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ヒュドラ



 人の存在を許さぬ遥かな高み。山の稜線はおろか、雲の頂きすら眼下に霞む空の上……そんな鳥も飛ばぬ高度を、空飛ぶ船が風を切る。




 【……で、その()()はどの辺りに出たんだい……?】


 切れ切れに伝声管を通す声が艦橋(ブリッジ)に響き、僅かな空白を経て答えが返る。




 【……帝国領土と、中央都市の国境付近の山中よ】


 その言葉を耳にした時、タイミングを合わせたように船が速度を落とし船首を下げ、徐々に降下していくのを身体で感じ取り、手近な手摺りに掴まった。




 ……エルメンタリアにすれば、偉い連中がいくら大義名分を(かざ)しても、害虫駆除は害虫駆除でしかない。例えその相手が、街道筋の安全を大いに脅かす程、強力な魔獣の類いだったにしても、だ。


 「あーあ、平和な世の中ってのは大いに結構なんだがね、ワタシらみたいな兵隊が()()()()に駆り出されるなんてよぉ……あー、つまんねぇ」


 戦時ならば即応体制で待機し、御呼びとあらば一番に馳せ参じるのが【帝国軍強襲部隊】なのだが、今は非戦時。戦う相手が鎧に身を包んだ騎士や兵士から、領土の安寧を脅かす魔獣に変わるのも致し方無いのだが、エルメンタリアはそれが実に面白くないのだ。


 手を伸ばしてギュッ、と金具を介しブーツのベルトを締め、ふわあぁ……と欠伸を一つ噛み殺しながら、エルメンタリアは独りで降下準備を進めていく。


 帝国が誇る強襲兵の強みは、相手の不意を突いて背後に回り込み、強力な打撃を与えて一撃離脱を図れる所にある。少数で徹底的に敵を叩きのめし、包囲される前に逃げおおせば被害は最小限で済む。


 つまり、どれだけ相手が獰猛で並みの兵士が太刀打ち出来ない魔獣だとしても、帝国が誇る強襲兵と運用艦艇を用いて完膚なきまで叩ければ……多数の兵士を派遣して(いたずら)に犠牲者を出さずとも討伐は出来る。


 しかし、エルメンタリアにとって、相手がどれだけ強力な魔獣だろうと、知能の無い連中は等しく害虫でしかない。彼女が求めるのは、己の剣技と魔導の限りを尽くし、命の遣り取りが出来る相手であり、只の原始的な暴力のぶつけ合いは求めていないのだ。


 【……グダグダ言っても無駄よ、()()()()……小さいと言っても村一つ、それと町を巡る乗り合い馬車一台に、牛馬が合わせて二十頭近く喰われているんだから……放置出来ないでしょ】

 「……あー、判ってるっての! ……別に殺り合うのが、嫌って訳じゃないけどさ……」


 伝声管の向こう側の声に不平を溢しつつ、しかし出撃の準備は怠らない。


 ……相手は一匹。他の同行者は居ない。たまたま出払っていて、直ぐに急行出来る強襲兵は自分のみだが、空中から魔導に拠る支援は有る。上手に誘き出せれば自分が手を出さなくとも、強力無比な対地魔導で駆除する事も可能かもしれない。


 だが、それは彼女の矜持に反する。たかが害虫一匹に、魔導に長けた姐御の手を煩わせるつもりも無い。対地魔導の支援攻撃は最後の手段として温存しておきたかった。



 (……はてさて、鬼が出るか蛇が出る……か)


 ホーリィ・エルメンタリアはそう思いながら、(ようや)く近頃、正式に仮設強襲戦艦として就役したばかりのローレライの後部昇降口(ハッチ)に近付き、タラップへと足を掛けた瞬間、害虫の出没している現場が中央都市国境付近だと思い出し、閃いた。



 (……おっ! そーいや()()()()()()()()()が都市に在ったっけ! 害虫をぶっ殺したら持ち込んでみるか?)


 そう考えながら、相手が気色悪い虫の類いで無い事を秘かに祈った。





 【……ホーリィさん、五時の方角に何かが地面を這った跡が有りますよ?】

 「りょーかい、グランマ……さーて、それじゃ行ってくるぜぃ……」


 先程の声とは別の誰かがエルメンタリアに告げ、伝声管の蓋を閉ざしてカンッ、と景気付けとばかりに拳で軽く叩きながら閉めると、


 「……グランマッ!! 降りるッ!! ハッチを開けてくれ!!」


 叫びながら腰下のベルトに交差させて提げた鞘へと片手剣を差し、束ねた黒髪を靡かせながら開き始めたハッチを蹴って、外に飛び出した。


 ひゅっ、と風が鳴り、まだ人の背丈より地面は遠かったが臆せず宙に舞いながら、黒髪の剣士は慣れ親しんだ死地に赴く。


 ザッ、と地面に足が着いた瞬間、エルメンタリアは前に身体を投げ打って転がりながら衝撃を削ぎ、相手が待ち構えていた際に備え、しゃがんだまま小さくその場で首を巡らせる。


 (……待ち伏せは、無い……まあ、そこまで頭が切れる奴じゃないか)


 直前に聞いた通り、自分が降りた直ぐ傍に、大人一人が余裕で身を隠せるような窪みが伸び、開けた草地から森に向かって一直線に続いている。


 相手が人ならぬ魔獣の類い、並みの者ならば回れ右して帰りたくなるような状況にも関わらず、彼女は意に介さず立ち上がると真っ直ぐ森へと歩き出した。




 【……姐御、悪いが赤の煙幕は回収だが、黄色だったら……辺り一帯を焼き払ってくれねぇか?】


 エルメンタリアは、最悪の事態を想定しながら耳に着けた通話の宝珠に手を当て、小声で念を押した。


 【……縁起でも無い事言わないでよ。でも、何故そんな事……】


 姐御と呼ばれた方は明らかに狼狽し、加勢に向かえない立場に歯噛みしつつ聞き返す。


 【……見つけたんだけどさ、ヤバいよ……くそ……相手はヒュドラだ】


 エルメンタリアが答えたその時、森の木立の間からメキメキと灌木を折る音を鳴らしながら、彼女の背丈を遥かに凌ぐ巨木の丸太のような身体が動きを停めて、ゆっくりと立ち上がった。




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