閑話 小さな瞳に映った結末は
―――これは、小さな『リスさん』の身に起こった、大きな変化の物語。
カワウソさんの元に向かおうとしたところで、急に森がざわつき始めた。
湖のヌシの首を食いちぎったカワウソさんは、ゆっくりと死体に腰かけて首を放り投げた。
いつもの抜けたような雰囲気とは違う、鋭い眼光が森の生き物たちを射抜く。
―――グルルッ……ギィィィィイイイイイイイイ‼
頭の奥を揺さぶるようなカワウソさんの鳴き声に自然と足が震えた。
森のざわめきが怯えの色に変わっていくのを感じる。
「チッ……うるせェ」
「ヒッヒッヒッヒ」
声といっしょに気配が近付いてくる。
「なんじゃ、『銀爪』の獅子に『銀毛』の狒々か。北の連中も来よったわい」
「俺は銀爪なんかじゃねェッつってんだろ!牙の方で呼べやジジイ!」
銀爪と呼ばれた……首の周りが鬣で覆われた四本足の動物が吠えた。その牙と爪が銀色に輝いている。
もう一方の銀毛は巨大なサルだ。木にぶら下がって体を揺らし、唇を反り返らせて笑っていた。
「銀に成りたての小僧が吠えよるわい。ほれ、そこのカピバラが『銀歯牙』じゃ。そやつが死んだら呼んでやるぞい?」
「ちょ!とばっちりっスか⁉」
その瞬間、獅子がカピバラさんに喰らい付く、が。
「くそッ、かってェ!」
銀色に光る鋭い牙が、まったく刺さっていない。
「はあー。せめておいらの毛皮を傷つけてから吠えるっスよ、坊主」
噛まれたままのカピバラさんが平然と立ち上がる。
のんびりした雰囲気だけど、この動物も強者なんだと実感する。
「くそッ、もっと喰って強くなったら噛み千切ってやる……」
獅子が飛び退って唸る。
「それは我が同族のように、か?」
凛とした、怒気のこもった声が静かに響いた。
いつの間に現れたんだろう?一頭の牝鹿がいた。
その後ろ足の蹄が獅子の喉元にピタリと押し当てられていた。
その蹄の色は、少し金色を帯びた銀。
「『銀蹄』……てめェ!」
「確かに狩られるのは弱き者の宿命だが、手あたり次第に狩られると我が同族が減って困るのだよ」
二頭が睨み合う。
「あのさあ、北の争いを僕の傍にに持ち込まないでくれる?」
一瞬で空気が冷たくなった。
声の主は、ぐでんと座っていたパンダさん?
その姿に似つかわしくない、有無を言わせない声だった。
「失礼した」「……わーったよ」
二頭が素直に引き下がった。パンダさんすごいや!
その時だった。空気が震えたのは。
―――この取るに足らぬ湖のヌシはこのカワウソが食い殺してくれた。今日からこの領域は我が縄張りである。
カワウソさんの鳴き声が響く。縄張り宣言だ!
「あの灰色野郎ォ……俺が狙ってた土地を掠め取りやがった!」
「獅子の小僧、おぬしあのレッサーパンダに挑んで追い払われとったじゃろうて」
「うるせェ!どんだけ昔の話をしてやがる!」
―――水を飲み、草を食むことは許可しよう。貴様らで好きに使え。
「ほう、あのカワウソとやら、縄張りを好きに使えとは、カカカッ!面白いことを言うたわ」
「ふむ、我が同族の餌場が増えるのは歓迎だ。今度の湖のヌシは好感が持てる」
カラスさんが笑い、牝鹿さんが今までの殺気が嘘のように穏やかな声で感心していた。
友達が褒められるのって、なんかうれしい。
―――だが、我が縄張りで獣を狩ること罷り成らん。
そのカワウソさんの一言で、森の一角が色めき立った。
「あの怒り狂っておる単眼は……イッポンダタラかのう?」
「あれれ、腕が一本しか無いからファハンじゃない?」
「あれは東のヌシを自認している『銀眼』のサイクロプスですね。前に私の縄張りを奪いに来ましたので、角で片腕を千切り飛ばして差し上げました。だから一本腕なのですよ」
「また、紛らわしいことをしてくれたのう、銀角や」
剣呑な空気を物ともしないカラスさん、パンダさん、ミノタウロスさんが緩い会話を繰り広げている。
ボクはこの凄い動物たちの中にいてもいいんだろうか?
