おかわり③特製の干物
波打ち際から離れた漁師達の番屋を、ししょーとチリが訪れたのは暫く経ってからの事だった。
「ゴーリキさぁーん!! こーんにーちーはぁーーっ!!」
「……んぁ? おおっ!! チリっこじゃねーかい!!」
以前来た時に【波や風の音に慣れ過ぎているから漁師の挨拶は大声が基本だ】と教えられたチリが、有りっ丈の声で叫ぶと直ぐに見慣れた禿げ頭が番屋の奥から顔を覗かせる。
「チリはチリだよ! チリっこじゃないよ!」
「おー、そうかいそうかい! で、チリっこ居るならアイツも居るんだろ!?」
「むっふぅーーうっ!! 無視するぅー!?」
ゴーリキが軒下から顔を出して外を見ると、頃合い良くししょーが彼の前に姿を見せる。
「おー、やっぱりなぁ! 何時こっちに着いたんでぃ? ……でもよ、乗り合い馬車は暫く来ねぇと思ったが……」
「ああ、少し込み入った事情があってな……あれで来た」
そう言ってししょーが指差す先には……
「……おおっ!? 合成獣か……随分と奢ってるじゃねぇーか!!」
そう、ししょーの背後には純白の羽根を備える翼、そして鋭い眼光を宿す猛禽類の頭部を持ち、金色にも見える毛皮を纏った巨大な獣……キマイラが今まさに翼を畳み、馭者らしき者が差し出す肉片を器用に嘴で啄みながら、周囲を睥睨していたのだ。
「とりあえずキチンと説明するさ、だから先に【例のモノ】を見せてくれないか?」
ししょーがそう言うと、ゴーリキは手を挙げて了解の意思を表しながら、チリとししょーに付いて来るように促した。
その建物は、漁師達が出入りする番屋や漁具置き場から少し離れた、海沿いの小高い丘の中腹に在った。一見するとやや広めの長屋に近い構造で、板葺きの簡素な作りになっていたが窓は無く、明らかに何かを作る為の作業場といった風情である。
その建物に近付いていくに従い、三人の中で最も鼻の利くチリは逸早く異変……いや、独特な異臭とでも形容すべきそれに気付き、うわっと叫び、涙ぐみながら鼻を摘まんだ。
「じじょ~!? ごのだでもの……ぐじゃあ~いっ!!」
「……ああ、判ってるさ……なあ、ゴーリキ?」
「……あー、鼻の利く奴にゃあ、流石にキッツイわな……この臭いはな」
そう言いながらゴーリキが建物の引き戸に手を掛けて、ガラッと言う音と共に開けた瞬間……
「びいいいぃ~っ!? にゃにごれぇーっ!!」
チリが仰け反りながら絶叫するが、案内するゴーリキも、ししょーも平然と中へと足を踏み入れる。
「……うおぉ……判ってても、キツいなぁ……」
「まあ、そりゃそうだな……くさやの臭いは慣れてても鼻に付くからな」
引き戸を開け放ち、二人が中に入ると直ぐにゴーリキが、入り口の脇に置かれていたランタンを手に取ると操作し、やがてぼんやりとした明かりを灯す。
……ボッ、という僅かな燃焼音と共に、薄暗い内部がランタンの揺らめく炎に照らされると、ししょーは感嘆しながら呟いた。
「……これ、全部がリヴァイアサンか……」
彼の視界に映ったのは、一般的な家屋三軒分はありそうな広々とした屋内。そしてその中には天井から吊るされた物干し竿と、それ一杯に吊るされた黒ずんだ長細い干物なのだが……それら全部が元は【リヴァイアサン】だと言うのだ。
「ああ、勿論な。この中には、ここで作ったリヴァイアサンのくさや全部が保存してあるのさ」
吊るされた一本を手に取り、愛おしげに撫でて感触を確かめていたゴーリキだったが、不意に表情を引き締めると、口を開いた
「……旦那よ、この漁師町を救ってくれたアンタが教えてくれたから、この作り方は誰にも教えちゃいねぇ。だが、一体どこでこんなやり方を……覚えたんだ?」
