第九話 さばいばるにっし いち
――1日目。
妖精さんの痴態から視線を逸らした紳士な俺は、森へ向けて颯爽と歩を進めた。
決して気が動転して這う這うの体で逃げ出したのではない。
頬の辺りの毛皮が濡れてスースーしているが、決して泣き叫んだわけではない。
どんな状況でも揺れない鋼の心を持つ男こそ、カワウソさんが目指すハードボイルドな生き方なのだ!
森に入る。
木に身を隠しながら周囲を観察する。
コアリクイの姿は見当たらない。ヨシッ。
慎重に木から木、岩へと身を隠しながら、速やかに移動する。
気分はハードボイルド小説に登場する、敏腕探偵かスパイそのものである。
一瞬、中折れ帽にトレンチコート姿の自分を妄想したが、何故だろう、カワウソの印象が強すぎて若干シュール!
しばらく進むと、不自然に幹が抉られた木を見つけた。
直ぐに、あの時コアリクイさんが爪を叩き付けたシーンが脳裏に浮かぶ。
「はわわわわわわ……」
割と太めな木の幹が、1/4ほど爪の形に抉り取られていた。
昔、ヒグマの爪痕を見たことがあるが、それを遥かに上回る破壊力である。
あれ、コアリクイってこんなデンジャラスな生き物だったっけ?
この森、超怖い。
気を引き締めて、周囲を警戒する。
どうも人間の時より嗅覚が良いらしく、木に残ったコアリクイの臭いが判別できた。うん、カワウソさん覚えたぞ。
鼻をヒクヒクさせるが、付近に同じ臭いは感じない。
あ、鼻の穴閉じれるんだ、不思議!
ついでに耳の穴も閉じることができた。
駆けては隠れ、を繰り返すうちに、耳が懐かしい音を拾う。
渓流よ、カワウソさんは帰ってきた!
周囲をキョロキョロするが野生動物の臭気や足音は無い。
ひとまず川に近付き、浅瀬の水を啜る。
美味い。
そう言えばカワウソさん、ここまで飲まず食わずだったのを思い出した。
ついでに空腹を覚えたのだが、さて困った。
「俺、何食えばいいんだろう……」
オジサンは現在、カワウソの姿である。
記憶にあるAV(アニマルビデオな?)では、生の魚を齧っていた。
さらに、某裸族が言うには、俺は妖精らしい。ますます何食えばいいのか皆目見当がつかないぞ⁉
川を見つめる。
本能が言っている、魚食え、と。
しかし人間だった部分がこうも言っている。寄生虫怖い、と。
あ、火を通せばいいじゃない!
人類の最大の発明である『火』。食料から細菌や寄生虫を駆逐し、暖房にも灯にも、果ては発電にも使える優れた便利ツールである……が。
道具も無しに火起こしはほぼ不可能。インドア派のカワウソさんには難易度が高すぎる。
そういえば、妖精さんが魔法で火、出してたわ。
集中して前足からマナを出してみる……お、出た。
更にマナが火に変わるイメージを……イメージ……
『火』の文字の形をしたマナの塊が出た。
その後も、『Fire』『炎』『嫉妬』など、文字しか出てこなかった。
むー、どうもカワウソさん、素材研究という科学の世界にどっぷり浸かり過ぎた生活をしていたせいか、こういったイメージが苦手であるらしい。
そうこうしているうちに、空腹感がシャレにならないレベルに。
マナの消費=エネルギーの消費ということなのだろう。
再び川を見つめる。
脚が竦む感覚。
カワウソさん、実は人間だった頃はカナヅチだった。いやだって、水に浮かないんだもん。
しかし、今はカワウソ。鼻も耳も閉じるし、泳ぐのに適した身体構造のハズだ。
意を決して、恐る恐る足先から水に浸かる。
あ、体が濡れる感覚が無い。そう言えば泳げる陸生生物って、体毛に空気を含んで体温を維持したり、浮きやすいんだっけか。
顔を水面に出して四脚を動かしてみると、水掻きのおかげか、思ったよりも体が進む。
尻尾を動かすと、動きに合わせて泳ぎの向きが変わる。
試行錯誤するうちに、体がスイーっとスムーズに動くようになった。
え、ナニコレ、超楽しー!
愉悦が恐怖心に勝ったところで、鼻と耳を閉じ、顔を水中に沈めてみる。
目は……痛くない。水が澄んで、クリアに見える。
おお、ヒゲで川の水の流れを感じる!新感覚だわー。
不思議と息苦しさは無く、そのまま水中の岩の根元まで潜る。
――いた!
