火傷悪女、令嬢となりて、愛を燃やす【炎の悪役令嬢―2―】
――――悪を焼くその炎は、自らにも燃え移る。薔薇の香りのする煙の中から、怪物が現れる。
(フライフェイス寓話集:第五版 『怪物』の章、改版追記部分より)
「お前との婚約は破棄だ!レティシア!!」
謁見の間、朝議の場。
そこに一人の男が乱入し、悲鳴のような声を上げました。
思わず……笑みがこぼれてしまいます。
口元は隠したので、見られなかったとは思いますが。
――――ふふ。思ったより早く来ましたね。宰相閣下。
しかし、最初の一言目が婚約破棄、とは。
どうも私のしっぽ、掴めなかったようですね?
せっかくいろいろ、お手紙で教えて差し上げたのに。
宰相との婚約が、私の立場をつないでいると。
本気でそう思っているのでしょうか?
意外に可愛らしいところがありますね?私の趣味ではありませんが。
「あらひどい。わたくしはこんなにも、あなたをお慕いしておりますのに」
ごめんなさい、嘘です。
お前はただただ、気持ち悪い。
「嘘をつけ魔女め!
アイザックにも、ジオルドにも、ゴードンにも!
サイラスにだって!同じことを言っているのだろう!?」
何を言い出すかと思えば。
今更その三人の名をあげるのですか?薄情者。
それに……まだ12のあなたの従弟を疑うのは、よくありませんわね?閣下。
別に血など繋がっていないから、躊躇いなどないのかしら。
しかし……ふふ。
この期に及んで、嫉妬か何かですか?それは。
掴めなかったどころか、まだ確信すら持てていないのですね。
なまじ頭が回るだけに、何もかもわからなくなっているのかも、しれませんが。
この悪女を犯人だと断定できないのは、どういう心境なのでしょう。
「宰相閣下。朝議の場です。お控えください」
国王陛下の脇に控えていた女性が、前に出て諫めます。
しかし。
「黙れエリーナ!王を傀儡にする阿婆擦れめッ!!」
「何を根拠にそのような。如何に宰相閣下と言えど、無礼が過ぎます」
王太后であらせられるエリーナ様が咎めますが、まるで聞いておられないご様子。
宰相はエリーナ様を押しのけ、まだ幼き国王陛下に迫ります。
「サイラス!お前は騙されてるんだ、私とともに……おい、何をする!?」
「宰相閣下!おやめください!」
「宰相はご乱心だ、取り押さえろ!」
幾人かが、彼を引き留めにかかりました。
衛兵も出て来て。
宰相ロンメルは、国王陛下に手を伸ばし――
「サイラス……サイラス。お前の味方は私だけだ、信じて、信じてくれ」
陛下は怯えたお顔を見せています。
なるほど。サイラス陛下が、残された拠り所なのですね。
ですが。
国王陛下は、キッとロンメル宰相を見返して。
「お前が信じられるかどうかは――この場の話をもって決める」
「そん、な」
決然と告げられた言葉に、宰相の体から力が抜け、膝が折れました。
残念。そこはもう、根回し済みです。
話……ただの令嬢たる私がこの場にいるのは、それが理由。
全部語れば、きっと長い話になるでしょう。
しかし簡潔に、明瞭に。事実を突き出さねばなりません。
私の5年に渡る歳月の、終幕に相応しくなるように。
一人密かに瞠目し、忙しない日々を振り返る――――。
◇ ◇ ◇
わたしの名前は、ローズミスト。
王国の南にある、小さな町に住んでいます。
住んでいるところは、町の中心からははなれていて。
「お父さんは、何をよんでいるの?」
お父さんとお母さん、そして私の三人で暮らしています。
お父さんもお母さんも、髪が真っ白で。
ちょっと、体を動かすのが、大変だそうなのだけど。
それでも、不便な場所で暮らしています。
もっと町の中の方が、住みやすいと思うのだけど。
ダメ、なんだって。なんでだろう。
町中なら、もっと私も遊びにいけるのに。
お父さんとお母さんは、大好きだけど。
友達と毎日遊べないのは、ちょっと不満。
でも、私もそろそろ、レディになる。我慢しなくちゃ。
大人の仲間入りは、まだ先だけど。
お手伝いくらいは、もうしてるの。勉強だって頑張ってるんだから。
けど、お父さんが読んでる本は、まだちょっと難しい。
「新しい魔物図鑑だよ」
…………お父さんは、魔物――モンスターがすき。
いろいろ調べてて、とても詳しい。
なのにまた新しい図鑑買ったの?いいのかなぁ。
ご本って、高いんじゃなかったっけ?
「スライムについては、何か改版されてる?」
「お母さん!」
奥から出てきたのは、私のお母さん。
髪真っ白だけど、とっても美人。
しわが増えてきたっていうんだけど、素敵だと思うな。
もう50歳になってるの。
もちろん、ちゃんと私の本当のお母さんよ?
その年だと、子どもを産むのは大変だって、聞いたことあるけど。
「いや。そもそも、あなた以上に詳しい人など、いないでしょう」
「そんなことはありません。きっとどこかで、また新しい発見がなされています」
私もお父さんと同じ意見。
お母さん以上に、スライムに詳しい人なんて、いないと思う。
お母さんは、スライムがすき。
いろんなところからとってきたり、育てたり?してるみたい。
「お母さんは何してたの?」
「ふふ。相変わらず、何でも聞いてくれるのね。偉いわミスト」
褒められた。
疑問に思うことは大事だって、お母さんいつも言ってるもの。
私、お母さんみたいになりたいから、頑張ってるの。
「もう少しなのよ。合成がうまく行きそうで……。
そうね。新しいスライムを作ろうとしてる、のよ」
「新しいの!どんなの?」
「お話できるといいな、って思ったの」
「すてき!」
「そうでしょうそうでしょう」
頭を優しく撫でられた。
えへへ。
「お話、できたら……友達に、なれるかな?」
何か、お父さんとお母さんが、びっくりしてる。
「……いいわね。ぜひ、そうして。ミスト」
「うん!あ、他の友達とも……」
「それはやるなら、ゆっくりね。
モンスターだから、びっくりさせちゃう」
「そうかぁ。スライム、かわいいのに」
どのスライムも、綺麗で、とっても手触りがいいの。
直接触っちゃいけない子もいるけど。
宝石みたい。ううん、もっときれい。
また撫でられた。
お母さんの手は、ごつごつしてるけど。
優しくて、すき。
「さて。僕はちょっと出かけてくるよ」
「お父さん、どこか行くの?」
「言っておいただろう。しばらく家を空けるからって」
そうだった。忘れてた。
私、お母さんと何日か二人っきりみたい。
……その間、お母さんと一緒に寝られないかな。だめかな。
「手がかりは掴めそう?」
「まだなんとも。ただ、南じゃないかもしれない」
「範囲を広げたいけど、難しいわね……」
「火急の動きはなさそうだ。ゆっくりやるよ」
「最近、貴族令息が町によく来てると聞くけど」
「……関係がある、か?確かに気になる。調べておく」
「よろしく。家と……ミストは任せて」
何か真剣なお話をしてる。
お父さんは、本当にしばらく旅に出るのか、いろいろ準備を始めた。
「今日は昼に荷馬車が街まで出るはずだ。それで行くよ。
っと……ミスト、友達が来たみたいだよ?」
お父さんが、窓の外を見てる。
「町に行くのはいいけど、遅くなる前に帰るのよ?」
「うん、お母さん!」
「ミスティ、いますか?」
開いてる玄関からの声は、ヴァンだ!
男の子だけど、仲良し。
優しくて……ちょっと、すてきな子。
小さい頃から一緒で。
私のことは、「ミスティ」って呼ぶ。
「「いってらっしゃい」」
二人が、笑顔で私を見送ってくれる。
夫婦そろって薄く火傷跡が残る、素敵な笑顔。
私は……だいすき。
「行ってきます!」
◇ ◇ ◇
ヴァンと二人で、町へ。
何かあるってわけじゃないけど。
それでも、行くと何かあって、楽しい。
あれ?
町の入り口に、馬車が止まってる。
荷馬車じゃなくて、人を乗せるやつ。
ちょっと豪華。
「ヴァン、なにあれ」
「あれ?ミストは知らないんだっけ。
ここのところ、週に一度くらい来るんだよ。
貴族のとこの子たち。子っていっても、僕らより年上だけど」
「へー」
「王子様もいるらしいよ?」
「ほー」
「……興味なさそうだね?」
「私はお嬢様じゃないし、お貴族様は知らない」
降りて来たのは、三人。
確かに良い服着てるんだけど。
私はああいうの、趣味じゃないなぁ。
そういえばさっき、お父さんとお母さんが何か言ってたような?
