⑤褐色の誘惑
酷い話もあるものだ、とピメントは思う。
目の前に想い人のチリが居て、テーブルには旨そうな料理が鎮座している。どちらか一方を取れ、と言われたら即答する自信はある。
ただ、今食べても感動が薄まってしまい、折角の味が台無しである。贅沢だと言われようが、今日この時だけはありきたりで平凡な料理の方が良かった。しかし異論を唱えるには、もう遅かった。
これから供される食事の味が記憶に残るか不安に思いつつ、自分の前へ置かれた料理に目を落とす。
とは言え、この店の料理である、味に不満は無いだろう。いや、それどころか、旨いに決まっている。但し、肉がオウルベアという点を除いてだが。
オウルベアの肉は一般的に食べられる事は、先ず無い。食べたという話は余り聞かないし、もし誰か口にしたならば、大抵は何らかの伝聞を残していくだろう。そう考えれば、察しがつく。
見た所、茶色いソースを絡めてあるのみ。一旦スプーンで掬ってみると、やや白みがかった何かが混ざっている。大方、野菜だろうと見当を付ける。
(……ま、腹は空いているんだから、食うのは問題ないんだが……)
それにしても、状況がこうで無ければ、気楽に味の批評でもしながら酒で流し込めるんだが、残念ながら時間も早い上に、招かれての食事である。
やれやれ、と思いながら一口目。
……いや、これは……一体どうなってるんだ?
ピメントは咀嚼しながら料理の味を確かめていた筈なのに、口の中は既に空っぽだった。
自分の状況が理解出来ず、何が起きたのか判りたくて再びスプーンを動かす。
今度は、時間を掛けて味わおう。そう思いながら一回一回、しっかりと噛んでみる。
ぐいっ、と歯を押し戻す肉の弾力。これはオウルベアの肉である。だが薄切りにされたその肉に臭みやえぐみの類いは皆無であり、まるで上質な牛の赤身肉を食べているようだ。
しかし、この料理の旨さは肉だけに依存していない。茶色いソースのコクと風味は格別である。長く煮込んだシチューのように、複雑で様々な味が溶け込んでいるようだ。
どうやら白い野菜の正体はタマネギなのだろう。甘味が出る直前まで炒めてから煮込んだからか、シャキッとした歯応えが好ましい。その甘さと歯応えが良いアクセントになっている。
そう評しながら、真正面のチリの様子を見ると、着慣れない長袖の白い服を汚すまいと苦戦しながら、彼女も負けじと言わん勢いで食べ続けている。そんな姿を眺めている内に、ピメントは突然、肩の荷が降りたように気が楽になった。
(……そうだな、俺達は旨い料理を供されているんだから、有り難く頂くのが筋ってもんか)
そう思うと急に気持ちが切り替わり、彼もチリを見習って大きく口を開け、旨い料理を頬張った。
口の中で肉とタマネギ、そしてソースと白米が混ざり合い、一つ一つの味が纏まって、気付けば自然と顔がほころんでくる。遠い昔に両親が健在だった頃に食べた料理を思い出し、妙な懐かしさを感じた。
ピメントの両親は、彼が幼い頃に病気で亡くなっている。以降は年の離れた姉に育てられ、早く自立したいが故に騎士団に入った。まだ十二歳の幼い自分には、騎士団は大人ばかりの怖い場所だったが、気付けば今の年齢は引き取ってくれた当時の姉の歳より上になっている。
舌が感じる様々な味覚が引き起こした忘我の時は、ほんの僅かだったが、幸福な気持ちと味は、彼の心にほのぼのとした温もりを残してくれた。
「……それからは、騎士団に入り、夢中になって団員の背中を目指して食らい付くのが日課でした……勿論、団長はその一番先頭に居たんですがね」
気付けば彼は、ししょーやチリに自らの生い立ちを話していた。両親との死別、育ててくれた姉と叔父、そして騎士団での暮らし。今に繋がる様々な出来事を、身振り手振りを交えながら話している内に、チリも釣られておかしそうに笑ったり、真剣な表情で聞き入ったりと、彼女なりに彼の話を聞いてくれていた。
「あっ、あの……えっと……私は、親が居ませんでした。いや、別に死んじゃったとかじゃなくて、気がついたら居なかった感じで……」
ピメントが尋ねた訳では無かったが、チリが自らの生い立ちを語り出した時、ジャード婦人が温かな茶を淹れて、二人の前に差し出すと、ジェロキアは何も言わずに立ち上がり、ししょーに手を振って店から出て行った。
「……で、えと……その……ぬ、盗みとかしながら……何とか生きてたんだけど……あっ!! 今はしてないからっ!!」
「大丈夫だって、今の話じゃないんでしょ?」
チリとピメントの受け答えを眺めていたししょーは、二人のやり取りに小さく笑いつつ、話が一段落着くのを待ってから厨房に行き、小さな包みを二つ持って来た。
「……これは、俺から二人に贈り物だ。ま、大したものじゃないんだが……」
そう言って差し出し、各々開けてみるように促す。
「……これ、羽根ペン?」
「もしかして、オウルベアのですか?」
二人の反応を確かめてから、ししょーが語り出す。
「ああ、俺の居た……所では、フクロウってのは【知恵】の象徴でな。その羽根で作ったペンは真実を語るって意味を含めてあるそうだ。これから二人で、何か打ち明けたい事や相談したい事があったら、これで手紙でも書いて送り合うのは、どうだろうな」
いつもの癖で、頬を指先で掻きながら話すししょーの横顔を見詰めながら、チリは大きく頷き、
「うん! そうするね!!」
と、元気良く声を上げ、その言葉にピメントも目尻に涙を浮かべながら、ししょーにむかって小さく会釈した。




