閑話 小さな瞳が出会ったものは
―――これは、湖を巡る争いの裏で『リスさん』が経験した、カワウソさんの知らない物語。
「我は彼岸へと渡るが、貴君はどうする?」
ある日、カワウソさんから唐突に尋ねられた。
カワウソさんと離れるのは怖いので近寄って体を摺り寄せる。この広い水を移動するって解ったから、ヌシの骨に乗り込んで座る。
カワウソさんから頭を撫でられた。おじいちゃんに撫でられた時みたいに、心がぽかぽかする。
カワウソさんが水を移動すると、最初は怖かったけど、風が体を撫でて気持ちいい。
恐る恐る蔦を渡ってみたけど、案外平気だった。
そのままカワウソさんの頭の上の黒いのに寝そべる。ちょうど真ん中が凹んでいて、身体がすっぽり収まるのが心地いいや。
しばらくするとカワウソさんが速く泳ぐと言うので、またヌシの骨に戻る。
景色の流れがぐんぐん速くなって、とても楽しい。あっという間に岸が近付いてきた……残念。
岸に上がると、すぐにカワウソさんの頭の黒いのに登る。うん、やっぱり体にぴったりして居心地がいいや!
しばらくカワウソさんは歩き回っていたけど、急に足を止めた。
どうしたんだろう?あれ、地面が揺れてる⁉
そう思った矢先、目の前に巨大な動物がいた。
今まで見た白い長耳やトカゲ、黒い鳥なんか目じゃないくらいの大きな動物。
それが後ろ足で立ち上がって吠えた。
「グァァア!グァァア!グァァア!」
体がビリビリして竦んでしまう。カワウソさんはクルリと振り返って走り出した。
慌てて震える前足で黒いのを掴む。
カワウソさんが逃げるほどの動物って……
戦慄する僕の体がギュッと掴まれた。カワウソさん?
次の瞬間、ボクの体が空中に投げ出された。
「疾く、逃げよ‼」
カワウソさんが叫ぶ。
その姿が、あの日、ボクを逃がそうとしたおじいちゃんと重なって見えた。
ダメだよ、カワウソさんも逃げなきゃおじいちゃんみたいに死……それだけは絶対にダメだ!
慌てて前足を伸ばして藻掻くけど、カワウソさんがどんどん遠くなる。
繁みに落ちる直前にボクが見たのは、巨大な動物に吹き飛ばされて、木の葉っぱのように巻き上げられていくカワウソさんの姿だった。
あれ?
ボクはいったいどうなったんだっけ?
そうだ……カワウソさんは⁉
慌てて駆け出そうとしたボクの目の前が真っ暗になった。
違う、これは……黒い翼?
「やめておけ、童。縄張り争いに手を出すのは無粋じゃよ」
声の主を見る。そこにいたのは嘴が銀色に輝く大きな黒い鳥だった。
「あれ、『銀嘴』のおじいちゃんどうしたの?」
また別の声がする。今度は目元が黒い、白黒の熊が笹を齧りながら近づいてきた。
「おお、『白黒』の。そこなリスがあの争いに飛び込もうとしておったでな。まだ小さいのに巻き込まれて死ぬのは、見るに忍びないじゃろ?」
「おじいちゃん、よく見なよ。その子、銀の『なりかけ』だよ」
「ほう?童の成りをして大したものよ。にしてもその縞模様……おぬし、南の『銀縞』のじじいの血族かえ?」
銀の縞模様のおじいちゃん……ボクのおじいちゃんのことだろうか?
