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⑥ジャード婦人



 「支度出来ましたよ、どうぞいらっしゃっい」

 「ありがとうございます。今そちらに行きますわ」


 ししょーがジャード婦人を呼び、彼女は答えながら厨房の脇にある食堂へやって来た。既に配膳を終えていた食卓には銘々が使う皿が並べられ、その上にししょーの手でマンドラゴラを使った料理が取り分けられていく。


 「……まあ、綺麗!」


 ジャード婦人が思わず呟くと、ししょーは照れくさそうに苦笑しながら手を止めて、


 「そう言って頂けると嬉しいです。でもマンドラゴラを調理したのは初めてなので……口に合うと良いですが」


 中身を配り終えた鍋を流しに運び、直ぐに洗って乾燥用のカゴの中に入れた。



 【 今日のごはん 】


 【 マンドラゴラとクラーケンいため 】

 【 たきたてライス 】

 【 マンドラゴラのグラッセとソルベ 】


 いつもの黒板にチリが書いたお品書きが踊っていて、それを見たジャード婦人はクスリと笑う。決して上手くは無い字だが、元気な彼女らしさが全面に滲み出て、見ている方の気持ちが朗らかになるのだから不思議である。


 「……さて、それでは食べましょうか」

 「ええ、頂きましょう」

 「いただきまーす!」


 三人は揃って告げるとマンドラゴラ料理をフォークに取り、口へと運んだ。


 ジャード婦人が初めてのマンドラゴラを食べて最初に感じたのは、その奇妙な見た目から想像も出来ない程の、シャキシャキとした歯応えだった。


 地下に埋まっていた部分の皮を丁重に剥き、食べやすい長さに揃えた拍子切りのマンドラゴラ。一噛み毎に僅かに香る土の風味と、それを上回る程の軽快な歯触り。言われてみると形状の似た人参にそっくりではあるが、口の中に残る独特のえぐみは根菜のそれではなく、青々と茂る山菜の枝に近い風味。何年も掛けて成長する点を考慮すると、頷ける味だろう。


 そして、次にやって来たのはクラーケンの食感。聞けば元はカチカチに乾いた干物だというが、容易に噛み千切れる柔らかさである。程好い厚みに切られたそれは、ししょーが好んで使う豆の塩漬けから取った調味料で味付けされていて、マンドラゴラのほんのりとした甘味と実に相性が良い。


 「……これは変わった組み合わせですね。海の物ですよね、クラーケンって」

 「ええ、同じ幅に切り揃えて炒めたんですよ。油が入る料理とマンドラゴラは相性が良いと思ったんで」

 「うん! ししょー、おいしい!!」


 ジャード婦人は控え目な香辛料で味を引き立たせた炒め物を再度食べ、改めてクラーケンを味わう。加熱されてしんなりしたマンドラゴラとふわりとした歯応えのクラーケンは、塩味を効かせた炒め方で香ばしく、添えられた炊き立ての白米(ライス)と共に食べると更に美味しくなる。チリも美味しい美味しいと言いながらモリモリ頬張り、ししょーは思わず笑ってしまった。


 付け合わせのグラッセは、丁寧に面取りしてマンドラゴラを玉子型にし、コンソメで煮てから砂糖で甘めに照りを付けたもの。人によって好みの別れる料理だが、量が多くなければ食べ飽きる事はない。


 「うーん、甘いけど不思議な味だね……」

 「そうかしら、私は好きよ?」


 神妙な面持ちでグラッセを評するチリと違い、ジャード婦人は正直に答える。見た目と味はニンジンに似ているが、成長に時間が掛かるマンドラゴラは独特のエグミがある。それを美味しいと思うか、好きじゃないと感じるかは各々で違っても当然だろう。


 最後にデザートとしてソルベが供される頃、チリは十分お腹一杯だったのだが、


 「うん! 冷たくて甘くて美味しい!」

 「果汁が入ってるのかしら、さっぱりしているわね」


 やはり、こうした料理は別腹といった所なのだろう。キリッと刺し込むような冷たいソルベは、ジャード婦人が言うように酸味の強い果物が加えられていて、サクッとした粒状の氷が砕けながら、甘く煮詰めたマンドラゴラと混ざりながら口の中で溶けていく。酸味と甘味、そして冷たい刺激が調和し、食後の締めに食べると実に心地の良い逸品だった。




 「やっぱり、帰っちゃうの?」

 「はい、申し訳無いですが……明日はお勤めで参りますので、宜しくお願いします」


 引き留めたがるチリに詫びながら、ジャード婦人はショールを肩に掛け、二人に向かって会釈すると踵を返し、自宅へと帰って行った。


 「ねー、ししょー……ジャードさん、チリの事がキライなんじゃないよね……?」


 寂しげに呟くチリの頭を撫でてやりながら、ししょーは彼女の言葉を否定する。


 「そんな事はないさ。ただ、ジャードさんにも事情があるんだろう……」


 以前、自宅まで送って行った時も、自らの非礼を詫びながら、彼を自宅の中に入れる事は無かった。二人を嫌っている訳では無いとは思えるのだが、何か頑なに拒むような雰囲気があり、それ以上踏み込んで問い質す気になれないのだ。




 歩いて暫くの距離にある自宅に到着したジャード婦人は、衣紋掛けにレースのショールを載せると纏めていた髪を解いた。


 さらり、と濃茶色の髪が腰まで垂れ、肩に掛かった毛先が後を追うように下がった時、彼女の背中が僅かに震える。


 ……ふぅ、と小さな溜め息と共に丈の長いスカートの裾からずるり、と鈍色の鱗に覆われた長い尻尾が長く伸びていき、ししょーとチリの知っている姿から蛇人種(ラミア)へと変わっていった。


 (……いつか、本当の事を打ち明けるべきなのでしょうか)


 麗しい容姿のジャード婦人だったが、彼女は普人種では無かった。そして亡き夫はその事実を知りつつ彼女と共に生き、墓場まで秘密を持って行ったのだ。


 ラミアがあからさまに差別される事は稀だったが、その特異な容姿と変わった種族性(人の男と交わってもラミアの女しか生まれない)は、一歩間違うと排斥される可能性を帯びていた。しかもラミアは種族として魔導の力に優れ、人々の心を操る幻術が得意な事が、逆に誤解を招いて立場を悪くする可能性もある。


 そうした事情もあり、ジャード婦人は自らの真の姿を隠していた。しかし、偶然が重なり手放す予定だった店で、ししょーと共に働く事になった。



 「……貴方(あなた)ならきっと、気にするなと(いさぎよ)く言ってくれると……判ってるのに……」


 ジャード婦人はそう言うと、我が身を両腕で固く(いだ)きながら、涙を溢した。



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