第三十話 やつがきた
決死の縄張り争いから3日。
前足が生えた。
もうね、色々とツッコミたいんだけど、唐突にニョキニョキ生えてきたのよ。
普通はさ、生えるにしても時間と共に、少しずつ形成されていくって思うじゃん?それが一気に生えてくるとか心臓に悪すぎるわ!
エイリアン的な何かが生まれてくるんじゃないかって、不安で固まったカワウソさんの心配を返して!
傍らではさっきからリスさんが、小躍りしそうな勢いで無邪気に喜んでいる。
うん、まあ無くなったままよりは良いんだけどさ。なんか釈然としない。
2本に戻った前足でリスさんをわしゃわしゃ撫でると、プキュプキュ気持ち良さそうに鳴いている。うん、今日も可愛いな、ちくしょう!
あれから湖の周囲を探索した。
湖の形状はラグビーボールのような楕円形。
目測で南北に600m、東西に400mくらいなので、全周は1キロ半といったところだろうか。
時計の12時と10時の辺りから湖に流れ込む小川があり、6時の位置にある幅広の河川から水が流れ出している。
北には広い草地があり、東側は全体的に土地が高く崖になっている。
西側は対照的に砂浜が広がっており、南は徐々に細くなって川を形成している。
湖と川の接点、7時の位置に、ちょうどいい感じの岩場と洞窟を見つけた。
洞窟の前は入り江のようになっていて、周囲から見えないため拠点に最適だった。
早速岩場の上にレッサーさんの頭骨を固定した木の棒を立てて恒例のマーキングをした。
レッサーさん、いつまでもそこで湖の平和を見守っていてください。
目は……まあ、リスさんが食べちゃったけど。
レッサーさんの肋骨で作ったフロート3号は、この岸辺の拠点に係留している。
その大きさは人が乗れるボートサイズだ。
今まで収集した骨の塊やそこそこの量の赤い木の実の種、予備の道具がこれに積み込んである。
万が一、逃げるような事態が起きたらそのまま脱出できるようにである。
うん、防災セットは災害に備える日本人の基本だよね。
よし、前足も戻ったことだし、肩慣らししておこう。
サッと砂浜から湖に潜る。皮膚の引き攣った感じや筋肉の萎えた様子は無い。
久々に両の前足で水を大きく掻くと、一気にスピードが上がる。
大ぶりの魚が目に入ったので、そのままキャッチして陸に揚げた。
そして気付けば、魚が並ぶいつものお祭り状態と相成った。
1匹を平らげたところでピクリとヒゲが揺れた。
ちょっと待って……今までの経験から嫌な予感しかしないんですけど!
ヒゲに導かれるまま視線を森に向けると、大量の笹を肩に担いだ白黒の生き物が姿を現した。
レッサーじゃない方のパンダさんである。
互いの視線がぶつかり合うと、黒い模様で縁取られた円らな瞳に歓喜の色が浮かんだような気がした。
魚の尾を掴む左前脚に力が入る。
カワウソさんの嫌な予感メーターがグングン上昇してるんだけど、どうしよう?
パンダさんが1本の笹を口に咥えて横に引くと、笹の葉が歯にザバババっとこそぎ取られる。
そのままムシャムシャしながら、幹の中ほどをスパンと爪で斜めに切り落とした。
そして、ゆっくりとその尖った先端をカワウソさんに向ける。
これは……まさか!
かつてとある島国が来たる本土決戦に向けて全国に大量に配備した最終決戦兵器があった。
国民は日常的にその兵器を扱う訓練を行っていたという。
ちなみにその兵器はある戦争でゲリラ戦のトラップとして猛威を振るい、敵軍を恐怖に陥れた実績も持っていたりする。
その銘は、竹槍。
農民がその槍を一突きしただけで、ある戦国武将の天下が3日で終焉したとも伝えられる名槍である。
いやまあ、目の前のそれは笹なんだけどね。
パンダさんはその笹槍を逆手に持つと、大きく振りかぶった。
嫌な予感メーターが振り切れる。
黒いぶちの奥で眼がキラリと光ると……カワウソさん目掛けて投擲した!
「うっそだろ、おい!」
左前脚と腹の間の空間を鯉口に見立てて魚の尾を右前足で引き抜き、そのまま足首のスナップで魚を振り抜く。
ペチン、と魚の腹が笹の側面を叩く感触。
居合。
もしこれが魚ではなく打刀であればそう評されるであろう動き。
正しくはその居合における『抜き付け』という、鞘から抜くと同時に斬り付ける動作である。
なぜそんな真似ができたのか?