「ミスティは、礼儀作法ができるし、ひょっとしたらお嬢様なんじゃないの?」
「まさかぁ。それなら家名?とかあるんじゃないの?」
「そうだねぇ」
お母さんもお父さんも、礼儀作法を知ってて。
何かの役に立つかも、って教えてくれた。
私も楽しんでやったせいか、ちゃんと身についてる。
カーテシーだってできるの。ちょっと自慢できるくらい、綺麗なんだから。
でもそれより、そろそろお仕事を覚えなきゃ。
お料理や畑仕事は手伝ってるけど、まだ自分一人じゃできないもの。
10歳になるんだから、しっかりしなきゃ。
あ、ヴァンは二つ上だから、12歳。
背も高くて、大人っぽい。
年上だけれど、私のことを子ども扱いしないで、ちゃんと一緒に遊んでくれるし。
そういうとこ、年上だから、なのかなぁ?すごいなぁ。
私、年下の子とはあんまり仲良くできない。ヴァンはすごい。
「あれ?ハンスが出迎えると思ったけど、来てないな」
「ハンスってだれ?」
「ミストは知らないんだっけ?町長のとこの子。
子ったって、やっぱり僕らより年上だけど。
あのお貴族様たちと、いつも一緒なんだよ」
「ほほー」
あんまり年上だと、一緒に遊んだりはしないし、会わない。
町長さんは何年か前に別の街から来た人で、私はあんまり顔も知らない。
ハンスって子は、会ったこともないなぁ。
「……ほんとに興味ないんだね」
「だって、知らないし。
どんな子なの?」
「えっと、説明が難しい……」
「絵でかいてくれればいいのに」
「…………僕、絵が全然ダメだって、知ってるだろミスティ」
そうだった。ヴァンはいろんなことができるけど、絵はだめ。
字はかけて、しかも綺麗なのに、絵は何かいてるのかわかんないものばっかり。
虫をかいてるのかとおもったら、私だったことがある。失礼しちゃう。
「んー……馬車とか邪魔だし、向こうからいこ?」
「ん。そうしようか」
馬車と王子?とか、大人たちが道塞いでるし。
全然どかないんだもの。
二人で、別のとこに向かって歩き出す。
それにしても……あの人たち。何を配ってたんだろう?
草?粉?みたいな。
お父さんやお母さんなら、何か知ってるかなぁ。
◇ ◇ ◇
その日の帰り道は……忘れたいけど、忘れられない。
気が付いたら、夜で。
なんで気づかなかったのかと思ったら、外が明るくて。
なんで明るいのかと思ったら、いろんなところが、燃えてて。
ヴァンのおうちにいたんだけど。
突然窓から、火の玉?が投げ込まれて。
おじさんとおばさんは、慌てて火を消しにかかって。
私はヴァンに連れられて、勝手口から出た。
地獄ってものがあるなら、たぶん、そこだったと思う。
パン焼きのゾットさんが、奥さんに首を絞められてて。
町の兵士をやってる、コロさんとカロさんが、お互いを剣で刺し合ってる。
あれは町長さんじゃないかな?女の人に……何をしてるんだろう?
みんなみんな、苦しそうなのに、とても楽しそうで。
家々に火を投げ込んでる人も何人もいて。
だいたいの人は、服を脱いで。裸で。
笑い声や悲鳴が、たくさん聞こえる。
……気持ち悪い。
「ミスティ!」
ヴァンが私の肩を掴んだ。
ちょっと痛い。
「家に戻るんだ!」
そうだ、お母さん!
「ヴァンは」
「僕は詰め所を見てくる!」
「っ、でも」
「大丈夫。後で……そっちに行くよ」
「うん……わかった」
もっと何か言いたかったけど、何も言えなかった。
よくわからないことばかりで、頭がおかしくなりそうだった。
何より、甘い、匂いがずっとしてて。
くらくらしてくる頭を振って、駆けだした。
涙があふれてくる。
煙が、目に入ったからかもしれない。
町の入り口まできたところで――あの馬車に乗り込む三人の男の子を見た。
思わず、駆け寄って。
一番豪華な服を着てる人に、しがみついて。
「助けて!!みんな、みんなが……あっ!?」
振り払われて、転んだ。
「薄汚い。ジオルド、子どもには効かんのか?」
「らしいですね。おい、アイザック」
「俺がやるんです?」
「ロンメルにやらせるわけにはいかないし、俺は体を動かすのは苦手だ」
――――!殺される!?
近寄ってくる男の気配に、体が反応してくれた。
私は必死で体を起こし、町の外に逃げ出した。
「チィ!」
「捨て置け。それより出るぞ――――」
遠くにそんな声が、聞こえた、気がして。
私は走った。
かけっこなら、ヴァンより得意だ。
早く、早く家に戻らなきゃ!
ここは地獄で。
あいつらは悪魔だ!
お母さん!お父さん!ヴァン!
みんな、無事でいて!!
◇ ◇ ◇
家であったことは、ほとんど覚えていない。
扉を開けて飛び込んだら、後ろから殴られて。
甘くない、目の覚めるような匂いが、して。
たくさんの、知らない男たち。
血だらけのお母さんが、私を抱きしめて。
何か、爆発して。
目も見えなくなって、音も聞こえなくなって。
冷たくなるお母さんの下で、私の体が、燃えて。
聞こえないのに、誰かの声が聞こえて――――
◇ ◇ ◇
……苦しい。重い。
それに、体が、熱い。ひりひりする。
あとなんだろう。さっきも感じたような気がする、この鮮烈な匂いは。
遠くで、雨が降ってるような気がする。
重いものが……どけられなくて。
なんとか、這い出す。
辺りを見渡して……家からすぐ近くのところ、みたい、だけど。
…………家が、ない。
黒こげの、柱が、少しあるだけで。
「お母さん!お母さん!!」
叫ぶけど、自分の声が遠い。
耳が、聞こえ辛いみたい。
起き上がって、黒焦げの家の跡に近づこうとして。
それに躓いて、もつれて転んだ。
体を起こして、まだあまり見えない目で、見る。
「ヴァン!?」
顔にやけど、してるけど。
血が、おなかからでてるけど。
ヴァン、だ。
這いずり寄って、体を仰向けにして。
おなかから、まだ血が出てる。
抑えても、吹き出してくる。雨で流れちゃう!
「ヴァン、しっかりして!ヴァン!」
彼の瞼が、震えてる。
その唇が、真っ青で。
顔が、とても白くて。
血が、止まってくれない。
なのに息が、止まり、そうで。
「そうだ、スライム!
傷を治すスライムがあるって!」
振り向いた私の目に、再び映る廃屋。
床まで黒焦げで。
こんなの、何か残ってるわけ、ない。
「そん、な」
目の前が、歪む。
雨が入ったのか。
泣いてるのか、わからない。
「たす、けて」
なんでも、するから。
わたしは、いいから。
「だれか、ヴァンを、たすけて!!」
自分では、叫んだつもりの声は。
たぶん、雨でほとんど響いてなくて。
それでも――――黒焦げの床下いた何かが、私の声を聞き遂げた。
その日。
私は、この世のものとは思えない、美しい悪魔に。
魂を売った。
◇ ◇ ◇
焼け跡から掘り出せたものは、少なかった。
いくつかの、小瓶。
奇跡的に読める状態で残った、何冊かの本。
黒焦げの死体たち。
一つは……お母さん。
お母さんの、お墓を作って、埋めて。
町の様子を見に行ったら……ひどい匂いだった。
甘い匂い。焦げた匂い。何かの……焼けた匂い。
誰一人、生きていなかった。
使えるものを、できるだけ、掘り出して。
町を、出ることにした。
ここにはもう、何もない。
――――っ。
こんなの!あんまりだ!!
町の人が!ヴァンが!お母さんが!
何をしたって言うんだ!!
……涙を、拭う。
そのまま伝うと、顔が痛い。
「行こう」
二つ、頷く姿を見て。
歩き始めた。
◇ ◇ ◇
スライムはモンスターだけど、ほとんど人を襲うことはない。
少し変わってて、そして便利な道具のように使うことができる。
私の火傷はひどいもので。
いくつかのスライムで、それを何とか誤魔化した。
ヒールスライムという、傷を癒す粘液も……あった。
焼け跡、たぶん台所の床下に、いくつか瓶が隠してあった。
あの時!もっと私がしっかりしていれば!ヴァンは!!
…………とにかくそれで、動くのに支障があるところは、治した。
顔の分は、足りなかった。
だからハートスライムを使った。
記憶や想いを食べ、形や色を変えるという、スライム。
顔は確かに、誤魔化せた。
……でも綺麗に見える顔――仮面の、下が。とても痛い。傷が、疼く。
残りのスライムは少ない。
特定の物を食するもの。
かけ合わせて特殊な効果を発揮するもの。
非常に危険なもの。
一通り整理して。
少し、生きて行く道筋がついたころ。
私は、奴らのことを知った。
このオレウス王国で、北に領地を持つゴットン子爵の令息、アイザック。
東の辺境伯であるカサーゴ伯爵の令息、ジオルド。
そして――王国の非常に若い宰相、ロンメル。王族でも、あるらしい。
それから……顔と名前はわからないが、もう一人、いる。
ヴァンはたぶん、私を燃える家から助けた後に、襲われた。
彼を刺した者が、いる。
否、彼だけじゃない。
町から外れたところに住む、私やお母さんを。
奴はわざわざ、殺しに来たんだ!あの町での悪事を!もみ消すために!!