魚が岩の陰で静止していた。
すかさず水の抵抗を最大限に排し、前足だけで水を掴んで魚雷のように突貫!
そこからは本能の赴くままに動く。
――ザバァ
水面に急浮上すると、口で魚がビチビチ暴れていた。
そのまま岸まで泳いで上がる。
いい感じの岩場に座り、魚を口から離した。
「よっしゃ!獲ったどー!」
思わず両前足を天に向かって突き上げていた。
何故かこうしなきゃいけない気がした、不思議!
ピチッと跳ねる魚は、魚種こそ判らないが、そこそこ美味そうに見える。
ここで本能が、もっと獲ろうぜ!と囁いてきた。
確かに小魚一匹では到底カワウソさんのお腹を満たすには足りない。
幸い、水が綺麗で人の手も入っていないようで、さっき潜った際には多くの魚が泳いでいるのが見えていた。
本能さん、貴方に着いて行きます!
目に見えない本能に敬礼しつつ、再び川にダイブ!
覚えているのはここまでだった。
気が付くと、岩場に20匹ほどの川魚が並んでいた。
なぜか、きっちり頭を揃えて横一列であった。
これは……某有名日本酒の名前の由来にもなったアレだ。『獺』が捕った魚を並べて、まるで神様にお供えしている『祭り』のようだ、っていうカワウソ独特の習性である。
更に日本人生来の几帳面な性質もあって、魚が小さい順に並んで、何も知らなかったらまるで狂気染みて見えただろう。
ともあれ、いい加減お腹が空いたわけで。魚を1匹掴み、じっと見つめる。
「生、かぁ~」
相変わらず本能は直ぐにでも齧りつきたい衝動を訴えている。
日本人は生で魚を食べる文化を持つが、それは厳格な衛生管理があってこそなのである。
なのだが……
――ガジガジガジガジガジガジ!
意識に反して前足と口が勝手に動いていた。
え、頭からは流石に無くね?って、血生臭ッ!
ドロッて何よ?内臓⁉
あかん、カワウソさんの日本人の部分が猛烈に吐きそうなのだが、本能が貪るのを止めない。
おのれ、本能さんめ!
あ、でもこの血生臭さクセになるかも……
改めて、野生本能の恐ろしさを知ったのだった。
――2日目
結局、あの後すべての魚を平らげたカワウソさんは、最初に目覚めた土製のカプセルホテルで一晩明かした。入り口は草で偽装してセキュリティもバッチリ。
……要は巣穴である。
早々に食事を済ませると、周辺を探索してみた。
幸い、コアリクイさんにはエンカウントしていない。
ふと、木の枝からぶら下がる蔦が目に入った。
引っ張ってみると、枝がしなっていい感じに蔦が伸縮する。
捕まって引っ張ってみると、ビヨン、と体が持ち上がる。
え、なにこれ楽しい!
そこからは覚えていない。気が付いたら日が暮れていた。
遊び好きのカワウソの本能、恐るべし!
――3日目
本日も早々に食事を済ませると、ぼーっと川面を見つめていた。
ふと、2枚の木の葉が競うように流れているのが見えた。
互いに前後したり、流れで急に一方が加速したり。
その瞬間、カワウソさんの日本人の部分が閃いた。
すぐに木の葉や草の葉を集めて、1から20までの番号を爪で刻む。
そのまま1枚ずつ、3メートルほど川に流してキャッチを繰り返す。
「うーん、単勝⑧、あとは⑧―②⑫―①⑥⑱⑳の3連単!」
ぱーっぱぱぱーっぱぱぱ~(オイオイ)ぱぱぱぱ~(オイオイ)……
頭に謎のファンファーレと歓声が響く。因みに今回は関東G1仕様である。
太めの木の枝をゲートにして、木の葉を川面に並べる。
ガコン、という脳内音と共に木の枝を外す。
各葉一斉にスタート。俺はそのまま波を立てないよう少し離れて併泳する。
おお、それっぽい!
若干前を塞いで進路に蓋をする葉もあるが、増々それっぽいぞ!
あ、1枚岩に引っかかった。⑳番競走中止、除外である。
しばらく流れに身を任せ、ゴールの岩場まで残り3メートル。
先頭は⑧。次いで3葉身差で⑫、⑥、⑬と続く。
「よし、⑧来い!ちょ、⑬来るんじゃねえ!あああああ……」
結果は⑬のとんでもない末脚でブッチギリだった。
その後はキッチリ2場24レースまで楽しみ、その日は終わった。
カワウソさん、お馬さんだーい好き。
お金くれるお馬さん、もっと好き。
お舟はよく分からないんだ、ゴメンね!




