⑦呪いに等しい
「……まーさか、あんな事で封印が解けるとは思わなかったわぁ!」
闇の中に明朗な声が響き、それを捉えたシシオの耳は情報を求め、更に貪欲に他の音を聞き取ろうとする。
僅かに残る声の残響。それを物語るようにしんと静まり返る其処は、声の主以外誰も居ないようだった。声の響きから見るに、部屋の広さはかなりあり、そして固い反響音から石造りなのか。気付けばそれなりの寒々しさもある。
「……あら、寒かった? いいわ、ちょっと待ってね」
こちらの心中を察したのか、少しの間が空いた後、部屋の片隅に暖炉が灯り、ぱちぱちと薪が爆ぜる音が鳴り始める。
「これも趣があっていいけれど、床暖房の方がいいわぁ……毛足の深いカーペットの上で横になれるし」
唐突に場に相応しく無い単語が混ざり、シシオは相手の事を思い出して気分が悪くなる。
「……また、アンタの顔を見る羽目になるのは勘弁して欲しかったな」
「……はあ? 恩知らずね相変わらず……私が招かなかったら、蛆虫に集られたまんま死に果てるしかなかったのよ? 鹿折……」
そう相手が告げるとボッ、と部屋の壁に掛けられた燭台が次々と灯り、暗かった室内が照らされて視界が開けていく。
予測通り、石積みの建物の内部と思われる室内には、幾つかの調度品が点在し、その空間が生活する場所ではなく、何らかの謁見を行う為の空間なのだと判る。
そして、その室内の隅に据えられた暖炉の直ぐ傍に、二脚の椅子がテーブルの脇に置かれ、その上に部屋の主が足を組み、鹿折に向かって主導権を握った者だけが保有する優越感に満ちた眼差しを向け、肘掛けに腕を預け頬を乗せながら、首を傾げて座っていた。
そして、鹿折が警戒しながら部屋の主の傍に近寄ると、手招きして傍らの椅子を指差して座るように促すと、髪を搔き上げてから問い掛ける。
「……ねえ、ところで私が与えた【魔王の舌】、ちゃんと使えてるかしら?」
【魔王の舌】と言う単語が意味する事を理解した鹿折は、この部屋に戻されるまで忘れていた全ての記憶を改めて意識し、目の前に座るスーツ姿の女の気紛れと思惑に、再び付き合わされるのかと思うだけで嫌な気分になった。
五年と少し前……鹿折はその時、抗いようの無い危機に直面していた。
砂埃が舞う熱波の環境。飛来する銃弾、そして何に祈っても打開する事の無い絶望的な状況。防弾チョッキを身に着けていようと何の意味も持たず、頭部を護るべき複合素材のヘルメットすら、新聞紙の帽子程度の効果しか期待出来ない。
高度に組織化されたドローンの集団。その統率された無駄の無い動きは訓練された兵士を遥かに凌駕し、幾度も戦地を駆け抜けて来た鹿折の経験を総動員しても、困難な状況だった。
世界中の国家が他国を攻撃する兵士を育成する手間を惜しむようになり、自国の利益の為に戦力を派遣する時は鹿折達のような【武力介入専門企業】に委託して諸問題を解決していた。
だが、技術力は常に戦争に依って飛躍的な進歩を遂げる。その法則は鹿折が生きた世界でも不変だった。
幾つものA・I・S・Cが林立し、互いに国家間の擁護を受けながら、命を金で売り渡す商売に明け暮れていた頃、一つの企業が画期的な兵器の実用化に成功した。
それが【自律戦闘ドローン群】だった。
滞空型、走行型、そして多脚型の三種類のドローンが連携しながら実弾及び誘導射出兵器を使い、設定された範囲を隈無く蹂躙する。
そう、ただそれだけの目的に特化したドローンは、余計な装甲も搭載せず、簡素な飛行装置や移動手段しか無かったが、ひたすらに廉価を求めた結果、A・I・S・Cに支払う対価より遥かに安い資金で運用出来たのだ。
銃弾を浴びれば墜ちる飛行ドローンだが、その機体が搭載するセンサーとミサイルの射程距離は、人間の知覚範囲を容易く凌駕し、兵士達が気付く前にミサイルを撃ち尽くした後、悠々と帰投する。
多脚型や走行型ドローンは、地形の変化に対応しながら兵士達に肉薄し、銃弾の雨を浴びせると即座に新しいドローンと交代する。
効率を究極的に求めた兵器の登場は、戦争の形を完全に変えてしまった。人間が戦場に立って戦う事自体、コストと効率の悪さを意味し、時代の転換期を迎える事となったのだが……鹿折達はその矢面に立たされた最期の生け贄だった。
銃弾はあと僅かしか残されていない。
いや、もし無尽蔵に弾薬が有ったにせよ、相手のドローンを幾ら撃ち倒そうと、自分が生きて此処から脱出出来る事は無いだろう。
一人当たりの報酬は決して少なくなかったが、それでもドローンを運用する資金より安かった筈だ。だが、相手の国はその差額分を惜しまなかった。結局、戦争の優劣を決定するのは金でしかないと言う訳だ。
砂塵が大地を覆い、視界が一気に悪くなる。ドローンも例外ではなく、センサー類が効かない今は、偶発的な休戦状態を維持していた。
しかし、それも後少しだろう。遠くの空に青空が見える。つまり、いずれ吹き荒れていた風も止み、再びドローンが鹿折の元に殺到してくる。そうなれば……残された手段は、黙って撃ち殺されるか、自決するかしかない。ドローンに降伏を受け入れる機能は無い。
その為に残しておいた、ハンドガンの弾倉をホルスターから出して確認し、溜め息と共に戻した瞬間、今まで吹いていた風と違う方向から一陣の突風が吹き、鹿折が伏せていた瓦礫の山を抜けていった。
「……ねえ、あんた。このままじゃジリ貧じゃない? 確実に死ぬわよ」
突風が抜けた瞬間、彼以外誰も居なかった筈の廃墟の中に、忽然と現れた女はそう言うと、肩に提げたハンドバッグから煙草を取り出して咥えてから、鹿折に向かって当たり前のように言ったのだ。
「……で、火持ってる?」