……私の家で燃え尽きた賊らと違い、そいつは生きているはずだ。
あの地獄を作ったのは、奴ら四人。
…………顔の火傷が、疼く。炎のように、熱くなる。
だけど、私は10にも満たない子ども。
女で、力も弱い。ナイフもまともに振るえない。
武器はこの……スライムだけ。
そして相手は、有力貴族。
勝てる見込みは、ない。
――――あの美しい悪魔の姿が、脳裏に閃く。
…………もう一つ、ある。
鏡の中の、自分を見る。
淑やかに、礼をとる。
これ、だ。
貴族である奴らと正面から戦える、私の武器。
これを磨き抜こう。たくさん準備しよう。
そうして。
あの狂奔の夜のように。
薄皮一枚下の、奴らの醜い本性を!
この私が!暴きだしてやる!!
◇ ◇ ◇
「よく似合うね、レティシア」
「ありがとうございます。おじ様」
「お父さまとは、呼んでくれないのかい?」
「まだ慣れなくて……お父さま」
ふふ……おじ様って呼ばれるの、お好きなのでしょう?
会心の愛想笑いを浮かべるわたくしは、今12歳。
晴れてゴットン子爵家令嬢となった、わたくし。
「あれ、レティシア。もうこっちに来てたのかい?」
む――――もしかして。
まだ、連携が甘いかもしれませんね。
気をつけないと。
「ふふ。気が逸ってしまいまして。
アイザックお兄さま、とてもすてきです」
優雅な所作に全神経を費やし。
男の思う「かわいらしさ」を振りまき。
とびっきりの笑顔と、少し染めた頬と、僅かに潤んだ瞳を見せる。
まだ幼いながらも、早くも体型に恵まれ始めている、わたくし。
少し肌の出るドレスを着てやると、視線は集め放題です。
「あ、ああ。君もとても素敵だ、レティシア。
俺の自慢の妹だよ」
その正装は全然似合っておりませんけどね?アイザック様。
反吐が出ます。
あなたの血のつながらない子爵様とは、大違いですね。
そのゴットン子爵も、小悪党です。
領にも屋敷にも、あまりガラのよくない方が出入りしています。
……仔細の調べはつきましたし、ここにはそろそろ、用がありませんね。
密かに、不定な輩や間者の皆様に、この国から永劫去っていただくのも、そろそろすべて終わります。
直、次に進めるとしましょう。
ここにいると……仮面の下が、疼いて仕方がありません。
◇ ◇ ◇
馬車に乗って出向いた先は、夜会の場。
大きな場ではありませんが、今回は――わたくしのお披露目です。
それも。
「レティシア!ああ、今日も一段と美しい」
オレウス王国宰相閣下の婚約者として。
しかし、まだ12の小娘にそのような言葉を吐くとは。
少々趣味がお悪いのではなくて?ロンメル様。
馬車から降りるわたくしの手を引くのは、若き宰相、ロンメル閣下。
まだ10代なのに、幼い国王陛下の縁戚として、その補佐を務めておいでです。
頭脳明晰、容姿端麗。礼にも明るく、完璧な人。
…………何が縁戚でしょうね。
サイラス国王陛下は、まだ9歳。先王サラン様が、遅くに恵まれた唯一の子。
サラン様は数年前にお亡くなりになり、まだ若い王太后エリーナ様と、サイラス様が遺されました。
他に王の血筋もなく、ひとまずサイラス様を王位につけたものの、貴族の専横が続き。
そんな折、サラン様の兄、ローンズ様の忘れ形見だというロンメル様が現れたのです。
外国に出されていたという彼を、幾人かの大貴族が覚えており。
結局、王位にはつけられないものの、補佐を任せるということで。
長く空職であった宰相に、ロンメル様が就いたのです。
ロンメル様とエリーナ様が支えることで、現王政権は成り立っています。
…………ふふ。
なんて馬鹿な話。茶番ですね。
ローンズ様にお子がいた?あり得ませんのに。滑稽です。
まぁ、良いのです。今はそのようなことは。
重要なのは、そうして宰相職にあるロンメル様が、わたくしを見初めたということ。
さる貴族家に侍従として潜り込み。
夜会で働いていたわたくしに、彼は惚れ込みました。
何度も通い詰めた挙句。
わたくしを正式に迎えたいと、情熱的に迫り。
ついぞ、子爵家にわたくしを押し込んでしまわれました。
もちろん、わたくしが少々、強めに惑わしたのです。
さりげなく目を引き、目が離せなくなるように。
頭の良い彼だからわかる、誘惑を散りばめさせながら。
彼はあっという間に、わたくしに夢中になりました。
今もなお、良い夢が見れているようで、何よりです。宰相閣下。
悍ましい。
「ロンメル様も……あら。それはわたくしがお送りした」
「早速、つけさせてもらっているよ」
「よくお似合いです」
大したネックレスではないのですけど。まぁ似合ってはおりますね。
贈り物くらいは、きちんとしますとも。それで歓心を得られるのであれば。
その醜い心をわたくしに繋ぎとめるのが、今のわたくしの仕事ですから。
……早く辞めたくてたまりません。
「君も、その髪飾りはよく似合っているね?レティシア」
「まぁ、ジオルド様!……ふふ。頂いたからには、お見せしなくては」
横合いから現れたのは、カサーゴ伯爵のご令息、ジオルド様。
少しわたくしと、距離が近いです。
「おい、ジオルド。レティシアは私の妻になる人だぞ」
「閣下、お心はとても嬉しゅうございます。
しかしわたくしは、あなたのために美しくありたいのです。
ジグルド様は、そんなわたくしの願いに、お力添えくださっただけですわ」
「だが仕事に現を抜かしているようなら、また俺が贈り物をしてしまうからな?ロンメル」
「ふん。そのうち押し付けてやるとも」
ふふ……気持ち悪い争いです。
「失礼、ロンメル様。レティシア」
アイザック様がロンメル様から、わたくしの手を取って。
「エスコートは、親族たる僕の役目です」
お二人が、しょうがないというように肩を竦めていらっしゃいます。
今日が婚約発表。ですから、そこまではアイザック様がわたくしの手を引くわけです。
それ以降は、ロンメル様が。
……一人で歩きたい。汚らわしい。
「ロンメル様。後程。
ジグルド様も、ありがとうございました」
ロンメル様とジオルド様が、連れだって先にお屋敷に入って行かれました。
今日はジオルド様のお父上、カサーゴ伯爵主催の会です。
宰相閣下たるロンメル様には、いくつか懇意にされている貴族家があり。
そのうちの一つがカサーゴ家。ゴットン家もそうです。
政策やお仕事の都合で、お関わり合いが深いのだとか。
……薄汚い繋がりですこと。
仮初の兄に手を引かれ。
わたくしも屋敷の扉を潜ります。
仕事の時間です。
作法で、踊りで、会話で、わたしくしの美しさを見せつけ、男女問わず魅了する。
闇で燻る小さな炎を、この悍ましい国に広めるために。
◇ ◇ ◇
お披露目から、しばらくして。
夜。ゴットン邸の廊下を行き。
一つの扉を前にします。
扉を開けると。
ベッドに裸の男女が。
……数年前は、何してるかわからなかったのですよね。わたくし。
ふふ。汚らわしい。
「レティシア!?」
「あら、そちらはいつぞやの夜会でお会いした、カサーゴ伯爵様のご婦人では?」
「「っ!?」」
二人が、息を呑む。
「レティシア、妻には……メイリアには」
「わたくしはお父さまの娘。信じております。
ゆえ、わたくしは何も言いません」
ゴットン子爵は、だいぶご安心なされたようですが。
わたくしが道を譲ると、廊下から男性が寝室に入っていきました。
「わたくしは、案内をお願いされただけですので。
では、失礼いたします」
礼をし、辞する。
「か、カサーゴ伯!?」
「あなた、これは!違う、違うのです!!」
おそらく怒りに震えるカサーゴ伯爵には、何も聞こえていないことでしょう。
鈍い……音がします。
扉を閉め。
青い顔をしている侍従には、他言無用と言い含め。
「レティシア!?これは、これは一体!」
アイザックお兄さまが、詰め寄ってきて、わたくしの肩をゆすります。
「お兄さま、痛みます」
「なぜ、なぜ父がこんな!どうして」
わたくしとアイザック様の間に、また別の男性が割り込んで、引き剥がしてくれました。
「ジオルド様……」
「もう大丈夫だ、レティシア」
さっと彼の影に隠れ、背中に寄り添います。
さりげなく、体を少し押し当てて。
…………鼻の下を伸ばした後で真面目な顔をしては、台無しですよ?ジオルド様。
「抑えろアイザック。レティシアが痛がっている」
「ジオルド!どういうことなんだこ――うぐ」
詰め寄られたからって、襟首を持たなくても。ジオルド様。
仮にもその方、わたくしの兄ですので。加減してあげてくださいまし。
……とても滑稽だとは思いますが。
「お前の品性のない親父殿が、不貞を働いたってことだよ」
――――カサーゴはお怒りだ。お前のところはおしまいだな。
小声でつぶやくなら、もう少し声を落とせばよろしいですのに、ジオルド様。
アイザック様が、膝から崩れ落ちる。
「ジオルド、助け、助けてぐおっ」
あら野蛮。しかし綺麗な殴り方ですね。
体を動かすのは不得意ではなかったのです?ジオルド様。
「寄るな。俺が怒ってないとは……言ってなかったな?
