第三話 おはなばたけと
第三話 おはなばたけと
鬱蒼とした森の暗がりから明るく拓けた場所へ抜け出すも、ホワイトホール現象(トンネルから出た時に眩しくて視界が真っ白になるアレ)に思わず目を擦るおじさん。光の強さに徐々に目が馴染んできたぞ。さて、早速、敷地の持ち主に事情を説明して……
……?
視界のはっきりした世界。そこには人工物の欠片も存在しなかった。サッカー場のようなだだっ広い空間に、色彩豊かな花、花、花。これは……お花畑?ただ、畑と言うには種類も、そして生え方もまちまちな『自然の』としか例えようのない花々に彩られた空間。そこには森の中でも見かけた『キラキラ』したものがそこかしこの地面から噴き上げて、この空間いっぱいに広がっていた。
無論、俺の知っている生活圏に、こんな光景は存在し得ない。
真っ先に脳裏に浮かんだのは、天国の二文字。え?オジサンご臨終?
あまりの衝撃に、無意識のままヨタヨタと歩を進める。目に映るのは、どこまでも広がるスノードームの中の花畑の光景。38年の人生フォーエバー!仕事もプライベートも充実していたけれど、オジサン、せめて結婚くらいはしたかったよ……そんな人生を振り返っている時だった。
「キミ、だーれ?」
ギョッとして声のした方を振り向く。そこには平たい岩が鎮座していた。
「いや、こっちこっち」
声をたどって視線を上げると、岩の上で肘を付き、その手の上で顔を傾げた少女がいた。どうやら岩の上に俯せに寝そべっているようで、体は岩に隠れている。だがその愛らしい整った顔立ちと、赤みを帯びて岩下に垂れる長い髪や鈴を転がすような声は、間違いなく少女のそれであった。
「ひょっとして、魔物かな?」
ツー、と少女の目線が鋭くなる。
その一言に背筋が凍り付く。オジサンは絶賛マッパ状態。露出『魔』を『魔物』と定義するならば、このお嬢さんの言うことも尤もである。慌てて周囲を見回し、手頃な大きさのフキのような葉っぱをむしり取ってポロリ状態のモンスターを隠す。
落ち着け!ここで言葉を間違えるとオジサンの未来は塀の中になってしまう。あくまで紳士的に、何事にも動じないハードボイルドな心で対話を試みるとしよう。
——―初めまして、お嬢さん。
「きゅぷる、きゅるるるる」
——―実は酔ったままこの辺りに迷い込んでしまいまして。
「きゅっぷ、きゅるるる、きゅーきゅーきゅるるるるる」
——―その際、恥ずかしながら衣服も紛失してしまいましてねえ。
「きゅるきゅ、きゅーくるくるくるくる、きゅーきゅーきゅぷ」
——―ん?
「きゅ?」
おかしい、オジサンのやや渋めの声が聞こえない。確かに喋っているのだが、なぜかキューキュー甲高い異音がする。それもオジサンの口の辺りから、である。
「やっぱり魔物?それにしてはマナが……」
眉間に皺を寄せた少女の視線が、オジサンの上から下まで観察している。
マナ?マーラ?……仏教用語で云うところの、股間のアレか!見えちゃってましたか⁉慌ててフキみたいな葉っぱをもう一枚追加し、完全防備で対話に挑む。
——―これ以上、年頃のお嬢さんにオジサンのこんな姿をお見せする訳にはいかないので、申し訳ありませんが電話を貸していただけないでしょうか。
「きゅぷぷぷ、きゅるるるるるきゅっぷきゅいきゅいきゅーくるるるるるるるるるる、きゅぷきゅぷきゅるくるるきゅきゅきゅきゅきゅきゅるーきゅ」
うわあああああああ!やっぱりこのキュルキュル音、俺の声だあ!あれか、どっかで脳の言語中枢でも損傷してしまったのだろうか?
「ひょっとして、喋れないの?」
訝しげにこちらを観察する少女。俺は縋るような眼でコクコク頷く。
「あー、あたしの言うことは理解できてるけど、喋れないってことだよね?」
もう、ビジュアル系バンドのヘッドバンギングも目じゃないくらい頭を振って頷く。あ、股間の葉っぱ落ちた。
「よーし、ちょっと待っててね~」
そう言うと、少女がふわりと浮き上がった。立ち上がったのではなく、重力なんかそこに置いてきたとばかりに『浮き上がった』のだ。
その背中には……揺らめくような長い赤みがかった髪と、太陽の光をキラキラと反射するトンボのような透明な翅が揺れていたのだった。