第三十二話 もふもふてんごく
湖が平和になってから、カワウソさんには日課がある。
それは……水辺に現れるモフモフたちの観察である!
湖の北には草地が広がっている。
そこには鹿さんの群れがやって来て、草をムシャムシャしている。
あ~、あの純粋な目と、お尻のふわふわな毛が堪らない!
身悶えするのも程々に、器いっぱいの赤い木の実の種……マナの種を潰して作った団子を、草地のあちこちに設置していく。リスさんに与えたのと同じものである。
現時点で、これが原因でリスさんの前歯や縞模様の色が変わった可能性が高い。
がしかし、1例ではサンプルが少ないため、あくまで仮説段階。確証を得るために、湖に現れる動物たちに与えて回っているのだ。
再現性は大事!
それに加えて、仮にこの湖に現れるもふもふ達が強化された場合、湖に手を出そうとする危険な動物への牽制になるかもしれないとの目論見もあったり。
『みんなで守ろう豊かな自然』の精神だ。
今、目の前で、マナ団子を食べた牡鹿の角と蹄が、真っ黒に染まった。
もうね、ここ最近よく目にする光景なのでカワウソさん慣れちゃったよ。
黒いのはだいぶ増えてきたので、じきに銀色も見られるようになるかもしれない。
ふと、立ち姿の美しい鹿が、カワウソさんの目の前にいるのに気付いた。
角が無いので牝鹿だろうが、その蹄を見てギョッとする。
金と銀の混ざった色をしていたのだ。
まさか……この群れのボス?
脳裏に、過去に出会った巨大なウサギさんやトカゲさんといった、群れのボスと思しき凶悪な面々の危険性……うん、方向性はアレだったけど、凶暴な行動の数々が浮かんで総毛立つ。
その牝鹿は身構えるカワウソさんを真っ直ぐ見つめると、不意にスッと、まるでお辞儀をするかのように頭を下げた。
―――我が血族に強者が生まれたこと感謝する……りのヌシ殿。
「んん?」
頭に声が聞こえたような気がしたんだけど……気のせいかな?
あれか!職場の病的な愛猫家が、飼い猫の言葉が分かるって豪語していたけど、そういった思い込み的な。
ちなみにだけど、その飼い猫は常々『犬好きをこの世界から抹殺せよ』と宣っているらしい。
それはそうと、牝鹿さんがこちらを攻撃するでも無く頭を下げていた以上、カワウソさんの行動を咎める意図は無いのだと思う。
今後も鹿さんの餌やりは続行しよう、うん。
湖をぐるっと歩いて東側に行くと、そこは崖の上。
ここには1匹のキツネさんがいる。
初めの頃はツンと澄ました顔で佇んでいるだけだった。
何度かここでリスさんと遊んだりしていると、視線を感じる時があった。
視線を追うと、そっぽを向いたキツネさんの尻尾が揺れているのだ。
ある日昼寝をしていたら、キツネさんも体を寄せて寝ていた。
それがカワウソさんとリスさんにバレたのを皮切りに、一緒に遊んだり昼寝をするようになったんだよね。
「キツネさーん、今日も来たよー」
リスさんがピュイっと前足を上げる。
対するキツネさんは相変わらずツンツンしているが、尻尾がブンブン揺れていた。
このキツネさん、実はちょっぴり変わり種である。
御多分に漏れず、マナ団子をあげていたところ、毛色が黒、白、銀と、リスさんとは違った色の変遷で今に至るのだ。
……うん、この子も銀に成っちゃった!
ちなみにリスさんと同様に、銀の手前くらいでカワウソさんの言ってることが分かるようになっちゃったらしい。
首元のフサフサした毛をモフモフすると、目を細めてトロンとした顔になる。
しかしすぐに頭をブンブンと振って、懸命にお澄まし顔を維持しようとする様子が超カワイイ。
しばらくキツネさんの毛並みを堪能していると、目の前のリスさんが尻尾をフリフリしながら背中の縞模様をカワウソさんに向けていた。
「ク~、ピュルル」
リスさんもナデナデして欲しいらしい。
リクエストに応えて、こちらはコチョコチョとくすぐるように撫でる。
クルルル、と満足そうに目を細める様子がソーキュート。
そんなカワウソさんとリスさんの間に身体をねじ込むようにして、キツネさんが割り込む。
負けじとキツネさんを必死に押し退けようとするリスさん。
モフモフの密集状態……ここが天国か!
