閑話 小さな瞳が見てきたものは
―――これは、『リスさん』と呼ばれる小さな生き物から見た世界の、小さな冒険の物語。
ボクは森の中で暮らしている。
体は小さく、大きな生き物から隠れながら、他の生き物が食べないような硬い木の実や虫を食べて暮らしている。この生き方はおじいちゃんが教えてくれたものだ。
普通は番のメス、母親と呼ばれる存在から教えて貰うらしいんだけど、ボクにそんな存在はいなかった。代わりに体の大きなおじいちゃんがそれだった。
おじいちゃんの背中は広くて、ふさふさの尻尾まで綺麗な銀色の縞模様が流れていた。
おじいちゃんはとても力が強くて、いつも恐い動物たちからボクを守ってくれた。そんな背中に掴まっていると温かくて、とても安心できたのを覚えている。
ある日、森に白いもので体を覆った、2本足で歩く生き物がたくさんやって来た。その生き物は次々とボクと同じ動物を捕まえていった。
ボクも捕まりそうになったけど、おじいちゃんがボクをその力強い前足で投げ飛ばして助けてくれた。おじいちゃんが大声で鳴くと、なんだか逃げなきゃいけない気がして夢中で森を走った。
翌日戻ってみると、毛皮を剥がれたおじいちゃんが転がっていた。背中の銀色の縞が無くなったおじいちゃんは冷たくて、どれだけ揺さぶっても起きてくれなかった。
ねえ、起きてよ、独りは嫌だよ!
寂しくて鳴くけど、おじいちゃんは応えてくれない。その時、生き物が死ぬと体が冷たくなって動かなくなることを思い出した。必死に体を摺り寄せて温めようとしたけれど、おじいちゃんが動いてくれることはなかった。
ふと気が付くと、そこら中に毛皮を剥がれて動かなくなった、僕と同じ動物たちが転がっているのに気が付いた。昨日まで動いていたのに……。
ボクは死というものが急に恐ろしくなって、喚きながら走った。
どこをどう走ったかなんて覚えていない。おじいちゃんの縄張りの匂いがしない森を他の動物に見つからないように彷徨って、気が付いたら大きな水の傍にいた。前におじいちゃんが川と教えてくれた場所だ。恐い生き物がいっぱいいるから近付いちゃいけないとも言っていたっけ。
その日から、ボクは川のそばで暮らし始めた。
そこには大きな爪を持ったヌシと呼ばれる恐い動物がいたけど、走るのが苦手みたいで捕まることは無かった。川のそばは食べ物がいっぱいで、ボクは爪の生き物から隠れるように生活していた。
そんなある日、初めて見る生き物が現れた。その生き物は川の中も陸の上も動き回れる灰色の変な動物だった。その動物は川の生き物を捕まえると、岩の上に並べてから食べていた。やっぱり変だ。
そんな変な動物が、ヌシをやっつけた。
大きな牙も爪も無い生き物が、鳴き声だけでヌシを殺したんだ。弱い動物のボクにとってそれは衝撃だった。それと同時にボクはその変な動物から目が離せなくなったんだ。
翌日から変な動物の奇行が始まった。
せっかく倒したヌシを食べないどころか肉をはぎ落して、爪とか骨を取り出し始めた。埋めたと思ったら、また骨を取り出す。いったい何がしたいんだろう?
さらに、取り出したヌシの骨を齧ったりしている。ボクでもあれは食べ物じゃないって知っているのに、頭がおかしいんだろうか?
そう思っていたら、変な生き物はヌシの爪とか骨の形を変え始めた。ヌシの胸の骨が大きくなって川に浮かんだときはボクの目がおかしくなったんじゃないかと思った。
頭のおかしい動物が作った変な物。なんだかワクワクして近付いてみた。中に木の実の殻を割ったような形のものがあって、中に入るととても寝心地が良かった。
それがすべての間違いだった。
目が覚めると、世界がゆらゆら揺れていた。
慌ててこの場所から飛び出そうとしたけど、ピタリ、と足が止まった。
え、なんでボク川の上にいるの?