答えは、居合道がカワウソさんの数少ない趣味だったから。
別に強くなりたいとか、そんな崇高な理由でやっていた訳ではない。
いやー、ちょうどいい感じの全身運動になるから、十代の頃からダラダラと道場に通い続けていたんだよね。
それにしても、咄嗟に身体が動いて良かった……。
笹槍はそのままギュインと角度を変えると、湖で翼を広げて気分上々で水浴びをしていた巨大なカラスさんの、喉元スレスレを通過していった。
翼を広げたまま静止したカラスさんが、ギ、ギ、ギ、と錆びたブリキのような鈍い動作で首を回してこちらを見る。
その眼がまたお前か!と言っているような気がした。
おかしいな、初対面のハズなのに……。
パンダさんがなるほど、とばかりに頷く。そのまま2本目を投擲した。
さっきと同じように魚を抜き付ける……が。
今度は回転がかかっていたようで、笹槍は魚の腹を滑るようにすり抜けていった。
後方でカン!と甲高い音が響く。
慌てて振り返ると、湖面に茶色い毛玉がプカプカ浮いているのが見えた。
あの独特のフォルムは……おお、カピバラだ!
カピバラさんが白目を剥いて、ヘソ天のままプカプカ湖面を漂っていた。
当たっちゃったのかな?
「ブヒヒヒン!」
パンダさんが勝ち誇った顔で嘶く。
オーケイ、理解した。
パンダさんの好物である笹と、カワウソさんの好物である魚。
これは……どちらの好物が上かを、ハッキリさせるための勝負であるということか!
パンダさんが笹槍を逆手に持ち、投擲の構えを見せる。
相対するカワウソさんは魚の尾を左腰に持ち、自然体で立つ。
居合の構えと聞くと、多くの人は左半身を後ろに引き、前傾姿勢で頭と右肘を大きく前に出す格好で、右手が今にも柄を握らんとする……そんなポーズを連想するだろう。
なぜそのような構えを取るのか?
―――創作だとその方がカッコイイから。
現実ではそんな真似はしない。
だって、頭とか利き腕を相手に差し出したら危ないじゃん?
手を柄の近くに構えて、今から居合やりまーす!と見せるのもマズい。
次の手が相手にバレちゃうじゃん!
腕の動く先を狙われて、下手したらこの前のカワウソさんの前足みたいに、肘から先が、フライハイしちゃう。
本来の居合に『構え』は存在しない。
敢えて言うなら、すれ違う瞬間であろうが、座礼の最中であろうが、敵と居合わせた時の格好がそのまま『構え』となる。
相手に気付かれないように、そっと柄と鯉口に手をかけて、コッソリと鯉口を切る。
徐々に抜くスピードを加速させながら、鞘を後ろに引く。
あとは、刀の切先(先端)が鞘から抜ける瞬間に、刀を持った拳を握り込むだけ。
気付かれず、最短距離で、無駄の無い所作。
居合の抜き付けは、決して鞘からの早抜きではない。
実は剣速だけなら、諸手で刀を振った方がよっぽど速いし、力も籠められるのよね。
居合の神髄は、相手に気取られないように抜く。
だから敵は、速いと錯覚するのだ。
……まあ、流派によって解釈は色々あるけれど。
相対するカワウソさんとパンダさん。
2匹の間を無言の読み合いが駆け抜ける。
パンダさんが前足をグッと引いて槍を投擲しようとした……刹那!
カツン!
木の実の種がパンダさんの頭に直撃した。
続いてカワウソさんの頭にもコツン、と衝撃が走る。
ぶつかった物体がブーンと飛び去った……カナブンかな、あれ?
飛んできた方を見ると、カラスさんの喉元を心配そうに撫でるリスさんがいた。
その眼がキッとカワウソさんとパンダさんを睨んでいた。
もしかして……あのカラスさんはリスさんの知り合いだったり?
やばい、冷や汗がダラダラと流れ落ちてきた!
「いや、その、たまたま飛んだ方向にカラスさんがいたと言いますか……」
「メエエエエ、ブヒン、ブヒヒン!」
言い訳をする2匹に向かって、リスさんが手当たり次第に木の実や虫を投げつける。
「ピルル!ピュイピュイ‼」
プリプリ怒るリスさんから、そこに座りなさい!と言われた気がして、背筋をピシャリと伸ばし座る2匹の獣。
パンダさんを見ると、まるで過去のトラウマに出会ったかのような引き攣った顔をしていた。
過去にリスから怒られた経験でもあるのだろうか?
それにしても、怒ったリスさんもなかなかプリティー……
うげッ、リスさん、芋虫投げるのやめて!
その後、カワウソさんとパンダさんはヘコヘコ頭を下げ続け。
カラスさんが止めるまで、リスさんは木の実やら虫やらを投げ続けたのだった。
うん、最強の食べ物は魚でも笹でもなかった。
リスさんの頬袋に詰まっていた、木の実や虫。
キミたちこそがこの森の最強グルメだ!
……あれ?
そう言えばカピバラさん、どこいっちゃったんだろう?