彼の視線の先には幾つもの木で囲われた水槽が並び、その中にはブクブクと泡立つ灰色の漬け汁が沈殿していた。
「……なあ、この辺りだけじゃない……俺の知ってる漁師町や、他の国の漁港を探し回ったって似たような製法なんざ、一度も見た事がねぇ。お前さんは本当に……何処から来たんだ?」
「……ゴーリキ。人間ってのは、自分が知らん事は誰にも教えられないんだ」
ゴーリキの問いに対し、ししょーは悲しげに眼を伏せながら、小さな声で呟いた。
「……俺はただ、コイツの製法を知ってただけだが、もし……あんたが俺の事全てを知ったとして、絶対に誰にも言わないと誓ったとしても……その事を誰にも話さないかは……」
そこまで言った瞬間、顔面を布切れでグルグル巻きにしたチリが、意を決したような勢いで中に飛び込んできた。
「じじょーっ! ごれでだいじょーぶぅ……うにゃあああああぁーーっ!? やっばりだめにゃーっ!!」
……しかし、そんな彼女の努力は全て無駄だった。チリが室内に入った瞬間、見えない壁に激突したかと思う程の強烈な臭気が鼻腔を刺激し、頭を軸に後方へ仰け反ったまま、器用に一回転してそのまま床の上に俯せに倒れ、ピクピクと手足を震わせながら失神してしまったのだ。
「……あー、全く世話の焼ける奴だな……よっこらしょ……」
そう言いながらししょーはチリを担ぎ上げ、加工場兼保存庫の中から外へと運び出した。
と、そんな彼の前に見知らぬ姿の女性が立ち塞がり、それに気付いたゴーリキがししょーに向かって声を掛けた。
「おお、そうだそうだ! アンタに用が有るって言うお客だよ、そのマーメイドはなぁ!」
その言葉を聞いたししょーが女性に顔を向けると、深緑色の長い髪を束ねた青白い肌の彼女が優雅な仕草で一礼してから、口を開いた。
「……お待ちしておりましたワタクシはこの度リヴァイアサンとの縄張り争いを長く続けて来た魚人族の代表で名は敢えて伏せますが憎きリヴァイアサンしかも長年我々の領土いえ正確には領海を侵犯してきた憎きモノを駆逐せんと知略を尽くしようやっと深海から岸辺まで追い込む事に成功しましたが奴は無尽の生命力を誇る巨体ゆえ我々の手に余る存在ですが陸に住まう者のそなた達に託せばきっと魂の炎が消え失せるまで云々おまけに我等が最も好む旧き御技を施せし乾物にせし者在りと伺い参上し言祝ぎせんと馳せ参じましたが如何?」
「……はあ?」
その後、その魚人族の女性からもう少し判り易く(魚人種達は空気中で会話をする際、息継ぎをしない)詳細を聞き、どうやら自分が伝えたくさやが、易々とは死ななかったリヴァイアサンの魂の浄化に効果的だったのだと聞いたししょーは、
「いや、そこまで気に入ったなら教えて差し上げますよ……でも、食べてからでも構わないのでは?」
そう提案し、浜の岸辺に移動し小さな焚き火を用いてくさやを炙ると、彼女に食べさせた。
暫くして目を覚ましたチリは、見た事の無い女性と共に、茶色く異臭を放つ奇怪な干物を食べる二人を見て、口と鼻を閉ざして無言で離れていった。
尚、何故ゴーリキや浜の漁師達がリヴァイアサンのくさやを作ったかと言うと、リヴァイアサンは暫く経つと必ず【あの味が忘れられない】と再び求める者が現れると踏んで、長く保存できる干物に加工すべきと予め作っておいたのだとか。
ししょーはそれを予測し、食えば必ず忘れられない味だからと食通達を焚き付け、買い付けに来たのだった。
因みに蛇足だが、リヴァイアサンが採れた翌年……何故か生まれた子供の数が僅かに増えたらしいのだが、それが件の【滋養強壮】と関係があったのかは……神のみぞ知る、という所だろう。




