最終話「永久不滅の音楽」
昨夜、抜かりなく閉めたと思ったカーテンの間を縫って、朝のまぶしい陽光が薄暗い部屋の中に差し込んできた。
気だるい体を起こすが、力尽きてもう一度ベッドに倒れ込む。
次に目を覚ましたとき、目の前には夢かと見間違えるほどの絶世の美少女が立っていた。
「おはよう」
「ああ、おはよう」
僕の名前は鈴木海。
昨夜暑いと思って開けていた窓からは放射冷却で冷やされた風が室内に侵入していて軽く掛けていたブランケットを頭まで引っ張り上げる。
しかしすぐにそのブランケットも引っ剥がされた。
「紅葉狩りに行こう」
「……は?」
寝起き早々の頭にそんなことを言われても困る。
せっかくの休みなんだから家でゴロゴロ寝てた方が良いんじゃないか?
「いいからいいから、早く行くよ」
と琴音はしつこく、ついには無理矢理起こされた。
まだ完全には開ききっていない目を擦りながら床に足をつくと、フローリングの冷たさに驚いた。
しかたなく下まで行き、とりあえず朝食を食べる。
リビングと廊下が分けられた扉を開くと、そこには見知った男がいた。
「遥斗、お前そこで何してんだよ」
「いや、琴音が朝ご飯食べてけって」
「お前らの家じゃねーし」
「怒んないでよ、海」
「怒ってねーよ」
朝から知らぬ間に誰かが上がりこんでいる恐怖を知ってほしい。
勝手に人んちに上がりこむのはヤバいぞと言ったら、人んちじゃない俺んちも同然と返された。
あいつらどういう神経してんだ?
朝食は琴音がすでに用意してくれていた。
白米に味噌汁、焼き鮭の切り身、海苔も出ている。
何ともTHE・日本の朝ご飯というメニューだ。
琴音は僕がパンよりご飯派だってことを覚えていてくれている。
確か、一緒に朝ご飯を食べたのなんて幼稚園とかのお泊まりしてた頃の話なのに。
僕がいただきますを言ったときにちょうど遥斗がごちそうさまを言い、少し笑いが起こった。
いつもは1人の朝食もみんなで楽しく食べるとさらに美味しい。
いや、単に琴音の料理が上手なだけかもしれないが。
食事中も不思議なことに会話が途切れず、遥斗と琴音は推しについて語り合っている。
僕には正直よくわからない。
「笑顔が1番かわいいの」
「琴音はわかってないな。数式解いているときのあの真剣な目つきがいいだろ」
なんの話してんだ?
数式、推しに関係あるか?
というか、推しって誰の話をしてるんだ?
「「海はどっちだと思う⁉」」
そう聞かれてもわかんないだろ。
どうすればそれだけで話が理解できると思ったんだ?
「ちょっと待って。さっきから何の話をしてるの?」
「え? 海のどこが1番キュンとするかって議論」
2人とも「他になにかある?」と訴えかけるような目つきで小首をかしげる。
もともと2人が恐ろしいのは知っていたが、さらに身震いしてきた。
問題解いているときもそんなに見られてたのか。もはや監視されてるじゃん。
ふと茶碗の中を覗き込むと山のように盛ってあった白米は空っぽになくなっていた。
会話に聞き耳立てているのに夢中で自動的に動かす手には意識がいっていなかったようだ。
琴音は僕が食べ終わったのに気がつきおかわりの有無を尋ねたが、僕は「大丈夫、ありがと」と言った。
「ほらほら早く準備して行くよ」
どうやら朝起こされたときに言っていた紅葉狩りは本当らしく、支度を催促された。
琴音はお弁当をリュックサックに詰め、ブルーシートまで準備し、どこに行くのだろうと思いながらついてきた。
家の前のまっすぐな道路をいつも学校に行くように進んでいき、交差点で曲がる。
見えてきた赤やオレンジ色をした林の中は公園になっている。
琴音は先陣を切って公園に突撃していく。
芝生が広がる広場に適当な場所を見つけ、シートを敷く。
幸い、他に人がいなかったのでいくらワイワイ騒いでも恥ずかしくない。
青い芝生に寝転がり、空を見上げた。
視界には大きな木々から伸びる枝が入り込み、その先には無数の赤く色づいた葉がついている。
それはここらでは数えられないほどの枚数。
心地良い風が体に吹き付け、細い枝を揺らした。
右の方では一枚の葉がひらひらとゆっくり落ちていく。
枝についている状態なら美しい葉も落ちてしまえばただの落ち葉。
人々からは掃除が面倒くさいと思われるだけ。
1つの生命の生と死を感じる。
僕もあんなふうにひらひらと死んでいくのだろうか。
それともストンと?
考えても考えても答えが出ない問いと向き合えるくらい、今日の僕の心は穏やかにすっきりしていた。
琴音がリュックサックの中身を漁り、お菓子を取り出した。
ビスコ。
小さい頃が好きな味。
3人とも同じだった。
それはよく遊んだときに琴音の親も遥斗の親もそして僕の親もことごとくビスコをおやつに出していたからだ。
乳酸菌と栄養を補給して遥斗が立ち上がる。
「向こうの木までグリコやるぞ!」
僕たちは他の遊びを知らないのかというくらいグリコをして遊んできた。
それは僕たちの絆をつくり、赤い糸で結ぶかのように。
『栄養は愛だ』
ビスコのキャッチコピー。
でも僕はここから生まれる愛が絆が生きる栄養になるのだ、そう思った。
銀色の袋を開け、1つ口に放り込む。
ビスケットとクリームの味が広がる。
口の中がちょっとずつ乾いてくるのも特徴。
時間は刻一刻と過ぎていった。
「海、ちょっと『フラワー・クラウン』吹いてくれない?」
琴音が言った。
よく覚えているなと感心した。他のことはなかなか覚えないくせに。
家を出る前、フルート持って行こうと言われたときはなぜだろうと頭の中にハテナが浮かんだが、今ならわかる。
この景色の中で吹くフラワー・クラウンも、聞くフラワー・クラウンもどっちも最高。
リッププレートに唇を当てて、息を吹き込むと最初の1音が公園の木々の間に響いた。
それから指は勝手に動き始め、楽譜がなくても楽譜通りに音を奏でた。
雲1つない青空の下、風で枝が揺れ、葉が触れあう音が聞こえてくる。
それを上回るフルートの優しい音が耳に入る。
僕は夢中になって指を動かす。
頭はもう何も考えていない。
心地良すぎて瞑っていた目をパッと開くと隣にあったはずの琴音と遥斗の姿はない。
それでも指が止まることはなかった。
しばらくして琴音と遥斗が帰ってきた。
手には花を持っているのか?
小さい時の記憶が戻ってくる。
あれは花で作った冠だ。
『フラワー・クラウン』
母が作り方も意味も教えてくれた。
これは「永遠の幸せ」を意味するんだよ、と。
終わりのない永久不滅の幸せ。
形はいびつでも自分たちの幸せを3人で手に入れようと誓ったのだった。
<完>