すごく場違いな気がする。
そんな強者の向こうで、カワウソさんが森をジッと見据えていた。
手近な石ころを拾うと、ボクには見えない速さで尻尾を振り抜いた。
「ギャアッ⁉」
引き攣った声と、何かが崩れ落ちる音がした。
「カワウソとやら、銀眼の目を撃ち抜きよったわい……」
カラスさんが咄嗟に、翼で自分の喉元を覆っていた。
3回も石やら木の実やらをぶつけられてきたからか、無意識に咽喉を守ったみたい。
「凄いや、僕と遊んだ時よりスピードが上がってる、よっと!」
パンダさんが石を拾って投げた。
石が猛スピードで飛んで行って、向こうからバチャンって何かが弾ける音がした。
たぶん、カワウソさんが石を弾いたのと同じ方向から。
「うーん、やっぱり僕がやると頭が弾けちゃうね。カワウソくんみたいに綺麗に撃ち抜くにはどうしたらいいんだろう?今度ニンゲンで実験してみよう!」
「悪夢っス……パンダの旦那が2匹に増えたっス……」
カワウソさんとパンダさんを交互に見ながら、カピバラさんがカタカタ震えていた。
「さて、この場に偶然にも森の『銀』が揃ったわけだけど」
「一匹はお主が消しておいて偶然とはよく言うたもんじゃ。ただでさえ少ない『銀』がまた減ってしもうたわい」
カラスさんがため息をつく中、パンダさんが銀色の面々を見回す。
「今まで僕らが『森のヌシ』を押し付けていたレッサー君が死んじゃったわけだけど、次のヌシ、どうしよっか?」
「実力的には『金』に成りかけとる白黒のじゃろう」
「え、やだよ面倒くさい。年齢的には銀嘴のおじいちゃんでしょ」
「儂も面倒じゃわい。白黒の次に金に近い銀蹄の嬢ちゃんはどうじゃ?」
「我は群れを纏めるので手一杯だ。銀角殿なら実力、性質共に申し分ないと思うが?」
「私は花や小動物を愛でて穏やかに暮らしたいのですよ。ですから遠慮しておきます。ヌシと言うからには、慎重な銀歯牙様が適格なのではないでしょうか」
「おいらにも回ってきた⁉臆病なおいらには無理っスよ!もうレッサー倒したカワウソでいいじゃないっスか」
……森の実力者による壮絶な押し付け合いだった。
森のヌシって言えばこの森の獣の頂点なのに、今までもこんな風に決まっていたの?
そんな事実、知りたくなかった!
「まあ、順当に行ったらカワウソくんだよねぇ。僕や銀嘴のおじいちゃんを追い払った実力もあるわけだし。銀毛はどうかな?」
「灰色、オデが喰う。ヒッヒッヒッヒ!」
掴まった木の太枝をガサガサと揺らして笑う狒々。
その唇が大きく反り返って銀色の歯が剥き出しになっている。不気味で怖い。
「なァ、白黒と銀嘴が実力を認めてンならよォ。あの灰色野郎をブッ殺したら、俺が森のヌシってことでいいよなァ?」
獅子が牙を剥き出しにして、ニタリと笑った。
カワウソさんを殺すだって?そんなの絶対にダメだ!
「もうそれでいいや」
パンダさんが笹を咥えてゴロンと転がる。
「次のヌシも力だけの馬鹿となると、困ったもんじゃわい」
カラスさんがボクの耳元にだけ聞こえるように囁いた。
正直、誰がヌシになってもボクみたいな弱い動物には関係ない世界だ。
だけど……友達が殺されるのだけは嫌だ。
冷たくなったおじいちゃんの身体を思い出してブルリと震える。
もう『寂しい』には戻りたくない。
気が付いたら、太い足を踏み出した獅子の前にボクはいた。
尻尾を逆立てて大きく振り回すと、ギチギチと尻尾の毛が擦れ合う音がする。
「なんだァ、このガキ。俺の前に立ってンじゃねェよ」
目の前の獅子の声だけで震えそうになるけど、前足にグッと力を込めて前歯を剥き出しにして威嚇する。
「やめんか童、こっちに戻れい!」
カラスさんの慌てた声がする。
だけど、ここで逃げちゃったら彼の隣に並び立つ資格が無くなってしまうような気がする。
少しでもいい、疲れたカワウソさんがほんの少しでも疲れを癒す時間をボクが作るんだ!