岸とつながっているのは1本の蔦だけ。
周りを見渡すと、白くて耳の長いたくさんの動物が次々と川を流れていた。ボクは意味が分からなくて震えた。
岩の向こうに大きな白い長耳が見えた。あの大きさはこの辺のヌシだろうか?灰色の変な動物はそんな巨大なヌシを目の前にして、なぜか横にヒョコヒョコ飛び跳ねる奇行を繰り返していた。あぶない、殺されちゃうよ!
なんだか大きな音がするとヌシが岩陰に倒れていた。何をしたんだろう?ボクは灰色の動物がいろんな意味で怖くなってそそくさと身を隠した。
翌日、目が覚めたら川に浮かぶヌシの骨が増えていた。意味が分からない。
灰色の動物は、今日はふらふらと森の中に入って行った。ボクは相変わらず川の上。そろそろ頬袋の中のごはんが少なくなってきた。蔦を渡ってみようとしたけど、落ちそうになってすぐに骨の中に戻った。死ぬのは怖いから。
次の日起きると、骨の中が赤い木の実でいっぱいになっていた。齧ってみたけど、酸っぱくてとても食べれたものじゃなかった。お腹空いた……。
周りを見たら、今度は川の中をひょろ長い生き物がいっぱい流されていた。川って怖い。
灰色の動物は、巨大な生き物……この辺のヌシかな?ヌシが襲いかかってくるのに、延々と尻尾で石を弾いて遊んでいた。何してるの、今度こそ殺されちゃうよ!
ボクは怖くて気を失った。
どれくらい経ったのだろうか。ハッとして慌てて灰色の動物を見たら、尻尾に鱗とヒレが生えていた。え、いったい何があったの?
それから襲いかかってきた黒い大きな鳥に石をぶつけたり、この灰色の動物ってすごく強い?もし見つかったらボクはどうなっちゃうんだろう……ああ、お腹空いた。
あくる日、灰色の変な動物がお腹の上に石を置いて、自分のお腹を叩いて川に沈んだ。
うわ、また黒い鳥に石をぶつけてる……。
もうボクはこの灰色の動物が何を考えているのか分からないよ。
あれ、なんだか寒いや。それにお腹が空いて……動けない……。
水の匂いがする。舐めると少しずつのどの渇きが無くなってきた。
しばらくして、食べ物の匂いがしてきた。口に入れると甘くて、次第に意識がはっきりする。夢中で甘いのを食べたら、不思議と体が動くようになってきた。体が温かい。よかった、ボク生きてた。 周りにも同じものが落ちていて、いそいそと口に詰め込む。
ここはどこだろう?立ち上がって首を傾げていると、灰色の動物が近付いてきた。
今まで見たどんな恐い動物よりも凶悪な顔で、川の生き物を齧っていた。足が竦んだボクに向かって灰色の生き物が鳴いた。
―――オマエモ、タベル。
鳴き声を聞いた途端、灰色の動物の意思が伝わってきた気がして、ボクは慌てて距離を取って威嚇した。ダメだ、ボクも川の生き物みたいに食べられちゃう!
ところが、灰色の動物は一瞬だけ寂しそうな眼をすると、木の実を尻尾でつぶして丸めた物を置いて、そのまま去って行った。匂いを嗅ぐと、さっき食べたのと同じ甘い匂いがした。
それじゃあ、ボクを助けてくれたのは……あの灰色の動物?
立ち上がって灰色の動物を探すと、木の下で顔に黒いのを載せて寝ていた。
鼻が塞がっているけど、苦しくないのかな?
しばらく見ていると灰色の生き物が苦しそうにもがき始めて、それが次第に激しくなり、やがて体をピクピクさせ始めた。やっぱり!息ができなくて苦しんでる!
慌てて駆け寄って顔の上の黒いのを払いのけた。耳を近づけると息を吸い込む音が聞こえた。良かった、ちゃんと生きてる。
ほっとして、灰色の動物のお腹にもたれかかる。
包み込まれるような温かさに、おじいちゃんのことを思い出した。よくおじいちゃんのお腹のそばに丸まって寝てたっけ。頭がふわふわしてきたから、今日はボクもこのまま寝ちゃおう。また灰色の動物が奇行に走って死にそうになったら嫌だしね。
次の日、早く起きたボクは木の上から灰色の動物を見ていた。
よくわからない動物だ。今も自分の息の根を止めようとした黒いのを慌てて拾いに行ってるし。それからまた極悪な顔をして川の生き物を齧りながら近づいてきたので、怖くなって木の上の方に逃げた。かと思ったら、今度は食べ物を木の根元に置いて去っていく。いったいボクをどうしたいんだろう?
