リヴァイアサン・最終回
……ラクエルの伯父、リハレス・リグレット卿が気紛れで【クレバ・ワカル】亭に足を踏み入れた日から数日後。
街の中心部に在る城壁内。その練兵場の真ん中に植えられた芝生の上で、互いに木剣を手にした二人が朝の稽古を続けている。
「……なあ、もう少し肩の力を抜けって……」
「はあっ!! ……ウソっ、これも避けるの? ……じゃあ、次っ!!」
「ところで、今夜クエバ亭に行かないか?」
「うーん……伯父様が来るかもしれないし」
無論、そんな事を堂々と出来るだけの胆力(普通の騎士は五月蝿がられたくないので朝稽古は避ける事が多い)の持ち主は、団長のジェロキアと副団長のラクエルだった。
二人は例のリハレスの言葉に従い、今朝のように稽古をし始めたのだが、互いに知り合う間柄なだけに打ち合いの最中でも緊張感に欠ける会話をしていた。但し、周囲の人影も疎らなお陰で、二人の会話を誰かに聞かれる心配は無かった。
「それにしても……団長はどうやってこんなに強くなれたんでしょう……」
気楽な会話を交えながらと言えど、幾度繰り返そうとラクエルはジェロキアから一本も取れず、彼女も思わず恨めしげに呟いてしまうが、彼はそれを聞き逃さなかった。
「……騎士に必要な強さは、常に相手の実力を凌駕する分だけで構わないんだよ。君にはそれが有るから心配するなって」
「そう、でしょうか……」
俯いたまま、どうしても信じられずラクエルが呟くが、ジェロキアはそんな彼女の前で木剣を肩に載せたまま、
「……たぶん、だがな……リグレット卿は不器用だから、俺と同じように武人としての剣術で、君に教えるしか方法が見つからないんだよ」
「……武人、として……?」
「……ああ、人殺しの剣の扱い方しか知らんのさ、俺もリグレット卿も」
そう告げられたラクエルは、ハッと顔を上げてジェロキアを見る。
「……今まで聞いてこなかったんですが、団長は……国境警備の任の間、何をしてきたのですか」
自分でも無意識のまま、ラクエルは尋ねてしまい、口にした言葉の意味を悟って苦々しく表情を曇らせる。気になっていても、彼にそれを聞いてしまったら、何かを失いそうで怖くなり避けていた内容なのだ。
だが、ジェロキアの方は姿勢も表情も変えず、ただいつもと変わらぬ調子を維持しつつ、訥々と答える。
「……俺が赴任した時は、中央都市を取り巻く諸国が……俺達の国がぶち挙げた自由貿易都市宣言に対して、猛反発してた頃だった……」
言葉を繋ぎながらふらりと身を回し、そのまま振り向く事もなく歩き始め、釣られたようにラクエルも彼の後を付いていく。
「……関所に詰め寄り自国だけは別にしろ、関税を払えって怒鳴り散らす連中や……関税金が上がらぬうちにと商人たちが押し寄せたり……ま、そんなのは当たり前だったが……」
芝生の縁に置かれたままの木材の上に腰掛けたジェロキアは、隣の空間をサッと手で払い、ラクエルもまた、無言のままそこに腰掛ける。
「……直ぐに、状況は豹変したんだ」
そう続けるジェロキアの視線は空に浮かぶ雲を捉えていたが、その表情はいつもと違い、氷のような冷淡さに満ちていた。
最初の異変は、今まで見た事も無かったような魔獣の出現だった。
獰猛さを具現化させたような肉食獣に、太く長い牙を振りかざしながら突進してくる草食獣。見慣れた筈の獣達なのに、その眼には狂気と殺気が満ち溢れていた。
明らかに人為的な誘導を経て、国境警備の詰所に押し寄せる、そうした魔獣の群れ。果たしてどの国がどのようにして導いたのかは、判らない。
だが一人、また一人と犠牲が増えていく内に、ジェロキアを始め居合わせた警備兵達は即座に悟ったのだ。
(……相手がヒトだろうと魔獣だろうと構わない。必ず殺さなければ、次の犠牲者は自分だ)
……それからは、武器を選ばなかった。
姿を見た瞬間に弓を放ち、射ち洩らした相手へ手槍を投げ、間合いが詰まれば大斧を振って額を割り、更に近付く相手には容赦無く両手剣を振り下ろした。
毎日のように現れる魔獣や不法侵入者、時には武装した国籍不明の遊撃歩兵まで……魔獣相手には無言のまま、人の姿をしていれば、それ以上近付けば容赦無く殺すと前置きしてから、武器を振るった。
「……そんな……たかが自由貿易を宣言しただけなのに……」
「まあ、そりゃそうだな。隣の屋台がいきなりタダでリンゴ配ったって、肉屋が潰れる道理は有り得んからな」
我知らぬ内にラクエルが言葉を漏らすと、平穏時と同じ口調に戻ったジェロキアは、やはりいつもと変わらぬ調子で答えてから、
「……でも、周辺諸国にとっては面目が潰されちゃあ敵わんと、躍起になって妨害したんだろう」
彼はそう結論付けて、ラクエルの方に身体を向ける。
「……今となっちゃあ、何処の誰が、何の為にそうしたか、なんてどうでもいいんだよ。ただ、うちの王様は事前にそれを察知し、必要な人材を選定し、速やかに配置した。だから、俺達みたいな功名心と立身出世に駆られた連中は黙って手を挙げて、身を擲って働いた……そんだけだよ」
そして、妙にモジモジして彼女から視線を外すと、恥ずかしそうに呟いた。
「……ただ、まぁ……君はいずれ、近衛兵騎士に正式採用されるのが当然だったから……俺も早く偉くなりたかったし……」
そして、最後は小さな声で囁くように告げた。
「……それに、君が居る国が、守りたかった、それだけだよ」




