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音かい-OnKai-  作者: 森乃宮伊織
6/10

第6話 『最後の夏』

 部活動もいよいよ大詰めを迎えて、残すはあと県大会だけとなった。

 熱気の籠もる体育館の外では、大粒の雨が屋根を、地面を強く打ち付けている。

 私たちは体育館の床にバコンバコンとスパイクを強く打ち付ける。

 ボールに思いを込めて。


 藤咲琴音。

 ああ、美しい名前。

 ――じゃなくて、私にこの名前を与えてくれた父と母は、もともと娘には音楽をやらせたかったらしい。

 母はプロのピアニストになりたかったようだが、突然指が動かなくなる病気に襲われ、夢を諦めなければならなくなったと言う。ことあるごとに都度。もう何百回聞いたかわからない。

 父も音楽が好きでその関係の仕事に勤めているが、あまり仕事がうまくいっていないように見える。


 そんな音楽一家と言って良いのかわからない家庭で育った私が音楽の道に進まないことはないと思っていたのだが……。

 私はなぜこれほどまでバレーの練習に打ち込んでいるのだろう。

 自分でもわからない。

 ただ1つ自信を持って言えるのは、自分の好きなことを追求できる環境を与えてもらったこと。


 両親が与えてくれたのか、神様が与えてくれたのか、わからないけど。



 クラシック音楽が響き渡る小さな部屋の中。

 私の心は一瞬、この世に有って無いようなものに感じられた。

 ふと物思いに耽ると、ずっと浮遊した心はもとあるべき場所に帰ってこられなくなるのだ。

 いつも同じ。慣れない。

 緊張したとき、現実逃避のために本能が指示を出しているのかもしれない。

 ――あっ、だめだめ。また考えが始まっちゃう。

 私の県大会は明後日。時間はあるといえば、まだある。


 明日は海が所属する吹奏楽部のコンクールを遥斗と見に行くことになっていた。 


 県大会。


 あ~、緊張するぅ。

 海、足引っ張んなきゃいいけど。



 大きなホールに到着して驚く。

 地区大会の時はもっと小さなホールだったから今回もその程度かと思っていたが、流石県大会。規模が違う。

 中に入ってどこに座ろうかとあたりをキョロキョロ見回す。

 全席自由。

 通路と通路の間、つまり座席が一塊になったところと言えば良いのか、そこにはそれ1人・2人くらいしかおらず、席は選びたい放題だった。

 せっかくならど真ん中に座って聞こうと思ったが、さらに緊張して間違えられても困るので中心から少し右にずれた席に遥斗と隣り合って座った。

 

 5校の演奏が終わり、ようやく順番が次に回ってきた。

 前の学校の演奏が終わると同時に、舞台の袖からはうちの学校の制服を身にまとった吹奏楽部のメンバーが現れ、もちろんその中に海も含まれていた。

 手に銀色に光るフルートを大事に抱え椅子に座ると、大きく深呼吸をする海の姿が遠くからでもよく見えた。

 吹奏楽部顧問であり、音楽担当教師が一人ひとりと目を合わせ、準備が完了したことを軽く首を縦に振って合図する。

 いつもはのほほんとしているこの教師の真剣な姿を初めて見た。

 顧問の右手が真上にあがり、一斉に楽器を構える。

 指揮棒が下にさがると同時に、ホールの中には美しい音色が響き渡った。

 特に海が担当する銀色のあの楽器、フールトの優しい音色が。

 ゆっくりとしたこの出だし、可愛らしいメロディ、私の好きな感じ……。


 聞いたことがあった。


 花のような優しさと力強さが表れたこの曲。

 

『フラワー・クラウン』だ。



 海たちの演奏は何事もなく無事に終わった。

 場内に響く拍手はこれまでの出場校よりも大きかった。

 彼らの演奏に心振るわされた人が多くいたのだろう。

 私もその1人だった。

 隣に座る遥斗は目に熱い涙まで浮かべていた。

 遠くに目をやるとステージ上に立つ海の目にも光るものがあった。

 中学校最後の夏。


 海は県大会までのこの期間、必死に練習をしていた。日が暮れるまで学校で練習し、家に帰ってくると近所にはフルートの音色が流れ、小さい時に母と聴いた『フラワー・クラウン』を思い出させてくれた。

 そんな海が1番思いを届けたかったのはお母さんじゃないか

 

 

 海のお母さんは有名なフルート奏者だった、と母に聞いた。まだ小さかったから、ちゃんとは覚えていない。

 2人とも音楽好きで年も同じで大学で出会ったという。

 私たちが小学校に上がる少し前、海のお母さんは病気を患って亡くなった。

 シングルマザーだったこともあり1人になった海をうちと遥斗の家で見ていたが、「1人で生きるってお母さんと約束したんだ」と言って海は私の家を出て行った。

 海が手に持つフルートはお母さんが初めて買ってくれたものだと教えてくれた。

 私がうちに引き戻そうと説得しに行ったとき。

 そのとき、海は力強い瞳で私に言った。


「僕、お母さんぐらい上手にフルートを吹けるようになるんだ」って。


 希望でもなく、目標でもなく、願いでもない。

 そこには固い決意があった。


 それから長い年月が経ち、毎日欠かさずに練習に取り組む海の姿を見て、胸を張っておばさんに伝えることができるよ。


「絶対、立派なフルート奏者になるよ」と。


 舞台から下がる前、一瞬天を仰いだ海は袖で涙を拭い、優しく微笑んだ。



 全ての演奏が終わり、結果が発表された。

 金賞にうちの学校の名前が呼ばれ、私と遥斗の2人は跳ね上がって喜んだ。

 周りの観客は「まあ、そうだろうな」という反応を示し、悔しがるような素振りをする他校の父兄は見られなかった。

 敵までもを圧倒する音楽の力。

 やっぱり、私も音楽好きだな。

 そう思うと、私の手は勝手にフラワー・クラウンの運指を追っていた。

 私ももうちょっと頑張ろ。

 

 余韻に浸って、しばらく明日は私の県大会だということを忘れていた。

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