灰色の動物はしばらくするとまた戻ってきた。
その時だった。木の上の方からかすかに音が聞こえて上を見上げた。
黒い大きな鳥が、獲物を狙っていた。その視線の先には……灰色の動物⁉
慌てて鳴き声を上げようとした時、灰色の動物が赤い木の実を尻尾で弾いていた。慌てて上を見ると、赤い木の実が喉元に当たって、黒い鳥が遠くに飛ばされていくところだった。
え、狙われているのに気付いていたの?灰色の動物すごい。
そう思った矢先に、灰色の動物に体をつかまれた。た、食べられる!そう思って鳴き喚いていたら、前足で歯をゴシゴシされた。いったい何なの?またいつもの奇行?
その日から、灰色の動物はなぜかたくさんの食べ物をくれるようになった。木の実の種のようで、硬くて齧るのに時間がかかるけど、美味しくて力が溢れてくるみたいだ。
それから数日たって、灰色の動物にだいぶ慣れてきた。いつものように種を齧っていると、唐突に灰色の動物が鳴いた。
「リスよ、貴君の縞模様と前歯の色を見るに、よもや巨大トカゲ級の怪物へと化生したのではあるまいか?」
背中?慌てて振り返ると、背中から尻尾に走る茶色かったはずの縞模様が変な色になっていた。黒みがかった灰色がキラキラしたような……え?
前足から種が落ちる。ちょっと待って、なんでボク、灰色の動物の鳴き声を聞いて意味解ったの⁉ 『リス』というのがボクのことっていうのも理解できるし、『巨大トカゲ』が川を走っていた巨大な生き物だということも理解できちゃった……ん?ボクが怪物?
「クルル、ピュイ!ピュイ!」
否定しようとしたら、なぜか首が横にブンブン動いた。
「此れは糧であるか?」
灰色の動物が石を指さした。『これ』が石を示しているのが理解できた。
―――それ、あなたの攻撃の道具じゃない!
そう伝えようとしたけど、伝え方が分からない。あんな物を食べさせられては困るので否定しようとしたら、首がまた横にブンブン動いた。これ、もしかして『違う』って意味の動きなのかな?
「此れは糧であるか?」
今度はいつもの種だ!肯定しようとしたら、今度は首が縦に動いた。食べれることを伝えるために、種を齧る。灰色の動物がなんだか優しそうな目でボクを見ていた。そう言えばおじいちゃんも、ボクが何か覚えるたびにそんな目をしていたっけ。
「此れは糧であるか?」
灰色の動物が川の生き物を指さした。ボクはこれ食べられないけど、灰色の動物はこれをいつも食べている。否定も肯定もできないので、灰色の動物の食べ物だと伝えるためにそれを彼の方に押した。伝わったかな?
「貴君は泳げるか?」
『泳げる』が灰色の動物のように川の中を動けることだと解った。ボクにそれはできない。そう思ったら首が横に動いた。
「貴君は我が領域を出でて樹林へと帰還したいか?」
森は怖いし、独りは寂しい。この島は黒い鳥みたいな恐い生き物もいたけど、目の前の灰色の動物のそばが一番安心できる。だから、首を振った。
「貴君と我、カワウソは友達……で良いかね?」
目の前の動物が『カワウソ』って動物なんだと初めて知った!『トモダチ』が仲良しという意味だとも伝わってきた。仲良し……たしか森で見た番とか親子がこんな感じだったっけ。一緒にいて楽しくて、安心できる存在。
うん、ボクとカワウソさんは、友達だ!
ボクはコクコク頷いた。そのまま頭をカワウソさんのフカフカなお腹にスリスリして、前足でギュッとカ彼の大きな前足を握った。
おじいちゃん。
この日、ずっと独りだったボクにとってこの世界で初めての友達ができたよ。出会いはアレだったけど、強くて時々奇行に走る、だけどとてもとても優しくて傍にいると安心できる友達だ。