「クルルルルルルッ!」
「大した腹の足しにはならねェが、灰色野郎の前菜に喰ってやる……ぜッ!」
獅子の太い足が持ち上がって、斜めに振り下ろされる。
ボクは後ろ足を蹴り出して宙に浮き、振ってくる大きな足に前足で触れる。
ずっと背中で見てきたおじいちゃんの動きを思い出すんだ。
落ちてくる木の葉っぱのように、力に逆らわず……空中で相手の力を逸らして身体をくるりと回す。
ザッと、大きな足が地面に叩き付けられる音が、背中越しに響く。
……できた!
すかさず獅子の反対の足が落ちてくるけど、慌てずに同じ動作を繰り返す。
何度も、何度も。
「くっそ、当たらねェ!どうなってやがんだ!」
「ヒッヒヒヒヒヒ!へたくそ、へたくそ!」
狒々の笑い声と木の揺れる音が遠くで聞こえる。
次々と軌道を変えて頭の上に振り下ろされる大きな足の動きに目が慣れてきた。
今度は獅子の力を利用して、同時に身体をクルクルと回す。
そのままカワウソさんのように、毛を逆立てた尻尾に力を込めて獅子の前足に叩き付けた。
ザクザクと、たくさんの尻尾の毛が肉に食い込む感覚。
それも一瞬のことで、すぐに駆け出して獅子から距離を取る。
「痛ってェェェエ!このガキ殺してやる!」
ギラギラ光る牙と怒りを剥き出しにした獅子が叫ぶ。
激しい動きで息が切れて……苦しい。
正直、次も同じ動きができるかわからないや。
その時だった。
「ヒッヒッヒッヒッ……ヒュゴッ」
遠くで聞こえていた狒々の笑い声が消えた。
それから狒々の銀色をした巨体が、獅子に覆いかぶさるように降ってき……た?
その狒々の咽喉に、黒いものが突き立っている。
あれは、たしかカワウソさんが、川辺のヌシから剥ぎ取っていた爪?
「おい、銀毛どけッ!くそッ!ベタベタして離れねェ!」
獅子が狒々を振り落とそうと身体を揺さぶるけど、まるでくっ付いているかのように離れない。
爪で狒々を掻きむしるけど、血肉が飛び散るだけだった。
―――ぴゅえっくちゅん!
遠くで小さな声がした。カワウソさん?
「くそッ!離れろくそがァァァァア‼」
獅子が咆哮をあげた瞬間。
キラキラ光る花びらのように開いた大きな口が、その牙で獅子の下顎から咽喉、ついでに狒々の体を喰い破って飛んで行った。
ドスン、と獅子の身体が地面に落ちる。
その咽喉からヒューヒューと音が漏れて、やがてそれも止まった。
「何スか、何が起きたんスか!」
頬っぺたに前足を当ててあわあわと震えるカピバラさんをよそに、狒々と獅子の身体を揺さぶるパンダさんがいた。
「ふーん、レッサー君の粘液を付けた爪を狒々の咽喉に刺す。そのまま獅子の上に落っことして動けなくなったところでトドメって感じかな。動きを封じてトドメ……自分が苦しめられた方法を早速取り入れたわけだ。やるねー、カワウソ君」
「全部狙ってやったんスか?あの距離で⁉」
「偶然が重なってそうなった……ということは無いでしょうね。その前に銀眼の目に石を的中させておられる訳ですし」
カピバラさんとミノタウロスさんの顔が驚きの色に染まっている。
そっか、またボクはカワウソさんに助けられちゃったんだ。
ポトリ、と目の前に何かが落ちる。これは……木の実?
見ると、カラスさんが獅子と狒々から眼を抉り出して、次々にボクの目の前に放っていた。
「どうせあのカワウソは獣の肉は食わんからのう。代わりに童が喰っておけ」
食べろって……眼を?
前足で持ってみると、甘い匂いがした。
カワウソさんがくれる木の実の種に似た匂いだ。
口を近づけて齧ってみると、身体に何かが染み渡る。
夢中になって4つとも平らげた。
「美味しかった……ありがとう、カラスさん!」
あれ?何かおかしい。
鳴き声がいつもと違う。
「ほう、銀に至ったか。少し金も混ざっておるのう。これでおぬしも『獣の言葉』が使えるようになったわけじゃ。儂らのように意味を持った鳴き声を獣に伝えることができるんじゃよ」
「獣の言葉?」
「銀を超えた動物同士で意思の遣り取りができるんじゃ。便利じゃぞ?」
「じゃあ、カワウソさんともできる?」
今まではカワウソさんの言葉を聞くことしかできなかったけど、ボクもカワウソさんにお話しできるのかな。そうだと嬉しいな。
「うーん、それは難しいだろうね」
「なんじゃ、あやつ獣の言葉で喋っておったろうに」
うん。ボクもカワウソさんの言ってること解るよ?
