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おかわり④ヒュドラの心臓



 ししょーは宴の片付けをしながらふと、ジャード婦人の方を見る。婦人は元々寡黙な人で、彼とも余り会話はしない。ただ、全く話をしない訳では無い。


 この店で今は亡き夫と切り盛りしていた時代は、結構彼女を目当てに来店していた常連も居たと、騎士団長のジェロキアから聞いている。それだけ人目を惹く容姿だった。


 いつもキチッとした服装で常に楚々(そそ)とした立ち居振舞いをし、長い間躾の厳しい環境で暮らした雰囲気が垣間見え、その洗練された動作は、付け焼き刃で身に付くようには到底思えない。


 そんな彼女が何故、酒場に近い食堂の女将をしていたのか、ししょーは知らない。そうした話を彼女から聞く事も無く五年が経過していたのだから、ししょーも相当の朴念仁なのだろう。


 ジャード婦人も夫と死別してから既に相応の時間が過ぎている。そんな彼女に縁談の一つ位有っても然るべきなのに、そうした話を耳にした事は無い。よくよく考えれば不思議なものである。


 年齢はししょーより若干、年下程度だろうか。中年と呼ぶにはまだまだ早い若々しさも有り、キリッと丁重に結い上げた髪は後れ毛も見当たらず、或る日突然、再婚する為に店の仕事を辞めると言われても、ししょーは彼女を引き留めるだけの理由が思い付かなかった。



 (そう言えば……お酒の事は任せっきりにしているが、彼女を厨房に立たせた事は無かったな)


 ジャード婦人はししょーが開店してから店に顔を出し、閉店前に帰宅する。余り遅くまで引き留めるのも悪いと思い、開業直後に自分から提案したのだが。


 「……ジャードさん、今夜は何か食べていきませんか」


 ししょーが話し掛けると、彼女はハッとした表情の後、やんわりと微笑みながら、


 「……ありがとう御座います。頂いても宜しければ……是非!」


 と、嬉しそうに答えた。




 「何だか珍しいねぇ!! ジャードさんと一緒にご飯食べるのって!」


 チリが嬉しそうにピコピコと耳を動かしながら、椅子へと腰掛ける。彼女の向かい側にジャード婦人が回るとししょーが椅子を引いて促した。


 「……ありがとう御座います。こうして他の方とお食事するのは、久し振りなので」


 軽く会釈するとジャード婦人は腰掛けながらししょーに語り掛け、両手を胸の前で組んで祈るような仕草を見せる。


 「……今まで、この店で働かせて頂けた事……本当に感謝しています」


 そう呟いてから、ジャード婦人は暫く口を閉ざしたまま店の中を見回して、


 「あの人が生きていた頃と、何も変わらない内装のまま……同じ店で働ける。私はそれがとても嬉しかったんです。()()()()、有り難う御座います」


 彼女が告げた瞬間、チリの耳がピンと立ち、今しがた聞いた名前がししょーの本当の名なのだと気付くまで、暫し間が空いた。


 「……そう呼ばれると何だか照れますが、もう鹿折(ししお)の名前は捨てました。今はタダの【ししょー】ですから、忘れてください」

 「……ししょーの名前って、()()()って言うのーっ!? でも……何だかそのまんまじゃない?」


 呆れたようにチリがそう言うと、ししょーはいつもの癖で顎の脇を指先で搔きながら、


 「仕方ないだろ? ジャードさんが付けてくれたんだから……」


 照れ気味に答えながら、今すぐ料理を持って来るよと言い、そのまま厨房へと行ってしまう。しかし、直ぐにお盆に載せた料理を手にテーブルへ戻ると、


 「……お口に合うと良いんですが。何せ調理の合間を縫って仕上げてたもんで」


 そう言うと茶色く焦げ目の付いたパン生地が載った、鋳物の小振りでやや浅目の鍋を鍋敷きと共にテーブルの中央へ置いた。


 「うわぁ~!! ……パンかな?」

 「見た目はな。でも、中身は違うぞ?」


 チリが見たままの感想を言うと、ししょーがナイフとフォークを使い、上に載ったパン生地を切り開く。下から茶褐色の中身が覗くと、チリは匂いを嗅いで思わず呟いてしまった。


 「……はわあぁ……私の好きなシチュ~だ♪」

 「フフフ♪ チリちゃんって、ホントに食べるのがお好きね!」


 ジャード婦人に微笑まれ、照れ笑いと共にチリは手で顔を隠してしまう。そんな二人を眺めながら、ししょーはシチューを皿に移して渡していく。


 「あら、美味しそう! 私もシチュー好きよ!」

 「ねぇ! そうでしょー!!」


 珍しくジャード婦人がチリの真似をすると、真似された本人は気付いているのか、いないのか……屈託無く笑いながら、スプーンを手に取った。


 パン生地の下には、三人分のシチュー。血抜きと臭み取りを施したヒュドラの心臓を煮込んだ物だ。有り合わせの根菜と骨から取ったフォンドボーを合わせ、宴の間コトコトと弱火で煮込んでいた為、肉以外は殆ど煮溶けてしまっているが、それが却って程好いトロミを付けている。


 チリがニコニコしながらスプーンで掬い、口に含む。ねっとりと舌に絡む肉と骨の旨味が濃厚で、控え目に加えた香辛料より、動物性蛋白質特有の円やかなコクがほのぼのと広がる。上出来の仕上がりになったシチューを、チリとししょーは静かに味わい、小さく頷き合う。


 ジャード婦人は、そのシチューがヒュドラの肉だと知りながら、何処の何だのと一切尋ねず、とても美味しいわと言いながら笑みを浮かべ、仕事の疲れを暖かな食事で癒していった。



 美味しい食事を済ませたジャード婦人は帰宅する頃合いになり、丁寧に礼を述べてから立ち上がると、送って行きますよ、と言いながらししょーも席を立った。


 「……ジャードさん、また御一緒して頂ければ嬉しいです」

 「ええ、その際は宜しく御願いします」


 まだ少堅苦しい言い回しで二人は言葉を交わし、並んで店の外に出る。ふとししょーが振り返ると、店の入り口からチリが顔を覗かせながら、


 「ほらっ! 行ってらっしゃいってば!!」


 そう捲し立ててから、憎たらしさの欠片も無いしかめっ面をした。





 「……でー、真っ直ぐ帰って来ちゃったの?」

 「……えっ? 何が悪いんだい?」


 それから直ぐにししょーは帰って来たが、彼の顔を見たチリは信じられない! と言いながら自分の部屋に飛び込むと、そのまま籠ってしまった。




 ……チリの心は自分でも判らない程、乱れていた。ししょーの事が好きな気持ちは変わらない。でも、ジャードさんも嫌いじゃない。今まで(つたな)い考えと知りながら、ししょーと【ケッコン】出来れば、ずーっと一緒に居られると思っていたが、ジャードさんがお母さんみたいになるのも嫌じゃない。だから……悩ましい。自分はどこに居たらいいんだろう、と。




 (……どーしたら、いいの……かなぁ)


 チリは悩みながら、そのまま寝てしまった。






 

次回の投稿は暫く空くかもしれません。一種類終わったら次の食材分を、といったリズムを維持していきたいと思っていますので。


引き続き、押していないボタン即押し、感想等お待ちしております!

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― 新着の感想 ―
[良い点] 料理だけでなく、こちらの仕込みの方も少しずつ、こうして開示されていくのが楽しみです。
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