第十四話 ちはちから
日本には帰れない。
時間は一方向にしか進まない以上、過去には戻れない。
割り切るのは難しいが、起きてしまった事は仕方がない。
社会に出て知ったが、そもそも世の中は思い通りにはならない理不尽で溢れているのだ。研究なんてものはその最たる例で、望んだ結果が得られることなんて殆ど無い世界だったりする。いちいち悲嘆している暇があれば、その結果を受け入れて考察し、新たなアプローチを模索した方がよほど建設的だし時間の節約にもなる。
考えるべきはこの世界でどう生き伸びるか、である。そのために必要なのは、この世界に関する知識。
「おや、意外とあっさりしてるんだね~、キミは。んで、何が聞きたいの?」
「妖精の立ち位置、ですかね。人の社会で生きていけるのかどうか」
「いや、妖精もヒト種だよ?」
そう言えば、妖精さん、時々『ヒト種』という単語を使っていた。ヒト種は人間という意味ではない?
「ヒト種には何が含まれるんですか?」
「ん~、妖精とかニンゲンとか、要は言葉が通じるのは全部ヒト種だね~」
ヒト種とは、言葉の通じる種族の総称らしい。ん?言葉が通じるのは全て?
「もしかして、人が使う言語って1種類しか無いんですか⁉」
「キミの世界だといくつもあるの?それって不便じゃない?」
「ええ、通訳とか翻訳という仕事が無くならない程度には」
現代の理系と呼ばれる領域の論文は、その殆どが英語である。研究に携わると、それを日に何十報と流し読みする羽目になる。訳すだけでも面倒なのに専門用語や言い回しが分野によって独特だったりするため、カワウソさんも初めのうちは辞書を片手に大分苦労させられたっけか。
「ホントは他にも1個あるけど、キミには関係無いだろうね~」
「一応、どんな物か教えて貰えますか?」
「ほら、アタシら妖精って、思った通りにマナを魔法に変えられるでしょ?」
「あー、ハイ」
……すみません、上手くできない妖精がここに一匹います。
「妖精以外のヒト種って、一部を除いてそれができないんだよね。だから言葉とか文字を通して、マナを魔法に変えるのさ~。なんだっけ、そうそう、魔術って言ってた」
魔法と魔術は違うものだったらしい。マナを魔法に変える技術で、魔術。確かに妖精には不要だが、カワウソさん、案外こっちの方が向いているのでは?脳内のTo Doリストにメモだな。
「あ、そうでした。私のような動物の姿をした妖精でも、ヒト種扱いされるんでしょうか?」
「確かに獣型の妖精が生まれるのは珍しいんだけど、なんせ長生きだからね~。割とヒト種の街でも暮らしているんだよ。キミの場合は2本足でも歩けるし、特に問題ないと思うよ~」
よっしゃ!人権確保。これで町で安全に暮らせる見通しが立った。
町の入り口で獺・即・斬♪とか洒落にならない。人権があれば仕事だって買い物だってできちゃうのだ。お魚咥えたカワウソさんが官憲に追っかけられる未来は回避できたな。
「あー、でも、国によって種族の扱いが違うこともあるから気を付けてね?」
「種族差別みたいなものでしょうか?」
「そこまでじゃないよ。ほら、1つの種族しかいない国だと、他の種族はどうしても余所者になっちゃうんだ。まあ、酷い目に遭うことは無いから安心して」
「あー。その辺は前の世界でも似た事例があるんで、大丈夫です」
時々、田舎は排他的だと言われることがあるが、あれはあれで地域のコミュニティを守る一つの手段とも言える。同族を守るという意識が余所者を区別したとして、何ら不思議はない。
「どんな国でも妖精ってほら、魔法に関してはズバ抜けてるから、悪いヒト種にも気を付けてね。あと……」
不意に妖精さんの眼に負の感情が浮かぶ。
「どうしました?」
「うん、この森を抜けた先、あそこだけは絶対に行っちゃいけない」
そう告げる妖精さんの声に、尻尾が震える。確か、そっちの町に行った妖精が消息を絶ったんだったっけ。
「危険な国なんですか?」
「うん。あの国はニンゲン以外を認めない。……ッ」
俺の怯えを感じ取ったのか、妖精さんが慌てていつものへにゃっとした笑顔に戻る。
「昔は違ったんだけどね~。キミも、あの国の街には近寄っちゃダメだよ~」
「わかりました。肝に銘じます。あ、でもこの森にヒトの親子が住んでるんですよね?そっちも会わない方がいいですか?」
確か妖精さんが、歳のいった親子が住んでいると言っていた。約1週間のサバイバル生活で、早くも人恋しいカワウソさん。できれば危険な命の遣り取りではなく、人としての会話の遣り取りがしたい。
「ああ、森に住んでる親子ね~。うんうん、この森の川ってちょうど2つの国の境目なんだ。森の中なら滅多に誰も近付かないから、割と安全だよ~」
「よかった」
「川を上がっていくと、幅広で流れの緩やかな池みたいになってる所があるんだわさ。その近くに住んでたはずだよ」
「成る程。ちょっとずつ縄張りを広げながら、遡上してみます」
「つくづく、獣の習性が抜けないんだね~……あ、元はニンゲンだっけ」
「やっと元人間って信じてもらえた!」
「そりゃ、あんなの見せられちゃったら、ねぇ?」
「ああ、元の世界の風景のことですか」
「うん、元がユルい顔なのに、鏡の前で一生懸命シブい表情の練習してるところとかね~」
「なッ⁉」
その瞬間、見られたら恥ずかしい場面集が脳裏を過ぎる。鏡の前で練習したセリフとかポーズとか……いかん、意識共有してるのに連想してしまった!
「アルコールは恋に似て……ブフッ!アハハハハハハ、流し目似合わな過ぎ!」
「やめて!見ないでぇぇぇえ」
「あ、帽子クイッてやってるよ、クイッて!」
「うわあああああああッ」
俺の背中をバンバン叩きながら空中を転げまわる赤毛の悪魔。
助けて!この妖精が近くにいるとカワウソさんのハードボイルドがどっかにお出かけしちゃうの!




