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カワウソさんの異世界ワンダリング!  作者: カワウソおじさん
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第三十七話 にしのおやこ

 ウィスタリアに抱かれながら、森の木々の間を抜けて行く。

 驚いたことに、木の根や岩で凸凹した地面を、ウィスタリアは一切の足音も立てずに歩いていた。


 居合においても、足音を立てずに歩いたり走ったりする技法はあった。

 踵を地面から紙一重に浮かせて、足の指の付け根だけを使って、身体を上下させずに摺り足気味に動く、虎の一足や虎走りという歩法。

 あれ、膝と足の裏の筋肉を使うから、めちゃくちゃ疲れるんだよね……。


 それに対してウィスタリアは、普通に歩いているのに足音がしない。

 様々な創作で、エルフは森の民と言われる所以は、こういった部分にもあるのかもしれない。


 木の枝を避けるたびに、ウィスタリアの一つ結びにした髪が揺れる。

 日の光の下ではキラキラ輝いていた髪が、木陰ではほんの少しだけ淡く、紫色を帯びているように見えた。

 それはさながら、枝から流れるように揺れる、一房の藤の花のようだった。


 そう言えば、藤のラテン名もWisteriaだったっけ。




「もうすぐ着きますからね」

 ウィスタリアがカワウソさんの背中を撫でる。

 そのまま顎の下を、コチョコチョと指先がくすぐってきた。

 思わずへにゃり、と全身が垂れ落ちるような感覚を、ウィスタリアの両腕に委ねてしまう。

 やばい、この子の撫でテク、超気持ちいいんですけど!


 蕩けそうになる目を前方に向けると、森の切れ目に岩場が見えた。

 進むにつれて、視界が開ける。


「ここです」

「ほえ?」


 眼前に広がるのは、切り立った崖。


 そして、ウィスタリアがしばらく崖に沿って歩くと、幅1メートルほどの切通があった。

 その岩の隙間を抜けた先。

 ドーム状に抉れた断崖と、ぐるりと薄い岩の壁に囲まれた、大きく開けた空間があった。

 そこには庭があり、片屋根の木造平屋建てが、でんと佇んでいる。


 そうか!

 木の陰や岩の形状に上手く紛れて、岩の壁が、その奥にある崖と同化して見えていたのか……


「びっくりしました?」

 見上げたウィスタリアが、片目を瞑った悪戯っぽい顔で微笑んでいた。


「いや、これは……気付かないわ」

「大昔に、妖精が悪戯で作った場所らしいですよ」

 魔法って、地形まで変えられるんだ……大昔の妖精って凄い。

 うん、だからウィスタリアさん、そんなキラキラした目でカワウソさんを大魔法使いと同列に見るのはやめて欲しい。

 プレッシャーでカワウソさん、ポンポン痛くなっちゃう!


「ウィスタリアは、妖精に何か思い入れがあるの?」

「……ほぇ?」

 何気なく聞いてみたら、ウィスタリアの口から変な鳴き声が漏れた。


「いやほら、妖精の話をする時、すんごい目が輝いてるじゃない」

「そんなことは……にゃいです」

 あ、噛んだ。

 ついでに目も逸らした。




「あら、もう帰ってきたの?」

 唐突に、ウィスタリアの背中の向こうから声が降ってきた。

 柔らかな印象の、優しい声だ。



「お、お母さん?」

「お帰りなさい、ウィスティ」


「子供っぽい呼び方は止めて欲しいです……」

「あらら~、恥ずかしがっちゃって、可~愛い」

 一回り大きな影が、ウィスタリアをむぎゅっと抱きすくめた。


「あら、動物を拾ってきちゃったの?」

 声の主が、ウィスタリアの肩越しにこちらを覗き込む。

 緩くウェーブのかかった、肩まである銀髪。ウィスタリアと同じ髪色だ。

 やや垂れ気味の目をしているが、全体的な顔立ちは、どこかウィスタリアと似た印象を与えている。

 やはり、その耳も尖っていた。


「この子は……あ」

 カワウソさんがウィスタリアの腕からするりと抜け出して、両の足で地面に立つ。

 うん、残念そうな顔するのやめよっか、ウィスタリア。


「どうも初めまして。最近この辺りに引っ越して参りました、カワウソのコヅカ・コウゾウと申します。本日はご挨拶に罷り越した次第です」

 ヒョイ、と帽子を取って胸の前に。

 そのまま恭しく腰を折る。

 何度も鏡の前で練習した、完璧な男の挨拶である。


「カーソン・コズコーゾさん?」

「……すみません、カワウソです」


 うん、これさっきもやったやつ!

