第三十六話 まじゅつ
「カワウソさんは、どうして人の言葉を話せるんですか?」
少年こと、ウィスタリアがカワウソさんの頭を撫でる。
あれ?もしかして、小動物と思われてる?
「こんな見た目だけど、一応、妖精らしいよ?」
「妖精さんだったんですか⁉」
ウィスタリアがグッと詰め寄る。
近い近い!
目なんて、すんごいキラキラしてるし。
妖精って、珍しいのだろうか?
赤髪の妖精さんは、動物の姿をした妖精も街にいるって言ってたはずだけど。
「ひょっとして、妖精を見るの初めてかい?」
「はい!魔術、じゃなくて魔法を使ったり、空を飛んだりできるんですよね?」
カワウソさんの心にクリティカルダメージ!
しかも2ヒット!
ごめん、どっちもできません!
火を出そうとして、赤い葉っぱ呼ばわりされたトラウマががががが!
「ははは……妖精になったばっかりで、まだどっちもできないんだ……」
「すごい!生まれたての妖精さんなんですね」
誤魔化した大人の言い訳を、全肯定で返された。
ウィスタリアが良い子過ぎて、目を合わせ辛いんだけど!
乾いた笑いで明後日の方を向くカワウソさんを、ウィスタリアが撫で回す。
おおッ!モフモフするのもいいけど、されるのも悪くないかも。
可愛い動物に生まれ変わったんだし、いっそ愛玩動物として愛され獺生を送るのも良い気がしてきたや……あ!その前にお土産渡さなきゃ!
ナデナデの心地良さから、スッと現実に戻る。
「あのー、これ、お近付きの証に」
そう言って、フロートに入れたお魚さんを差し出す。
「こんなに沢山、貰ってもいいんですか?」
ウィスタリアが物珍しそうに、魚を指先でつつく。
あ、魚跳ねた。
「どうぞどうぞ。魚、嫌いじゃなかった?」
「大好きです!でも、矢を中てるのが難しくて、なかなか捕まえられないんです」
良かった、お土産のチョイスは間違ってなかったみたい。
ん?魚を矢で?
水中で威力が減衰しないんだろうか……あ、さっきのマナの矢なら大丈夫なのかな?
相変わらず、マナの不可思議っぷりが凄いな、この世界。
「じゃあ今度、魚の獲り方教えよっか?」
「いいんですか⁉」
おお、目がキラキラしてる。
素直な子供って、可愛い。
さすがに泳いで捕るのは難しいだろうから、魚釣りとかいいかもしれない。
「もちろんさ。子供に遊びを教えるのも、大人の役目ってやつさ」
指先で帽子のツバをクイッと上げる。
うーん、我ながらハードボイルド。
「え、大人……?」
ウィスタリアが目をパチクリさせる。
あれれ、そこ疑問に思っちゃうの⁉
「あー、確認なんだけど、ウィスタリアって何歳?」
「今年で93歳です」
わお!むちゃくちゃ年上だった!
さすが長命種の代表格なのは、こっちの世界でも変わらないようだ。
「そうなんだ~、ははは、カワウソさんもそのくらいだよ」
……ごめん、サバ読んだ。
いやほら、十の位を切り上げたら、どっちも100歳って言えなくもないじゃん?
「そうなんですね!この森だと同じ年頃の子がいなくて……あの、良ければ友達になってくれませんか?」
「うんうん、大歓迎さ。こっちこそよろしくね、あはははは」
受け入れるしか無い。
純粋無垢な目を前に、オジサン、大人であると主張することができなかったよ。
この子の前だと、赤髪の妖精さんとはまた違ったベクトルで、カワウソさんのハードボイルドが打ち消されちゃう!
「あ、そうだ!これからうちに来ませんか?うちのお母さんにも紹介したいですし、お母さん料理が上手いんですよ」
そう言って、チラリと魚を見るウィスタリア。
これは、ご馳走になれるってことかな?
エルフの料理……気になる!
