②チリの夢
「さて、そろそろ終いにするぜ!!」
ゴーリキの言葉に浜の漁師達が歓声を挙げた時、チリは疲れ切って砂浜に横たわりイビキをかいていた。彼女の上にはししょーが借りてきた毛布が被さり、冷たい浜風からチリの身体を遮っていたが、もぞもぞと身を捩るようにして今にも目を覚ましそうだ。
一晩中絶やされなかった松明が消えかけ、夜明けも間近になり海の水平線が茜色に染まると、ししょーも流石に疲れを感じ、大包丁を杖代わりにして立っているのがやっとだったが、それでもチリを抱きかかえて持ち上げると、
「それじゃあ、約束のモノを貰っていくぞ」
そうゴーリキに告げた。
「……良い娘っ子じゃねぇか? なあ、身を固めるんなら若いうちがいいぜ」
「……この子は家族みたいなものだよ、ゴーリキ。今はそれ以上には考えていないんだ」
「けっ! 言うじゃねぇか。お節介焼きの誰かさんとは思えねぇ台詞だな」
二人の間に言葉が行き来する内に、チリがうーんと伸びをしてから、口を開いた。
「……あれ? ししょー、なんでチリを抱っこしてんの?」
「ああ、もう帰るのさ。ゴーリキからとっておきのリヴァイアサンを貰ってな」
「おーおー、よく言うなぁ! ま、空手で帰すつもりは毛頭ないがな!!」
気軽な言葉が飛び交い、夜明けの浜辺に三人の姿が、日の光を浴びてくっきりと見える。既に港からは他の漁に向かう船が、帆を広げながら石垣組みの防波堤の外へと次々と出航していく。
「おい、近いうちにまた来いよ? 時間は掛かるがお前が広めたやり方で、リヴァイアサンを加工しておくからな!」
ゴーリキの言葉に何の話かと首を傾げるチリに、ししょーはまた来ようとだけ伝え、砂浜の上へ彼女を立たせた。
中央都市に戻ったししょーは、店に帰るなり旅の疲れもみせずそのまま仕込みに入る。チリは彼の様子を眺めているうちに目を閉じ、テーブルに身体を預けたまま寝てしまった。
……んにゃ? お水の中かなぁ……? あ、何か居るみたい……
……と、眠っていたチリは夢の中で、リヴァイアサンの姿を見た。広大な海底に身を沈め、巨大な怪魚を一呑みにしながら悠々と生きてきたのだが、何か得体の知れぬ存在との縄張り争いに負け、ジリジリと人が行き交う浅瀬へと追い込まれてしまう。
(……ねー、リバーさんって、何かしたかった事ある?)
夢の中の事を幸いに、チリは無邪気に問い掛ける。無論、言葉は返ってこない。しかし、身体を大気に晒して弱りゆくリヴァイアサンから、言葉にならない何かが返って来た。
それは、生きる事への執着なのだろうか。粘り付くような意思の塊がチリを包み、自らの中に取り込もうと無秩序に力を籠める。だが、夢の中のチリは濡れた石鹸のようにスポンと飛び出して自由になると、
(やーいやーい! あんたはししょーが美味しく料理しちゃうから! そしたら私がぜーんぶ食べちゃうも~ん!!)
と、水の中でクルクルと回りながらお尻を手の平で叩いてアカンベーする。
そんな彼女の意志が伝わったのか、リヴァイアサンは悔しそうに小さく丸まると、深い海の底へと転がるように沈んでいった。
「……んあぁ!? あ、夢か……」
水底に沈むリヴァイアサンを見送った後、唐突に目覚めたチリは、キョロキョロと周りを見回してから、
「ししょー! リバーさん、喧嘩に負けて逃げてきたんだってさ!」
「……はあ? どこのリバーさんだよ……」
と、言い交わす内にチリの夢の中での話だと気付き、ししょーは暫く考えた後、
「……でも、明晰夢ってのや予知夢ってのも有るからな。案外有り得るかもしれんか」
そう呟いてからチリの頭を撫で、
「もしかしたら、その夢は本当なのかもしれんから、俺らは感謝してリヴァイアサンを食わんといけないな」
と、互いに言い聞かせるつもりで話を締め括った。
「でもさ、ししょー。お肉沢山だねぇ……」
チリは決して狭いとは言えない厨房とそして氷室箱一杯に広がる、大量のリヴァイアサンの肉を眺めながら呟く。
「まあ、元の量があるからな。それにあれこれ確保したお陰で種類も揃ってるし、暫くはリヴァイアサン料理で腕を奮えそうだ」
満足げにししょーは言うが、チリにしてみれば賄いも同じモノが続くと言う事である。もし口に合わなければ……そう思うと喜んでもいられない。
「……ししょー、リバーさんって美味しいの?」
「さあ、食ってみなきゃ判らん。ただ、古い文献によると【滋養強壮及び産後の肥立ち】に効能有るらしいぞ」
「うーん、あんまり美味しそうじゃないなぁ……」
チリはししょーの答えを聞き、耳を垂らしながら悲しげに俯いたが、
「そう言うなって。漁師の連中に言わせれば【海の生き物はだいたい旨い】ってものらしいし、あれだけの大物なら脂も載ってて不味くはなかろう?」
そう言いながら手元のリヴァイアサンの肉を掌で打った。