 親子って、同じ反応するんだね。

 血の力って恐ろしい!


「お名前はカワウソ君と言うのかしら?」

「カワウソは、この姿の動物のことですね。姓がコヅカで、名前はコウゾウと申します」


「ふふ、コウゾー君ね。私はウィスタリアの母で、パミュエラよ」

 パミュエラさんが右手を差し出してきた。

 

 ちょこん、と小さな前足でパミュエラさんと握手する。

 温かさと柔らかさに、優しく包み込まれるような握手だった。

 この世界でも、握手は挨拶の手段なんだね。


「今後とも、良き隣人でありたいと思っておりますので、よろしくお願いします」

「ええ、親子共々よろしくね。ところでコウゾー君は獣人さん?それとも……魔獣かしら?」

 パミュエラさんの目の奥に、一瞬だけ浮かんだ色に、ヒゲがピリリと揺れた気がした。


 魔獣とな?

 そう言えば、ミュルキの森の別名が魔獣の森だって、赤髪の妖精さんが言ってたっけ。


「人畜無害のカワウソですよ。魔獣って、動物とは違うのですか?」

「そうね~。簡単に言うと、ヒトに害を成すのが魔獣で、それ以外が動物といったところかしらね。そうそう、コウゾー君がこの間倒した、湖のヌシみたいなのが魔獣よ」


 なるほど、害獣=魔獣というわけね。

 確かにレッサーさん、人を襲いそうな凶暴さだったっけ。カワウソさんなんて、問答無用でストンピングされかけたし。

 と言うか、なんでパミュエラさんは知っているんだろう?


「ひょっとして、見られてました?」

「ええ、ばっちりと」

 あの時、森の中にいくつも気配を感じたけど、パミュエラさんもいたんだ……。


 あれ、カワウソさんはそんな魔獣を倒しちゃったわけで……

 マズい!このままだと危険な魔獣って思われちゃうかも!

 始まっても無いのに、ご近所トラブルなんてノーセンキューだ。


「カワウソさん、実は妖精なんです。人恋しくて彷徨っていたところで、レッサーパンダさんに襲われちゃいまして」

「それで返り討ちにした、と」

パミュエラさんが頬に手を当てて思案する。


「成り行き上、仕方なかったんです!」

「……なるほどね。妖精さんだったらあの結果にも納得ね」

 再びガバッと視界が上に移動する。

 おおう、またウィスタリアに抱き上げられちゃったみたい。


「そう!妖精さんとお友達になれたんです!」

「ふふ、妖精さんなら、ウィスティが懐くのも頷けるわね」

 パミュエラさんが意味ありげに笑う。


 んん?どういうことだろう。

 ウィスタリアの方を見ると、スッと目を逸らされた。


「どういうことですか?」

「この子が好きなお伽話に、妖精さんが出てくるのよ」

「ちょっと、お母さん!」

 話したそうな顔の母親と、恥ずかしそうな少年。

 そこまで言われると、気になるじゃない。


「お伽話ですか。どんな内容なんです?」

「エルフに伝わる昔話でね。エルフの英雄と妖精の女の子が一緒に冒険をする物語なの。最後に悪い王様を倒した2人は結ばれて、色んな種族が平和に暮らす国を作ったっていうお話ね」