お前が父親を制御していないから、とんだことになった」
はっきり言ってしまわれて、よかったのですかね。
わたくしはジオルド様の影にかくれ、少し身を寄せて。
そうして悲しいフリをしているだけで、お話聞けてしまって。
いいのでしょうか、こんなに楽をさせていただいて。
……この方がお怒りなのは。ふふ。本当に汚らわしい。
カサーゴ伯爵夫人は、とても放蕩な方なのですよ。
アイザック様にまで手を出される前で、よかったですね?
まぁ何の証拠も、残していないものの。
ゴットン子爵とカサーゴ伯爵夫人を引き合わせたのは――わたくしなのですが。
そのとき。
私の胸の中に、何か小さく、炎が宿ったような、気がしました。
…………ふふふ。
◇ ◇ ◇
不幸中の幸いか、亡くなった方が出ることもなく。
しかし、ゴットン子爵家は、もう立ち行かなくなるとのこと。
わたくしはロンメル様の手引きもあり。
件の、カサーゴ伯爵家に入ることとなりました。
「ふふ。ジオルド様を兄と呼ぶ日がこようとは」
屈むように、彼の杯に酒を注ぎつつ。
……少し胸元を見過ぎですよ?お兄さま。
こういう、肩回りから開いたようなドレス、男性は本当にお好きですよね。
わたくしは視線が集めやすくて、非常に重宝しておりますが。
「喜ばしいが、良いことばかりでもないな」
髪に手をかけ、少し弄ばれる。
注ぎ終わったところで、するりと手を抜ける。
それ以上のお触りは、婚約者の前では厳禁です、ジオルド様。
何よりとても、気持ち悪い。
「どういう意味だ、ジオルド」
少し不機嫌な宰相閣下の隣に座り。
背からすり寄るように触れ。
また、その杯に酒を注ぐ。
「そういう意味じゃないさ、ロンメル。
少しはそうでもあるがね?
レティシアは会った頃よりなお、美しくなった」
それで胸元や腰を見るから、あなたには必要以上に近寄らないのです。ジオルド様。
あなたのお父上にも、ですが。
本当、趣味が似てらっしゃること。血もつながっていないのに。
「お上手ですわね、ジオルド様」
「それで、どういう意味だ」
「母は修道院に送られた。残念だよ。
魅力的で、自慢の母だった」
悍ましい自慢です。
わたくしもあまり長くいると、自慢の妹だ、と言われてしまうのでしょうか。
それはぞっとしますね。
「殺すような勢いだったそうじゃないか。
命あるだけ、ありがたかろう」
「まったくだ」
ふふ……ひどいお二人。
アイザック様のことを、気にもかけていない。
あの方、荒れて街で酒をあおり、喧嘩に明け暮れる毎日だとか。
わたくしはこれでも、人情ある方ですので。
元兄の行く末、気を付けておきましょう。
いつ、訃報が届くことやら。
「……ゴットンの分は、どうだ」
「おいロンメル」
わたくしに聞かせるのはまずい、というご指摘でしょうかね。
ならば。
「…………?」
少し小首をかしげて見せる。
胸を逸らすようにして、そうして見せると。
警戒心は都合よく、忘れ去られたようです。
「レティシアなら大丈夫だ。それで?」
「……問題ない」
「代わりは必要ないと?」
「今のところはな。それより、派手に動かない方がいい」
「なぜだ」
「……どうも、嗅ぎまわっている奴らがいる」
「なんだと?」
おっと。
ようやく気付きましたか。
遅かったですね。ふふ。手遅れというやつです。
あなたたちのしたいこと、していること、その詳細はすでに把握済みです。
あとは肝心の――あの草。薬物の出所だけ。
資金の動きから追えればよかったのですが、どうもそれもどこかで一緒に管理されている様子。
おそらく――あの四人目。探さなくては。
あなたたちが戯れに焼いていた村や町は、把握し、できる限り手を差し伸べています。
計画があったところにさりげなく手配をし、それをとん挫させることもしてきました。
そうするうちに、あなたたちの手勢を削ぐことも、忘れておりませんとも。
ここまでやられておいて、ようやく気が付くとは。
少々、抜けていすぎではございませんか?ジグルド様、宰相閣下。
そのとき、ジグルド様が急に立ち上がられました。
とても驚いたご様子で、窓の外を見ております。
ここは一階なので、庭の方。
…………しまった。少し状況の共有が漏れていましたね。
ジグルド様がわたくしを見て。
「どうかなさいましたか?お兄さま」
少し、甘さをこめて声を吐く。
……ついでに戻してしまいそうですが、それはぐっとこらえて。
「いや……何でもない」
座り直されたので、酒瓶を持ち、そのお隣りへ。
注いだ分をあおったので、さっともう一杯。
肩は抱かれないようにしつつ、少ししなだれかかる。
さぁ、存分にわたくしを見て。お酒を飲んで。お忘れなさい?
わたくしはここです。
窓の外になど、いませんので。
もちろん、ロンメル様を流し見るのも忘れない。
そちらからも……ふふ。
よく見えているようですね?
気持ち悪い。
顔が疼いて、仕方ありません。
◇ ◇ ◇
この扉の開け方は、確か一年前にもした覚えがありますね。
入った先の光景は、だいぶ異なりますが。
不躾に、部屋に入ると。
狭いそこには、カサーゴ伯爵と、もう一人。
明らかに東国のいで立ちのお方が。
「これはイルー様。突然押しかけまして、申し訳ありません」
礼をとる。
二人の男の視線が、わたくしの胸元や腰に吸い寄せられる。
「いや、よい。久しいなレティシア」
「はい、お久しぶりです」
その方は、カサーゴによく来ておられます。
わたくしも、お会いしたことがあるのです。
敵国たる東国の出ではあるものの、普通に入国し、交易を主に行っていらっしゃいます。
……もちろん、知っておりますとも。
交易以外も、行っていることは。
「だが立ち入るなと、外の者に申し付けたはずだ。
どうした、レティシア」
そうですね。
部屋の外の方は確かにそう仰いましたし、さらには家中のたいがいの方には暇を出されていました。
よほど大事なお話だったのでしょう。実に念入りです。
そう……念入りに、茶番の準備をしておられるのですよね?
しかも今回は。新しい話をしておいでのようです。
テーブルの上にあるものは。見覚えがあります。
わたくし、記憶力はいい方ですので。
それの存在は、忘れません。
礼を直し、お二人に向き直ります。
「火急のご連絡です。
早馬より。東国人らしき者たちが。
南東の砦に現れた、と」
カサーゴ伯爵が立ち上がり、いきり立つ。
「貴様、だましたのか!!」
「我々はそんなことはしない、何かの間違えだ!!」
「こられた方は、応接に。お詳しくは、そちらで」
二人が慌しく出て行かれました。
……ふふ。それを残していかれて、よかったのですか?
テーブルにあった草を一房。服の中に隠す。
そうして取り出した二つの小瓶を開け。
中身をテーブルに重ね、置く。
少しずつ、燃えだす。
瓶をしまい、部屋の外へ。
部屋の外にいた兵の方も、一緒に連れて行かれたようで。
誰にも、見られておりません。
廊下の窓から屋敷を出て。
繋いでおいた馬に乗って、一路王都を目指します。
…………ふふ。
お客様は、確かに応接にお通し致しました。
ですがわたくし、使者とは申しておりません。
あれは、敵襲というのです。
カサーゴ伯爵は、重傷を負ったものの、生き延びられました。
国境沿いを治められていた、いわゆる辺境伯であらせられたものの。
もうまともに戦うことも、叶わないのだそうです。
ジオルドお兄さまも居合わせており、脚に傷を負われて。
歩けはするものの、やはり大変そうです。
もちろんあの後、わたくしはお二人にお会いしております。
応接に来た東国の方は、敵の目を欺くために、王国の装いをしておりました。
なのでわたくしは気づかず、ただ燃え盛る屋敷から運よく逃げ延びただけ、と理解されました。
……そんなわけは、ないのですけどね。
むしろ、馬で逃げ、救援を呼んだため、感謝をされてしまいました。
随分心配もされ、そして無事を喜ばれました。
再会の際は抱きしめられ――吐き気を抑えるのが大変でした。
しかし、互いの無事を喜んでばかりもいられない状況です。
カサーゴ家は外観誘致の疑いをかけられており、非常に危うい立場。
わたくしはロンメル様にお願いし、しばらく王宮に逗留させていただきつつ。
精力的に、カサーゴ家の名誉回復に努め――――
……るように見せかけ、情報の収集、伝手作りを急いでいます。
あちらに存在を気づかれており、こちらはまだわからないことがある。
油断はできません。
証拠は残しておりませんが。
隣国の兵が、砦を抜けて辺境伯の屋敷まで来れたこと。
疑われては、かないませんので。
本当に、わたくしが呼んだわけではございませんのよ?
