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①チリの気持ち



 いつもと同じように店の営業が終わり、ジャード婦人が帰宅するのをししょーと見送った後、チリは二階に上がって風呂に入った。


 脱衣所のキリリと刺し込むような冷気をかなぐり捨てて、湯で暖められた浴室に一人きりになったチリは、身体を流してから湯船に浸かる。湯気が漂う天井を見上げながらピメントに告げられた言葉を、改めて噛み締めてみる。


 (……見惚(みと)れて、いたかぁ……)


 鼻の下まで湯に沈めながら、耳に残る言葉を頭の中で繰る内に、チリは自分が生まれて初めて女性として扱われた事に気付いて、耳まで赤くなった。


 (……でもさ、そんな事言われたって……私、ただの猫人種(ケット・シー)だし、まだししょーの元に居るし……)


 しかし、ふと冷静になって考えてみると、ピメントという男性の事を、彼女は全く知らないのである。


 騎士団長のジェロキアの部下で、ラクエルの同僚。若くて……いつも元気良く飲み食いしてて、あとは……と、考えてみる。


 彼の見た目はやや細身だが、騎士団に所属しているだけあって、鍛えた身体の締まる所は十分引き締まっている。背丈はチリより頭一つ以上高く、並んで立つと小柄なチリより大柄である。


 だが、問題は見た目じゃない。彼は普人種である。果たして、本気で亜人のチリの事を好きなのか、確とした保証は無い。酒に酔って口を滑らせただけだとしたら……浮わついた気持ちで真に受けて、悲しい思いだけはしたくない。


 (……でも、本気で思われてるとしたら……)


 そう考えている内に時間が過ぎ、チリは風邪をひいては困ると思い直し、湯船から立ち上がった。





 「ああああああぁ~っ!! バカだなぁ、俺!!」


 城の宿舎に帰宅したピメントは、叫びながらベッドに身を投げ出すとゴロゴロと転がりながら、チリに向かって自分が発した言葉を苦悩していた。


 最初のうちは明らかに冗談だろうと思っていた様子のチリが、次第に表情を変えると見る間に赤くなり、慌てて厨房に逃げて行ってしまった。つまり、彼の言葉に心を動かされ、動揺したという事が手に取るように判った。



 ……問題は、チリ自身がピメントの事をどう思っていたか、である。


 チリが他に好きな人が居て、彼が言った言葉に動揺したのなら、ピメントの立場は誰の目から見ても宜しくは無い。


 そうなったらもう、店に顔を出す事さえ躊躇(ためら)われる。ジェロキアと共に店を訪ねても、果たして注文を取りに来てくれるか、怪しいものだ。


 しかし、逆に彼の事を悪く思っていなかったら……それはそれで、良いキッカケになりはしないか? うっかり口を滑らせた事を詫びれば、向こうもそこまで毛嫌いする理由にもならないだろう。


 (……やっぱり、素直に謝るべきなのかもしれないな……)


 ジェロキアから【単純だが悪い奴ではない】と評価されていた彼は、そのままの思考回路で答えを導き出すと、明日もあの店に行こうと決意した。




 その日の夜、ピメントは【クエバ・ワカル】亭に出向き、店の扉を開けて中へと踏み入った。まだ夜の営業が始まったばかりの店内は、彼以外の客は居ない。


 「いらっ、しゃいませ……」


 口開けの客を迎えようとしたチリはピメントだと気付き、一歩踏み出しながら足を停め、同時に顔を伏せてしまう。


 「……あ、あの……」

 「この前はすいませんでした!」


 それでも何とか声を絞り出したチリだったが、ピメントの謝罪の言葉に身を強張らせる。


 「……何も考えず、唐突にお声掛けしてしまい、申し訳なかったです!!」


 頭を垂れて詫びるピメントに、チリはオロオロしてしまい、騒ぎを聞き付けたししょーとジャード婦人が厨房から顔を出し、何が起きているのかと二人の元にやって来た。



 「……そういう事か、成る程ね……」


 ししょーの言葉に頷いてから、ピメントは再びチリに声を掛けた。


 「……そんな訳で、お気持ちを害してしまっていたら、お詫びいたします」

 「だ、だから、気にしないでくださいよ……」


 事情が判っただけに、三人は真剣な顔のピメントに頭を上げるよう促し、チリも取り繕おうとして話し掛ける。


 「その、悪く思ってないから、大丈夫ですよ?」


 (ようや)く落ち着きを取り戻したチリは、そう言ってピメントに微笑みかけると、彼の表情は見る間に明るくなっていき、


 「そうですか! あー、よかったぁ! いや、もう出入り禁止になるんじゃないかとヒヤヒヤしたんです!!」


 そう言ってチリの手を取ると、傍らに置いてあった包みを手渡した。


 「あの、これ! お詫びといっては何ですが、受け取って貰えませんか!」

 「は、はいっ!? ……これ……っ?」


 小振りな紙袋は重くはなく、思わず受け取ってしまったチリは、中に何が入っているのか確認する。


 「……あ、耳飾り……?」


 手の中に現れたのは、赤い宝玉が嵌められた銀の耳飾りだった。簡素な作りだが、丁寧な仕上げで三日月を模したそれは滑らかな曲線を描き、チリの柔らかな毛に包まれた耳にも良く似合いそうである。


 耳飾りを見て、チリが表情を変えた瞬間、居合わせた三人は各々違う思いに至った。


 ピメントは、彼女の表情を見て安堵し、わざわざ実の姉を引っ張り回してまで探し求めた贈り物が、功を奏した事を喜んだ。


 ジャード婦人は、まだ幼い面もあったチリの成長を間近に感じ、我が子のように慈しむ気持ちが沸き上がった。


 そしてししょーは、チリの姿が今までと全く変わらぬ筈なのに、急に大人の女性に成長し輝きを放ったような眩しさを感じていた。



 そして、ししょーだけは一抹の寂しさが心の内に広がったが、いやいや育児の経験なんてないぞと思いながら頭を掻いた。





 

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