リスさんとキツネさんが、そのままじゃれ合うようにもつれ合う。
違う動物同士がじゃれ合う姿って、なんかこう、見てて微笑ましいものがあるよね。
キツネさんの前足がリスさんの頭をぐりぐり撫でる。
ねえ、それ尖った爪出てるよ、危なくない?
リスさんがモフモフの尻尾でキツネさんをペチペチ叩く。
ねえ、逆立った毛が擦れ合ってギチギチ硬そうな音してるけど、大丈夫なんだよね?
「……ホントにじゃれ合ってるだけだよね?」
不安になって確認してみると、2匹揃ってコクコク頷く。
そのまま2匹は組み合ったままゴロゴロと転がり始めた。
そういう遊びなんだろうか?
鋭い目をして噛み合ってるように見えるんだけど……甘噛みだよね?うん、そういうことにしておこう。
ゴロンと横になる。
日差しの温もりと、毛皮をそっと撫でるそよ風が心地良い。
微睡みの中にいると、左右に温もりが加わった。
目を開けるとキツネさんのサラサラと銀色に輝く毛皮と、リスさんのフワフワとした縞模様に挟まれていた。えもいわれぬ心地良さに瞼が重くなる。
うん、やっぱり天国はここにあったようだ。
起きた後は、東から南西へ。
寝起きのお散歩がてらに湖の周囲を回る。
結局リスさんは遊び足りなかったのか、キツネさんと連れ立って東の森の中に入って行った。うんうん、リスさんに友達が増えたようで良かった。
湖の北東部。
巨木の葉陰がガサリと動く。
いそいそとバッグから種団子を取り出して、頭上に掲げる。
「プルルルルー!」
スイーっと滑空してきた物体がパシッと種団子を咥え、そのままカワウソさんの顔にしがみ付いた。
「ぐえッ……いつも言ってるけど、顔は勘弁してよ。皮膜で前が見えないから!」
小さい頭を撫でると、プル~と気持ち良さそうなお返事。
しっとりモチモチした皮膜がカワウソさんの顔を覆って、何とも言えない感触を顔全体で堪能する。
この子はムササビさん……だと思う。
モモンガはもっと目がクリッとしたイメージだから、ムササビさんで間違いないはずだ。
この世界は大きさが当てにならないから、イマイチ確証が得られないんだよね。
ひとしきり食べて満足したのか、ムササビさんがカワウソさんの尻尾に移動する。
そのまま尻尾でポンと優しく放り上げると、ムササビさんは再び滑空して森へと帰って行った。
湖の西側に差し掛かる。
不意に地面にポッカリ穴が開いて、ひょこっと生き物が顔を出した。尖った耳にイタチのような顔をした動物が穴を這い出して、文字通り『瞬く間』にカワウソさんの元まで駆け寄ってきた。
残像を残した一瞬での移動。前足2本に、後ろ足は4本。
たぶん何かの幻想生物なんだろうけど、思い出せない。どっかの本で見た記憶があるんだけどな……
種団子をあげると、カワウソさんにスリスリ。
パチパチと静電気が走って、カワウソさんの毛皮が逆立つ。
「キミ、どっかのゲームの人気モンスターだったりしない?」
「チリリリ?」
目の前の動物が小首を傾げる。
残念、今では国民的人気の黄色い電気ネズミでは無かったようだ。
そもそもカワウソさんがプレイした時代は白黒で、色なんて無かったけどね!