ただ一見攻めやすい抜け道の情報を流し。
その実、内地に深く引き込んでやっただけです。
おかげで、東国の兵は救援に来た王都の騎士たちに根切にされ。
当分、東からの攻めはないそうです。
まぁ長く茶番を演じていた双方にとっては、痛手かもしれませんがね?
小競り合いのたびに焼かれ、略奪されていた村々の方々は。
これで少しは、心が安らぐでしょう。
いけませんね。
何か少し、似合わないことをしてしまいました。
ですが。辺境の惨状を知ってしまい。つい、あの夜を思い出しまして。
胸の中の炎が大きくなっていく。止められない。
…………ふふふふ。
◇ ◇ ◇
わたくしは、14になりました。
ある日のこと。
派手にやりすぎたせいか……秘密の茶会に招かれてしまいました。
貴族令嬢として、精力的に活動しつつ――――。
奴らとつながる少々素行の悪い方々に、行方をくらませていただいていただけなのですが。
ことを急ぎ過ぎたでしょうか。
まぁわたくし、だいぶ噂になっておりますものね?
曰く、どこにでも現れる。
曰く、何でも知っている。
曰く、霞のように消えた。
そして曰く。美しさで人を惑わす、魔性である。
しかし。これは。
そういったものに踊らされ、戯れに招かれたわけではないようです
先方はおそらく……本気。
カサーゴから離れ、王宮に住まわせていただいている以上。
お会いしたことも、茶会に招かれたこともあります。
ですが……私室で。侍従の一人すらいない中、というのは異例にもほどがあります。
この部屋にいるのは、三人だけ。
わたくし、カサーゴ伯爵令嬢レティシアという、女。
王太后エリーナ様。
そして。11歳になられた、サイラス国王陛下。
よく聞く話では、未だお飾りの王という評判の陛下ではありますが。
……やはり目の前にすると、そうではないと実感します。
ロンメル様にたびたび会うからこそ、わかるのです。
彼のしている仕事では、国は回っていない。
取り仕切っている者が、他にいる。
最初は、エリーナ様が辣腕なのだと考えていました。
ですが幾度かお会いするうちに、その考えは間違いだと気づいたのです。
その方直々に、お茶会に招かれてしまった。
…………これは、状況により、詰みを覚悟せねばなりません。
陛下はわたくしの敵ではありません。
しかし、向こうがわたくしを許すかどうかは、また別です。
「楽にしてほしい。レティシア。
否――――よければ、本当の名を教えてほしいが」
……恐ろしいお方。
「申し訳ないのですが、陛下。
それは首を斬られても、口にできません」
「そうか。ではレティシアと呼ぼう」
「はい。他のことなら、如何様にでも」
「わかった」
もう詰んでいた。
わたくしのことは、調べ上げられているようです。
そしてわたくしの白旗は、幸いにも受け入れられたようですね。
「困らせるつもりはない。
重ねて言うが、楽にしてほしい。
あるいは。何に誓えば、気を許してくれるだろうか」
…………少し、呆気にとられておりました。
きっと。
長く話していたら、わたくしはこの方に心を許してしまう。そう予感します。
他のことなら如何様にでも。そう申し上げておいて、勝手ではございますが。
……それは、辛い。涙が出そうになります。
何の欲もなく。
真っ直ぐに優しい心は、わたくしには眩しいのです。
とても、心が痛みます。もう、軋むことはないと思っていたのに。
あの夜に、すべて置いてきたと思っていたのに。
「…………フライフェイスの寓話を、ご存知でしょうか」
「知っている。ここ数十年で、流れる噂も」
「では」
覚悟を、決めましょう。
顔から、仮面を僅かに剥がして。
少しだけ、わたくしの本性を見せる。
「この火傷に、誓っていただければ」
「……………………わかった。
私は、その炎に焼かれるようなことは、決してしない。
誓おう」
「私も、誓います」
エリーナ様、まで。
仮面を、戻す。
「……ありがとう、ございます。
ですが、わたくしは許されぬ者。
すべてを明かせば、法がわたくしを裁くでしょう」
「ならば私が許そう。他の何ものが許さぬとしても。
私が王だ。この国に生きる以上。
火傷顔は私が許す」
驚き、ました。
サイラス様の父、サラン様は王国を東西にかけ、守り抜いた方だと聞きます。
どれほど高潔な方だったのでしょう。
この腐った臭いしかしない、王国で。
王だけが、気高い。
どうか僅かに残る、優しい人たちが。
多くの弱き人たちが。
この方の庇護を、受けられますよう。
顔を、あげる。
「ならば。
あなたの赦しを、この身にしかと受けられますよう。
闇に潜りて、悪を焼きましょう。
善良な方々には、決して手を出さぬと。
彼らを脅かすこともしないと。
この火傷に、誓います」
「その誓い、受け入れよう」
穢れて、血に塗れたこの身には、その赦しは過分です。
ですが、わたくしの精一杯を、きっと果たしましょう。
奴らを倒せば、それで終わりと思っていました。
しかし。終わらせられません。
誰あろうこの方に、それを赦されたからには。
この身が、燃え尽きるまで。
誓いを、果たし続けましょう。
「ありがとう、ございます。
すべてをお話いたしましょう。
ただ…………一つだけ。
望みが、あるのです」
「レティシア。そなたのしていることは、本来なら。
私が泥をかぶってでも、やらねばならないことだ。
多くの集落が、人知れず滅んでいた。
それをそなた……たちは。少しでも救い上げていた。
私たちは、それに気づいてすらいなかった。
望みならば、叶えよう。
詫びろというなら、頭を下げよう。
言いなさい」
わたくしがこの年頃で、このように考えられたでしょうか。
否。年の問題ではありません。
なぜここまで、わたくしを受け入れられるのでしょう。
信じることが、できるのでしょう。
なぜあなたの瞳は。
一度も私の胸や、腰ではなく。
ずっとこの瞳の奥を、見ているのでしょう。
燃える炎を、見透かされているようで。
落ち着きません。
「では――――すべて終わった暁には。
わたくしは、『レティシア』を辞させていただきたいのです」
するりと、本心が出てしまった。
私の望み。
嫌で嫌で……たまらないこと。
貴族の中に、いること。
「伯爵令嬢を、辞める、と」
「はい。貴族社会から身を置くことを、お許しいただきたい」
ずっと耐えていますが。
多くの男の視線を受けるのは、もうたくさんです。
本当に本当に、苦痛なのです。この火傷の疼きより、ずっと。
華々しさなど、いらない。
悪党を焼くのは、構わない。
でも……ここにいるのは、ただただ辛い。
なぜでしょう。陛下が……お辛そうな顔をなさっているのは。
「分かった。話を聞かせてほしい。レティシア」
その顔は、何かと決別したような、諦めたような。
…………殿方のそれを探るのは、無粋というものですね。
仮初の誘惑ばかりしてきた女が、理解していいものでは、ありません。
「では、少し長くなりますが」
わたくしは、あの夜から今までのことを掻い摘みつつ。
この国に薬と、悪逆非道を持ち込んだ連中のことを、話しました。
どうしてそのようなことが為せたのか。
どこの誰が、そのようなことを始めたのか。
我々が調べ上げた、すべてを。
かつての火傷顔が、生まれた頃から続いている。
悍ましい、悪意の連鎖を。
◇ ◇ ◇
あの秘密のお茶会からしばらく。
それはそれとして、わたくしは精力的に活動を続けなくてはなりません。
何せ、カサーゴ伯爵家はいまだ、お取り潰しの危機にあるのです。
自ら招いた種ですが、ゆえになんとかしなくてはなりません。
さすがに今無くなられると、足掛かりを失ってしまいますので。
宰相閣下との婚約があるからこそ、まだ家が持っているものの。
どこかと結びつきを強めるか。
あるいは――また家を変えなくてはならないでしょう。
夜会を辞して帰ろうと、一人廊下を歩く折。
開いた扉から伸びた手がわたくしを掴み、中に引きずり込みました。
何者!まさか貴族の屋敷で、賊!?
「やっと捕まえたぞ、魔女め」
かけられた声は男の……。
やや暗いお部屋の中、少し慣れてきた目に映るのは。
眼鏡をかけた、貴族令息と思しき男性。
確か、アイントス侯爵の嫡男。
あそこは、薬に手を出している疑いがある。
連中に腐敗させられた、貴族の一角。
そこの一人息子。確か名は――――
「ゴードン様?これは、いったい。
それに魔女とは」
「とぼけるな。もう一人は捕まえても、霞のように消えてしまったが。
お前は、大丈夫なようだな?」
――――!
あの子に接触された!!
しかも、何か勘づいている!
…………連中が、こちらの動きに追いついてきていたのです。
ロンメルから密かに命を受け、つながりのあるこの方が調べ回っていたのでしょう。
証拠は残していない。しかし、疑念を強く持たれている。
わたくしはただの小娘。
拷問などされれば……いくら気丈に構えようとも、持たないでしょう。
なんとかこの手を振り切らなくては、危険です。
そのとき。暗さに慣れて来た目が、窓の外に少しの光を捉えました。
――――よし。いけます。
息を整え、その眼鏡の奥を正面から見据えます。
飲まれてはだめ。怯えてはだめ。戦うのよ。
「夢でも見ておられたのでは?
