下でもなく。
何が起こっているんだ?
馬鹿にされていたのか、僕は?
結局、どうすればいいのか?
何もかもがわからなくなった。
ただ1つ確実なのは、心の中で何かモヤモヤしているのとこみ上げる怒りのような感情。
「ちょっと考えさせて。今すごく混乱してるから、俺」
僕が『俺』と言ってしまうのは感情が不安定な時。
ポロッと出てしまうのだ。
草と草でかたどられた砂利の道を音を立てながら歩いて行く。
背中でも琴音が立ち尽くしてついてきていないのを感じ取った。
体育館からはボールが床をたたき付ける音が聞こえ、左手に見える海はザブンと音を立てて波を寄せる。
僕はしばらくこのどこまでも続く大海原をただひたすら眺めていた。