③お見合いって訳?
【 今日はおやすみ!! 】
チリの書いた字が踊る札が、【クエバ・ワカル】亭の店先にゆらゆらと揺れ、通りがかりの人々の目を奪う。
「へ~、休みかぁ……あれ? 今日って定休日じゃないよな」
「さぁなぁ……旦那が風邪でもひいたかな」
常連客の二人が、昼過ぎの店の前で札に目を向けながら言葉を交わし、違う店を探しに歩み去る。いつもと変わらぬ日常の延長上に、ぽっかりと空いた穴のような臨時休業。【クエバ・ワカル】亭はそこそこ繁盛しているけれど、商売っ気を丸出しにして稼ごうとしないししょーのせいか、臨時休業にしても常連客達は気にしないようになっていた。
ししょーは店を休みにしたが、いつもと同じように料理の仕込みをしている。勿論、商売の為ではない。
「おーい、ダンナよ! 言われた通りのを持って来たぞ」
「ああ、申し分ないが……わざわざ持参しなくても取りに…」
「まぁまぁ、そう言うなって……ピメントの近くをダンナが彷徨いても、具合悪かろう?」
ジェロキアはそう言いながら肩に担いでいた荷物を降ろして手渡すと、手を振ってししょーの言葉を遮りながら椅子に腰掛けた。
「それにしても……オウルベアなんて珍しくもない魔獣が必要なんて、ダンナも変わってるな」
彼はそのままテーブルに肘を載せ、布袋の中から油紙に包まれた羽根の付いたままの肉を手に取り、肉の状態を確かめるししょーを眺める。
「……うん、肉の状態は悪くないな。血抜きして時間を置いてから切除してくれたみたいだし」
「ま、日頃のご指導ご鞭撻のお陰だよ。最近じゃ魔獣を相手にしてると、出来るだけ苦しまんようにとか、早めに血抜きしなきゃとか思っちまう……」
「それ、人間相手でも考えるのかい」
「そりゃ無いって……」
取り留めの無い会話の間も、ししょーは手を休めずにオウルベアの肉を捌いていく。
湾曲した小刀で皮を剥ぎ、やや紫がかった肉から筋や皮膜を取り除く。皮が付いたままで時間が経過していたせいか、若干熟成が進んでいる。微妙なタイミングで持ち込まれてはいたが、腐敗まで至っておらず良好な状態である。
固い芯の付いた羽根を抜いてから分厚い皮を網で挟み、ししょーが竈の直火で炙って微毛を焼くと、ジェロキアは臭いに顔を歪める。
「しかし、何の料理になるんだい? その量の肉だけじゃたいしたモノは作れないだろ」
煙を外に出す為、厨房の小窓をししょーが開けると風が通り抜け、ジェロキアの言葉を伴いながら運び去る。その風を見送りながら、ししょーはオウルベアの羽根を手に取り、彼の言葉に答えた。
「メインはこの肉だが、俺が欲しかったのはコッチの方さ」
「はあぁ……ししょーのお節介!! 変に気回ししなくてもいいのに……」
その頃、チリはぶつくさと呟きながら部屋のクローゼットを掻き回して、あまり種類の多くない服を取っ替え引っ替えしていた。
ししょーの元で暮らす内に、独りで生きていた頃より少しづつ服は増えた。けれど、部屋着はいつもししょーの御下がりだったり、休みの日は簡素なシャツとショートパンツだけと気楽な格好で過ごしていた。
無論、外に出掛ける時はキチンとした物を選ぶよう心掛けてはいたが、それでも種類は決して多くはない。同世代の娘達と比べれば遥かに蓄えはあったのだが、ししょーの良くない所が移ったのか、衣服には無頓着なチリだった。
だが、今日は別である。ししょーの計らいでピメントと会食するかと誘われたチリは、贈り物の件もキチンと礼を言いたかった為、承諾したのである。
……つまり、彼女はピメントと向き合うつもりになったのだ。
「……でも、好きかって言われると……」
しかし、この状況下でもチリの気持ちは固まっていなかった。ピメントを恋愛対象として見るまでには、至っていない。
手にした服を抱き締めながら、チリは下着姿のままで思考の迷宮を彷徨い続ける。
……コンコンコン
「ひあっ!! ああっ、だ、誰!?」
「私よ、チリちゃん……ちょっといいかしら」
突然叩かれたドアの音にギョッとしたチリだったが、声の主がジャード婦人だと知り下着姿のままで扉を開けると、
「どうかしら……御召し物は決まった?」
そう言いながら彼女はチリの格好を一目見て、納得したように頷く。そしてキチンと相対して扉を閉めた後、静かに歩み寄るとチリの髪の毛に手を伸ばし、
「着る物も大事だけど、髪もちゃんと整えましょうね……さ、そこに座って」
軽く撫で付けてから壁の鏡の前に椅子を置き、腰掛けるよう促すといつの間に取り出したのか、彼女の手の中に櫛と香油が現れた。
「チリちゃんは癖っ毛だけど、綺麗な毛足だから……纏めるより流した方が良いわね」
「あああぁうううぅ……」
「あら? 痛かったかしら」
「そ、そうじゃなくてぇ……」
チリは気恥ずかしさと慣れぬ櫛の感触に身悶えし、上手く説明が出来ない自分に赤面した。
その後、ジャード婦人の手で髪と肌を調えたチリは、誂えられた服を纏った自分の姿を鏡に写して確めた後、
「……これが、私? ウソみたい……」
信じられないと言わんばかりに驚いてから、再び頬を朱に染めた。