それより、わたくしはロンメル様と婚約の身。
このようなこと、罷りなりません。
手を、お離しくださいませ」
「ハン。そんな心配など不要だ。
お前の悪事、全部お見通しだ!
俺たちを陥れようとしても、無駄だ。
婚約も、貴様の地位も、何もかもぶち壊してやる!」
やはり。
これは、よくありません。
ですがそれよりも、気になることは。
おれ、たち?
連中とつながりのある、令息だと、思ったのですが。
まさか。
先ほどから。
ゴードン様が興奮しているせいか、何か、香る、ような。
記憶の蓋が開く。
あの夜、二度、感じた。
一度は、殴られた後。もう一度は、ヴァンの……おそらく、傷口付近から。
いずれかの、香木の、目の覚めるような、匂い。
手を掴んだまま、部屋の中ほどまで連れ込まれ。
ベッドに、投げ込まれました。
……良い機会です。男は必ず隙を見せる。
耐えて――切り抜けてみせる。
「ついでだ。傷物にしてやるとしよう。
親父の復讐に巻き込まれ、とんだ人生になったと思ったが。
少しは俺にも、運が回ってきたか?」
復讐?何を、言って――――。
奴が、私にのしかかり。
手を、抑えて…………
「――ッ!?誰だ!!」
わたくしに向けられた言葉では、ないようです。
ゴードンは、窓の方を見ています。
暗い外から、窓を開けて入ってきた、その人物を。
目の下に火傷の跡がある、少年。
平民の服。少し、ゴードンより体格がいい。
優しげなまなざしが、真っ直ぐにゴードンを見ている。
……来てくれたのは本当にありがたいですが。
少し早くありませんこと?
「誰とは、ずいぶんなご挨拶だね。ハンス」
少年の言葉に、鼓動が、跳ねる。
間違い、ないのですか?
あなたが覚えているといった、顔。
絵心がないというあなたに、描いてもらった顔とは、違うけれど。
……あなたがいるのはわかっていましたが。
だから今、姿を見せたのですね。
この男のことを明らかにし、今ここで仕留めるために。
我らが怨敵。
町の一員でありながら、奴らに町ごとすべてを売った悪党。
あの炎の元凶にして、裏切り者。
「ヴァン!?そんな馬鹿な、生きていたのか!
お前は確かに、この手で止めを……」
お前か。
私を殴り倒し!
彼の命を奪い!
私たちを地獄のどん底に叩き落したのは!!
奴らの最後の一人は、お前か!!
私の中の炎が、燃え上がる。
あの穏やかな日々が。優しい時間が、燃えていく。
そこにヴァンの顔があるのに――――思い出せなくなっていく。
炎の向こうにいるのは。
ヴァンの顔をした、私の悪魔だけ。
狼狽えるゴードンの力が緩み、私の手が離れました。
するりと抜けた私は、そっと右手を、左耳の下あたりに当て。
仮面を取り外し。
彼の背後から、音もなく近づく。
「な、お前――――ひぃっ」
ゴードンが私の顔を見て、腰を抜かしました。
座り込んだ彼は、私を見ながら後ずさり、ベッドから転げ落ちて。
それでも下がり続け……やってきたその人物に当たります。
振り返り、その姿を仰ぎ見るゴードンの目の前で。
ヴァンだった顔が、私と同じ爛れたものに、変わっていく。
ああ――――もう一人の、私。
炎の怪物となり果てた、私の姿。
最高です……あなたはこんな貴族たちより、よっぽど。
美しい。
「ヒッ!?お、おまえたちは、なに、もの……」
ふふ――――それを、聞いてしまうのですね?
私はゴードンに近づき、彼の右の耳元へ、顔を寄せる。
もう一人の私は、膝を曲げ、腰を落とし、彼の左の耳元へ、顔を寄せる。
「「我らは、火傷顔……」」
そっと甘く、囁く。
「お前たちが、おまえたちが!親父の!?」
おや、もしかして。
先代に誅された者の残党だったのでしょうか?あの町長。
それは因果なものです。
しかし、私は母に文句など言いませんよ?
我が誇りたる先代よ。
あなたの無念、晴らしましょう。
この悪党を焼き!捧げることで!!
ゴードンの右頬を撫でる。スライムのついた、その手で。
もう一人の私も、彼の左の首筋を撫でる。
ゴードンが固まる。
このスライムは、想いや記憶を食べて形や色を変えます。
変えてそのまま人に押し当てると、その食べたものを伝える性質があるのです。
さぁ!私とヴァンの、炎の記憶を見るがいい!!
声も出せず、色を失い、ゴードンの体が震えだす。
「「我々は」」
「この顔より醜い悪党を焼き尽くす」「炎の化け物よ」
私の中で、復讐よりも甘美な何かが生まれる。
目の前で形を持っているそれと、きっと同じもの。
「ぃ、ひ、たす、け……」
「何もしないわ」「大事にしてあげる」
「ずっと見ているわ」「そばにいてあげる」
「「お前が燃え尽きる、その日まで」」
ゴードンが白目を剝き、力を失い、倒れる。
炎の怪物が、確かに私の中で。
否、世界に向けて。
産声を上げた。
「フフフ……」「ウフフフフ……」
二人立ち上がり。
手を取り合い。
天を見上げる。
「「フハハハハハハハ!ハハハハハハハハハハ!!!!」」
◇ ◇ ◇
アイントス侯爵家は元々、ゴードン――ハンスが乗っとろうとしていたため。
侯爵本人は薬漬け。
周りは金で雇ったものばかり。
ハンス本人が廃人同然となった今。
その身に寄り添うようにして入り込み。
私がその家を乗っ取るのは、本当に簡単でした。
「レティシア」は。
アイントス侯爵令嬢レティシアに、なりました。
もちろん、私が手を離した以上、カサーゴ伯爵家はお取り潰し。
元伯爵その人は酒に溺れ。
ジオルドは、毎日鞭で叩かれているそうです。
私は時折、元兄を癒すように宥め。
その境遇を抜け出すにはどうすればいいか、一つの道を囁きました。
少し、事件になったそうです。
誰も気に留めない、小さな事件。
虐げられた子が、親を殺し、逃げる。よくあることでしょう?
成人しているとはいえ、深く傷を負い、何も持たぬ元貴族の令息など。
すぐに生きていけなくなり、誰からも忘れられるのですが。
あなたの仲間は、冷たいですね?
すがるあなたを、私からも引き離すなんて。
婚約者様は、少々嫉妬深いようです。
私はこれでも、人の心が通っていますので。
その訃報が届いたとき。
ちゃんと弔い、涙を流してあげましたよ?