確かにここから南の方を縄張りにしていたけど。
「ふむ、その様子じゃと、銀縞のじじいの血縁で間違い無さそうじゃの。久しく見ておらんがあのじじいは息災か?まあ、何度やりあっても死なんような奴じゃが」
「あれー、銀縞のおじいちゃん来たんスか?……なんだ、カラスのおじいちゃんの方じゃないっスか」
今度は銀色の前歯をした茶色くて大きなネズミだ。
わらわらと喋る動物が集まってきた。
喋る動物って、カワウソさんだけじゃなかったんだ。
「なんじゃ『銀歯牙』か。その童は銀縞の血縁よ。して、じじいは元気にしておるか?」
ボクは……静かに首を振る。
「そうか、悪いことを聞いたの。そうか……あのじじい、この儂より先に逝ったか」
黒い鳥……カラスさんが天を見上げて呟く。
「南っていうと、最近西の砦のニンゲンがちょっかいかけてたね。リスが根こそぎ狩られてたみたいだけど、銀縞のおじいちゃんもやられちゃったんだね」
白黒の熊がボクの背中をポンポン叩く。
そうか、あの辺のリスはもうみんな居なくなっちゃったんだ……。
「まあ、そこに残っていたニンゲンはこの前僕が狩って遊んだんだけどね」
そう言って白黒の熊が笑う。
「む、おぬしの塒は川沿いの巨木だったじゃろう?わざわざ南に出張ったのか」
「あー、あの赤い実の木、お気に入りの遊び場だったんだけど取られちゃった」
「は?おぬしほどの者が取られたじゃと?誰に?」
「あの子だよ」
白黒の熊が指さした先には、カワウソさんがいた。
「まさか、仮にも『金になりかけ』とるおぬしが負けたのかえ⁉」
「まあ、遊びだったんだけどね、負けは負けさ。あはははは」
そう言って笑う白黒の熊。金?なりかけ?
「ああ、童は知らぬか。儂ら動物はのぅ、強く長生きな者ほど体の一部の色が変わるんじゃ。白から黒、銀、金とな。そこな白黒のパンダは金になりかけとるのよ。間違いなくこの森で一番の強者じゃな」
「僕は金になりたくないんだけどね」
「まだ言うておるわ」
「だって、『知識の妖精』が言ってたんだよ。完全に金になると妖精になっちゃうって。妖精に成ったらニンゲン食べちゃダメって。僕はニンゲンを狩って遊んで食べるのが生きがいなのにさ」
呆れるカラスさんとむくれるパンダさん。
ちょっと待って、さっきボクが銀になりかけてるって言ってたけど、体の小さくて弱い動物のボクが?
「まあよいわ。童、銀に至ると儂らと同じように『獣の言葉』が使えるようになるぞい。聞くだけならおぬしのように『なりかけ』でもできるんじゃがのう」
だからボクはカワウソさんの声が理解できるようになったんだ……。
そうだ、カワウソさん!
慌ててカワウソさんの方へ視線を移す。
巨大な動物、湖のヌシにカワウソさんが次々とトゲを突き立てていた。物凄い早業だ。
それに対してヌシは四つん這いになって突進を仕掛ける。
え……?
カワウソさんの前足が弾け飛んだ。
カワウソさんは不思議そうな表情の後、悲痛の叫びをあげた。
そんな……嘘でしょ?
「あー、勝負あったっスかね」
「そうじゃろうな」
『銀歯牙』と呼ばれたネズミとカラスさんが息を吐く。
それに対して、パンダさんは面白そうに笑った。
「いーや、まだだろうね。あの子は凄いよ?確かに力は強くないけど、適応するんだ。素早く察知して動いて、考えて適応する。僕も色々試したけど全部適応されちゃった。おじいちゃんもそうなんじゃない?」
言われたカラスさんは、バツが悪そうに喉元を撫でる。
よく見るとその部分の羽毛が剥げて、腫れ上がっていた。
「まあ、儂もアレの目を抉ってやろうとしたんじゃが……見つからないように空とか木の死角から狙ったんじゃよ?3回とも、すべて咽喉の同じ場所に物をぶつけられて逃げたわい」
あー、カワウソさんが追い払った黒い鳥、全部目の前のカラスさんだったんだ……。
「あの尻尾で弾くやつ?ははは、僕もやられたよ。お、舞台が水場に移ったね、やっぱり適応してきた」
カワウソさんが素早い動きで湖のヌシにトゲを打ち込んでいた。
あんなケガをしたのにそれを感じさせない動きに目を見張る。
たちまち湖のヌシがトゲだらけになっちゃった!
