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④酒のお供



 ラクエル・リグレットは女性の騎士である。この国に於いて、女が剣を取る事は決して珍しくは無い。彼女の母親も優秀な剣士として名を馳せた存在であり、子供の頃から母の背中を見て育ったラクエルは、気付けば同じ世界に足を踏み入れていた。


 しかし、残念ながら彼女には剣士としての才能は開花しなかった。ラクエルに備わっていたのは、城の臣として人と人との間を繋ぎ、管理育成する補佐役として秀でたコミュニケーション能力であった。



 ジェロキア・ブールはしがない衛兵の子として生を受けた。ラクエルとは違い、血筋や家柄の後押しを得る事も出来ず、ただ己れの肉体能力と不屈の闘志のみで地道に騎士団の末席から這い上がり、今の地位まで辿り着いた。


 彼はラクエルが部下として配属されるまで、異性と肩を並べた事も無く、むさ苦しい野郎共に囲まれて貴重な青春時代を過ごして来た。無論、騎士団長の肩書きを得ると同時に【そろそろ身を固めてもよいだろう?】と縁談を持ち掛けられた事も度々有ったが、元来の無精な性格が災いし見事に玉砕。そして、今に至る。



 ……つまり、ラクエルがジェロキアに抱く淡い感情にも、当の本人は全く気付いていない。そういう鈍感な野郎だと言うことである。



 「ねー、だんちょーさん! 次の注文は?」

 「……うん? ん……ちょっと待ってくれ」


 スライムの燻製についてあーでもこーでもと語っていたジェロキアに、チリが伝票をヒラヒラさせながら尋ねる。その仕草にししょーが(無作法だから止しなさい)と視線を送るが、チリは小さく舌を出してからプイと背中を向け、自分の仕事を再開する。


 「じゃー、ラクエルさんは?」

 「う~ん、そうね……あ、団長と同じのでお願い!」

 「俺の? あ、じゃあお代わりするか」

 「はーい! ウオトカの水割りを2個ねー!!」


 サラッと伝票に書き込むと、威勢良く中居のジャード婦人に注文を飛ばす。


 「はいよ……ウオトカねぇ、ちょっと待って……」


 落ち着いた物腰のジャード婦人は、店内や厨房の騒がしさを他所に注いだ酒をマドラーで混ぜ、軽く頷いてからお盆に載せ、チリに向かって差し出した。


 水と混ぜても沈むと評判のアルコール度数の高いウオトカだが、亡くした旦那と共に酒問屋を営んでいたジャード婦人が混ぜると、不思議と口当たりも軽く優しい味わいになると評判である。但し、ウオトカ自体は非常に高濃度なので、余り飲み過ぎると大変な事になるのだが。


 「はい! ウオトカねー!」

 「ああ、どーも……って、煮込みは頼んでないが」

 「あ、これー? ししょーが空酒(からざけ)は毒だって言って持たせたの!」

 「いや、押し売りかよ……まあ、いいか」


 片手のお盆をテーブルに置き、もう片手の煮込み鍋を鍋敷きごと差し出すと、チリは他の客の注文に呼ばれて二人の前から離れて行った。



 「……それにしても、今夜はスライム尽くしだな」

 「ですねぇ……まあ、どれも美味しいからいいんですけど」


 様々な香辛料と、滋味に溢れる様々な食材と一緒に漬け込んで下味を付けたスライムの燻製は、先程のサラダとは全く違って色々な味が複雑に絡み合い、とても旨い。しかもブナの葉の煙で燻されて、香ばしくそして甘やかな薫りが乗っているのだから、不味い訳がなかった。


 「しかし、煮込みねぇ……そりゃ、この店だから旨いのは当たり前だろうけど、半日も掛からずに柔らかく煮込めるもんかなぁ」

 「あら、団長ってお料理出来るんですか?」

 「ああ、ガキの頃は貧乏だったからな。高い肉なんて高嶺の花だったから、安いスジ肉ばかり食わされてたよ。それで煮込み番だって言われて、鍋の見張り番をやらされたもんさ」


 そう言いながらジェロキアは、煮込みに添えられた木杓子で中身を掬い、ラクエルの皿と自分の皿へと取り分けた。


 「そうですか……苦労なさったんですね」

 「いや、そうでもないよ。貧乏って奴は近過ぎると何が何だか判らんが、離れてみるとそんなに悪いもんでも無いって、後になってから気付くもんさ」


 そう言いながらジェロキアはスライムの煮込みをスプーンで口へと運び、ゆっくりと味わいながら噛み締める。


 その肉は、たった半日以下しか煮込んでいない筈なのに、サクッとした歯応えと淡く柔らかい舌触りだけ残し、ふわりと抵抗もせず消えていく。後に残るのは巧妙に選び抜かれた香草の(かお)りとほんのり残る塩辛さ……と、ここにきて(ようや)くスライム本来の独特な匂いが感じられ、これが獣の肉ではないと気付く。


 ……そして、やっと……向かいに座っていた、頬をやや朱に染めたラクエルが、じっと自分の事を見ていた事に、気付いた。


 「……もう少し、お話して貰えます? 昔の事とか、それ以外の事とか……」

 「あ、ああ……いいぞ。でもどうしたんだ、急に……」



 神妙な面持ちのジェロキアと、微笑みながら顎に手を当てながらグラスを傾けるラクエルを見て、ししょーが呟く。


 「なあ、チリよ……俺は料理の事は判るが、人と人同士の思惑は判らん。だからジェロキアの鈍さが理解出来んのだが、お前はどう思う?」

 「ふぇ? んーと、だんちょーサンは、いっぱい頑張って働いてきたから、よゆー無いんじゃない?」


 チリの返答に、フム……と頷いてからししょーはジャード婦人にこっそりと(……ジェロキアのは薄めに割っといてくれ)と、耳打ちした。




 

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― 新着の感想 ―
[良い点]  あら甘酸っぱい。  こういう、登場人物の背景話って好きなんですよね。
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