⑤剣を取れ!
「……ええっと、手合わせって……今すぐか?」
「無論です、副団長」
久方振りの再会を果たしたのも束の間、キチンと鎧を身に纏ったラクエルと共に城の中庭に出たジェロキアは、彼女に向かって話し掛けてみる。
「なあ、やっぱりまた今度にしないか?」
「……いえ、今すぐです」
ラクエルは即答しながら兜を被り、予め用意しておいたのだろう、模擬戦用の木剣を二振り取るとジェロキアに片方を差し出した。
(……あの時は、とにかく頭ん中がぐちゃぐちゃで訳が判らんかったな)
そう思い返しながら、ラクエルが運ばれてきた次の【おいしーひもの】を恐々と突つく様に目を向けつつ、
「そう言えば、ラクエルはあの日の事を覚えてるか?」
と、尋ねてみる。すると彼女は一瞬不思議そうな表情を浮かべて、やがて彼が何の事を言っているのか理解した様子で、
「あー、判りました! あの手合わせの事ですか? あの時はホントにごめんなさい……変に自信過剰だったので、恥ずかしいです……」
そう告白し、頬を赤らめた。
「副団長!! 本気で来てください!!」
稽古用の木剣を振り翳しながら二度、僅かに角度を変えつつ振り下ろすラクエルの打撃を柄元で往なし、彼女の呼び掛けにジェロキアは内心でため息を吐いた。
確かに剣筋は悪くない。寧ろ教科書通りの綺麗な打ち込みである。彼女なりに稽古を重ねて築き上げてきたのだろう。しかし、命の遣り取りの先で生み出された剣撃ではない。
三度目の打ち込みを木剣で下から払い上げ、ラクエルの持つ木剣の柄元を突いて相手の動きを止めてから、ジェロキアは宣告した。
「……軽いんだよなぁ、全部。」
そのまま突き出し木剣ごと相手を押し退けて、済まんと心中で詫びながら渾身の力を籠めて右足の裏でラクエルの胸元を蹴りつける。
単純な力押しだったが、鎧を着込んだラクエルの身体がふわりと宙に浮かび、続けて上段から振り下ろしたジェロキアの一撃が、両手持ちで構えた彼女の木剣を根元から叩き割る。
「……まだ、です!!」
地面に着地すると同時に軽やかに受け身を取り、距離を離したラクエルが用意されていた台から新たな木剣を掴み、再びジェロキアに挑もうとした瞬間、彼女の身体が側方に向かってぐるりと一回転する。
いつの間に回り込んだのか、ジェロキアがラクエルの脇腹に腰を当て、肩口に掛けた腕一本のみで相手の体勢を崩しそのまま投げたのだ。
そのまま空いた方の腕を鎧の上から肘に絡め、身体を預ける形で相手の動きを制しながら木剣の切っ先をラクエルの喉元に当てた。
「……型は綺麗だし、打ち込みも正確だ。劣勢になっても冷静な判断が出来るし悪くはない。でもなぁ……全部が軽過ぎるんだよな」
そう告げた瞬間、ラクエルの眼から涙が一滴、真珠の玉のように転がり落ち、ジェロキアはハッとする。
しかし、即座に拘束から抜け出したラクエルが立ち上がると同時に身を翻し、金属で覆われた拍車付きの踵をジェロキア目掛けて振り下ろした時、彼の目付きが鋭くなる。
それまで全く見せなかった気迫を五体から放ち、一切の無駄を削ぎ落とした苛烈な横凪ぎの太刀をジェロキアが放った瞬間、ラクエルが胴鎧の腹部を激しく凹ませながら地面に転がった。
「……あ、やっちまったかぁ……」
純粋に馬鹿力だけの乱暴な一撃で、手加減のしようが無い。真ん中から砕け散った木剣を放り捨てながらジェロキアがラクエルを抱き起こすと、彼女は白眼を剥いて失神していた。
「……あの時は、本当に済まなかったな……」
「団長、もういいんです! 弱いのに思い上がった自分が悪いんですから……」
ジェロキアが思い返しながら詫びると、ラクエルは俯いたまま、ポツリと呟いた。
「……あの時は、凄く悔しかったんです……」
「ん? 悔しい……?」
「はい、同じ時期に入って研鑽を積んだ筈が、戻ったばかりの……その、ブールさんに追い越されて、悔しくて……」
ジェロキアは初めてラクエルにブールさんと呼ばれ、妙なむず痒さを覚えた。団長と呼ばれるのとは全く違い、背中に素手を差し込まれて触られるように、無防備な自分を晒け出すのと同じなのだが、相手がラクエルだけに決して嫌では無かった。
そんな微妙な空気が二人の間に漂い、やや反り上がった干物が冷たくなる前に食べようと、ジェロキアが手を伸ばしたその時、
「おお、ラクエルにジェロキア、二人ともここに居たのか?」
「……リグレット卿!?」
「えっ!? 嘘……どうして此処に!?」
店に現れた初老の男性が二人の元に歩み寄ると、気付いたジェロキアが立ち上がり彼に釣られてラクエルも椅子から腰を浮かせた。
「まあ、驚く事はないぞ……どうか、楽にしてくれないか? このままでは儂も座れぬからな」
「失礼致しました、リグレット卿。此方にはどのような御用で?」
ジェロキアが傍らの椅子を引いてラクエルの伯父に促すと、ゆっくりとした物腰で椅子に座り、様子を察し現れたチリに向かってウオトカの水割りを注文した。
「用といった用は無いんだが、まあ……伯父として姪っ子の様子を見に来たのでな。余計な気遣いは要らぬから心配はせんで良い」
そう言うとリグレット卿はラクエルに向かって片眼を瞑り、手にしたグラスから一口水割りを飲んだ。