第十二話 まほう
「で、今に至るわけね~」
目の前の妖精が、額に手を当てて天を仰ぐ。お馴染み意識共有で、これまでのサバイバル生活を見て貰った次第である。
意識共有、脳内の映像も共有できるみたいで超便利!やっぱりこの妖精さんって、凄い。全裸なのに。
「はいはい、褒めてくれてありがと~。あと、裸なのはキミもね?」
「忘れてたのに……」
カワウソさん、いつの間にか服を着ていないことに違和感を感じなくなっていたようだ。生きるのに必死で忘れていた!
「いや、必死だったのって、爪の獣と遭遇した1日だけじゃん。あとは遊んで悠々自適だったよね?」
うん、現代日本で週に1日ペースで命の危機に瀕していたら大ごとである。カワウソさん、いかに日本社会が安全だったのかを全身の肌で実感したよ。平和って大事!
「遊びはカワウソの本能なんです!抗えないんですよ……」
「あー、獣だった頃の性質に引っ張られてるのね」
「いいえ、私は元人間です」
「まだ言ってるし。うんうん、誰だって、自分が特別な存在だーって妄想する時期あるよね~」
生暖かい目で頷く妖精さん。
……失礼な。人を思春期特有の病気みたいに言うんじゃない!とうの昔に卒業して、今ではハードボイルドでダンディな大人の男なのに。
それはそうと。
「改めて、魔法を教えて欲しいのですが」
サッと、草バッグから取り出した魚を差し出す。
「え、要らない」
どうやら1匹では不十分だったらしい。いやしんぼさんめ。もちろん、カワウソさんは用意周到なので、すかさず地面に魚を5匹ほど並べた。
「いや、足りないんじゃなくて、ホント要らないから」
「美味しいんですよ?」
勿体無いので俺が頂くことにする。
ガジガジガジガジガジッ!
「うわー、すんごい顔で食べるね~。魚に友達でも殺された?」
妖精さん、何故かドン引きしていた。うん、動画で見たことあるけど、カワウソって歯を剥き出しにして、物凄い形相で魚を頭からガジガジするんだよね。
ちなみに魚に友達を殺された記憶はない。目の前の友達が魚を燃やし尽くすシーンならさっき見たけれど。
「ふー、ご馳走様。そうでした、魔法って喋る以外にはどうやって使うんですか?」
「え?マナを出すときに燃えろー、とか、水になってぶち抜けーって考えたらできるよ」
妖精さんの手から火炎放射とウォータージェットが次々に飛び出した。言われた通りにやってみる。
……前足から『燃えろー』『お願い!水になってぶち抜け―』という文字の形をしたマナの塊が出てきた。
「なんでキミのはそうなるかな~。声を出す時もなんか複雑なことやってたけど、キミってかなり捻くれてる性格なのかな?」
うん、自覚はある。捻くれてる方じゃなくて、複雑なことやってる方だ。
カワウソさんは新規素材の研究という、どっぷり科学まみれの仕事に従事していた。そんな人間がある日突然、科学的思考というツールを捨てて、全く違うマナと言うツールを渡されたとして使いこなせるわけがない。
『いや、言われた通りにやれよ』と思われるかもしれないが。
例えばある日、神様が現れて『日本語』を禁止したとしよう。もちろん禁止なので、神パワー的なもので日本語を喋ることも、書くこともできない。
さて、どうしよう?
多くの人がなんとか英語でコミュニケーションを取ろうとするのではないだろうか。そのために辞書を引き、脳内で日本語の文章を英語という『ツール』に『置き換える』。しかし、慣れないうちは全く思うように喋れない。
そんな君にアドバイスしよう。ネイティブの人達はいちいち日本語を英語に翻訳しない。英語で考えて、そのまま英語で喋るだけだよ。簡単でしょ。
え、できないって?『いや、言われた通りにやれよ』。
つまりはそれに似た状況なのだ。マナをそのまま使うことができないから、慣れ親しんだ化学や物理現象、生体の動きをマナに置き換えてなんとか再現している、と。
もしかすると、火は火種が無いと使えない、人体は体内の水分を20%以上失うと死ぬ、といった科学に依存した人間の常識が、魔法の使用を阻害しているのかもしれない。
閑話休題。
「よく解んないけど、キミの考え方って小難し過ぎ~」
「すみません、複雑な社会で生活していたもので」
「でも声の出し方を見た感じ、体内なら問題なくマナを使えるんだよね?」
「ちょっと複雑なことまでなら」
「なら、なーんで腕の力を強くする、とか考えないのさ」
「カワウソさん、前足も爪も小さいもんで……」
「ゴメン、言い方が悪かったわさ。キミの場合、マナで顎の噛む力を強化すれば、上手く獣と渡り合えるんじゃない?」
「はッ⁉」
カワウソさん、目から鱗である。別に魚の食べ過ぎが原因じゃないよ?
