第四話 わたしなにもの
愕然とする俺をよそに、フヨフヨと空中を移動する少女。年の頃は中~高校生くらいだろうか?華奢ながら健康的な肉付きの肢体が太陽の光に映えて、その瑞々しさを強調しているかのようだ。
瑞々しい全身の肌。
そう。少女は全裸だった。
少女(全裸)と邂逅したオジサン(全裸)。
出会っちゃいけない者同士が出会ってしまった。
事案待った無しじゃねえか!
わずかに残った紳士的な理性で以て慌てて目を逸らそうとするが、少女の両手がオジサンの側頭部をがっちりホールドしながら強制的に目を合わせられた。
熱っ!いや、暖かい……?少女の両手から暖かい何かが流れ込むと、頭の中で何かが合致するような不思議な感覚が駆け巡った。
『おーい、聞こえるかい?』
頭の中に響く少女の声にビクッとした。聞こえると言うよりは、頭の中に流れ込んだ言葉を脳が理解している感覚に近いだろうか。それを少女の『声』として認識できているから不思議である。
『はい、聞こえています!貴女は目の前の女の子ですよね?』
やった、これで意思疎通ができる!これなら目の前に少女に頼んで救助を呼ぶことができるかもしれない。レッツコミュニケーション!
『そそ、目の前の妖精のお姉さんだよ~。おー、言葉に込められた感情を理解するんじゃなくて、キミはきちんと言語として理解しているんだね~』
『え?どういう意味ですか?』
『いやだってキミ、生まれたての妖精でしょ?』
『いいえ、私は人間です』
お互いに目を合わせたまま首を傾げる。
秒で崩壊しちゃったよ、コミュニケーション。
百歩譲って、目の前の少女が妖精なのはこの際良しとしよう。羽あるし、浮いてるし。日本には古来から妖怪変化の伝承も数多く残っているから、きっとその類だろう。
しかしである!オジサンは純粋培養の日本人である。
『アレかい?妖精に成る前は人間のペットで、一緒に生活するうちに自分を人間だと思い込んじゃった的な?』
『んなわけあるかい!どっからどう見ても人間のオジサンでしょうが!』
再び、お互いに見つめ合ったまま首を傾げる。何か致命的な齟齬があるようだ。
まさか……全裸だから妖精と思われている?
『いやいや~、妖精だってちゃんと服着るよ?』
しかし目の前の妖精少女は全裸である。いや待て、普通に思考を読むんじゃない。
『読むっていうか、お互いに考えていることを共有しているのよさ。アタシが服を着ないのは、なんか窮屈で嫌だからってだけ。ほら、妖精は自由!服を着ないのも自由!いや~自由って素晴らしい』
『ただの露出狂じゃねえか!』
『あらま、失礼な。ここはアタシしかいないから大丈夫だもーん。人に見せつける趣味なんてあるわけないじゃん。これだからヒト型の妖精は面倒なのよね。アタシも生まれるならキミみたいな獣型の妖精が良かったな~』
悔しそうな表情の少女から顎をくすぐられる。あ、なんかこれ妙に落ち着く。
いや待て、この娘、俺に向かって『獣型』とか宣ったか?
『長いこと生きてきたけど、キミみたいな姿の獣は初めて見たよ~。獣から妖精に成ったコも珍しいけど、元の獣も珍しい……キミってレアな妖精だねっ!』
レア(生煮え)じゃない。俺はハードボイルド(固ゆで)のオジサンだ。動物は心の底から愛してやまないが、自身が動物になった覚えは断じて無い。無いったら、無い。
ふと、目の前の少女が何かを思いついた気配がして、俺から少し離れる。
そのまま両手を上に、ちょうど水平になるように向けると、少女の両手からキラキラしたものが放出され、その手の上に滞留する。このキラキラ、周囲の地面から立ち昇っているものと同種のように見えた。
「よっ、と」
少女が声をだすと同時にキラキラが集積し、一瞬にして水になった。水の玉ではなく、ちょうど水たまりを空中に持ち上げたような、まっさらな表面をした水が少女の両手の上に浮いている。なんだよこれ、脳の処理が追い付かない。
『キミ、自分の姿って見たことある?』
『そりゃあ、毎朝ひげを剃ったり顔を洗ったときに鏡で見てますが』
『あ~もう、つべこべ言わずに今確認してみる!』
『はい!』
有無を言わせない迫力に、慌てて中空の水溜まりを覗き込む。そこにはボリュームこそ減ったがフサフサな毛髪のナイスミドルな男が……ハードボイルドで渋めな目線を送る男の姿が……無かった。
むしろ頭は高校球児のような丸坊主につぶらな瞳。いや頭と言わず顔全体が坊主頭のような短毛に覆われていた。顔の中央では黒い鼻がヒクヒクし、その周囲には少し長めの白いヒゲがピンピンと伸びている。
おかしい。
右手を上げると、水鏡の中の愛らしい生き物も前足を上げた。
左手も上げると、バンザイしたキュートな生き物がそこにいた。
さらに直接自分の腕を見てみると、びっしり体毛に覆われていた。
なんか手の指の間には水かきみたいなのもあった。
オーマイガッ‼
わたくし、コヅカ コウゾウ 38歳。独身。
某企業の素材研究部門に勤務する普通の研究職だと思っていたちょっぴりハードボイルドなナイスミドルは、人間を辞めてカワウソになってしまったらしい。