そもそも、こっちの世界に来て、料理なんて一度も食べたことが無い。
魚も蟹も、確かに美味しいんだけどさ……。
カワウソさんのオジサンの部分が、素材の味よりも、人の手による料理の味を激しく欲しているんじゃああああああ!
「ご家族の迷惑にならないかな?」
「大丈夫ですよ。うち、母と2人しかいませんから」
「え……?」
それは果たして大丈夫なんだろうか?
母子の二人暮らしをしているお宅に、オジサンが上がり込む。
字面だけ見ると、色々と問題ありません⁉
ああでも、ご近所さんに引っ越しの挨拶はしておきたいし……ちょっとご挨拶だけなら大丈夫かな?
「ダメ、でしょうか?」
ウィスタリアの目に、明らかな落胆の色が浮かぶ。
こんな目で見られたら、オジサンNoって言えない!
そう言えば甥っ子、姪っ子に色々おねだりされて買い与えていたら、姉からよく怒られてたっけ。
でも結局、子供の笑顔に勝る物は無いんだよね。少なくともオジサンは勝てない。
「それじゃあ、遊びに行ってもいいかな?」
「はい!それじゃあ、案内しますね!」
ウィスタリアが、今日一番の笑顔を浮かべた。
そのまま、両腕をカワウソさんの脇の下に入れる。
んんん?
カワウソさんの視点が、すいっと上に持ち上がる。
そのままウィスタリアの腕の中に、すっぽりと収まった。
オジサン、in、少年の腕の中。
待って!字面と絵面が凶悪過ぎる!
この状態から抜け出す方法を考えねば……
「どうかしました?」
「待って!そ、そうだ、この状態だと魚、運べないんじゃ」
「あ、それでしたら……」
ウィスタリアが左手をフロートに向ける。
『風よ、我が荷を持ち運ぶ手と成れ……』
ウィスタリアの口から紡ぎ出された言葉が、文字を形取りながら、スルスルと口から左手へと流れていく。
そのまま左手の前に、光る文字から成るリング状の物体が形成された。
縁に模様が描かれた、カップのソーサーのような形に見える。
『―――《風の運び手》』
その瞬間、ウィスタリアの左手から、マナの奔流が放射状に広がりながら、ソーサーにぶつかるのが見えた。
ソーサーの文字が輝き、風が落ち葉を巻き上げながらフロートへと奔る。
「浮いてる……?」
思わず言葉が洩れた。
目の前で魚と水の入ったフロートが、地面から30センチほど浮かんでいた。
竜巻……では無い。
地面の落ち葉や砂が外側に広がっていく様子から考えて、フロートの底から地面に向かって風が吹きつけているように見える。
これは……ホーバークラフト?
「荷物を運ぶ、風の魔術です。便利なんですよ?」
唖然とするカワウソさんの頭の上から、ちょっぴり得意そうなウィスタリアの声が降ってきた。
ウィスタリアがしゃがみ込んで、フロートに結わえた蔦を手に引っ掛ける。
その手を引くと、フロートが何の抵抗も無く近付いてきた。
「これが、魔術……」
言葉や文字を使って、マナを変質させる技術。
技術ということは、何某かの法則性がそこには存在するはず。
嗚呼、研究者の性が、この未知なる技術を解明したいと叫んでいる!
「じゃあ、行きましょうか」
ウィスタリアが、カワウソさんを両手でギュッと抱きすくめる。
え?やっぱりこのまま移動するの?
見上げると、ウィスタリアの笑顔が、そこに輝いていた。
カワウソさんにも覚えがある。動物を抱いた人って、みんなこんな顔をするんだよね。慈愛と喜びが混じった、最高の笑顔。
それを見て、開きかけた口をそっと閉じる。
全身に伝わる体温にどうにも気恥ずかしさを覚えて、降ろしてって伝えたかったんだけどな……
あーあ、やっぱりオジサン、子供の笑顔には勝てそうにないや。