顎の力……筋力である。
脳から動け、と運動ニューロンを介して筋肉の中の筋繊維に信号が送られると、種々の反応を介してアクチンとミオシンの滑り込みが起こり、筋繊維全体が収縮する。2本指でチョキを作って、その指の間に1本指を真っ直ぐ根元まで滑り込ませてみよう。指1本分だけ両手首の距離が短くなるでしょ?これがアクチンとミオシンの滑り込みのイメージね。これが筋肉を構成する筋繊維のあちこちでで起こるから筋肉が縮むという現象が起こるわけだ。
筋力の強さに影響するのは、筋繊維中のアクチンとミオシンの数か、筋繊維そのものの数。となると、マナで疑似的に筋繊維の本数を増やして、顎の筋肉を補助するイメージで……
ガチン!
魚の頭が一噛みで千切れた。さっきまでガジガジしないと嚙み切れなかった魚が、である。
「やりました!成功です‼」
「うん、やっぱり意味不明な複雑なことするんだね~。物凄い高度なマナの使い方してるのに、なんで普通の魔法が使えないんだろう?」
歓喜するカワウソさんと対照的に、悩まし気な表情の妖精少女であった。
しかし、この噛む力。歯を痛めそうだな……。
ここでカワウソさんに天啓が下る。
口の周りに、マナでデカい口と鋭い牙を形成したらどうなるだろう、と。これなら歯を痛める心配は無いのではなかろうか。
早速イメージしてみる。
交合力ならワニだが、口先まで長いと体表からの距離があり過ぎて先端までマナに意識が届かない。体感的に、思った通りにマナを動かせるのは体表から10センチくらいまでが限界なんだよね。ティラノサウルス・レックスは、うん、筋肉がイメージできない。
竜がダメなら、虎だ!
脳内でベンガルトラの頭骨をイメージする。ベンガルトラさん、噛む力はライオンさんのそれを遥かに凌駕するのだ。その口の部分に筋肉を繋げる。カワウソさん、連日の猫カフェ通いの甲斐もありネコ科動物の筋肉の付き方はだいたい解るのだ!
この形状を意識して、口の周囲にマナを集める。
「おおッ!できた!」
カワウソさんの口を覆うように銀色で半透明の、プラズマみたいな虎の口ができていた。幅、長さ15cmくらいの上下の顎に、デカい2対の牙。実際に口を動かすことなく、意識するだけで開閉できる!これならお魚さんをガジガジするのに重要なカワウソさんの歯を傷付けることも無い。やったね。
試しにその辺の草を噛んでみると、ゴッソリ刈り取られていた。岩を噛んでみると、くっきり歯型に削り取られていた。
「ありがとうございます!ちゃんと強化できました!」
「うん、強化って言ったけど、これ何か間違ってる!」
どうやら妖精さん的にはダメだったらしい。
「強化が不十分、ということでしょうか?」
「逆にやり過ぎて意味不明だよ!普通は顎にマナを流せばできるのに~」
「なるほど、そんな方法があったんですね」
試しに虎の顎を消して、自分の顎にマナを流してみる。そのまま岩に噛り付いた。
かちん。
「痛い……ギャーッ、歯が欠けてるぅ!」
「それはできないんだ……。あー、妖精なんだし、歯ぐらいすぐに再生できるよ~」
「ホント?」
「うんうん、本当さ。妖精は肉体とマナが混ざり合ってるからねぇ、マナが数日で補ってくれるはずだよ~。アタシみたいに生まれて千年も過ぎると、傷に慣れ過ぎて即座に修復されちゃうんだけどね」
「千年⁉」
衝撃の事実である。目の前の妖精は、少女じゃなかった。そりゃあ、千年も生きれば魔法も息をするように使える筈だ。
「あれれ、言ってなかったっけ?」
「ええ、初耳です。妖精って長命なんですね」
「そそ。だから基本は暇潰しのために生きてる感じだね~。だから、キミみたいに面白いコは大歓迎なのさ~」
頭を撫で撫でされた。
御年千歳以上。
うん、いい大人なんだから、服着ようよ、服。




