第3話「居残り補習」
夏休みが目と鼻の先まで迫り、教室内の空気はやや浮かれ気味だ。
酸素をふんだんに詰め込んだ風船でもぷかぷかと浮かびそう。
帰りのSHRで担任が話をする。これがまた長いので、せっかくなら睡眠に当てようとすると担任が怒り出す。だって「隙間時間は大切に」ってよく言うじゃん。
今日は珍しくチャイムが鳴る前に話終わった。
学級委員が挨拶をしようと立ち上がると、担任は何事か思いだし、取って付けたように話し始めた。
「来週からは夏休みだなぁ。校長の意向で今年は特に宿題を出さない」
教室内からは盛大な歓声があがる。
担任は「待て待て。静かにしろ」と。いや、先生が1番うるさい。
「だが、君たちは3年生だ。一筋縄でいくわけないだろ。この間のテストで学年最下位だったやつは補習だからな」
担任の言葉にクラスメイトが一斉に後ろを振り返り、私を凝視する。
私は12に向かって進む秒針を見つめ、きっかり重なるのを見届けた。
キーンコーンカーンコーン
はい、終わり。
で、なんだっけ。ああ、補習の話ね。
担任までもが私を見つめて言う。
「藤咲、今回も見事最下位だった。というわけで今日から補習な」
「今日から?」
「嫌だったら、夏休み学校来るか?」
「……いえ、今日、やらせていただきます」
「あと鈴木、お前残って教えてやれ」
「僕ですかぁ?」
先生役に海が指名された。
負けなしの実力者。の近くに私もいつもいるはずなのに一向に頭が良くならないのはなぜだろう。
周りからは「早く帰らせろ」「夏の大会前だぞ」「うわっ、これ漫画でよくある展開じゃん」と思い思いにヤジが飛んでくる。そういう関係じゃないし!
担任がまだ何か告げたそうだったが、私はもうわかったからと軽くあしらった。
生徒のほとんどが捌け、私――藤咲琴音――と鈴木海だけが残った。
担任がスーツから運動着に着替えてくると、
「俺は部活があるから、教卓のとこに乗っかってるプリント全部終わったら帰って良いぞ」
とだけ置いて、さっさと体育館へ向かった。
海は呆れつつ、教卓までプリントを取りに行ってくれる。やさしい。
そのうちに私は一度鞄にしまった筆箱を取り出し、ペンを用意する。
机を2つくっつけて向かい合って座る。
「面倒くさいからすぐ終わらせるぞ」
「はい、先生」
海の言葉に私は調子にのるように言った。
ざっと十数枚のプリントにパラパラと目を通すと、数学に国語、英語、理科など多種多様で国際色豊かな教科が揃っていた。
まあ平たく言えば全体的に勉強が出来ないということを意味するわけだけど。
社会だけは何とか出来る。私、歴女だから。
1番面倒くさい数学から取りかかろうと、2人で話し合って決めた。
呪文のように並ぶ数字を見て気分が下がる。
問題文的には「計算をしろ」と言われているようだけど、そもそも計算の仕方がわからない。足し算、引き算、かけ算、割り算、簡単な基礎はもちろん出来る。でも、分配法則とか結合法則って何よ!
「ねぇもしかして、ルートも問題出てる?」
「ん? もちろん出てるよ。ほら、ここに」
さらにやる気が失われる。
もうルートとか訳わからない。黄金比とか覚えられないし。
「数学やめよ。理科やろうよ、理科」
という私のわがままをすんなりと受け入れてくれる海に感謝しながら教えてくれているのに流石にひどいかなとも思う。
理科にも大体4種類に別れていて、私はそのなかでも特に科学・物理が苦手だった。
海は真面目に私がなぜ苦手意識を持っているのか、どういう部分で点数を落としているのか分析してくれたが、その分析結果は私の想像を絶し、考えたくもないものだった。
「やっぱり数字が苦手なんだよ。科学とか物理ってのは計算・数字が多く出てくるからね。慣れるしかないけど」
分析結果を基に私が今で出来ることは1つだと言う。
理科よりも数学を勉強するしかない。
体感で30分くらい経っただろうか。プリントは3分の1近くが終わった。
外はまだ明るい。あと1・2時間は太陽の光の下、元気に遊べそうだ。
窓から四角く切り取られた校庭ではサッカー部やテニス部が走り回っているのが見える。テニス部のそのうちに1人だけ走り回っていない人物の姿が目にとまる。
あれは……森川遥斗。
海とともに私の幼馴染みだ。
運動も勉強も真ん中ぐらい。
一方、今私の目の前にいる海は勉強がものすごく出来るが運動は苦手。
そしてこの私は勉強が大の苦手。
――全部足して3で割ればちょうど良いのになぁ
「……音、琴音」
ボーッと外の景色を眺めていて、海の声に気がつかなかった。
静かな教室内にはスパーンというテニス部の強烈なスマッシュの音だけが響いていた。
【音かい-OnKai-/第三話「居残り補習」】