「のう、カピバラの。おぬし水場は得意じゃろ?アレどうにかなるかえ?」
「んー、無理っスね。おいら水に潜れるけど動きは遅いんスよ。この前だって様子見であの灰色に近付こうとしたら急に岩が落ちてきて……気が付いたら滝の手前まで流されててビックリしたっス」
「あの時流されとった茶色の塊はおぬしじゃったか。儂、空から見ておったがその岩を落としたの、あの灰色じゃぞ」
「マジっスか⁉」
「なんじゃ、ここにおるのは灰色の被害者ばっかりじゃの」
「私は彼に救われました」
そう言って、2本足の牛が立ち上がった。
「ミノタウロス……『銀角』かえ。どういうことじゃ?」
「いえね、私が花を愛でておりましたら、急に木が倒れて参りまして。驚いて突進しようとしたところ、あの者が放った石が目の前を通過したのです。そしてハッと気づきました。そのまま足を踏み出していたら、花を踏みつけてしまっていたと」
「うむ、確かにおぬしもあそこにおったのう。(その木を倒したのが灰色じゃと言うのは言わぬが花よの。踏むと碌なことにならんわい)」
カラスさんがボクの耳元でこっそり告げた事実に驚く。
カワウソさんの被害者が増えちゃった!
「おや、レッサーがもうフラフラだ」
湖の浅瀬で2頭の動物が対峙していた。
パンダさんが言うように、湖のヌシがフラフラしている。
そこに巨大な『口を生やした』カワウソさんが飛び掛かろうと構えていた。
「へえ、あの子、あんな芸当もできるんだ」
パンダさんが興味深そうに笑う。
「あの骨で出来た杭も面白かったけど、そうだ!今度竹で杭を作ってニンゲンで遊んでみよう」
「おいら、初めてニンゲンが可哀そうに思えたっス」
「あの灰色め、とんでもない奴にとんでもない物を教えよったわい。ところで、向こうに潜んでおるヒト種は遊ばなくていいのかえ?」
カラスさんの視線を受けて、ガサリと繁みが揺れる。
「ああ、あれはいいの。知識の妖精との約定で、『西の親子』と『東の魔女』は手を出しちゃダメだって。キミらも知識の妖精を敵に回したくなければ手を出さない方がいいよ」
「あやつ絡みか。もうちょっと早く言ってくれんか?儂、何年か前に魔女に近付いて羽毛を毟られたんじゃけど」
「私も魔女に角を折られましたな。今はもう生えてきましたが、あの時は参りました」
この森にはここに居るよりも恐い生き物が存在するみたい。『知識の妖精』『西の親子』『東の魔女』。この3つには近付かないようにしなきゃ。
ズザザザザザ!
湖の方から砂を滑る音が響く。
見ると、カワウソさんが砂浜に立ち竦んでいた。
どうしちゃったんだろう?
「ありゃ、足を取られておるのう」
カラスさんの鋭い眼光が光っていた。
どういうことだろう?
「足に何か巻き付いておって、動けんようじゃ。足が使えなんだら、接近できずに巨大な口も役に立たんのう」
「これで終わってしまわれるのでしょうか」
「あの灰色も、デカブツ相手によくやった方っスよ」
そんな……カワウソさん、這ってでも逃げないと!
動けないカワウソさんに、湖のヌシの前足が迫る。
舞い上がる土埃。
その時。カワウソさんがくしゃみをした。
「「「………はあッ⁉」」」
銀の猛者たちの驚きの声が重なる。
その視線の先で、カワウソさんの『生やした口』が真っ直ぐ飛んで行って、湖のヌシの咽喉を食い破っちゃった!
そのままヌシが力無く崩れ落ちる。
「あんな隠し球もあったんだ。やっぱりあの子、面白いや」
言葉の出ない周囲を余所に、一匹笑い転げるパンダさん。
よかった……カワウソさんが湖のヌシを倒したんだ!
おじいちゃん、ボクの友達はすごいんだ。
今はまだこんなだけど、ボクもいつか、あんな風になれるかな?