それなのに難しいの、パンダさん?
「カワウソ君、妖精だよ。どういうわけか獣にも聞き取れているみたいだけど、彼が使っているのは『ヒト種の言葉』だから。獣の言葉は聞き取れないと思うんだ」
「あやつ妖精じゃったか……」
カラスさんが、憐れみを帯びた目でボクを見ていた。
そっかー、お喋りできないんだ。
「でもね、方法が無いわけじゃないんだよ?動物が金に成ると、妖精……ヒト種になれるんだ。そうしたらカワウソ君とも話ができるようになるんだよ」
パンダさんが僕の頭を撫でる。
目の前がパッと明るくなった気がした。
「ありがとう、パンダさん。でもボクになれるかな?」
「ははは、あの赤い実を食べることができる君ならきっとすぐ成れるさ」
あれ、なんでパンダさん、ボクがあれを食べれるって知ってるんだろう?
「赤い実……確か、白黒のもあれを食って金に成りかけたんじゃったのう」
「そうそう、妖精に成るとか勘弁だから今は食べてないけどね。銀縞のおじいちゃんが食べれるって教えてくれたんだ」
「銀縞って……ボクのおじいちゃん⁉」
「そうだよ。まあ、今日からは君が『銀縞』だけどね」
背中を見ると縞模様がキラキラ光っていた。
おじいちゃんと同じ銀色に、ほのかに金色が混じっている。
そっか……ボク、おじいちゃんとお揃いに成れたんだ。
「さてみんな。これで森のヌシはカワウソ君でいいよね?」
「儂はハナから反対しておらんよ」
「我も賛同する」
「おいらも賛成っス」
「私もカワウソ様を支持致します」
口々にパンダさんに同意を伝える森の強者たち。
「それで君はどうだい、新たな銀縞?」
「うん、ボクも大賛成だよ!」
笑顔でパンダさんに頷き返した。
強者たちが去った森。
残っていたのはパンダさん、カラスさんに、ボク。
「少々強引じゃったのう、白黒の。貴重な銀が3匹も減ってしもうたわい」
「えー、僕が仕組んだみたいに言わないでよ」
「銀眼にトドメを刺しておいて惚けよる。都合よく力だけの阿呆が減ったのは果たして偶然かのう。……それほどまでに森に人間が手を出しておるのかえ?」
「西の砦の連中がちょっと森をウロウロしている程度さ。僕も適度に狩ってるから大丈夫。それに、カワウソ君は不思議と『適応』の才がある。この森を今の状況に適応させてしまう気がするんだ」
「責任転嫁じゃな」
「だって森の責任者、カワウソ君だし」
ああ、カワウソさんがいないところで物事が動いていくよ。
「そんなわけだから、銀縞もカワウソ君を支えてあげてね」
「ボクで大丈夫かな?」
「格上の獅子に立ち向かった君なら大丈夫さ」
あの時は無我夢中だった。
森で一番の強者であるパンダさんに言われると、なんだかできそうな気がしてくる。
まるでおじいちゃんに言われたような、不思議な感覚だ。
「まるであのカワウソと番にでもなるみたいじゃの」
カラスさんがため息をつく。
番……詳しくは知らないけど、一緒に子供を育てる仲良しのことだっけ。
でも、同じ形の生き物同士じゃないとなれなかったはずだけど。
「あ、それいいじゃない!まあ、今は無理だけど、銀縞が金に成れば有り得るでしょ?カワウソ君と同じ妖精になるわけだし、番にだってなれちゃうじゃない。だから僕は金に成るのをお勧めするよ、銀縞の『お嬢ちゃん』」
パンダさんがにっこり笑う。
カワウソさんとずっと仲良しでいられるなら、それもいいかもしれない。
「じゃあボク、カワウソさんを支えられるように金色を目指してみるよ。ありがとうパンダさん!カラスのおじいちゃん!」
2匹に尻尾を振って駆け出した。
新しい目標に向かって。
そして……大好きな友達の元に向かって。