 なるほど、英雄譚か。

 うん、男の子が特別な存在に憧れるのは、どの世界でも共通なんだね。


「妖精と結ばれる……ひょっとして」

「ふふ、そういうことよ」

 なるほど、ウィスタリアの理想の異性は妖精と。

 あ、ウィスタリア、耳まで真っ赤。

 まあ、親と色恋話をするのは恥ずかしいもんね。


 妖精で、女の子。

 一瞬、脳裏に赤い髪の存在がチラついた。

 うん、あれは肌色比率が高すぎる。少年の健全な育成には不適切だ。


「うーん、妖精の女の子に1人だけ心当たりがあるんですけど、紹介するにはちょっと問題が……」

「え?」


 パミュエラさんが不思議そうに首を傾げた。

 おかしい、何かが激しく噛み合っていない感じがする。


「あ、説明が足りずにすみません。ウィスタリアが憧れてるって聞いたんで、せっかくなら妖精の異性を紹介できればな、と」


 パミュエラさんはしばらく逡巡すると、ウィスタリアの体の一部、正確にはカワウソさんを抱いている辺りを見ながら、あー、と納得した表情を浮かべる。

 そのままちょっと気まずそうに口を開いた。


「あのねコウゾー君。見た感じでは分かりにくいかもしれないけど、ウィスティ、女の子なのよね……」

「は?女の子……?」


 その瞬間、カワウソさんの身体からミシリ、と音がした気がした。

 あれ、気のせいかな?ウィスタリアの腕がギリギリと締め付けてくるような。

 あのー、ウィスタリアさん?さっきからアバラが!アバラがカワウソさんにゴリゴリ当たって……痛い痛い痛い!


 縋るようにパミュエラさんを見る。

 あ……黙って首を振られた!


「……まだこれからです……お母さんの娘ですから、成長の余地は十分にあるはずです……」

 一方のウィスタリアはと言うと、ボソボソと未来への希望を呟いていらっしゃった。未来への希望が呪詛みたいに聞こえて怖いよ!


 まあ、確かにパミュエラさんのスタイルは物凄い。

 ピッチリとした七分丈の上下インナーの上から、ウィスタリアと同じような貫頭衣を着ている。

 その貫頭衣を纏めているのは尻尾ではなく、幅広の帯。

 この帯がもうね、ウエストの細さは勿論のこと、胸部から溢れんばかりの母性が大きく自己主張するのを、これでもか!と引き立てていて目のやり場に困るのよ。

 刺繍も、ウィスタリアのものは直線を多用したものが多いのに対して、パミュエラさんの服や帯は、柔らかい曲線が優美で立体的な模様を描き出している。この辺りは技術の差が如実に表れているのだろう。


「ところでコウゾー君」

「何でしょう?」

「さっき言ってた紹介できない女の子って、コウゾー君の良い人だったりするのかしら?」

 パミュエラさんが片目を瞑って、悪戯っぽく笑う。


 脳裏に赤い髪をした妖精少女の笑顔が浮かぶ。

 記憶の中の彼女が、カワウソさんの頭をバシバシ叩きながら、オッサンのように笑い転げていた。

 ……あれが?カワウソさんの良い人?


「あ、それは無いです。勘弁してください」

「すっごく冷めた目してるわよ、コウゾー君」

「恥じらいの無い女性はちょっと……あいたッ!」


 コツン、と何かが頭に当たった。

 落ちた物を、パミュエラさんが拾う。


「何ですか、それ?」

「……ゴブリンの牙ね。どこから落ちてきたのかしら」


 この会話の流れでゴブリンの牙?

 ふと、赤髪の妖精さんの言葉が脳裏に蘇った。


 ―――アタシが嫌なら、ゴブリンと結婚する?お嫁さんいっぱいだよ、やったね!


 ゾゾゾ、と背筋が寒くなる。まさか⁉

 ブンブンと左右を見る……何もいない。

 ガバッと上を確認する……何もいない。


 良かった、赤い悪魔の影は見当たらない。

 ヤツの仕業では無かったようで、カワウソさん安心した!



「むー、さっきからお母さんばっかりカワウソさんと話してずるいです」

 ようやく立ち直ったウィスタリアが、不満そうな声を上げた。


「あらあら、あとは家の中でゆっくりお話ししましょうか。コウゾー君もそれでいいかしら?」

「お邪魔してもいいんですか?」

「お客さんなんて滅多に来ないから、ぜひ上がっていって頂戴」

 パミュエラさんが家の引き戸を開ける。


 そこには森の中の土や木とは違う、確かな人の生活の匂いがした。

 それは、この姿になってからずっと恋焦がれた、温かい匂いだった。

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