そうそう。酒を飲み、喧嘩を繰り返していた、もう一人の元兄も。
アイザック……彼もまた、亡くなったと聞きましたので。
誰にも知らせず、ひっそりと送りましたとも。
はっきりと、わたくしの中で炎が燃え盛るのを感じる。
…………ふふふふふ。
◇ ◇ ◇
互いに忙しい合間を縫って。
今日も王宮の一角で、茶を飲みつつ、語らいます。
……情報収集と、心をつなぎとめるための時間です。
当然に苦痛ではありますが、この男との交流も、多少は慣れてきました。
警戒心が強く、地位もあり、頭も回るほう、のはずです。
しかし、男性としては、容易い。
こちらが成人していないからと、この程度の逢瀬で満足してくれるのですから。
侮っているわけでは、ないのですが。
少々、小娘に心を許し過ぎではないでしょうか。
賊の心は、よくわかりませんね。
「……アイントスの家は、どうだ。レティシア」
「不自由なく、させていただいております。
拾っていただいた侯爵様には、とても感謝しております」
「……そう、か。子息のゴードンの容体は、良くないと、聞くが」
「お体は、健やかです。
ただ今も時折、屋敷を徘徊なされる侯爵様に……少し、怯えているようで」
「侯爵は病の治療で投与された薬で、少し、気を病んでいる、だったか」
これは元々、彼らの間でそういう筋書きになっていたらしいのです。
もちろん、飲まされていた薬は、例のもので。
薬が切れたときは粗暴になるので、症状としても間違っていません。
差向う宰相閣下のお顔は、私を時折伺うようで。
さすがに疑心を持たれているようです。
お仲間が潜り込んだ家を、渡り歩いてきた女ですものね。
ですが、あなたに最初に見初められてから。
相応、交流を重ねて来ました。
いい女を――――演じて来たつもりです。
だからこの疑心は、おそらく。
「はい。しばらく薬の入手が滞っており、それで。
薬の切れてしまった侯爵様を、ゴードン様が、お止めになって。
それで」
そっと目を伏せる。
「そうだったか。済まない、レティシア。大変だっただろう?」
私に向けられるその声は、本当に気遣わしげで。
ふふ……。怖気が走ります。
先に取り潰しになったカサーゴ伯爵家の……元令息、ジオルド。
彼が私に縋りついてきたときと、同じ。
私に別の男の影がないか、疑念が晴れないようですね。
「わたくしは大丈夫です、閣下。
縁あってわたくしが侯爵家にお邪魔し始めてからは、そのようなことはありませんし。
侯爵様が屋敷を徘徊なさるのは、今もですが。
ご無体はなさりません」
「そうか……君が無事なら、何よりだ」
「ありがとうございます。
何より……閣下が、いてくださいますから」
少し、頬を染めて見せる。
「レティシア……」
ふふ。気持ち悪い。
徘徊はもちろん、嘘です。
侯爵閣下は、薬を抜いて、治療中です。
意識もはっきりとしておられます。
貴重なヒールスライムを、いくつも使って治療しました。
ですが……長く薬を使われたせいか、ご高齢のお体は、もう長く持ちそうにありません。
ベッドからも、ほとんど起き上がれません。
今は、私のために貴重なご助言をくださったり、人を紹介してくださったりしています。
私のしていることは、すべて話しているわけではありませんが。
察しておられるようです。
…………まともで、力ある方だからこそ、悍ましい連中に利用されたのでしょう。
私如きに、何ができるわけでもありませんが。
お会いできるのが遅かったこと、悔やまれます。
「閣下、そろそろお時間です」
「もうそんなか。いつもお前との逢瀬は、あっという間だ」
私にはとても長い時間です。
無駄で。退屈で。心底気持ち悪い。
可能かどうかは分かりませんが、成人までに――片をつけたいですね。
この男に抱かれることになったら、舌をかみちぎってしまいそうです。
……必要とあれば、やむを得ないところでは、ありますが。
ですが、こいつを引きずり下ろし。
薬の流入を完全に塞ぐまで……あと一歩。
国に入ってしまった薬はうまく制御し、流通しないようには、していますが。
もう少し、です。
仕上げの段取りは、済んでいます。
あとは、機会を伺うだけ。
「では、わたくしは失礼いたします。閣下」
「ああ。ではまた。愛しているよ、レティシア」
「わたくしもです。閣下」
……笑顔を作るのばかり、うまくなってしまいますね。
茶会を辞した私に、火急の知らせが届いたのは、この後すぐ。
時は、来ました。
……この仮面の下の疼きと、お別れする時です。
◇ ◇ ◇
結局。
彼――――宰相ロンメル閣下が。
ある投書ですべてを知ったのは、みーんないなくなってから。
アイザック……ジョニーが喧嘩をして亡くなったのも。
ジオルド……ベックが野垂れ死んだのも。
そして最後に来た報せ。
ゴードン……ハンスが首を吊ったのも。
何も知らない、酷い人。
もう少し仲間想いだと、思っていたのですけどね。
だから今更すべてを知っても、あなたの味方はいないのです。
彼らが直接手綱を握っていた腐敗の先は、すべて切除されたのですから。
私の勝ちです。我が怨敵よ。
ついぞ、あなたたちを追い詰める霞を、掴めなかったようですね。
さぁ。
最後の仕上げです。
朝議の場に呼ばれましたので。皆さまにご説明、いたしましょう。
嗚呼。炎が大きく、燃え上がる。
…………うふふ。ふふふふふふ。
◇ ◇ ◇
「ではレティシア嬢、事の次第を」
陛下に促された私は目を開き、進み出て礼をとりました。
そうしてかいつまんで、事実を語ります。
貴族家に潜り込んでいた、隣国由来の悪鬼羅刹たち。
それに滅ぼされたいくつもの町や村。
奴らと手を結び、この国を腐敗させた、この場にいない貴族たちの、名。
そして宰相ロンメルが、本当はどこの誰であるか。
…………名前はついぞ、わかりませんでしたが。
「で、出鱈目だ!その女は嘘しか言わない!!」
「……それがお前の申し開きか?ロンメル」
「っ!?サイラス……」
幼い王の眼光が、ロンメルを射抜いています。
それはそうでしょう。
お前たちは、証拠を残しすぎた。
――――私と違って。
アイザック……ジョニーが潜り込んでいたゴットン子爵家には。
お前たちが雇っていた人に関する情報が、余さず残されていました。
随分、他国から人を入れてくれたものです。
ある程度確認の上、お前たちが把握できないよう、皆さまお帰りいただいています。
すべての掃除はできませんでしたが、すぐお前の味方ができるところには、もういません。
ジオルド……ベックが入り込んだカサーゴ伯爵家で見つかったのは。
お前たちの行動計画。それから、弄び、滅ぼした町や村の詳細。
めまいがするほどでした。小さな村が、いくつも。町も、それなりに。
その実態、何があったか、生き残りがいないか。
すべて、調べ上げました。
もちろん、内容は奏上済みです。
ゴードン……ハンスが乗っ取りかけていたアイントス侯爵家。
そこでやっと、薬と資金についての情報が得られました。
東からやってきた、お前たちの詳細も。
この男の本来の名前以外の、すべては記されていました。
恐ろしい話です。最初から、他国の紐付きだったとは。
陛下……国が引き取ってくださって、助かりました。
あとはこれらの証拠、宰相本人の身柄と自白をもって。
オレウス王国サイラス国王陛下自らが、国を立て直してくださるでしょう。
その若い肩には、少々重い荷かもしれませんが。
小娘が担うより、ずっとずっといい結果になるはずです。
「ロンメル、お前の宰相の任を解く。
沙汰は……追って知らせる」
元宰相が、がっくりとうなだれています。
……まだだ。
今は悪魔に譲り渡し、その中にある私の魂が告げています。
これだけでは、この男はいつか必ず返り咲くでしょう。
俯くその顔、横から見えるその目に、まだ光があります。
焼き尽くさねばなりません。
我が炎をもって。
「陛下」
「何だ、レティシア」
「お約束を、今ここで果たしていただきたく思います」
「…………どうしても、か」
「レティシア……」
陛下がお顔に苦渋をにじませ、王太后様が悲しそうに呟かれました。
意図を理解し、その上で気遣ってくださっている。
今ここで、貴族で無くなる意味。怨敵を前に、私が何をするかを、わかっていらっしゃる。
ありがとう。数少ない、優しい人たち。
しかし私はその思いを、受け取れません。
なぜならそれは、私の名ではないのだから。
ごめんなさい。
ですが、誓いは忘れません。
「どうしても、にございます」
少し目を伏せてから。
王が確かに、私を見た。
「わかった。お前たち、ロンメルを離せ」
「しかし!」
「構わぬ」
「……はっ」
槍を彼に向けたまま、衛兵たちが下がります。
私はもう一度丁寧に、陛下に礼をとりました。
この方は、もう幼子ではない。
宰相も、王太后すら必要ない。
真に礼を尽くすべき、偉大な王に違いありません。
……私などが、仕えてよい方ではないのです。
だからそのように、悲しいお顔をなさらないで?陛下。
あなたの赦しが、私を救ってくれたのですから。
ロンメルに近づき。見下ろし。
顔を上げた奴のその目を、じっと見ます。
槍を突きつけられているので、動きはしないようですが。
その目が今にも、私を呪い殺しそう。
……ふふ。足りない。
そんなものでは足りないぞ!薄汚い男め!
私が手本を、見せてやろう!!
天を仰ぎ見て。
左の耳元辺りに、右手をかける。
めりめりとはぎとられた、仮面の下から。
爛れた私の本当の顔が、露わになった。
反応は様々だ。
息を呑む者、思わず下がる者、悲鳴を上げかかる者。
……静かに、悲しい顔をする者。
そして、驚愕し、目を見開く怨敵。
「お前は……お前はいったい、何者、だ」
ああ、聞いてしまいましたね?
私の名前を。
ついに!
「フフフ……ウフフフフフ」
笑いが、堪えられない。
「フハハハハハハハハハハ!
私は、侯爵令嬢レティシアでは、ない!!」
床を蹴るように踏み鳴らし。
ロンメルに醜い顔を近づけ。
顔を逸らさぬよう、彼の左ほおに、右手を添える。
その恐怖に歪む顔を。
舐めるように。
味わうように。
ゆっくりと、甘やかに告げる。
「私は――火傷顔……」
震えだすロンメルの肌を撫で。口元にまで、手を運ぶ。
彼の肌に触れていたそれを――私が右手に持っていた粘液を、口腔の奥まで押し込む。
悲鳴も、苦鳴も、すべてスライムに飲み込まれていく。
「お前の悪逆非道を食らい、燃え盛る炎よ」
スライムを通し、私の記憶が見えているだろう?
甘い匂いに彩られ、燃え盛り、絶望に包まれた夜が!
その痛みに悶え!その芳香に狂うがいい!!
お前が地獄に落とした人々が!
お前の恐怖と絶望を喜んでいるぞ!!
…………おや。思ったよりも早かったですね。詰まりません。
白目を剝き、泡を吹き始めたので、手とスライムを口から抜きました。
「さようなら。名も知らぬ男」
ふふ……まだ死んではダメですよ?元宰相閣下。
これから、お前の仲間たちのことを、全部吐いてもらうのですから。
ゆっくりと立ちあがり。
朝議に参加していた、重鎮たちを見渡します。
そう――――
「あなたと、あなた、そしてあなた」
奴らと手を結び。
この国に災厄と不幸、腐敗をばらまいた者たちは。
ここにもいるのです。
彼らの顔を忘れないように、じっと見ながら。
「わたくしの爛れた顔は、覚えたましたね?