バイバイと手を振ると、イタチ(仮)は電光石火の如く一瞬で穴の中に戻って行った。
湖の南西部。
淡いピンク色のお花畑に、今日も筋骨隆々の逞しい生き物が、少女のような澄んだ目でうっとりと花に見とれている。
「ミノさん、今日もご機嫌だね~」
「ブモ?」
ミノタウロスさんが少し場所をずれて、絶好のお花見ポイントを譲ってくれた。
2匹でのんびりと花が風に揺れるのを眺めているだけなのだが、このぼーっとした時間がカワウソさんの荒んだ心を浄化してくれる。
ん?なんか足元がこそばゆい……
「ふおおおおおおッ!」
見ると、子猫……いや、子犬?どっちともつかない小動物の群れが、カワウソさんの脛の辺りにしきりに身体を擦りつけている。
脛……擦る……スネコスリの大群?
なんという多幸空間!
そこに紛れるようにして、1匹がしきりにカワウソさんの股の下に頭を突っ込んでいた。ブキュブキュ鳴き声がする。
蚊取り線香を入れる陶器のようにデフォルメされた、子豚さんっぽい生き物だ。他の獣にでも襲われたのか、片耳を欠損している。かわいそうに。
ぐいぐいとカワウソさんの股の間に頭を突っ込んで、必死に通り抜けようとしているんだけど、うん、ゴメンね。カワウソさん足が短いんだ……
あまりにも必死だったため、足を上げようとしたところで、ミノタウロスさんが子豚っぽい生き物をむんずと掴むと、そのまま剛腕に任せて森の方に放り投げちゃった⁉
「ンモモモモモモ!」
肩で息をしながらカワウソさんに詰め寄るミノタウロスさん。
あれ、カワウソさん怒られてる?
何か気に障ることでもしたのだろうか。
「えーと、ごめんなさい……」
素直に謝ったからか、ミノタウロスさんは大きく頷くと、また体育座りで花を愛でる作業に戻った。怒られた理由はよく分からないけど、今度お詫びの品でも持って来よう。
歩きながら考える。
片耳の子豚……股をくぐらせようとして、怒られた。
「ん?片耳豚……んあ!」
思い出した……片耳豚と書いてカタキラウワ!
奄美大島出身の大学の同期が、黒糖焼酎の肴に話してくれた妖怪。
―――この妖怪に股の下をくぐられたら、死ぬ。
ゾワゾワと、背中が総毛立つ。
―――生き延びたとしても、腑抜けになる。
何が、とは言わない。ただ、カタキラウワが通った直上にある、ナニかが腑抜けになって、子供ができなくなってしまうとだけ明言しておこう。
……あっぶねえ!カワウソさん、婚活を始める前に、人生と男のどっちかが終焉を迎えるところだった!
思わずミノタウロスさんの方に向かって拝み倒す。
今度、マナの豊富な草の詰め合わせでも持っていこう。
夕焼け色に染まった湖面を泳いで、東側に渡る。
崖に沿って掘られた階段(お散歩コースのためにウサギさんの前歯スコップで掘削した)をタッタカ駆け上ると、キツネさんの縄張りに到着だ。
「リスさーん、キツネさーん……およ?」
いない。まだ森で遊んでいるんだろうか?
ホント、仲いいな~。
2匹の匂いを辿って森に分け入る。
藪をかき分けていくと、ちょっと開けた場所に出た。
「お、いたいた~……ほえ?」
リスさんとキツネさんが、寄り添うように身体を丸めて寝息を立てている。遊び疲れたのかな?
微笑ましい空間が、そこにあった。
……2匹の周りだけに。
大きくえぐれた地面。
岩に残る、無数のトゲのような穴。
樹木に残る、鋭い掻き傷。
そこかしこに残る、焼け焦げたような跡。
そんな只中に、安らかな寝顔で身を寄せ合うリスさんとキツネさん。
「キミたち、遊んでたんだよね?仲いいんだよね⁉」
今日一番の混乱がカワウソさんを襲う。
あの後、いったい何があったし⁉
すぴー、と寝息を立てる2匹の傍に寝転がる。
そして、カワウソさんは目を閉じて、考えるのをやめた。
明日は何をしよう?
あれ……カワウソさん、なんで湖にいるんだっけ……
確か、湖のそばに用があって……
そのために縄張りを広げて……
モフモフ動物王国を作って……あれ、なんか違う。
ガバッと身を起こす。
「そうだよ!ヒトとの交流ッ‼」
カワウソさんの目標を忘れさせるとは……モフモフの魔力、恐るべし!