わたくしも、この顔より醜いその悪事、きっと忘れません」
服に隠していた小瓶を開け、中身を近くの窓にかけました。
ガラスが融けるように食らいつくされ、自由への出口が開きます。
「地の果て、海の向こう、地獄の底まで追いかけて。
この火傷顔がその魂、必ず灰にいたしましょう。
すべての炎がわたくしの目――――逃がさない、悪党ども」
バルコニーへ出て。
その柵を乗り越え、宙へ。
「ウフフフフフ……フフフ。フハハハハハハハハハ!!」
謁見の間は、地上よりだいぶ高いところにあります。
少しの浮遊感の後。
地上が、私の背に、迫る。
◇ ◇ ◇
荷馬車の荷台は、藁を引いても寝心地が悪いです。
ここ数年、着慣れていた綺麗な服ではないけれど。
ちょうどよい体勢を探すたび、藁だらけになっていくのが、少し気になります。
「ミスティ」
うまく寝ころべているのか、落ち着いた様子の少年が私に声をかけてきました。
「なぁに。ローズ」
私はその少年の髪を、愛おしげに撫でます。
くすぐったそうに細められるその瞳の下には、火傷の跡が。
その跡も、確かめるように撫でていく。
きっとヴァンが成長したら……このような顔になったのでしょうね。
その少年の姿形は、17になったヴァンを思わせます。
だが、あの人ではない。そもそも、人ですらない。
あの夜現れた、私の悪魔。
変化、とでも言うべき、新しきスライム。
力尽きたヴァンを食し、私と誓いを取り交わした、我が共犯者にして。
――――火傷顔。
私はこの子に、ローズと名付けた。
私の半身。
片割れ。もう一人の私。
我が友たる、モンスター。
「……この姿の時は、ヴァンじゃなくていいの?」
「あなたはローズよ。もう、それでいいの」
「ふぅん……」
よくわからないといった様子だけれども、とても興味深そう。
この子はいろいろなことが、気になるようです。
少しは時間もできそうだし――これから一緒に、学んでいければいいと思います。
「ヴァンの姿ではいてほしい。単純に――私の好みだもの。
でもね、あなたはローズ。もう一人の私」
「なるほど。『火傷顔は』」
「『二人で一つ』よ」
二人、笑い合う。
この魔物は、人の真似をしているだけかもしれないけど。
それでも――いつも、優しい心を感じるのです。
時に苛烈で。
時に慈悲深い。
私の、母のような。
「ローズ、君の疑問はなんだったんだい?」
御者台から声がしました。
年をとった、しわがれた声。
……もう老齢なのだから、御者は私たちがやってもいいのに。
「あっとそうそう。忘れるところだったよ、フェルン。
ミスティは何で、あんな派手な真似したの?ってこと。
僕が受け止めなかったら、危なかったんじゃないの?」
「逃げたか死んだか。そう思わせておけば、敵が油断するでしょう。
それにあなたが私を受け止め損ねるなんて、ありえるの?」
「馬鹿な事聞いて、悪かったよ」
「いいのよ。疑問に思うことは大事だわ」
そう、母も教えてくれました。
そして父も、そう導いてくれました。
……娘にこんなことをさせるの、本意ではなかったでしょうけれども。
母のことを話し、その上で私の行いを認めてくださったのは。
この方もまた、火傷顔の一人だからでしょうか。
お父さんが国中奔走して、調べ。
ローズが私と一緒に、時に私になって、時に他人に化けて、駆け回って。
そうして五年。我らの復讐は成りました。
私一人では、どこかで食い物にされて、終わりだったことでしょう。
……というかですね。ローズにちょっと、働いてもらいすぎました。
この子強いんですもの。本当に頼りになりました。
危ないところも、助けてくれて。
ちょっと、かっこよすぎると思うのです。
しかし。
かつて激しく戦ったお母さんは……。
苛烈な人生を歩んだすえ、あのように亡くなられた、ことは。
満足、されたのでしょうか。
私にその道が、歩み切れるでしょうか。
陛下との誓い。果たしたくは思いますが。
…………。
自分で言ったこと、忘れるところでした。
疑問に思ったのだから、それは口にしませんと。
「その、お父さん。私も一つ、知りたいことがあるのです」
「なんだい、ミスト」
「お母さんは、その……あのような最期を、迎えられて。その」
口に出すと、怖い。
お父さんの顔が、まともにみれない。
ですが、お父さんの答えの声は、存外に明るくて。
「……長年、ともに生きた僕の勝手な想像だが。
とても満足して、逝ったと思うよ。
業の深い、人生を送ったにしてはね」
御者台の年老いた父が、少し手綱を緩め、速度を落としながら。
空を、見上げます。
「50まで生きて、娘も守れて。
悪党を焼き足りない、とは思っていそうだけどね?
でも襲って来た奴らは、きっちり返り討ちにして。
彼女らしい、最期だったよ」
思わず、少し笑ってしまいました。
もう遠い日のお母さんの姿が、思い起こせる、ようで。
「私も、そう思います」
「僕もそう思うよ。一緒に居た頃は、意識はなかったけれど。
彼女の炎は、僕の中にも生きている」
不思議です。
それは、モンスターにも受け継がれるものなのでしょうか。
それとも、ローズが特別、なのでしょうか。
…………この子は、人の愛を、理解するのでしょうか。
もしもその思いを、わかってくれるなら。
私は――――。
「それでこそ、火傷顔だ。
僕も先は長くない。
そのあとは――娘を任せる。ローズ」
「分かったよ、フェルン」
私も何か言おうとして……言葉に詰まりました。
お父さんも、もう50を超え。
御病気はないとはいえ、いつ天に召されてもおかしくありません。
長く達者でいてほしい、そうは思うけれども。
ならばせめて母のように、その終わりが満足するものであるように。
目を伏せ。
誓いを、思い起こす。
私は、悪を焼きましょう。
「……王国はサイラス様の元、しばしは安泰でしょう。
我々は、次を考えなくてはなりません」
奴らが腐敗させた貴族の掃除は、しばらく続くでしょう。
あの男の自白に、証拠までついています。
高位貴族共であっても、逃げられません。
今のところは監視も続けます。
動きは、まだないようですが。
必要とあれば、舞い戻りましょう。
いずれにせよ、王国は一度更地になる勢いで粛清の嵐が吹き荒れます。
内戦になりそうなものですが――危険なところは、真っ先に潰しています。
今残っているのは、保身と臆病さをほどよくお持ちのところばかり。
立て直しは大変でしょうが、サイラス様なら、きっとやり遂げてくださる。
ならば我々は。
「外国にでも行く?」
「そうしましょう。このまま東の国境を出て、まずはそちらから。
お父さん、それでどうでしょう?」
東。
奴らが入ってきたという、隣国。
おそらく、出どころはさらにその先ですが。
――――根絶やしにしてやろう。
「君が決めていいんだよ、ミスト。
でも、僕も賛成だ。あそこから、始めよう」
「分かりました。
では引き続き、悪党を焼きましょう。
我らが――――」
三人、顔を見合わせ。
その火傷跡を、醜く歪ませる。
「「「燃え尽きるまで」」」
◇ ◇ ◇
寓話・フライフェイスは、時代を下ると語られる内容が膨れ上がっていく。
当初調査では、さした種類ではなかったものの。
第四版発刊以降、実はフライフェイスのものでは?という話が多く舞い込んだ。
特に多かったのが、『怪物』についてだ。
語られる内容は、様々だった。
―――ー曰く、霧や煙の中から現れる。または霞そのもの。
――――曰く、人の姿をしている。否、人の合いの子である。
――――曰く、一人、あるいは一つではない。もしくは……
『怪物は、人と結ばれた』。
これらが本当に同じものを指しているのか。
ただの噂か、はたまた実話に由来するものか。
判断は非常に難しく、細分化しながらまとめることになった。
だが一つだけ。
『怪物』を語る中で、多くの話に共通しているものがあった。
それは。
『怪物』は、正義ではない。悪である。
自身を含めた、過ぎた悪党すべてを焼く。
しかしそれは、ただの炎ではなく。心無い魔物ではなく。
悪を焼くことに確かな喜びを見出す、ある種の邪悪なのだ。
今日もまた。
暖炉の奥から。
空の彼方から。
あるいはあなたの後ろから。悪事を嘲笑う声がする。
────フハハハハハハハハハハハ…………
ご清覧ありがとうございます!
評価・ブクマ・感想・いいねいただけますと幸いです。
===========
長い文章、ここまで読んでいただき本当にありがとうございます。
言い訳なのですが、当初続き物のつもりはありませんでした。
ですが復讐を果たした彼女の、終わった後の物語が湧いてきたのです。
===========
前作『火傷令嬢、悪役になりて、恋と燃ゆる』(復讐のクライムファイターもの)もよろしければご覧くださいませ。
次作完結編『火傷聖女、悪魔となりて、永劫に燃ゆ』(聖女革命もの)、7/24 7:00投稿です。
また拙作『やり直したら悪役令嬢に攻略される乙女ゲーになりました。』(乙女ゲーベースの百合物)も連載中です。
ページ下部より、リンクを用意しております。